8.正体発覚
「――ごめん」
「影森さんは謝ることなんてない……!」
影森さんは僕を救おうと戦ってくれた。
彼女がいなかったら僕はどうなっていたか知れない。彼女は何も悪くない。
僕は気持ちを押し殺し、立ち上がって恩人に礼を絞りだした。
「君が強くて驚いたよ……ありがとう。怪我がなくてっ」
影森さんが僕をギュッと抱きしめた。
優しく暖かく包み込むように。
「無理……しないで」
「――うん」
彼女の言葉に、僕の感情は決壊した。
「何なんだよ……!どうしてこうなるんだよ!なんで死ななきゃならないんだよ!うわあああ!」
翠野先輩がなぜ僕を裏切ったのか。
翠野先輩がなぜ改造人間にならなくちゃいけなかったか。
翠野先輩が死ななくちゃいけなかったか。
誰に聞いても返ってこない問い。
誰にもぶつけようのない怒り。
それを全て、彼女の胸の中で涙と共に垂れ流した。
それは、10分以上も続いた気がする。
「はぁ……ありがとう。影森さん……大分楽になった」
まだ心残りはあるが、僕の中にあるモヤモヤを大分吐き出すことができた。
命を救ってくれたばかりではなく、僕の涙まで黙って受け止めてくれた影森さんの器の大きさには感謝しかない。
僕はゆっくりと彼女から離れようとする。
グググっ
離れようとする。
グググっ
離れて……て……?
「影森さん、僕もう大丈夫だから。もう離していいよ」
影森さんの手は力を緩めず、僕を離そうとしないのだ。僕の声は聞こえているはずなのに。
というか、どんどん力が入って。
「っ!影森さん離して!それ以上は!」
彼女が僕の顔を胸にどんどん押し付けていく。
さっきまでは意識していなかっだがここまで強く押し付けられると、大きな胸の柔らかさと暖かさと……いい香いで……とろけちゃう……じゃないじゃない!。
いきなりどうしたんだ影森さん!
僕は頑張って、影森さんの顔をチラリと見る。
彼女の、その顔は僕が見たことのない表情だった。
「はぁ……はぁ……!光ちゃんがこんなにも近い……私の優しい光ちゃん……!」
その表情は紅潮し、息遣いは喘ぐかのように荒かった。
興奮しているかのような様子で、僕の名前を連呼している。
胸を伝わって、彼女の早くなっていく鼓動を感じている。
それに釣られるように僕の鼓動も早くなる。しかし僕の早くなる心臓の鼓動は性的興奮のようなの物とは違う。背中がゾワリとする恐怖による物だ。
僕には気になっていた事がある。
彼女がこの場へ来る時に、僕はあの視線を強く感じていた。あれは、いつも僕を見ているストーカーさんと同じ視線だった。
そして今ふと気がついた時がある。
陸斗やクラスメイト数人でいる時に視線を感じた事があるが、クラスメイト全員いる場である教室で感じた事は無かった。
ちなみに僕は高校で影森さんと二人きりや、彼女を交えた数人で行動した機会はない。
つまり、彼女が近くにいるときは僕の背中へ向けられる視線はない。
この情報を総括すれば
というか……彼女が今僕を見る視線は間違いない。
「もしかして……影森さん。君が僕をずっと見ている人……なの?」
「わぁっ!気が付いてくれたの!嬉しいよ光ちゃん!」
ここで彼女が僕を離してくれた。
正面から見る彼女の顔は、いつもの凛々しさは何処へやら無邪気に喜ぶ笑顔であった。目は僕を1秒たりとも見逃さないという気持ちが籠もっているかのように瞬き一つせず大きく開いていた。
「光ちゃんに危ない事がないかずぅっっっっと見守ってきたの!だから私ね、貴方が無事ですぅっごく嬉しいの!」
口調も王子様風ではなく、甘えるような少女のものだ。
どうして影森さんが、あの影森南が僕のストーカーなんかを。そしてこのテンションは一体?。
「まさか、下駄箱のクッキーも?」
「そうなの!光ちゃんのお母様が作ってくれたお弁当も素敵だけどぉそれじゃ栄養が足りないの。だから、足りない栄養を光ちゃんの好きなクッキーに混ぜたのよ。ああっ……私が作った物を毎日食べてくれるなんて……光ちゃんの足りないパーツを埋め血肉になる……し・あ・わ・せ♡」
確かに最近は風邪知らずかつ快便だけど、あのクッキーのお陰か。いやまてまてまて、なんで母さんが作ってくれた弁当の中身まで知ってるんだ。
「じゃあ他の事も全部君が……なんでそこまで僕を」
「好きだからだよ」
好き
瞳孔が開いた瞳が真っすぐと僕を見ている。それは嘘をついている人の目ではない。
「君が僕を……僕なんかのどこが」
「全部。髪も顔も胸もお腹も腕も手も太腿も脹脛も足も爪に至るまで全部。でも一番好きなのは優しいところ」
「優しいところ?優しいだなんて」
「優しいよ。あの日、あなたの優しさに私は救われた。あの日から私は貴方の事が好きになって貴方の為に生きようと誓ったの」
「あの日?僕は君を?」
「光ちゃんは覚えてないよ。貴方の優しさは誰にだって向けられる。だからあの日だって貴方にとっては特別な事ではないかもしれないけど、私にとっては大事な思い出」
影森さんはゆっくりと僕の背後に回り、僕をバックハグするように手を回した。
「私の身体も心も全て貴方に捧げられる。相手が怪物だろうと神であろうと、私が貴方を守ってみせる。だぁいすきよ、光ちゃん♡」
僕の耳元でねっとりとした猫撫声でそう言い残した後、彼女は一瞬のうちに姿を消した。
僕は一人公園に残された。
ああ、これは夢なんだ。ようやく目が覚める頃なんだ。その現実逃避すら無駄に鋭敏過ぎる感覚がそれを許さない。
目の前に広がる鉄と血溜まり広がる惨状。
血とオイルの匂い。
切られた顔無しの電子回路から電流が弾ける音。
流した涙の味。
そして、背中に感じる視線の熱。
五感がこれは全て現実だと証明させている。
この一時間強の間に濁流のように膨大で混濁した情報量を突きつけられ、今にも脳がパンクしそうだ。
だから僕は思考するのを辞め、暫く公園で立ち尽くした。