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詩人、夢に竜を飼う

作者: 杜若表六

 盲いた乞食は一宿一飯の礼にとおとぎ話を語る。


 その大国では、旱魃が続いていた。

 皇帝はこれを憂い、雨乞いのため竜王廟へ行幸することに決めた。竜王は、天の化身である。廟は山上の泉ちかくにあるという。

 輿にゆられて峻厳な尾根をのぼると、清らかな水が滔々と湧く聖泉があった。しかし竜王廟は見当たらない。しばらく探し回ったが、家来の一人が荒れ果てた廟をやっと見つけた。

 皇帝は廟の前に立つと、尊大な調子でのたまった。「聞け、我はこの国を統べる覇王なり。この地に祀られし竜王に命ずる。長くつづく旱魃の傷を癒すため、大地に雨を降らせよ。我が国土を甦らせるのだ」

 すると廟の奥から地響きのような声がする、「覇王だか阿呆だかしらぬが、なんと愚かなことをぬかすか。人の子の分際で、わしに命ずるなど片腹痛いわ。そもそも、わが廟をかようにほったらかしにしておいて、いまさらなんの面目があって顔を出したのか!」

 それと同時に雷鳴がとどろき、あたりは真っ暗になった。だが雨は降らず、うすら寒い風がひゅうと吹き抜けるのみである。

 皇帝はそれからも何度か呼びかけたが、返事はなかったのでやがて諦め、輿にゆられてしずしずと山を下りて帰った。


 ひどく面子をつぶされた皇帝は、竜王を呪った。恥辱のあまり若き頃の残忍な気分がうずき、血のしたたりを求めた。

 しかし、すぐに復讐することはしなかった。竜王の霊力は途轍もないものであると知っていたからである。皇帝はしばし思案し、こう考えた。その眷属の頭数あたまかずを減らせば、霊力を弱められるかもしれぬ。

 そこで国中にこのような触れ書きを広めた。

「もしも我が領土の内で竜を見つけたら、直ぐ役人に言いつけてこれを屠らせるように。たとえ母竜であろうが子竜であろうが、竜であるかぎり、それを見逃したりかくまったりした者は、即刻死罪とする」

 早速、国中で竜狩りがはじまった。竜を憎む民は少なく、むしろ畏怖している者も多かったが、その住処を密告する声は絶えなかった。皇帝の怒りに触れて、死ぬのが恐ろしかったのである。

 不意をつかれた竜たちは次々に討たれていった。大勢の兵士が弓を射かけたあと、屠龍刀とりゅうとうで首を刎ねるのである。この神聖な生き物はそれこそ母竜から子竜まで、容赦なく狩られていった。

 皇帝は竜の首を城壁に並べ、それを眺めながら豪奢な酒宴をひらいた。

「見よ! これが我に歯向かったものの末路じゃ。竜王の霊力もこれで弱まるに違いない、きゃつめ、いまに見ておれ、必ずや目にもの見せてやろう」

 そうして、昂ぶった残忍な気分をおさえきれず、狂ったように高笑いした。


 さて、宮廷には皇帝からこの上ない寵愛を受けるひとりの若者がいた。

 名を異生いせいという、爽やかな美青年である。

 異生は、皇帝の臣下としては例外の、なにをしても許される男といってよい。たとえ本来の仕事である官吏のえきをなおざりにして、ひとり池の水面を見つめてあらぬ空想に耽っていても、夜中にとつぜん思い立って、秘蔵の稀覯きこう本を読むため書庫へ忍びこんでも、首を刎ねられたり、馬に曳かれ四肢を引き千切られることはなかった。

 異生は胸を焦がすような色恋のうたや、血わき肉おどる武勲のうたを折にふれ宮中で披露した。

 皇帝はこの詩人をたいそう愛した。そこには単なる忠臣への寵愛以上のものがあった。異生にはそれほど優れた詩作の才と、どこか人好きのする、変わった夢想癖むそうへきとがあったのである。

 

 ところで異生は、巷をにぎわす竜狩り騒ぎには、あまり関心をよせなかった。

 もちろん、いっこうに雨を降らせぬ、不可解な天の気まぐれをあやしんでみたり、城壁に並べられた竜の首をみて、その繊細な心を痛めてみたりはしたが、この椿事が自分にはどうすることもできないたぐいの事柄であるのを、よく承知していたのである。

 それよりも、しきりと噂にのぼる、竜王なる存在に対する関心が、詩人の心の内奥で日に日に強くなっていった。竜の中の竜、皇帝までもが恐れる聖獣の王、その姿は至上の美しさを誇り、毛の一筋ひとすじにいたるまで、若々しい活力がみなぎり、雄々しい威厳をはなつという。

「ああ、なんとかして一目、竜王とやらの姿を拝みたいものだ!」

 異生は大庭園の池のほとりで、ひとり嘆く。

「もしも一目見ることができたなら、空前絶後の妙なる調べをもつ詩が、きっと詠めようになると思うのだが」

 そして竜王に捧げる詩をひねり出そうとしばし瞑想してから、次のような詩句を詠みはじめた。

「おお、竜王よ

 まるでぎょくのごときその瞳

 虹色に輝くその鱗

 金剛石すらも裂くその爪……」

 夢想家の詩人はそこでふいに口をつぐみ、大きくため息をついた。

「駄目だ、だめだ! ろくな句が浮かばない。そもそも、本物を見たことがないのでは、どうしようもない。いい加減なものしかできないに決まっている」

 むしゃくしゃした若い官吏は(むろん皇帝からは禁じられていたが)池に石を投げ、祈る。

「たのむ! 竜王よ、私の前に姿を見せてください。そのかわり、貴方のためならばこの異生、どんなことでもしてみせよう。渾身の詩のためなら、たとえこの命を捧げてもかまわない!」

 そう言うと、池の水面をじっと見つめて待った。しかし、いくら時がたっても、竜一匹、いや魚一匹現れることはなかった。


(起きてください、異生さん)

(だれだ、私を起こすのは)

(僕ですよ)

(君は、……竜ではないか)

(そうです。名もない子竜です)

(なんの用かね、こんな遅くに)

(どうか、僕たちを助けてほしいのです……このところ、皇帝が僕らを殺戮しているというのは、異生さんもご存知でしょう)

(もちろん、知っている。哀れなことだ。しかしすまないが、君らを助けるすべがない)

(いえ、術ならあります。ここに僕らを匿っていただきたい)

(ここに? 狭いせまい私の寝室にか)

(そうじゃありませんよ、よく周りを見てください、ここはあなたの夢の中です)

(これは、なんと不可思議な! やけにゆとりを感じると思ったら、広大無辺の領土ではないか)

(あなたの素晴らしい想像力の反映で、夢もこれほどまでに広いのです)

(しかし、夢の中に匿うとは何事か)

(もともと、竜は現と夢のあわいを生きるもの。ここなら不自由なく暮らせますし、見つかる心配もありません)

(なるほど、それはわかった。しかしなぜ私に?)

(あなたが池で願ったのを、竜王さまが聴いていたのです。そこで使いとして僕がまず送られたというわけ。国中の竜を助けたあかつきには、竜王さまが会いに来られるそうです)

(なんだって? それを早く言ってくれたまえ! 竜王に会える……必ずや、君たちを救ってみせよう。たとえこの命にかえても)


 半月ののち、皇帝は言いようのない不快さを感じながら、憮然として玉座に頬杖をついていた。

 それには二つの理由がある。

 まず、近ごろ、国土のどこを探しても竜の姿がないのだ。隣国へ逃げることは考えにくい。竜はだいたいが、土地に憑くものだからだ。みな殺しにしてしまったということもあり得ない。いまだ何人なんびとも竜王の弱ったところを見ていない。それどころか、まともにその姿を見たものさえいない始末なのだ。

 そして、寵愛する異生の様子がおかしい。皇帝が欲すると、これまでと変わらぬ風で自作の詩を披露するのだが、どうもその詠みぶりは歯切れが悪いし、詩の出来もまずい。突拍子もない空想をそのまま無理に句へ入れ込んで、韻もへったくれもない不細工な羅列を「詩」と言い張っているような具合なのだ。

「どうした、異生よ。お前にしては情けない詠みっぷりではないか」

「お許しください、皇帝よ。どうにも頭が重いのです……」

「なに、頭が。何故なにゆえか」

「毎晩毎晩、たくさんの客が私の夢の中に来て、そのまま住み込んでしまうのです……」

「さすがは詩人。その病でさえも、愉快な喩えで表すのだな! おおかた、風邪でもひいたのであろう。さがれ」

「御意」


 詩人が一礼して去っていくその背中を見つめながら、皇帝はひとりごちた。

「異生はいったい、どうしたというのだろうか。詩を詠んでいるときの、あの男らしからぬ覇気のなさよ」

「ひょっとしたら、あやつの夢に竜が住み着いたのではありませんかな?」

 かたわらの大臣がたわいない冗談のつもりで囁く。

「竜は大人たいじんの夢に巣食い、以てその頭を重くす、と古くから申します」

「それはまことか」

 大臣は皇帝の陰気なまなざしにも気づかず、

「はい。竜は現と夢のあわいに棲む聖獣。大人の夢の中はさながら竜の牧場まきばのようだ、とも申します。そういいましても、本当かどうか確かめる術などございませんが」

 といって自らぷっと吹きだした。

 だが、皇帝の心の内奥に根ざした猜疑の心は、大臣の言葉によってぶくぶくと膨れ上がった。

 ――異生よ。おぬしは竜に仕えるか。……我ではなく。

 皇帝の異生に対するこの上ない愛は猛烈な憎しみへと変わった。


 次の日、皇帝は命じて異生を尋問させた。

(もしやおぬし、我に逆ろうて、夢の中へ竜どもを匿っておるのではないか? 正直に話せ。正直に言わぬと、うぬが身の為にならんぞ。)

「竜を、夢の中へ? 皇帝はなにをおっしゃっているのでしょう。お戯れがすぎるのではございませんか」

(あくまでしらを切るつもりか。おぬし、我に、頭が重いと申したな。それは夢に竜の棲まう証拠だそうじゃ。)

「これはただの風邪にございます。決して竜を飼うなどと……そんな不届きなことは」

(大人の心は広大無辺という。だがさすがに、国中の竜を飼いきれるものではなかったようだな。我が帝国の領土の広さを思い知ったか。異生よ。たいへん嘆かわしいことだが、おぬしを極刑に処す。観念せよ)

「陛下に会わせていただきたい、どうか弁解をさせてください。これはなにかの間違いにございます!」


 気づけば、異生は生暖かい風の吹きすさぶ刑場に立たされていた。

 民衆は怒りのあまり、哀れな詩人に石や罵倒を浴びせかけた。皇帝の言を真に受け、自分たちを苦しめる旱魃、その原因は竜王にこそあり、それを助けているのが異生なのだ、と妄信していたからである。

 刑の執行は皇帝が直々に命じた。

「まずは、この裏切り者の目を潰せ!」

 刑吏は赫々(かっかく)と熱した鉄の棒を異生の顔に近づける。

 

 異生は恐怖と痛みのあまり気を失い、にわかに夢中の人となった。

 そこに竜が整然と並び、詩人の言葉を待っていた。ここでは目が見えたのである。

「竜たちよ、もう終わりだ。私は死ぬ。まさにいま、じっくりと殺されかけているところだ。皇帝の残忍な気分に、とらわれてしまったのだ。あの男は獣だ。いや、獣よりも血なまぐさい。……諸君、どうか逃げたまえ、私が死ぬ前に。私が死ねば、この夢の世界も消え、君たちも死ぬだろう」

 異生の話を聞きながら、竜たちはなにか決心したような顔になり、やがて次々と霧のように消えていった。はじめの一匹、あの子竜が最後に残り、詩人に言うには、

「異生さん、ついにこの時がきたのですね、雌雄を決する時が。僕たちは決めていたのです、もしあなたに危険が迫ったら命がけで戦おうと。あなたの夢の中は素晴らしい楽園でした。あちこちに桃の花が咲き乱れ、滝には美酒が流れます。どこからともなく陽気な歌が聞こえ、夜には優しい子守歌にかわります。できることならば、いつまでもここにいたい。ですが、僕たちのせいであなたは傷つけられてしまった。こうなったらあの暴君に、目にもの見せてやります」

「すまない、恩に着る。しかしいくら力強い竜とはいえ、あの皇帝にかなうものだろうか」

「なにご安心なさい、竜王さまもきっといらっしゃって力になってくださいます、なんせあの男はかたきですから」

「なんと、竜王も来られるのか。ううむ、その姿をこの目で拝見できないのが残念だ」

 異生は嘆き、ゆっくりと目を閉じた。


 それからは、っという間のできごとであった。

 とつぜん異生の頭から紫煙がもくもくとあがると、その中から竜の大群が雲霞のごとく湧いて出、あたり一面をきらきらと光る鱗でうめつくした。

 皇帝は一瞬ひるんだが、すぐさま兵士たちに号令をかける。

 牙と爪で戦う父竜、母竜、子竜、はぐれ竜、無数の矢を射かける弓兵、屠龍刀ぎらつかせ襲いかかる猛者たち、竜と人、双方の血しぶきが舞う。

 異生は焼かれた目で必死に周囲を見回すが、当然なにも見えぬ。皇帝の怒号、民衆の悲鳴、兵士の断末魔、竜の雄叫び。異生のまわりをぐるりと取り囲むようにして、それぞれの声は地獄の音色を奏でていた。

「われらの生きるこの世界の、なんと醜いことよ」

 詩人はひとり嘆く。

「それに比べて夢の、竜の世界の美しさは……」

 詩人はすさまじい喧騒の中、しばし心の内奥にり瞑想した。

「……うん、そうか。そういうことか。できたぞ、できた!」

 異生はふいにそう叫ぶと、次のような詩句を朗々とうたいあげた。もうすっかり頭は軽くなっている。

「願わくば竜の背に乗り天を旅せん

 空から望む世界はいかほどに

 小さく見えることであろう、そして

 美しく見えることであろう、竜王よ

 貴方との約束を果たした今、私に

 できることはただ、時と運命のはざま

 流れに身を任せていくことだけだ

 現と夢とのあわいに生きる竜のごとく」


 すると、にわかに黒雲が空を覆い、一条の稲妻がするどく刑場に落ちた。

 あまりに強いその閃光に、その場の誰もが目を射られ、暫時なにも見えなくなった。そのかん、竜王は異生を背に乗せ、再び天空へと昇りあがる。

「ああ、来てくださったのですね。竜王よ」

 詩人は冷たい風を全身に受けながら、しずかに呟いた。

「しかし、残念だ。貴方の姿が見れないとは」

「詩人よ。目を開けるがいい」

 はたして異生の目は開いた。

 そこは虹色に光る鱗の上。

「おお、これは……これは……」

「お前の想像したとおりではないか、異生よ」

 竜王は玉の如き瞳で笑いかけた。

「まさしく」

「わしの姿は見た者の器しだいで、醜くも美しくも映る」

 金剛石も裂くであろう爪が人懐こくゆれる。

「なんと美しい。とても言葉にできない……」

 異生は思わず大粒の涙をこぼした。その雫は細かく散って、大地へと降り注いだ。

「雨だ! 雨が降ってきた!」

 誰かが地上で叫ぶ。

 驟雨が城壁に並んだ竜の首を洗った。

 竜王と異生とは、雲をぬけ天へ、空高くたかく、何人にも見えぬ彼方へと去っていった。


 さて、異生はのちに、天界にて事の顛末を見事な長詩に詠んだというが、それをここでうたうことはせぬ。

 なぜなら、その内容といえば、すでに我が語った事柄とあまり変わり映えはせぬし、なにより、かつて皇帝と呼ばれた我には、そんな不愉快な詩を解そうなどという心持は、これっぽっちもありはせんからだ。

 なに、誰もそんなおとぎ話、信じぬと。そもそも一宿一飯の礼とするには荒唐無稽、真実味のない戯れ話だと?

 では問うが、おぬしは天が常に雨を降らすものと、信じておるではないか。竜王が雨を降らすということも、なぜ信じられぬ? 異生という詩人がその背に乗って天に昇っていったということも?

 なに、すべて、我が夢にすぎぬと。飢えた乞食が夢の中に見た、儚い幻だと?

 そうかもしれん。おぬしの言うとおりかもしれぬ。だが、ただひとつ、確かに思うことが我にはある。

 それは、我がかつて皇帝だったということだ。それだけは、この耄碌もうろくした頭でも確かに覚えている。

 つまりは、あれらすべて、皇帝である我の見た夢なのかもしれん。いや、ひょっとしたらこれもまた、我の見ている夢なのかもしれぬ。

 しかしそうだとして、皮肉にも我はこの夢から覚める術を失った。稲妻に焼かれたこの目は、二度と決して開くことがない。

 それゆえもはや、皇帝の座も、我が帝国も、愛する異生も戻っては来ん。

 そしていつまでも、独りのめしいた乞食として、仇の血に飢えた竜の影に怯えながら、この大地をさまよいつづけねばならぬのだ。

 ――嗚呼、天は我を見捨てたり!

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