ハイドロゲン
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神戸沖の人工島、すなわちいざなみ県が首都になってからもうずいぶんと日が経つ。その首都の一丁目一番地とされる市街地に、私たちは立っていた。「なんもねーなぁ」と相棒がヒマさ加減にそれなりの文句を言う。舌打ちまでしたくらいだ。私は「火」となにげなく、それでいて強く告げた。相棒はまたまた舌打ちして、それからジッポライターの火を灯した。私たちは唇を寄せ合うようにして一緒になってその先端に火をつける。甘ったるい場面、格好がいい刹那、尊い感覚。私はこの瞬間がなにより好きだ。あるいはセックスよりイケるかもしれない――それは嘘かもしれない。
表通りでそんな真似をしたから目立ったのか、否、たしかで強い悪意を用意した男ら――B系ファッションと紺色の背広姿の野郎ども二人が突っかかってきた。それぞれ私と相棒にナイフを向けてくる。私はなにも言わない。言わないし思わない。相棒もなにも述べることなく――結果として、私たちは相手二人を駆逐した。相棒は腹を立てたらしい。「俺様に敵うと思ってんのかよ、どちくしょうがっ」とかなりのハイテンションで忌ま忌ましげな様子で男の背中に後頭部にとガンガンガンガンストンピングを浴びせる。私は「待ちな」と伝えた。この男どもの出所がどこか知る必要がある。そのくらいわかっているのだ、相棒も。だから場を私に預けてくれるわけだ。
気を失っていないほう、B系のもとで、私は両膝を折った。
「はぁい、ぼくぅ。きみたちはどこのニンゲンなのかなぁ?」
「黙れよ。言わねーよ、そんな簡単に。っていうか、俺たちのこと、早く解放したほうがいいんだぜ、ふへっ、ふへっへっへ」
「あら、そんな生意気な口、利いちゃっていいのかなぁ?」
案の定、相棒が当該男のコを蹴りまくる、ストンピングを食らわせまくる。
「そこの相棒殿、やりすぎは良くないよ」
「まどろっこしいのは嫌いなんだよ、苦手だとも言うな」
「だからって、待ちな」
「へいへい、わかりましたよ」
私は「それで?」と男に訊ねた。
「『霊柩車』だ」
「『霊柩車』?」
「へ、へへ、知らねーのかよ、爆乳のねえちゃん」
爆乳という単語がなんらかのかたちでなんらか刺さったのか、相棒はストンピングを極め直す。まったくどれだけ短気なんだか。いいからこのへん、私に任せとけっての。私の爆乳は古のときから知られている事実であろうに。
相棒は無知で無垢で無粋で無謀な男子の頭をガンガンガンガン蹴って地に叩きつける。「ま、待ってくれ、お願いだ」と血を吐き言葉を並べ立てても、ガンガンガンガン、それをやめない。
「わわ、わかったよ。だからもうこれ以上はやめてくれよ――っ」
「なにがわかったってんだ? つーか、誰が首謀者だ? 誰が俺たちを狙ってんだ? ぶち殺されたくなけりゃあ、速やかに吐けよ」
「だから、それは俺がこれから案内して――」
「嫌だね。おまえはここでぶち殺してやる」
「えっ、えっ? 言ってること、違うじゃんかよ」
「俺は気まぐれなんだ」
「ややっ、やめろよ、そんなことっ」
「だからふざけんなよって話だよ、なにもかもが冗談なんだよ、クソッたれ」
相棒はそのB系男子にいろいろやって、彼をつらい状況に追い込んだ。
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それはもうヤッてヤッて、その上で相棒にぐったりと身体を預けていたので、相棒が身体を起こすまで、そこに現実感があるとは思えなかった。既視感だけはあった。もはやある種の病気に冒されているのだろう。
私は目をこすりながら、相棒の胸にすがり、相棒の胸に抱きついた。
「本部から連絡だ」スマホを耳にあてていた相棒が言う。「B系小僧のあいつは死んじまったらしい」
私はべつに驚かない。
ただ気になることはあって、だから「どうして死んだの?」と訊ねた。
「さあな。運がなかったってことじゃねーのか」
「本部の誰かが殺したんだよ。『101号室』で」
「そうだとして、なんか問題があんのかよ」
「ないね」
「だろうが」
「連中のお仲間は? 見つけたらどうするの?」
「捕まえるかぶっ殺すかしちまえばいい。それが俺らの流儀で役割で特権だ」
「ま、そっか。だったらたしかに、殺るか」
「行こうぜ」
「はいはい、行きます、私は先輩なんだから」
「気に障る言い方だ」
「うるさい」
「へいへい」
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目の前の取り引きに顔を出してくれたのはいわゆる負け組だった。私たちは連中に「ヤクやってんだろ?」「クスリ、やってんでしょ?」と凄み、あちこちの事務所にて問題の品々を容赦なく押収、回収した。「阿保みたいな仕事でしかなかったな」と相棒は言い、だから私は「それって私たちが優秀だからじゃない」と自画自賛してやった。「馬鹿じゃあ取り締まれねーな」と返ってきた。頼もしいね、きみは、相棒くん。だから、ま、買ってやっているんだけどね。
あんたは止まる?
だとすればどこで止まる?
どうしたら止まるっていうの?
どれも愚問だろう。
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つまらん。ほんとうにつまらん。そうであるからこそ出来事の名を「向こう見ずな一件」などと一括りにしてやりたくもるのだけれど、それはそう、言ってやりたいというだけだ。「ハイドロゲン」と名乗ったのだ、いざなみ県一番の市街地において、「新歌舞伎町」だなんて大仰なことを言われるある種の呪われた土地において、言ったのだ。ではなにを言ったのか。そのへんの理由であろうことと真意については、どなたかから直接聞かせてもらいたいところである。
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ハイドロゲンはことカウンター・テロという役目においては容赦のない私たちを知っていたらしく、知っているのに私たちのことを目にしたにもかかわらず、取り乱すようなところはなかった。逃げる素振りも見せなかった。戦おう。そんな様子。私たちが相手である以上、どう考えたって向こうさんが不利だ。有利ではないということだ。それでも逃げようとする様なんて微塵も表現しない。強い。したたかな精神の持ち主だ。だからって尻込みしたりはしないけれど。それが私たちなんだけれど。
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「『霊柩車』かぁ、そうかぁ」私は愛車を駆りながらぽかーんと言い放ち、それから「今回の件、元をたどればそこに行き着くのかもねぇ」とぼんやり考えを述べた。
アシストグリップを握っている相棒は「そりゃそうだろ。つーか『霊柩車』っつーくらいだ。相当ヤベーんだろうな」と言った、後頭部を右手でがしがしと掻きながら。「ほんと、やべーんだろ、やべーんだろうな」と続けた。
「どうしてそんなふうに思うわけ?」
「勘だ」
「どうぞぉ」
「『霊柩車』ってのは、なにをする車だ?」
「死体を載せる車でしょ?」
「ヤバいってんだよ」
「だから、それはどうして?」
「馬鹿野郎が」
「いいよ、馬鹿野郎で」
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その日その夜、私は私らしくもなくえらくお願いをして、買ってきたモーニングを相棒に着てもらった。モーニングという単語は(あるいは)死語なのだろうか。それでもまあ、相棒が「モーニングなんて着れるかよ」と怒ったので、モーニングはモーニングなのだろう。いまだ市民権を得ている言葉のだろう。いっぽうの私は背中ばっくりのワインレッドのドレス姿。ほんとうに背中がすーすーする。久しぶりの感覚。忘れていた記憶でもある。ほっと優しい気持ちになった、不思議だ。
いざなみ県内でもっとも高級なホテルで行われるなんぞの晩餐会。私はどうしようもなくその場に居合わせたくなって、相棒を誘った――否、連行したのだった。
会場につくなり相棒は喜んだ。立食形式の食事がとてもとっても豪華だったからだ。とにかく肉ばかりを取ってきて、私の前でもぐもぐと咀嚼しながらニコニコ笑う。かわいいなぁ。本物のクソッたれなのに、ほんとなんてかわいいんだろう。抱きつきたい思いをなんとかふんじばる。でも、ほんとうにかわいいものだから、ほんとうに抱きつきたくなる。だけどだけど、今日はマジに少しだけ淑やかでいようと思う。せっかくの大きなパーティーなのだから。
がつがつがつがつ食べていただけの相棒が私の隣に並んだ。自身の懐を探る。前を見たまま「禁煙だよ」と注意すると、「住みにくい世の中だ」と舌打ち交じりの返答があった。
「あのね、おもしろいことがあるんだ。言っていい?」
「わかってるよ。おまえ、神崎とこういう場に来たことがあるんだろ?」
私はその勘の良さにびっくりし、それから苦笑した。相棒ってば基本的に脳みそが筋肉の馬鹿なのに、こういうセンシティブな場面においてはえらく思考が働いたりする。たしかに来た。神崎さんと、こういうところに。
「行っちまえ、馬鹿野郎。俺は止めやしねーさ」
「止めてくれないの?」
「嘘だよ。止めてやる」
「ほんとうに?」
「ああ。一所懸命に止めてやる」
私は「あははっ」と笑って、相棒の左の腕にすがりついた。
「水素なんだってな」
「水素?」
「ああ、水素だ」
「なんの話?」
「知るかよ。ただ、水素ってのは必要なもんなんだろ?」
ハイドロゲン。
あいつも誰かにとっては欠かせないニンゲンなのかな?
もう知ったこっちゃないし、未来永劫、関係ないだろうけれど。
「踊って」
「ああん?」
「私と踊って!」
「でけー声出すなよ。でも、俺は踊るなんてこたぁ――」
「私が教えてあげる。ついてきな!」
相棒は笑った。
「おまえと知り合ってから、俺は自分の知らねーことばっか教わってるよ」
私も笑った。
それはもう盛大に。
場にいたニンゲンらも拍手を送ってしまうくらいに。
私は相棒の右手を支点にして、くるくると駒みたいに回った。




