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新たな仕事。

主人公に新たな仕事が降ってきます。





1929年12月、二度目のお披露目も好評で終えることが出来、陸軍技術本部第四研究所に対する陸軍上層部の評価が更に上がった。


先の軽戦車改め中戦車の陸軍によるテストも良好だったようで、この度正式採用が決まった。それに続いて重戦車の方も正式採用が決まり、それぞれ八十九式中戦車、八十九式重戦車と正式な型番が付いた。


そして本格的な生産に入る前に更にテストを進めるとの事で、先行生産品としてそれぞれ二台ずつ追加生産せよ、との命令が来た。


それは良いのだが、同時に陸軍上層部より〝新たに開発した戦車は厳重に秘匿せよ〟との命令も下ったのだ。二度のお披露目の後上層部内では、新たに採用した八十九式中戦車と重戦車は我が国の決戦兵器として厳重に秘匿すべし、という意見が大勢を占めたとの事で、ここぞという時に使う為に、それ迄は車体に木の板等で偽装を施して本来の形や性能を隠すべし、とそう決まったそうなのだ。


言わんとする事はわかるが、そんな張りぼてを張り付けた戦車で訓練など出来るのかと思ったのだが、新たな開発命令が下った。



新たな開発命令とは、『実戦デノ使用二耐エ得ル訓練用戦車ヲ開発セヨ』だ。


つまり、実戦投入も可能な訓練用の戦車を作れ、という事だ。



俺の記憶では、ドイツでは一号戦車というトラクターに機銃砲塔を載せた様な戦車を使って訓練をしていたと記憶しているし、ソ連は大量にあったT-26を使用していたらしい、と記憶している。


ソ連に関しての〝らしい〟とは、俺は必要以外の事を知りうる立場に無かったため、本当にT-26を使って訓練をして居たかどうかは、噂話以上の事はわからないな。



いずれにせよ、国力もリソースも限られる我が国が多くの車種を保有するのは愚策である。なら開発するのは、様々な用途に使える多用途車両が好ましいのではないか。


ソ連にしても、軽戦車として作られたT-26であるが、機銃のみを装備したモデルや45mm砲を装備したモデル、更には歩兵支援用として76.2ミリ榴弾砲を装備したモデルもあった。

更にはその車体を利用して野砲を載せた自走砲など、実に様々なバリエーションが作られた。


つまり最初から、様々に利用可能で息長く使える多用途目的の訓練用戦車を作れば、リソースに乏しい我が国でも十分な数が揃えられるのではないだろうか。



そこで俺は、その訓練用戦車の仕様を考えてみた。まず車格だが、あまり小さく作っては利用用途が限られてしまう。自走砲として榴弾砲等を搭載して運用できる程度の大きさは必要だろう。


そう考えれば、車体の大きさは全長が5m、全幅が2.4m、車高があまり高くなってはいかんから全高は2.3m程度、装甲厚は前面のみ傾斜装甲で20mm、他は15mm程度で良いだろう。

必要があれば、装甲板をボルト止めで追加するなどして対処すればいい。


エンジンはV型12気筒ディーゼルエンジンのブロックを半分にして六気筒に減らし、出力も200馬力程度を想定する。これくらいあれば、それなりに大きい榴弾砲を背負わせても十分動けるだろう。


偵察戦車としての仕様も想定して4人乗りとする。


武装は、元々試製三号戦車に搭載する予定で開発していた九十式57ミリ戦車砲を搭載したモデルと、この前採用したボフォース社製20mm機関砲を搭載したモデルの二種類。

この20mm機関砲は元々スウェーデン海軍用に開発されたが、結局海軍の方針転換により採用されなかった機関砲らしく、しかもスウェーデン陸軍でも採用されて居ない。

つまり、この20ミリ機関砲を採用しているのは我が国だけという事だ。この機関砲は中々強力で、20x145R弾を使用し発射速度は360rpm。対空砲としては勿論、対戦車、対人、対物砲としても威力を発揮するだろう。


一先ず訓練用機関砲としてなら、十分な性能だろう。


併せて車両のバリエーションとして、20mm機関砲を連装にして対空戦闘に対応する砲塔を載せた対空戦車、採用が決まっている105mm榴弾砲を載せた自走砲などのスケッチも用意しておこう。


結局、師走末まで慌ただしく1929年を過ごし、何とか正月は実家で迎えた。



年が明けて1930年1月、実は俺は欧州滞在中にメイドとして雇っていた現地の娘と結婚していたのだが、日本での住居も整い生活も安定して来た為、日本に呼び寄せて両親に会わせた。

前世でロシア人だったせいか、所謂白人の女性には特に何の抵抗も無く、第一次大戦で夫を失い未亡人だったメイドを嫁にしたのだが、いざ妻を両親に会わせると仰天され散々文句を言われて、ほとほと困り果てた。


50を前にした息子が結婚していないのは外聞が悪いから早く所帯を持て、とずっと言って居ながら、いざ妻に会わせるとこれだ。


幸い、妻は両親が何をしゃべっているのか理解できないから、角の立たない様に通訳しておいたが。


妻と結婚したのは1920年、俺が37歳の時でもう結婚して10年目だ。本来なら俺はもっと早く帰国して妻も呼び寄せていた筈だったが、俺がやっと日本に帰国出来てから一年少々、漸く呼び寄せる事が出来た。


とはいえ、この国とフランスでの生活はまるで異なるだろうから、この国に馴染めるかどうかはまた別の話だ。


一応、俺には既に子供が居るのだが、妻の連れ子の男の子と俺と妻の子である娘の二人だ。俺はフランスでも仕事仕事で、子供の事は殆ど妻に任せきりだったが…。


三人には是非とも日本に馴染んで欲しいので、日本語を教えてくれる先生でも探すか。




1930年2月、百武俊吉陸軍中尉という人物が俺の許を訪ねて来た。


なんでも、欧州に留学した事もある戦車指揮官らしい。


俺の本を読んで一度会ってみたかったそうで、公用で上京してきたついでに俺を訪ねて来たそうだ。


ちなみに、俺は帰国してから予定通り本を何冊か出していて、どれもそこそこ売れている。

彼はその内の『装甲部隊戦術論』という本を読んで感銘を受けたそうで、読者から直接著書の感想を聞くのはなんとも嬉しい物だな。


あの本の元ネタの本を書いたフラーとか言うイギリスの将校とは実は文通をしていて、そのやり取りで戦車運用についていろいろ教えて貰っている。


その辺りの話を色々と百武中尉に話していたら、つい余計な事を口走りそうになって困った。俺が戦車開発をしているというのは、大っぴらにしている訳ではないが、別に極秘という訳では無い。しかし、開発している物は軍機に該当する代物だからな。


百武中尉は大変に勉強になったと言うので、俺はお土産にダブって持っていた『戦争科学の基礎』を進呈したら感激していた。英書なのだが普通に読めるそうだ。


彼は福岡は久留米の第一戦車隊に所属しているらしいから、その内俺が開発した戦車にも乗るのかもしれないな。




1930年6月、訓練用戦車の概略設計図面が出来上がったので、陸軍造兵廠大阪工廠に試作車を発注。

新しいエンジンの方も、並行して三菱の方で既に制作中だ。ただ今回は、エンジンブロックを前回と同じアルミニウム合金製の物と、それとは別に試しに鋳鉄製の物も頼んである。


というのも、将来的にアルミニウムの調達が難しくなった場合、鋳鉄で作るしかない。だから念のために、鋳鉄だとどの位重さが増すのか、熱の問題はどうなのかと云った違いを調査する必要がある、と考えたのだ。


また陸軍からは、今回訓練用戦車と一緒に提案した車両は全て試作車を製作せよ、との指示があった為、対空戦車と自走砲も併せて製作することになって居て、フランスから届いている105mm榴弾砲は既に陸軍造兵廠大阪工廠に届けられている。


この105mm榴弾砲は恐らく来年には正式採用になり、国内でライセンス生産が始まる筈だ。


ちなみに、試作車に載せるエンジンは当然アルミニウム合金製だ。



八十九式中戦車、そして重戦車は五年間で計三百両の調達が決まった。また問題のアルミニウム生産だが、既に三菱で大規模な国内製造用プラントが造られて本格的な生産が始まっており、今のところエンジンブロック用年間生産分の調達の見通しは立っている様だが、アルミニウムは航空機製造にも使う為、今後どうなるかはまだ見えていない。


出来上がった八十九式中戦車と重戦車は、不細工な木製の張りぼてを取り付けて陸軍に納品されているが、意義はわかるが、俺は何とも言えない気分だ。



開発許可を得ていた橋梁架橋車両を、部下にアイディアを出させて、陸軍造兵廠大阪工廠で二つほど拵えてみた。


贅沢だが、他に適する車両が無く、また一から開発するのは無駄なので、ベースの車体は八十九式重戦車の車体を借り受けて来て使用した。


車体上に鉄板で拵えた中空のフロートを付けた艀を五枚ほど載せて現場に向かい、着いたらそれらをウインチで一枚ずつ川に下ろして繋げて橋にしていくタイプ。もう一つは、同じく車体上に搭載する二つ折りにした仮設橋を、ウインチで拡げながら架橋するタイプだ。


先のタイプは川に浮かべて敷設していくタイプなので長さに制限が無く、橋梁架橋車両を複数用意すれば広い川であっても対岸まで艀を渡すことが出来る。ただし、これを敷設して運用するには工兵がしっかり固定する必要がある。


あとのタイプは、搭載している仮設橋が架かる幅であれば、川に浮かべなくとも橋を渡すことが出来る。

ただし、このタイプで架橋可能な距離は、搭載されている二つ折りの仮設橋の長さに限られていて、今の所10mが限度だ。


更に実際拵えてみてわかったが、先のタイプは運搬運用する車両は戦車の車体である必要は無いが、後のタイプは、戦車が通過可能な仮設橋は大変な重さであり、それを運搬運用するには八十九式重戦車の車体を流用するでも無ければ、実現が非常に困難だろう。


兎も角、これも陸軍でテストだ。




1930年12月、生産の準備やら試作車の製作の指導やらと、あちこち飛び回りながら忙しく仕事をして居れば、あっという間に今年も終わろうとしている。


先月末頃、無事に訓練用戦車の試作車は完成し、テストの為陸軍に引き渡された。


前回迄の戦車の様なお披露目は今後やらず、試作車を陸軍に引き渡せば、陸軍で然るべきところへ移動させてテストを行うことになった。


勿論、必要があれば俺や部下達が出向くし、引き渡してそれで終わり、という訳では無い。



最近、社会情勢が不穏になって居るのもあるのか、陸軍からの返事は早く、訓練用戦車も採用となったがこの戦車は〝軽戦車〟と呼称される事になった。この軽戦車も先行生産品でテストを進めながら必要があれば手直しし、まずは戦車学校、そして各部隊に配備をしていくそうだ。


軽戦車の使用用途に関しては大体想定通り、訓練の他は偵察任務だったり、或いは歩兵支援だったり。なんでも機械化部隊を編制して諸兵科連合を作り、機械化混成旅団というのを作る計画が進んでいるそうで、まずはそこに採用された戦車などが優先的に配備されているらしいな。


自走砲、対空戦車に関しては火砲のライセンス生産が本格的に立ち上がってから、まずは少量ずつ生産しながら徐々に配備を進めて行くそうだ。軽戦車の方は、それら派生型車両の土台にもなるなど広範囲での使用を予定している為、大量生産を計画しているようだが…。


十年で千両位だろうか?


ちなみに、最終的に量産型軽戦車の車重は12トンになったのだが、陸軍からは特に何も言って来なかった。何しろ最高速度は時速52キロ、機動性踏破性に優れているのは前回迄の戦車と同様だからな。


更にはリングを大きめにとってあり、戦車砲を47ミリ戦車砲に換装する事も可能だ。




こうして師走まで例年通り忙しく働いていた俺だが、気が付けば五十を目前にしているのだな…。


祖父母、父母は揃ってまだ元気だが、祖父母はもう良い歳だ。

妹はとっくに若くして嫁に行き、既に四人の子を育て上げた。


今年は前年とは異なり、実家を訪ねた妻と子供たちに、両親祖父母は良くしてくれたのは良かった。


結局、子供たちは外国人が通う学校に通わせてる。

と言っても、息子と娘はあっと言う間に日本語を覚えてしまい、今では近所の子と普通に遊んでいるのだが。


また年が明けたら忙しくなりそうだ。




史実で言う所の、九十五式軽戦車とそれ以降の軽戦車、それに雑多な軽戦車モドキの代わりになる戦車を開発しました。ハ号と呼ばれる筈です。

ちなみに、八九式中戦車がイ号、八九式重戦車がロ号です。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] ハゴたんが九四式も兼ねる車両として大量配備されるんだろうか。 豆戦車ブームの時代のベストセラーになるのだろうか。
[一言] 汎用性が高い方が日本には必要ですね史実では何でも作るやり方で数も揃わず品質も落ちています、逆にアメリカは何でも作って異常な数も揃えますからチートです。
[一言] 弾薬運搬車であった装甲車の代わりにもなってWW2の時にシャーマンのエンジンブロックの上に載せられた写真という屈辱は無さそうですね 史実でも日中戦争による予算増大で実は開戦前に戦車、装甲車20…
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