アメリカ陸軍戦車開発事情と新型戦車到着(文章追加)
満州に駐屯するアメリカ軍に念願の新型戦車が到着しました。
1939年4月上旬 満州国黒竜江省駐屯地 アメリカ陸軍准将 アドナ・R・チャーフィ・ジュニア
夏ごろに到着したM2軽戦車に続き、去年暮れに我が陸軍の新型戦車であるM2中戦車の第一陣が到着した。
中国での戦争の推移もあるが、去年のフランス軍が出動した張鼓峰で起きたソ連軍と満州国軍の国境紛争には、ソ連が大量の戦車を投入した事もあり、フランス軍の装甲部隊との間で、先の欧州大戦以降、初の大規模な戦車戦が発生した。
この戦車戦はフランス軍装甲部隊の巧みな用兵により、フランス軍の勝利に終わったが、フランス軍にも少なからぬ損害が出ており、様々な戦訓を齎した。
小官は我が国の戦車開発の初期の頃から運用側の立場で関わって来たが、思い出せば様々な試行錯誤、紆余曲折があったように思う。
先の欧州大戦が1918年に終わって以降、軍縮ムードに包まれ、軍事予算は大幅に削減されて行ったが、それでも主要国は次の戦争に向けて新しい兵器開発に余念が無かった。
花形兵器の一つであった戦車も勿論その一つであり、かつての大戦で活躍したルノーFTを参考にした回転砲塔を持った戦車が各国で開発されたのだ。
我が国も例外に漏れず、先の欧州大戦の折に生産されたルノーFTのライセンス生産品であるM1917軽戦車を振り出しに、M1921で初の戦後型戦車を開発し、その後軽戦車、中戦車を並行して開発を行う事になった。
軽戦車として1920年代後半から1930年代前半に掛けてT1軽戦車シリーズとして数々の試行錯誤を経た。
そして、中戦車としてM1921を基にM1922中戦車、そしてM1926中戦車、その改良型としてT1中戦車と試作を重ねた。
その後、イギリスのビッカース中戦車MK.Iを参考にしたより実用的なT2中戦車を開発した。T2中戦車は結局量産はされなかったが、我が国が開発した初の本格的な近代的で量産性に優れた戦車であり、金融恐慌で国防予算の大幅な削減が無ければ、正式採用されて量産化されていただろう。
T2中戦車の開発に成功した事は、我が国の自信にもつながり開発した様々な技術ノウハウは確実に蓄積されて行ったと思う。
そして1931年、ニュージャージー州ラーウェイにて、画期的な戦車であるクリスティーM1931中戦車の公開デモンストレーションが行われた。
クリスティー戦車は武装を除く全ての性能で競合他社の戦車を凌駕していた。
T2中戦車と同じリバティL-12エンジンを搭載し、当時の常識では考えられない破格の速度を発揮する事が出来た。
更にこの戦車の特殊なサスペンションは履帯を外す事で装輪にして走らせることが出来、この装輪走行モードではさらに速い速度で走行が可能だったのだ。
このクリスティ戦車の先進的なデザインを見るとT2中戦車は時代遅れの遺物の様にすら見えたのだ。
兵器局は調達価格の高いクリスティーの戦車の導入に難色を示し、自分達が開発したT2戦車の採用と量産を目指していたが、結局クリスティー戦車に勝つことが出来ず、採用される事無く一両を試作生産したのみに留まったのは、クリスティー戦車の存在が大きいだろう。
クリスティー戦車は軍事予算削減の煽りをもろに受け、採用された物の調達数は9両に留まり、T3中戦車として第二戦車連隊に、T1戦闘車として私が所属していたフォートノックスの第一騎兵連隊に配属された。
我軍の騎兵部隊は機械化されたにも関わらず、正規の戦車の配備は認められておらず、重機関銃を装備した戦闘車という制約を受けた戦車しか所有する事が出来なかったのだ。
T3中戦車、及びT1戦闘車は1936年頃まで様々な訓練や演習に使われたが、それ以上の発展は無かった。
その後、中戦車はクリスティー戦車の流れを組むT4がコストの問題から放棄され、兵器局が開発したT5中戦車がM2中戦車として採用された。
これが新たに届いた新型のM2中戦車という訳だが、去年の張鼓峰事件のフランス軍か防共協定加盟国にもたらされたレポートは、我が軍の戦車開発にも影響を与え、採用されたばかりのM2中戦車は防御力不足という事で装甲が強化され、それに伴いエンジンも強化された。
装甲厚は32mmから51mmへ、そしてエンジンも当初の350馬力エンジンに過給機を追加して出力を上げた400馬力エンジンへ変更されている。
搭載している我が軍の新型戦車砲である37mm戦車砲は1000ヤードで30度に傾斜させた40mmの表面硬化鋼板を貫通する事が出来る。
この事は、ソ連のT-26であれば容易に撃破が可能であるし、フランス軍のレポートにあった多砲塔重戦車であっても十分撃破可能の筈だ。
去年に発生した大規模な戦車戦の事、それに近年の国際情勢を鑑みて、我が軍が以前より計画していた事ではあるが、我が旅団が予定より一年前倒しに機甲師団に改編される事になったのだ。
我が旅団に実戦テストも兼ねるが初の本格的な戦車であるM2中戦車が配備されるという事になったのは必然ともいえる。
M2中戦車は本来であれば来年から本格的に導入予定であったが、機甲師団の編成が前倒しになった事で、こちらも量産が前倒しされ1000両を生産する予定だと聞かされている。
新型戦車の第二陣100両は既に船積みされ本国を出航しており、もうすぐ満州に到着するだろう。
第一陣が到着の折には我が旅団の士気も大いに上がった。
軍備を増強中と伝え聞くソ連が再び満洲に侵入してきても、存分に戦う事が出来るだろう。
1939年4月上旬 満州国黒竜江省駐屯地 アメリカ陸軍中佐 ジョージ・パットン
我が旅団に去年の夏頃より新型車両が多数到着した。
我が陸軍の騎兵部隊はこれ迄戦車の保有を認められておらず、戦闘車という装甲車と戦車の中間的な車両が装備されていたが、この度本格的な機甲師団の編成を目指してまず我が第七騎兵旅団が本格的に再編成される事になったのだ。
丁度、満州国政府からも去年の国境紛争に際して大規模な戦車戦が発生した事から危機感を抱いたこともあり、駐留軍の増強の要請があったのだ。
いずれは自国の軍隊で国防の全て賄うべきであろうが、広大な国境線を有するこの国の軍は増強中とはいえ未だ10万に満たない。
未だ兵力はこの国の悩みの種となって居る匪賊の推定数より少ないのだ。
それもあり、当面はこの国に進出した企業や邦人を護る為に派遣された防共協定加盟国の軍が支援する必要があるのだろう。
我が騎兵連隊は機甲連隊に改編される事になり、色々と本国から新装備が届いたのであるが。
これ迄我が旅団はM1戦闘車とM1装甲車が装甲戦力として、これにM2スカウトカーという装輪装甲トラック、後は雑多な民間転用品の四輪駆動のトラックや乗用車などを多数装備していた。
新たに到着した装備として、M2ハーフトラック。
後輪の代わりにティムケン装軌車台組立部品、つまりは戦車等が装備している装軌車を取り付けたハーフトラックという路外性能に優れた装甲トラックであり、これ迄路外に出て不整地に嵌ると走るのに苦労していた民間転用の四駆トラックに比べ、不整地もものともせず走る頼れる奴だ。
7mm弱の硬化鋼板の装甲を持ち、些か心もとないが通常の小銃弾は防ぐ事が可能だ。
ハーフトラックは砲兵部隊から配備される事になった。
これ迄は民間転用のトラックやM1トラクターを使って居たが、このハーフトラックを配備した事で、装甲砲兵部隊と呼称される事になった。
このハーフトラックが配備された歩兵部隊は装甲歩兵部隊と呼称し、他にも偵察部隊には既にM3スカウトカーとM1装甲車が配備されているが、既に装甲偵察部隊と呼称されているる。
他にはM2軽戦車が配備され、これは我が騎兵連隊が装備する事になった。
最初に届いたM2軽戦車はM1戦闘車と同じく12.7mm重機関銃と7.62mm同軸機銃が装備されており、M1戦闘車から大きく性能が向上した訳では無かったが、去年発生した戦車戦の結果性能不足が指摘され直ちに改良型が開発された。
改良型は新たな大型砲塔に高い貫徹力を持つ37mm戦車砲と同軸機銃に7.62mm機関銃が装備され装甲も25mmと強化された。
これならば、ソ連のT-26軽戦車と比較しても遜色あるまい。
M2軽戦車より遅れて我が国初の本格的な戦車ともいえるM2中戦車も我が旅団に配備されたのであるが、こちらの方は我が連隊ではなくもう一つの第13騎兵連隊の方に配備された。
つまり、我が連隊は軽戦車連隊、第13騎兵連隊が中戦車連隊という事になる様だ。
我が連隊にもこの本格的な戦車が欲しかったが数には限りがある故致し方あるまい。
去年発生した大規模な国境紛争以降もソ連の軍備増強が続き、更なる大規模紛争が発生する可能性が高まっている。場合によっては紛争に留まらない可能性もあるだろう。
今やソ連は満州国を飲み込むほどの規模の兵力を満州国の北に配備しているのだ。
我が軍も夏までには更に本国で編制中の第二機甲師団を満州に増派する予定だが、我が旅団も増員される部隊が来月には六月には到着し第一機甲師団への再編成を済ます予定だ。
相変わらず、騎馬隊で馬賊を討伐する任務は続いているが、去年の戦車戦以降は満州国軍以外の各国の部隊も参加した演習が続いている。
去年の戦車戦を戦ったフランスの他、イギリス、オランダ、イタリア、そして日本。
演習で見掛ける各国の軍の練度は確実に上がっており、中々いい動きを見せている。
そして、我が軍と同じく各国も去年の戦車戦のレポートを基に新たな戦車が配備されている。
フランスは走攻守とバランスの取れた新たな中戦車が配備され、イギリスは上海で活躍した強固な装甲を持つA11歩兵戦車の流れを組む新たなA12歩兵戦車が配備された。
オランダやイタリアも新型戦車が配備され、両国の新型戦車もT26軽戦車との対戦を意識した物となっていて、いざという時に遅れは取らんだろう。
日本はというと、あの国は見るからに旧式な中戦車と重戦車が駐屯地を訪ねた時に、見かけたが、あの戦車を演習などに出して来た事は無く、日本軍が広く使って居る戦車は彼らがハ号と呼ぶ戦車だ。
あの戦車は十年前に採用されたという話だが、他国と比較しても先進的で本格的な戦車であり、主砲を更新するなど、幾度かのバージョンアップを経て今なお主力戦車という随分と息の長い戦車だ。
何しろ、我が国の戦車で世界に注目されたT3中戦車、つまりはクリスティが1931年に開発した戦車より以前に最初のモデルが実戦配備されたというのだからな。
演習で見掛ける日本軍の戦車は高い機動力を持ち、全車両に無線機が搭載され、実に統制の取れたキビキビとした動きを見せてくれる。
この日本軍の戦車部隊に影響され、防共協定加盟国の戦車は全て無線機を搭載するに至ったのだ。
ハ号戦車は防共協定での公開情報によると47mm砲を装備しており、大型の砲塔に三人、運転手の四人乗りで、装甲は非公開だが我が軍のM2軽戦車より薄いという事はあるまい。
つまり、フランス軍の中戦車と互角の性能を持つ可能性があるという訳だ。
日本が本格的な戦車を試作したのは1927年頃だと聞く。
我が国の戦車開発よりは後発であり、技術的に見ても列強の中では劣っていた筈だ。
その後、実際に採用した二種類の戦車もあの頃の戦車らしいデザインの戦車であり、それ程先進的とも思えない。
それがいきなりハ号戦車だ。
我が国のクリスティが開発した戦車も、ある意味同じ様な物だが、日本からこの様な戦車が出てくるとは、正直いまだに信じられない。
何しろ、日本にはまだ我が国の様なまともな自動車メーカーも無く、我が国の自動車メーカーが工場を建てて日本で広く販売している様な状態なのだ。
軍用機のエンジンだって我が国のメーカーがライセンスしている筈だ。
だが、ハ号戦車には信頼性の高い高性能エンジンが搭載されている。
実際、演習中にせよ故障して立ち往生している例は他国に比べるとかなり少ない。
日本軍の話だと、今後もハ号戦車を運用する予定だというし、これ迄他国には供与しなかったハ号戦車をオランダに供与するとの事で、現在採用しているチェコ製戦車を更新するのであろうか。
我が軍も本国ではM2中戦車より更に本格的な中戦車を開発しているという話だが、配備されるのが楽しみだ。
史実では活躍の場が無かったM2中戦車ですが、1939年の時点では十分に一線級戦車です。