技術本部長就任
主人公が技術本部長へと就任します。
年が明けて1939年、今年も年始に実家の両親に挨拶に行ってきた。
両親ともに元気そうでなによりだが、既に八十を超えている事を考えると、俺も随分と歳を取ったと実感する。
叔父夫婦は勿論の事、兄夫婦にも既に孫が居る事を考えれば、俺の家もと期待されるが、俺の家に孫が出来るのは今少し時間が必要だろうな。
1月の下旬頃、まだ続いているスペインの内乱だがバルセロナが陥落したと新聞に載っていた。バルセロナが落ちたとなると、内乱はフランコ軍の勝利で終わりそうだ。
スペインではドイツやイタリアが最新兵器を投入して試験をしていたとも伝え聞く。実際、例えばドイツ、イタリア共に当初は複葉機を投入していたが、ロシアの戦闘機に劣勢であることが知れると、すぐさま最新型のBf109を投入し、その性能を試したとも聞く。
つまり、今中国で飛んでいるBf109Eはスペインでの実戦データを元に改良されたモデルなのだろう。ソ連の戦闘機を圧倒しているという話も頷けるというものだ。
俺の母校である東京帝大に工学部の先輩にあたる平賀譲元海軍技術中将が去年の暮れに学長に就任した。
平賀元技術中将は、年齢が五つ違いだが入学が1898年と俺が日露戦争出征を挟んだこともあって1909年と十年以上先輩で同じ工学部出身という以外は繋がりが無い。
その、平賀学長が1月末に経済学部の教授二人を休職処分にした。
処分を受けた教授は自由主義を旨とする河合栄治郎と国家主義、つまりは革新派の土方成美の二名。土方成美は軍にも蔓延っていた革新派、つまりは国家統制経済、全体主義を主張する人物で、革新将校は軍からかなり追放して殆ど残っていないが、共産主義者を追放した大学など教育界にはまだまだ残っていたのだ。
河合氏は以前は共産主義者を排撃し、学内の清浄化に一役買った人物であるが、共産主義者を追放後、次に彼と対立したのは所謂全体主義、国家統制経済を理想とする革新系教授どもだった。
ちなみに、革新系教授が理想とする国家統制経済というのは永田が国家総動員法に盛り込んだ物とは異なり、ドイツのナチと同じ考え方だ。
二人は経済学部で弟子も巻き込んで激しい部内闘争を繰り広げていたのだが、革新派を非難する河合氏の著作での表現に行きすぎたところがあり、発禁処分が出るに至ったのだが、その裏には未だ巣くう革新分子が裏で政治家を動かしたのではないかとも囁かれている…。
それを受けて、河合氏の教授資格を問題として辞任を迫る革新系の首魁である土方と、対する河合両氏の確執は頂点に達して学部運営に支障をきたした為、平賀学長が喧嘩両成敗とばかりに、河合、土方両氏を綱紀の紊乱を理由として休職処分としたのだ。
二人の休職処分に抗議して二人の派閥に属する教授や二人の弟子達である助教授、講師などが幾人も辞表を提出するに至った。
平賀学長は彼らの辞表を撤回させるべく一人一人慰留してまわり、最終的に教授四名と助手一名、そして他学部ではあるが法学部の教授一名が河合氏処分に抗議して辞職した。
結果として欠員は速やかに充足され、抗議の辞職はあまり意味を為さなかったようだ。
1939年2月に入ってから、以前より要請のあったハ号軽戦車のオランダへの輸出を受け入れる事になった。
オランダはそれこそ江戸の昔からの古くからの友好国であり、日本国内で家電を手広く販売している電器メーカーとしてすっかり知名度が出来たフィリップスの本国であり、そして、今や彼らの植民地である蘭印からの資源輸入は我が国には欠かせない物となって居る。つまり、オランダは我が国にとって重要な貿易相手だという事だ。
ハ号戦車は採用されて既に十年に達する戦車で、今となっては旧式ともいえるが数度の改修により、ソ連を含む他国の戦車の水準と比較しても遜色ない筈だ。
開発目標の陳腐化しにくい長く使える兵器という点については、十分に達成したといえるだろう。軍でも安価で信頼性が高く使い勝手の良い戦車であると、高い評価を受けており、我が国としては異例の1000両を超える調達数となった。
戦時であればいざ知らず、平時でこれだけの調達数を達成したというのは、それだけ長く使われたという証左であろう。
ハ号はオランダを皮切りに、タイや満州国からも引き合いが来ているとの事で、輸出される可能性が高い。
軍としてはハ号は今後も使える限り使う方針であるが、今回の国外輸出を契機にハ号の更新を検討する事になり、新型軽戦車を開発せよとの命令を受けた。
新型軽戦車の開発に関しては、大枠の指示と監督だけをするつもりで、多くを部下達に任せたいと考えて居る。
とはいえ、エンジンなど出力周りに関してはまだまだ俺が面倒を見なければならないだろう。
新型軽戦車に関してはこれ迄の実績もある為、今回も俺に任せてくれるとの事だ。
俺は実の所既に軽戦車に関してはある程度考えを纏めており、再び生産性と機械的信頼性の高い十年は使える戦車を開発するつもりだ。
概算性能としては、全長が5.7m程度、全幅が3m程度、全高は2.7m以下。
重量は20t以下に収める方向で、前面装甲が35mm、砲塔の防盾が50mm程度。
懸架方式はトーションバー方式を採用し、新開発の400馬力6気筒水冷ディーゼルを搭載する。トランスミッションはスウェーデンから招聘したライザムが開発した油圧機械式自動変速機を試してみるのも良いだろう。
彼が開発した油圧機械式変速機はスウェーデンを走るバスなどで既に採用されて使われており、信頼性に関してはまずまずといった所の様だ。。
しかし、これに関しては我が国では新しい技術であり、既に信頼性が証明されたトランスミッションと二通り用意するのが良いだろう。
主砲は75mm砲、これは長砲身高初速の物ではなく、初速が500m/s以下の低初速砲。軽量で取り回しのいい砲が好ましいだろう。
歩兵支援にも使いやすく、75mm砲で成形炸薬弾を使えば戦車が相手でも十分に戦える。そんな軽戦車を目指す予定だ。
主砲の選定に関しては、運用側の意見も聞く必要がある。その為、一先ず試作品の審査が通れば、テスト用の先行量産型を満州に送る事になるだろう。
乗員はハ号と同じく操縦手、砲手、装填手、戦車長兼無線手の四人の予定だ。
1939年3月上旬頃、ヨーロッパに視察に行っていた井上少佐が視察を終え、帰国する事になった。実際に帰国する迄にはもう二ヶ月ほど要するが、今回の渡欧で有為な技術者を本邦に招聘したり、新しい技術を検分したりと、大きな成果があったように思う。
そして、俺は3月の辞令で永田が予告していた通り、久村中将の後任として陸軍技術本部の本部長に就任する事になった。
技術本部長の任期はまちまちで早い人は一年足らず、長い人だと四年位務めた人も居ます。
新型軽戦車はM41A3軽戦車っぽいデザインです。
主砲はシャーマン75mmみたいなのが付いています。




