1938年の日本事情
1938年時点の日本事情です。
1938年秋、好景気に沸く我が国は1934年頃より日本万国博覧協会を設立し準備を進めていた万国博覧会を二年後の1940年に東京でを開催すると内外に向けて発表した。
ここ数年、毎年のように万博が開催されており、1933年にはアメリカのシカゴで、そして1935年にはベルギーのブリュッセル、翌年にはスウェーデンのストックホルム、さらに翌年にはフランスのパリで、今年1938年にもフィンランドのヘルシンキで。
来年には再びアメリカのニューヨークと、ベルギーのリエージュでそれぞれ開催される。
万博にはその国で民間などが独自に行う一般的な博覧会と、1936年のストックホルム国際博覧会から認定が始まったが、国際博覧会条約に基づいて公式に認定されて行われる国際博覧会の二通りがある。
来年行われる、ニューヨーク万国博覧会は民間の、ベルギーのリエージュで行われる国際博覧会は国が行う認定博覧会という事であるらしい。
我が国も認定された国際博覧会を目指すようだが、実現すれば実に誇らしい事だ。
中国撤退以降、好景気に沸く我が国はこれまで都市部にしか見られなかった、所謂中流家庭という物が特に外資系企業の工場が立ち並ぶ日本海側北陸、東北地方を中心に爆発的に増えた。
それ迄は寒村と呼ばれる様な貧しい地域が多く、食う為に秋の収穫が終われば男達は家族を置いて一人都市部に出稼ぎに出る。季節労働では良い仕事につける訳も無く、しかし僅かな稼ぎの為に働きに出ねば地元にはほとんど仕事など無い。
そして、不作が続けば娘を女衒に差し出す。そんな悲哀があちこちから聞こえてくるような地方だったが、最早それは過去の話だ。
国が誘致の為に便宜を図った事もあるが、中国や満州国に近く社会情勢が安定し治安が良好で教育水準の高い労働力を豊富に雇用する事が出来るこの地域で唯一の国が日本であり、いざ外資の進出がはじまりインフラが整備されて行けば我が国に工場を建てたいと考える外資系企業が多く集まるのは必然とも言えた。
そして、日本海側にある東北や北陸は工場建設に向く広い土地が多く、また人減らしが行われていた様な土地柄であり、労働力の確保に事欠かなかったというのが特に大きかったのだろう。
農家は次男坊、三男坊ともなれば継ぐ家も土地も無く自分の家を持つ事は難しかったが工場に勤めれば毎月安定した給与を得る事が出来る。そして、その給与は年収で考えれば農家の一年の所得より遥かに多かったのだ。
最初は工場勤めに抵抗があった者達も居たろうが、それだけ稼げるとなれば話は別だ。もう出稼ぎに行く必要も無ければ、天候による不作などに左右される事も無い。
農家に生まれた娘は農家にとっては貴重な労働力であり、家事や子育てをしながら農作業も行う。生まれながらにそういう環境であればそれが当たり前だと考えるだろうが、都会育ちの娘に農家の嫁は勤まらぬと言われている理由がこれだ。
それが、工場勤めの夫の妻であれば実家を手伝うというのはあるだろうが、家事や子育てに専念する専業主婦という都市部でしかあまり見られなかった暮らしが送れる。
当然、稼ぎも良いしとなれば工場勤めの男達に嫁に行きたがる農家の娘が沢山出て、今度は農家の嫁取りが大変になった。
更には兄弟が皆独立してしまい、農業を先祖代々営んできた農家が家を継いだ長男を残して居なくなってしまう。
そして、一時には四割は居たと言われる小作農がより稼ぎの良い工場勤めに鞍替えして居なくなってしまうという事態も発生した。
こんな有様で、人手が足りず富農であっても困った事になった。
そんな状況を救ったのが、アメリカのアリス・チャルマーズという農業機械メーカーがアメリカのシュルツとかいうアイオワ州立大学で教鞭を執っている新進気鋭の農業経済学の学者を日本に連れて来て啓蒙活動をさせた。
つまり、農業機械を積極的に取り入れた機械化農業という新しい農業の仕方だ。
トラクターなど農業機械は決して安くない代物だが、アメリカ企業はリース、そしてレンタルという新しい仕組みを我が国に持ち込んだ。
つまり、メーカーの運営する販売会社に月々幾らか払う事で、トラクターなどの農業機械を借りる事が出来るという仕組みだ。
期間を決めて借りる事が出来る仕組みをレンタル、同じく期間を決めて借りるのだが五年とか十年とか長期契約で借りる仕組みをリースというらしい。
月々の支払いはリースの方が割安で、レンタルの場合もリースの場合も保守料金込みで、不具合があった場合はメーカーが対応してくれる。
勿論、普通に購入する事も出来るが、その場合は保守契約を結べば定期的にメンテナンスを行ってくれる。機械に強い人であれば自分でメンテナンスする事も出来るだろうが、農家にそんな人物が豊富に居るとも思えないが。
方々でデモンストレーションをやり、自家用車を持っている様な新しもの好きの富農が導入すると、リースやレンタルといった仕組みで導入しやすくしている事もあり、広まるのにそれ程時間は必要としなかった。
そうなると、今度は農作業にも役に立つ小型トラックをメーカーがアメリカから持ってくる。自動車を持っている家が少なかった事もあり、これもまた飛ぶように売れていく。
元々需要はあったのだろう。アメリカ企業の商売上手には驚かされる。
そうやって、農業従事者の人口は減っていった事もあり、土地持ちとはいえ機械化農場に適さない様な規模の農家は離農する家も多く出たりと、農村部の統廃合もまた進んでいった様だ。
これ迄の軍といえば、大多数の兵卒は農業出身者が圧倒的に多かったが、これからは工場勤めが増えていくのかもしれんな。
中流家庭と呼ばれる工場勤めの家庭には三種の神器と呼ばれる物を揃えるのが流行りとなった。これも案外商売上手のアメリカ企業が流行らせたのかも知れないが、一つは自家用車、もう一つは洗濯機、そしてラジオだ。
ラジオは本邦でも三割くらいの普及率だったと聞いているが、それでもやはり豊かな家にしかない代物で、殆どの庶民は持っている家の庭先で聞かせて貰ったり、或いは電気屋の前に人だかりを作ったりしたものだ。
それが中流家庭には当たり前に持っている物になった。これにはオランダのフィリップスやらイタリアのドゥカティ、アメリカのジェネラルエレクトリック等といった外資系企業の日本工場で生産した製品がこれ迄とは比較にならない程手ごろな価格で購入できるようになったことが多いだろう。
我が国も、原崎、三田といったメーカーがラジオを製造販売していたが、舶来物よりは安価であるが、富裕層くらいしか買えない様な高価な代物であった。
それが、外国企業は本国で大衆向けに売られている製品を我が国で生産し安価で販売しだしたのであるから、それなりの所得を得ている中流家庭に急速に普及するのは当然と言えた。
ラジオに関しては国防上の懸念から許可制で海外の放送の視聴を規制すべきではないかという意見もあったが、欧米では短波も受信可能なラジオが一般的であり、欧米諸国に倣えという事になった。
ラジオの普及で視聴者が増えた事もあり、これ迄は日本放送協会のみが放送をしていたが、放送法が制定され民間にもラジオ放送局の設立が認められ、我が国の娯楽の一つとしてすっかり定着する事になった。
自家用車が普及したのはやはり土地柄というのがあるのだろう。
東北や北陸地方は以前に比べれば急速にインフラが充実しつつあるが、太平洋側の都市部に比べれば決して交通の便が良いとはいえず、潜在的に必要とされていたという事が大きかったのだろう。
これも、やはり外資系企業の日本工場で生産された大衆向け自動車の値段が従来よりかなり買いやすい値段まで下がった事もあるし、月賦やリース、レンタルが利用可能だったというのも大きかったのは間違いない。
特に車のレンタルは画期的ですらあり、自動車免許があれば時間単位で自動車を借りる事が出来るのだ。これで所得がそれ程多いわけではない人達でも車を利用する事が可能になり、我が国の自動車の稼働数は急速に増えて行った。
自動車の稼働台数が増えれば当然自動車学校などもかしこに開設される様になり、免許取得人口が爆発的に増えていく。
まさにアメリカ人の言うモータリゼーションが到来したかのようだ。
日本を有望市場として見だしたアメリカ政府の借款と指導によりハイウェイが建設され、自動車の走行に適した道路の敷設や、従来の道路の拡張工事。
日本のそこかしこでインフラ整備の工事が行われ、工事車両の導入もまた進んでいった。
それに並行してアメリカ系企業の日本進出はさらに増え、負けじと欧州の企業の進出もさらに進む。我が国は彼らの有望な顧客となれるだけの人口と下地があったのだ。
そして、日本を訪れる外国人が増えると、流石に富裕層が多い様だが、ちょっとした日本ブームが起き、欧米からの旅行者が増えた。
それによって、我が国に対する欧米諸国の心証も随分と良くなってきたのではないか。
米国は中国大陸への進出を諦めてはいないが、その間に日本という無視できない市場が出来た事により、これ迄敵視する事もあった対日姿勢が大いに軟化した。
これも、我が国が率先して軍縮条約を堅持し、軍備を抑制してきたこともそうなった理由なのかもしれないが。
海軍も対米開戦の可能性を常に警戒している様だが、対米から対ソに主方針をシフトした事により、色々と方向転換する事になった様だ。
史実とは異なり工業地帯が誕生した北陸、東北日本海側は日本でも豊かな地方に様変わりし、経済波及効果によって日本全体の景気が良くなり、7000万を超える大きな人口を抱える未開拓の有望市場としての日本が欧米諸国に注目される様になりました。




