お披露目
試作車両の製作をはじめます。
試作車の製作に入ってから、俺は陸軍造兵廠大阪工廠に製作の指導に出向いたり、三菱にディーゼルエンジン開発の指導に出向いたり、或いは戦車砲の打ち合わせにボフォース社から派遣された技師が駐在している事務所に出向いたりと、忙しく動き回っていた。
それと並行して、実際に生産に入った時の製造ライン構築の指導も行っている。この辺りはもう完全に前世の経験を活かしているわけだが。
戦車の製造は三菱が請け負う事になって居て、年末までに三菱は大井に新しい戦車工場を開設する事になって居る。
しかし、勿論三菱には戦車製造ラインを構築した経験が無い為、欧州で色んなメーカーの工場を視察した経験のある俺が培ってきた知見を基に、色々と指導して製造ラインを作り上げる事になったのだ。
欧州の企業に比べれば足りない部分は確かにある。だが俺の想像以上に日本は技術が進んでいるし、良い人材が揃っている。
溶接にしても鋳造にしても、俺の想像以上の技術があるし、ニッケル・クローム鋼にしてもニセコ鋼という良い鋼板が既にある。
また冶金分野に関しても、俺がこの手の分野の資料や人材を欧州駐在中に本国に送ったり推薦したりしていた事が無駄ではなかったのか、ソ連並みと迄はいかないが、十分な技術蓄積が出来て居るように思う。
車体の方は大阪工廠の方で、順調に作り上げられていった。
しかしディーゼルエンジンの方は、一度前世で作ったものとはいえ、今世ですんなりと同じものが出来上がる事は無く、必要な設備を取り寄せて貰ったり、或いは必要な材料や技術のある会社を探したりと、様々な問題が発生した。
色々と調べてみたら、国内には多様な技術を持つ企業があるにもかかわらず、様々な理由であまり世に知られて居ない、という場合もあったのだ。
特にアルミニウムに関しては、未だ国内では本格的な大量生産が始まっておらず、取り敢えず三菱が調達してあった在庫を譲り受けるという事で解決した。
戦時ともなれば海外調達は困難になるやも知れず、国内メーカーの尽力に期待するところだが、場合によってはアルミブロックの使用を諦めるしかないのかもしれない。
1929年8月、一先ずは軽戦車の試作車両が完成した。
ほぼ手作りの様な、丁寧に作り上げられた試作車両は会心の出来と言えよう。
演習場で行われた試作車両のお披露目は非常に好評で、参加した関係者や軍上層部のお歴々から、この戦車であればどこに出しても侮られる事は無いだろう、とのお褒めの言葉を頂いた。
しかしそれはそれとして、矢張り問題点が出てきた。先ず皆が難色を示したのは、この戦車は10トン以下を軽戦車とするという要求仕様を完全に超えてしまっていた、という点だ。この点に関しては、18トンというのはもはや中戦車が相当だという事で、この戦車は中戦車に分類される事になった。
車体重量の問題は、我が国の国内インフラか必ずしも十分とはいえず、18tの車両が通れない橋が国内には多数存在するだろう、という問題に繋がる。勿論、20トンの重戦車の開発も並行して行っている様に、運用が出来ないという事は無いだろうが、使い勝手が悪いという話だ。
前世の祖国のソ連にしても、田舎に行けば20トンを超える様な戦車が通れない橋はざらにある為、戦車を広大な国土で移動させるには鉄道を主に使って居たと思う。
他にもソ連では、実物は見た事が無いが、工兵部隊の装備として橋梁敷設車両という物が配備されて居たと聞くが、現在の日本にはまだ無いように思われる。
また防御力についてもテストされた。実際の試作車両で試す事はしなかったが、同等の条件の装甲板を用意し、それに対して、恐らく他国で一般的な対戦車砲となるだろう、調査用に一門導入されてあったラインメタル社製37mm対戦車砲による射撃を行ってみた。
このテストでの問題点は、装甲板が期待ほどの防御力を発揮しなかった点だ。
500mであれば、貫通する事は無かった。しかし、500mを切ると次第に貫通するケースが増えて来て、300mであればほぼ貫通された。
そして、47mm対戦車砲であれば1000mの距離でも貫通された。
但しこの戦車は機動力が優れている為、これを活かせば防御面の不利は補えるのではないか、という意見も出るなどして、この部分は一先ず保留となった。
色々と問題点が出たが、演習場でのお披露目そのものは成功した、と言える。特にこれまでの戦車とは比較にならない速度と踏破性、更には主砲の47mm砲の威力も十分と判断された。実際に試験用に用意された目標全てに対し、47mm砲は高い威力を発揮して見せることが出来たのだ。
少なくとも、以前ビッカースC中戦車を参考にして開発を進めていた戦車よりは明らかに優れている、という評価を得た事は大きかった。
これでもし今回のお披露目が不評であったなら、俺の評価という物は地に落ちて、左遷されていた可能性すらあるだろうからな。
新たに中戦車となった試作車両は、この後陸軍の方で長距離走行など諸々の試験を行うことになっている。また、俺が提案した橋梁敷設車両についても、今後必要だろうという事で開発許可が下りた。
並行して試作車両の製作を発注していた重戦車の方も、中戦車から一月遅れで完成した。
重戦車の製作過程は中戦車とほぼ同じであるが、主砲である75mm戦車砲に関しては無改造のまま搭載という訳には勿論行かず、砲塔内で装填がしやすいように閉鎖機を螺旋式から垂直鎖栓式に変更するなど、47mm砲の戦車砲改修に伴う変更点等を参考に、新たな75mm戦車砲を完成させた。
色々苦労したが、その結果随分良い物が出来たように思う。
重戦車の方も、少し遅れてのお披露目が行われた。
中戦車より一回り大きい重戦車は、最終的に車体重量が24トンになったが、登場した時に中戦車のお披露目の時の様などよめきの声はなかった。しかし試製一号戦車の量産タイプを想像していた人たちには、大いなる驚きを持って迎えられた。
こちらの重戦車のお披露目も好評で、中戦車程では無いが、俺がイギリス製のビッカースC型中戦車が鈍重だ、と言ったのが体感できるほどキビキビと演習場を走り回り、試験用に設置された障害物も難なく突破して優れた踏破性を示すことが出来た。
特に今回は、演習場内に特別に用意した泥濘地での踏破性を見て貰った。この重戦車の重さでは、日本国内に多い田圃など泥濘地にハマって抜け出せなくなると、回収するのには一苦労だからだ。
重戦車が泥濘地に進入すると、幅広の履帯ががっちりと泥濘地を掴み、スタックする事もなく難なく踏破して見せたので、観客席から歓声が上がる。
そして主砲の威力は、当たり前だが75mm野砲と同じで、榴弾の威力や徹甲弾の貫通力はどれも優れていて、戦場では絶大な効果を発揮する事が想像できた。
また防御力についても、37mm対戦車砲では100m以下の至近距離でも前面装甲に相当する傾斜鋼板を貫通することが出来なかった。
流石に47mm対戦車砲であれば、500mを切ると怪しくなってくるのではあるが。しかし、未だ車体にも出力にも余裕があるので、必要となれば装甲厚を更に増す事が出来る。
75mm野砲が相手となると、傾斜装甲とはいえ40mm厚程度では明らかに厳しくなるため、敵方の戦車砲や対戦車砲が75mm級が当たり前になる前に、装甲厚を増す必要があるだろう。
こちらの重戦車の方も、陸軍で更に試験することになり、中戦車と併せて試験が終われば正式採用となって型式を割り当てられる事になる。
とはいえ、生産開始となれば色々と問題が出てくる可能性が高く、今から備える必要があるだろう。
一先ず、試作車両のお披露目は好評に終わりました。
流石に試製一号戦車からT34の試作モデルまで飛躍すると当初の要求仕様が気にならなくなる位のインパクトがあります。
とはいえ、むしろ問題はここから。実際に使用する運用側のテストが待っています。




