張鼓峰事件 前編
満州国軍とフランス軍による日本軍抜きの異聞張鼓峰事件の始まりです。
1938年8月4日 満州国琿春 フランス陸軍大佐 シャルル・ド・ゴール
8月4日、我が装甲旅団に出動命令が下った。
先月下旬頃に発生したソ連軍の越境事件は、現地の満州軍国境警備部隊が戦車、航空攻撃を含む数個師団規模と思われる大部隊の猛攻を受けて窮地に陥る事態に迄発展した。
その彼らを救援するのが我々の任務だ。
我が装甲旅団は、国境警備部隊の駐屯地のある琿春へと移動すると、早速現地の司令部でこれ迄の経緯の説明を受けた。
先月下旬より南部に日本領朝鮮に隣接するソ満国境がある張鼓峰にて連軍の越境が発生、同地がソ連軍によって占拠されるという事件が発生した。
満州国、及び日本はソ連に対し直ちに外交ルートで抗議したのであるが、外交交渉は不調に終わり張鼓峰のソ連軍は陣地構築を進めた。
満州国国境警備隊が監視を続ける中、満州国は防共協定加盟国に支援を要請、加盟国が善後策を検討している中、ソ連軍が更に越境を進めたのだ。
7月29日、張鼓峰を依然占拠しているソ連軍が、数名の部隊を再び越境させ、張鼓峰の北側に位置する沙草峰に陣地の建設をはじめた。
国境警備隊司令部は現地の守備隊長に一個大隊を増派し、追い払うように命令。
係争地の北部より豆満江を渡河すると、北側から沙草峰にて陣地建設中の敵部隊を追い払うべく攻撃した。
敵は少数だったこともあるのか、戦闘らしい戦闘は発生せず、敵は退散し追い払う事に成功した。
しかし、その日の夕刻に差し掛かる頃、ソ連軍は戦車を伴う百名弱の有力な部隊が再び越境し、現地を継続監視していた警備隊に攻撃。
国境警備部隊は急を要する為、急いでここに来たため、軽装備しか持ち合わせて居らず、敵戦車に対し対抗手段が無いため、一先ず撤退した。
満州国政府は防共協定加盟国顧問にも図った結果、戦略的にも要地である同地からソ連軍を排除する事を決定、同地の軍管区に奪還を命令した。
命令を受けた軍管区司令部は直ちに一個連隊の増派を決定、現地の国境警備隊に奪還を命じた。
満州国の国境警備隊は連隊単位で編制されており、それぞれの担当軍管区に複数の警備連隊が配備されている。
警備連隊は国境守備の最前線を守る軍である為、歩兵連隊相当の編成をされているが、国境を警備する警察の側面も持たされており、入出国管理などの部門があるところが通常の軍部隊との違いだ。
反面、正規軍ともいえる中央軍管区に所属する歩兵師団の様な外征も可能な編成にはなって居ない。
現地警備連隊司令部は、このまま張鼓峰の守備を固められ、更には沙草峰ばかりか周辺の高地全てをソ連軍に占拠されては奪還が困難になるばかりだと判断し、日没後三個大隊を豆満江を渡河させた。
その内、一個大隊を張鼓峰の西に位置する将軍峰に陣地を設営させ、他の二個大隊を将軍峰の北と南側周辺に配置した。
そして、連隊付きの砲兵大隊を沙草峰、張鼓峰を射程に収める古城に配置した。
翌、七月三十一日深夜二時頃、張鼓峰の南側に位置する小高い丘に南側に配置した大隊に占拠させ、持ち込ませた迫撃砲や対戦車砲、重機関銃などを用いて、張鼓峰奪還を支援させた。並行して陣地化を進めさせた。
更に、将軍峰に配置した大隊に張鼓峰奪還命じ、並行した北に配置した大隊に沙草峰を攻撃、奪取を命じた。
将軍峰から夜陰に乗じて張鼓峰へとにじり寄り、もう少しで敵陣地へと躍り込み、奇襲成功かというところでソ連側陣地にて軍用犬が狂ったように吠える声が響き渡った。
それと同時にそれ迄は静かだったソ連軍陣地が俄かに慌ただしくなり、照明弾が打ち上げられて攻撃部隊が登坂中の斜面を照らし出し、敵陣地からの猛射が始まった。
攻撃部隊は日々の訓練通り直ちに斜面に所々に存在した岩や窪みなどに身を隠し、砲撃支援を砲兵部隊へと求めた。
既に射撃準備を済ませ待機していた砲兵隊は、張鼓峰の敵陣地に対し、攻撃部隊に随行していた砲兵観測班の誘導の元、数射で的確な砲撃を陣地に対し加えだした。
張鼓峰への攻撃が露見して、程なく沙草峰に居た敵戦車部隊が張鼓峰防御の支援を行うべく動き出したが、北側に配置され沙草峰に向けて移動をはじめていた攻撃部隊の存在に気付かなかった事が幸いし、直ちに対戦車砲を射撃状態にすると敵戦車に砲撃を加えた。
敵戦車が側面を曝していたこともあり、我が軍が実戦運用試験も兼ねてこの軍管区の国境警備部隊に供与していた25mm対戦車砲はその性能を発揮し、斜面の友軍を攻撃中のT-26戦車を撃破炎上せしめた。
我が軍の25mm対戦車砲は重量が480kgと軽便であり、少数の兵員で運用が可能である上に、発砲炎を目立たなくする為の工夫がなされており、隠匿性に優れる。
そして、タングステンを弾芯に使用した対戦車砲砲弾は950m/sもの高初速で打ち出され60度に傾斜した30mmの装甲板を用意に打ち抜くことが出来る。
我が軍の戦車の撃破には少々力不足であるが、他国が装備している戦車の多くは装甲の厚みが30mmに満たない事が多く、この様に十分に威力を発揮することが出来たのだ。
T-26が二両程炎上すると、ソ連軍は対戦車砲に対して反撃するのかと思いきや、炎上する友軍戦車を残し夜陰に消えた。
戦車が撤退すると、沙草峰で陣地構築を進めていたソ連部隊も撤退。張鼓峰の陣地にて砲撃を浴びせられた部隊も、ここを保持する事は困難と判断したのか、夜陰に紛れて撤退したのか、あれだけ猛烈な射撃を続けていた敵側の射撃が止み、砲撃の後敵陣地へと勇躍躍り込んだ攻撃部隊が見たのは、敵兵の遺棄死体が転がる以外はもぬけの殻の敵陣地であった。
こうして、三十一日の夜明けまでに満州国国境警備隊は日ごろの訓練を活かし、張鼓峰、沙草峰、将軍峰、そして張鼓峰の南側の名前の無い高地の全てを確保する事に成功した。
司令部はこの地帯を再びソ連軍の越境を防ぐため、これ迄は敢えて無人地帯にしていたが、この機会に陣地を築いて守備する事を決定。直ちに陣地構築が始まった。
月が替わって翌八月一日の九時頃より、ソ連軍より重砲による砲撃を受ける。
しかしながら、命中精度は低く有効弾は殆どなく、更には不発弾が異常なほど多く、我が方の損害は軽微であった。
我が軍のシュナイダー製105mm砲を満州国軍国境警備隊は装備しているが、残念ながら敵の重砲の射程は105mm砲の射程を大きく上回っており、反撃する事は叶わなかった。
そして、同じ日の昼頃、ソ連軍より軽重百機を軽く超えるソ連の爆撃機編隊によって、大空襲を受けた。
張鼓峰の陣地ばかりか、連隊司令部が置かれていた古城、砲兵陣地が爆撃を受けた。
ところが、高い高度からのソ連の四発重爆撃機編隊による水平爆撃はまるで見当違いの所に落着して被害なし。
低空迄降りて来て攻撃を仕掛けて来た敵の軽爆撃機は国境警備隊が装備している四連15mm重機関銃の対空射撃を受けて一機が撃墜されると、損害を恐れてそれ以上は攻撃せず引き返して至った。
結局、この日の大空襲による損害は古城の城壁に命中した爆弾によって城壁が一部破壊された事くらいで、人的被害は皆無であったのだ。
張鼓峰での陣地構築は進み、この地帯の全ての高地に我が軍の軍事顧問の指導の元、機銃陣地や対戦車砲陣地、更に運び込んだイタリア製の75mm山砲なども据え付けられ、また対空火器として15mm重機関銃座も据え付けられるなど、敵の攻撃に備えた。
さらに翌日八月二日、ソ連軍は二個大隊規模の兵力が戦車部隊に支援されて攻勢を掛けて来た。
敵を待ち構えている陣地に敵重砲の砲撃が降り注ぎ、その後二十機程度の戦爆連合が飛来して攻撃に加わる。
そこへ爆撃の報告を受けた満州国の陸軍航空部隊のホーク戦闘機が飛来し、満州国軍初の空中戦が発生。数に勝る満州国軍側が敵の軽爆撃機を何機か墜とし、複数の戦闘機に損害を与えたところで、敵側航空部隊は退散した。
今の所越境戦闘は禁じられている為、満州国軍側の航空部隊も帰投した。
そして、ソ連軍二個大隊が前進をはじめた。
この日の戦闘は早々と撤退した夜襲成功の時とは打って変わり、敵の攻勢意欲が高く、双方にとって地獄の様な戦闘になった。
防御側の十字砲火の中、敵戦車が損害を無視して突撃し、それと共に敵歩兵が突進してくる。
幾つかの高地が敵の突入を受けて白兵戦が展開され、攻勢の中心点となる張鼓峰前面の斜面は炎上する戦車、遮蔽物に身を隠しながら我武者羅に前進を止めないソ連兵士達。
今更ながらソ連兵の強さという物を思い知った戦いであったそうだ。
結局、その日、そしてその翌日の攻勢は満州側が数に勝る三個大隊の兵力と、支援砲撃の前にソ連側の攻勢を退け、激戦地の斜面は無数のソ連兵士や燃え尽きたソ連戦車が残され、兵力をまるで磨り潰す様に消耗しただけという結果に終わった。
そして、八月三日の夜、増援の一個連隊が古城に到着し守備に加わった。
明けて八月四日、観測所の監視員から『敵軍見ゆ』の報告が司令部に届いた。
その兵力はこれ迄とは比較にならず、それ迄のT-26戦車とは比較にならない大型の戦車や、連隊規模を超える歩兵部隊が続々と到着しているのが観測所から見えた。
それらの大軍が張鼓峰に攻勢を掛けてくるのは確実であり、これだけの兵力の攻撃を受ければ二個連隊の兵力をもってしても、撃退は困難に思われた。
軍管区司令部は殆ど総出撃になる二個連隊をさらに増派する事を決定すると共に、政府を経由して我が軍に支援要請が出されたという訳だ。
中央軍からも正規の歩兵師団が増派されるらしいが、動員され出撃準備をして実際に現地に到着するには一週間はかかるらしく、出撃体制が整っている我が軍が先に救援に向かうことになった。
我が軍の航空部隊も出撃することになり、我がフランス軍満州国駐留部隊にとっては初めての総力出撃となったという訳だ。
一先ずドゴールが軍管区司令部に到着する迄にどういう戦況だったかという前日単でした。




