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フランス軍、満州事情

満州国に駐屯したフランス軍のその後の話です。





1938年7月上旬 満州国奉天省海龍郊外 フランス軍駐屯地 ジョルジュ大将



重工業を中心に撫順に我が国企業が多く進出し関係者が撫順の街に居留している事もあり、我が軍は撫順北東部にある海龍の郊外に去年の初夏頃より駐屯を始めて一年が経った。


我が軍のここでの仕事は満州国に部隊を駐留させている防共協定加盟国の部隊と演習を行うなど、新たに編成した装甲旅団の研究と訓練を行う事の他、満州国南東部を軍管区とする満州軍部隊へ軍事顧問団を派遣している。


満州国軍部隊へ軍事顧問団を派遣するという事は、他の防共協定加盟国も行っており、基本的には軍事顧問団を派遣している軍管区の要請を受けて支援を行うという形になって居る。


軍事顧問団はそれぞれの軍管区の満州国軍部隊の調練と実戦の際の戦闘指導も必要があれば行っている。

共に訓練し共に戦い満州軍の将兵にも我が軍の伝統である敢闘精神が伝わった事は確実だろう。


外蒙赤軍と隣接している軍管区を担当している国は出動に応じて部隊を派遣するという事も行っている様だ。


我が軍の担当する軍管区はソ連と国境を接する地域を担当しており、ソ連軍と小規模ではあるが国境紛争が頻発しており、満州軍国境警備隊がこれに対応しているが、今の所我が軍に対しての出動要請は来ていない。だが万が一大規模な越境行為が発生すれば我が軍に対しても出動要請が来る可能性が高いだろう。


なにしろ、我が軍が担当する軍管区はソ連との国境地帯を担当しており、特に頻繁に越境が発生している間島省は、国境地帯に存在する張鼓峰に登れば国境の向こうにはハサン湖、そして国境の街であるハサンの街が一望できるという双方にとって戦略的に重要な地点だ。


この国境地帯にソ連は二万近い国境警備隊に500両以上の戦車を含む装甲車両、それに1000機を超える軍用機を配備していると思われ、そして更に北部には東の大都市であるウラジオストクがありそこにはソ連太平洋艦隊が駐留している。


対する、この間島省に配備されている満州国軍の国境警備隊は一個歩兵連隊約8000人、装甲車両は保有しておらず機械化も進んでいないが、チェコ製対戦車砲に我が国の75mm及び105mm野砲、81mm迫撃砲を装備する他、満州国内で製造されているチェコ製の重機関銃、軽機関銃を豊富に装備しており、弾丸もモーゼル弾で統一されている。


防共協定加盟国とは装備を異にするが、使用されている火砲の砲弾や主力小銃弾として採用しているモーゼル弾は満州国内は勿論の事、日本でも生産されており補給に困るという事は無いだろう。


ソ連に比べると兵力に劣るが、直ぐ南には日本領朝鮮に配備されている朝鮮軍二個師団がいざとなれば応援に来る他、勿論我が装甲旅団も要請があれば派遣されることになっており、存分な戦いが出来るだろう。



ちなみに、満州国軍にもチェコ製の戦車を装備した戦車部隊が存在する。


満州国軍の戦車部隊は満州国で装甲部隊を先んじて運用してきた日本軍を手本に編成された満州国軍ではエリート部隊であり、日本の戦車学校に留学経験のある将兵が多く所属し、実際に演習の際には中々の動きを見せていた。


今は日本軍の様な機械化混成旅団といった様な編制ではなく、戦車大隊として集中編成されており、いざ出動の際にはそのまま戦車大隊として派遣されたり、或いは中央軍に存在する機械化歩兵師団と組み合わせて運用する様だ。


現時点で総兵力が16万しかなく、そのかなりの部分が国境警備部隊である事を考えれば申し分ないと言えるだろう。



ソ連の1000機とも言われる航空戦力に対する満州国の航空戦力は、満州国陸軍航空隊が200機程度を保有している他、防共協定加盟国のイギリス、オランダ、アメリカ、イタリアが派遣している全ての航空戦力を足しても400機程度。


それに、満州国に駐屯している日本軍が200機、更に朝鮮、日本本土からも派遣可能だという話だが、それでも限界があるだろう。


とはいえ、ソ連にせよ満州国にせよ、あくまで保有戦力であり全てが投入可能な訳では無い。実際に投入される戦力は四分の一程度ではないかと私は見ている。




満州国陸軍航空隊は去年作られたばかりだが、司令官がアメリカ軍を退役したばかりのシェンノートという大佐がやっており、出来たばかりにしては中々の戦力を持つ航空部隊に育ちつつあるようだ。


シェンノート大佐は司令官としても有能だと好評価であり、パイロットとしても優れたキャリアを持つ人物だ。米国では陸軍航空学校で指導的立場に居た事もあったというが、その関係からその方面の知り合いも多かった様だ。


お陰で、満州国軍の陸軍航空学校はアメリカ軍の退役軍人が多く在籍するアメリカ式の航空学校の様になっているし、オランダの航空会社が満州航空の技術的支援を担うなど、オランダが強かったが、満州国ではじめてつくられた民間のパイロット養成学校はアメリカ資本のアメリカのパイロット養成学校が開設している。


我が国は勿論、イギリスも満州国の航空分野に進出し影響力を持ちたかったのだが、まんまとアメリカにしてやられたという感じだ。


それもあってか、満州国陸軍航空隊初の戦闘機はアメリカのカーチス製のホーク75が導入された。


とはいえ、初の満州国国産戦闘機という触れ込みで既に次期戦闘機が内定している。


満州国に工場を持ち、満州航空向けの民間機の生産と整備を一手に引き受けていたコールホーフェンで工場の責任者と設計主任をやっているシャツキというドイツ人が開発したFk.58という戦闘機だ。


元々は有名なフォッカーに居た技術者らしいが、新天地で開発した戦闘機がすんなり性能を発揮してくれると良いが。




7月12日頃より、度重なる越境が発生していた国境隣接地帯にあるハサン湖西側高地領域にソ連国境警備隊の一部隊が入ると砲床や観測壕、鉄条網、通信施設らしいバンカーの建設を始めたらしい。


翌日、これを満州領内より監視していた満州国軍の偵察隊をソ連側が攻撃し追い払う。その際、偵察兵一名が射殺されるという事件が発生した。


現地の満州国軍国境警備隊司令部はソ連軍の意図に強い懸念を感じ、満州国政府に事態を報告、満州国政府は同地に同じく隣接する朝鮮を領有する日本政府への連絡と、モスクワ駐在の代表部にこの件で抗議を行うように指示。


日本政府のモスクワ駐在の大使と満州国の代表はソ連政府に対し、ハサン湖西方の沙草峰、そして張鼓峰はソ連と満州、朝鮮の間の国境地帯であると抗議。

これらの地域からソ連国境警備隊を退去させるようソ連政府に要求した。


しかしソ連側は、現地はソ連領であるとして譲らず外交交渉は不調に終わった様だ…。



7月13日に日本の東京でソ連から先月亡命していたらしいリュシコフ大将というソ連政府の元高官が記者会見を行い、広く新聞報道が行わたれた。


今回の件と無関係だと良いのだが、何か起きそうな予感がする為、私は我が装甲旅団に出動準備を指示した。



事態は好転しないまま推移し、とうとう月末となった29日にソ連軍は張鼓峰北方の沙草峰にも越境、陣地を構築しようとするが、これは満州国国境警備隊に撃退された。


それをみて日本の朝鮮軍も同地に向けて第19師団に守備を命じたと連絡があった。



そして、30日夜半より、張鼓峰および沙草峰付近に大挙してソ連軍が来襲してきた。




フランス軍のエラン・ヴィタールの精神に染め上げられた満州国将兵の運命や如何に。

アメリカは後から入って来て色々掻っ攫っています。


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― 新着の感想 ―
[良い点] エラン・ヴィタールを取り上げるのは良い事です。 アレが旧軍の精神主義の原因の1つと云う事を考えると、もっと大々的に周知してもよろしいのでは。
[良い点] コールホーフェンFK58とはまたマニアックなw 実際の運用実績とかどうだったんでしょうかね? なんか史実では18機wしか完成しなかったそうですが。 エンジン出力とか機体の大きさとかは(航続…
[一言] シェンノートが満州国なら、中華民国の航空隊の教官は如何に。 コールホーフェン社、史実と違って満州国で生き延びそう。第二次世界大戦の激戦の最中に廃業しちゃったから、今作では存続してほしい。
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