第二次上海事変 スラム掃討作戦
イギリス軍視点によるスラム街掃討作戦です。
1937年10月上旬 イギリス陸軍准将 パーシー・ホバート
先月下旬頃より上海国際共同租界の市街地に迫撃砲弾が撃ち込まれ、民間人に多数死傷者が出るという惨事が起きた。
まさに許しがたき蛮行であり、列強諸国は中華民国政府に強く対処を要求すると共に、これ以上の蛮行が続くならば武力をもって対応する、との共同声明を出した。
しかしながら、中華民国の取った対応では目に見えた成果は上がらず、租界への砲撃は少しも止まずに死傷者が増えていった事から、遂に租界からの退避を支持する国が出て来る事態となった。
事態を憂慮した列強諸国は警告通り、租界の外縁部の中国人街にある、迫撃砲弾を撃ち込んで来るスラム街の除去を行うと発表した。
我が部隊には残念ながら出撃の機会は与えられなかったが、現地に派遣されていた我が軍の海兵隊と、上海に駐屯していた陸軍部隊に出動命令が下った。
今回の軍事行動に参加して出動したのは我が軍部隊の他、フランス、アメリカの部隊であった。
我が軍部隊は出動に際し中華民国政府に、事前にスラム街住人を退去させる様に、との通告を出しており、住人の殆どが退去した事を確認していたが、それでも居残る住人が居り、それを巻き添えにする事を嫌った我が軍部隊は、現地に配備されていたロールスロイス装甲車を先頭に立てて居残っている住人を追い出した後、スラム街を更地にする計画だった。
現地には暗躍する中国共産党のゲリラが潜入している可能性が高く、銃撃戦が発生する可能性を想定しての軍事行動であったが、そんな想定を遥かに超える攻撃を、我々は受ける事になった。
スラム街での作戦行動を事前通告していたため致し方ない事ではあるが、共産党ゲリラはスラム街の至る所の建物に防御陣地を構築し、重機関銃等を備え付けて我が軍を待ち構えていたのだった。
スラム街へと入り込んだ我が軍の先遣部隊は、スラム街のメインストリートを進んでいったが、先頭を進むロールスロイス装甲車がいきなり攻撃を受けて炎上した事を皮切りに、通りの両側の建物からの十字砲火を受けた。
我が軍の先遣隊が多くの死傷者を出してしまった事から、一旦撤退して善後策を検討する事にした。
我が軍の装甲車を撃破した共産党ゲリラの兵器は、発砲音から恐らくドイツ製の37mm対戦車砲であろうと推測された。
ドイツ製の37mm対戦車砲は中華民国軍が正式採用しており、何らかの手段で手に入れた共産党ゲリラが使用して居ても不思議では無いからだ。
更には我がロールスロイス装甲車は、前面など装甲の厚い所であれば重機関銃弾程度ならば物ともしない位の防御力があるが、相手が37mm対戦車砲では正面装甲でも全くの防御力不足であり、また上面装甲や背面装甲は心もとない防御力しか無い。
今回共産党ゲリラが陣地を構築していたのは、建物のニ、三階以上の高層階や屋根の上であり、装甲車にとって重機関銃による高所からの十字砲火は極めて厄介な事である事が判明した。
出撃した装甲車五両のうち、何とか戻れたのは最後尾の車両のみであり、最初に対戦車砲によって撃破された先頭車両以外は重機関銃による高所からの射撃を受けてハチの巣にされて撃破されたのだった。
これらの事柄を踏まえた我が軍は、装甲車などよりももっと強力な車両が必要であると判断した。
幸いな事に今から本国より送らずとも、我が部隊に配備する予定のA11歩兵戦車とA9巡航戦車を載せた輸送船が、たまたま上海に寄港して居た為、それらを投入する事に決定したそうだ。
それに我が軍としても、戦車が市街戦でどの程度戦えるものなのか、実戦データが欲しかったのだ。
スラム街掃討作戦に投入されたのは、A11歩兵戦車とA9巡航戦車の近接支援型で、近接支援型のA9戦車は試験的に少量生産された物で、主砲に3.7インチ榴弾砲が装備されている。
この3.7インチ榴弾砲は、元々は先の欧州大戦末期ごろから使われ出した山岳榴弾砲で、これを戦車砲に改修した短砲身砲だ。
新型戦車を用意した我が軍部隊は、A11歩兵戦車を先頭に再びスラム街へと突入した。今回も先頭車両を撃破すべく発射された対戦車砲弾をものともせずに前進するA11戦車に敵の攻撃が集中する中、その後に続く近接支援型のA9巡航戦車の砲撃によって敵の陣地が各個撃破され、更にその後ろを随伴して来た歩兵部隊が建物を制圧していく。
まさに歩戦協同作戦の実現であり、我が軍の戦車開発の正しさが証明されたといえよう。
またA11歩兵戦車は、その車体サイズの小ささを活かして細い路地にも入り込むことが可能であった事が歩兵部隊に評価されたのだが、一方で主武装の7.7mmビッカース機関銃では全くの火力不足と判定された。
使用する7.7mmブリティッシュ弾では石造りの壁を抜くことが出来ず、猛射撃を浴びせる事で牽制する事は可能であったが、近接支援型A9巡航戦車に搭載されていた榴弾砲の様に建物に籠る敵兵に対し直接有効な攻撃を行う事が出来ず、結局A11歩兵戦車が担当した建物は、歩兵が建物を虱潰しに制圧していくしか無かった。
この戦訓から、計画としては存在していたが、火力強化の為に直ちに主武装を12.7mmビッカース重機関銃に更新する事になった。
もっとも、A11戦車の主武装に7.7mm機関銃を選定したのは、小型戦車故の搭載量の問題であり、継戦能力を考慮した結果といえる。
だが、主任務が歩兵支援であるという事を考えれば、歩兵に出来ない事が出来るべきであり、ならば12.7mm重機関銃搭載の方が妥当であった、と言う事なのであろう。
租界外縁の掃討作戦は、少なからぬ損害を出したものの、作戦自体は無事に終了し、共産党ゲリラが潜伏していたスラム街を更地にする事が出来た様だ。
その結果、漸く租界市街地への砲撃を止めることが出来たが、上海国際共同租界が中国の租界であり、しかもその中国が内戦下である、という中国のリスクが改めて欧米諸国で認識される事となり、一先ず中国の国情が安定するまで一時撤退する国も出て来た。
我が国は、引き続き留まって権益を維持する方針の様だ。
無事スラム街は更地になりましたが、ドイツ製とソ連製兵器で武装する共産党ゲリラに苦戦。
 




