戦車開発始動
舞台を手に入れた主人公は早速戦車の開発をはじめます。
1928年11月、陸軍技術本部第四研究所に辞令を持って赴任した。
前任者は軍学校に転出したそうで、俺が赴任した時には既に居なかった。
戦車の開発を順調に進め、後は試作車を発注するだけの所まで来ていたのに、戦車開発の技術者として働いたことも無い洋行帰りの大砲屋が、待ったを掛けて白紙化した上にこの研究所に部長として乗り込んで来たのだから、当然所員は表向き大佐殿だの部長だのと言っていても、その対応には明らかにトゲがあり敵愾心が見て取れる。
何しろ彼らには、既に試製一号戦車の開発に成功した自負がある。それをいきなり現れたこのよそ者は、上層部に駄目出しをして進行中だった戦車開発を無にしてしまったのだから、所員にとっては試製一号戦車開発の時の労苦を全否定された様な物で、それは致し方ない。
だが、アレを作らせる訳にはいかない。
俺は主だった所員を会議室に集めると、彼らの向けてくる敵愾心を無視して、新たに作る戦車の図面を彼らに見せる。
「大佐殿、この図面は何でありますか」
「これから貴様らが作る戦車の図面だ」
そういわれると所員たちは、一先ず敵愾心は引っ込めて、どんな代物を持ってきたのか見てやろうと、会議室の大きなテーブル一杯に図面を並べて確認を始める。
暫し時間が経ち、次第に全貌がわかるにつれ、明らかに彼らの目の色が変わってくる。
「大佐殿、この戦車は試製一号戦車と同じく18トンでありますが、装甲厚は最大20mmもあります。ですがこの戦車の最高速度の概算は70km/hも出ると書かれてあります。どうやってこの速度を実現するのでありますか」
「このエンジンを載せれば十分に達成できる」
そういうと俺はディーゼルエンジンの図面もテーブルに載せた。
再び所員たちがわらわらと集まって図面をテーブルに広げていく。
その内に、一人の所員が声を上げた。
「あっ、もしかして大佐殿は、以前ディーゼルエンジンの論文を書いた事がおありですか?」
「ああ、東京帝大の卒業論文にディーゼルエンジンの論文を書いた。その論文が評価されて小官はドイツに派遣されたのだ」
俺の話を聞くと、その所員は俺の事を他の所員たちに話し始めた。そして、程なく俺がただの大砲屋ではない事が皆にわかった様だ。
そこからは実に話が早かった、俺の論文を読んだ事がある所員も居たし、東京帝大の後輩も何人もいた。わかってしまえば俺の事を彼らが周囲に話してくれるので、数日を待たずして敵愾心を剥き出しにする様な所員は居なくなった。
そして動き出せば、元々何も無い所から試製一号戦車を作り上げた連中だ。改組により増員されているし、有能な人材が揃っているので、いざ足並みが揃えば実にスムーズに開発が進みだした。
既に設計要目も概略設計図も俺が用意した。それを元に、軽戦車開発チームが再び陸軍造兵廠大阪工廠に試作車を発注する為の準備を進めた。
年が明けて1929年1月、当初計画より遅れたが、陸軍造兵廠大阪工廠に試作車を発注した。
今回の試作車は、装甲の接合にリベットを使用せず、全て溶接で行われることになり、装甲板は開発されたばかりのニセコ鋼板を使用することになった。
並行して、俺はディーゼルエンジン開発のチームを編成し、俺の図面を基に詳細な設計図を作成させ、三菱重工業に試作エンジンの製作を依頼した。
一方、新たに編成されて居た重戦車開発チームの方も、試製一号戦車をベースに既に進んでいた試作戦車開発を白紙に戻されたのだから、当然俺の印象は良くない。だが、所員たちの横の繋がりがあるから、同じことを繰り返す必要は無かった。
俺は重戦車開発チームの方には、もう一つ上の中戦車として考えていたタイプの戦車の開発を進めさせる事にした。
見た目は俺の描いた軽戦車とよく似ているが、サイズはこちらの方が一回り大きい。そして装甲厚は、こちらの方は車体前面が40mmの傾斜装甲になって居る。
なぜこの装甲厚かと言えば、前世の記憶になるが、ソ連の主力対戦車砲である45mm対戦車砲の貫徹力が、射程500mで45mmだからだ。傾斜装甲の40mm厚であれば、十分に45mm徹甲弾を防ぐことが出来だろうと予想されるからだ。
勿論、実際に試験をしてみて、防げない様ならば装甲厚を増す必要がある。
主砲は陸軍で三八野砲の後継に採用することになったフランス製の口径75mmのM1897砲をベースに作る予定の戦車砲を搭載する。実際に使ってみて改良は必要だと思われるが、向こう十年は十分に使えるだろう。
月が明けて二月になって、フランスに居た頃に発注しておいた、軽戦車の方に搭載する予定のベースとなる対戦車砲のサンプルが届いた。
陸軍は本格的な対戦車砲の配備を決めており、俺が各国の対戦車砲の資料を集めた上で推薦した対戦車砲を一先ずテストしてみようという事になったのだ。
届いたのは、スウェーデンのボフォース社製の47mm対戦車砲。まだどの国にも殆ど採用されておらず、現時点での実績には乏しいが、俺は前世の記憶でこの会社の対戦車砲や対空砲などが、世界中で広く採用される事を知って居る。
前世で多く採用された対戦車砲は37mm口径だったと記憶していたが、ボフォースに問い合わせたところ47mm口径のモデルもあったのだ。
火砲は他国よりワンランク上を選ぶのが常識だ。37mm砲を多くの国が採用するならば、当然我が国が選ぶのは47mm砲であるべきだ。
歩兵支援に使う場合でも、口径が大きい方が榴弾の炸薬量が増えて威力が大きくなるから、勿論良いに決まっているからな。
スウェーデン政府とボフォース社は、日本への武器売り込みに大きな期待を寄せている様で、わざわざ本国から技師が派遣されて来たし、引き渡しにはスウェーデン大使館から職員が来たほどだ。
そして、実際に陸軍で様々なテストを行ったが、ボフォース社製の火砲の性能は素晴らしく、徹甲弾や榴弾などの性能も十分で、現在確認されて居る全ての戦車の破壊が可能である事がわかった。
勿論、歩兵支援にも十分な活躍が見込めるだろう。
難点は、陸軍の想定より重い事だ。
陸軍が求めていたのは、重量350kg以下の運搬しやすく取り回しの良い火砲。
だが、この砲は600kg近くあったのだ。
しかし、それ以外は陸軍の想定以上の性能なので、その重さと云う難点を補って余りある、という評価であった。
何よりこの砲の先進性は、パンクレスタイヤを最初から装備しているし、開脚式砲架やマズルブレーキまで全て揃っている。
陸軍が欲しかった火砲が、まさにそこにある。そんな代物だったのだ。
それから採用されるまではとんとん拍子で、我が国ではこれまであまり認知されていなかったスウェーデン製の火砲の評価が一気に上がったのだった。
これと同時に、陸軍が装備を希望していた対空機関砲と対空砲のプレゼンも行われて、結果併せて採用されることになったのだ。
スウェーデン政府とボフォース社の喜びぶりはかなりの物で、火砲と砲弾のライセンス生産の許可は勿論の事、戦車砲への改修やその技術指導を行ってくれるし、対空砲についても、こちらも我が軍の要望に合わせた改修や技術指導、それらに関する技術者の派遣なども行ってくれることになった。
これで、一先ず戦車砲の確保はうまくいくだろう。
この世界の日本軍はボフォースの大事な顧客になりました。
史実と異なり、75mm対空砲も40mm機関砲も正規ライセンス品です。