第二次上海事変
上海で欧米人に対するテロ行為がエスカレートしていきます。
1937年8月14日、去年の2月26日に発生した陸軍の若手将校が起こしたクーデター騒ぎ、通称二・二六事件の最終判決が下った。
凡そは、以前永田から聞いていた見通し通りの判決だったな。
首魁である栗原中尉、そして憲兵を射殺した安田少尉は銃殺刑。
叛乱に参加したが速やかに降伏した将校に関しては軍からの追放。
この追放将校が当分の間監視対象になる事は致し方ないが、再就職先に関しては軍OBによって作られている互助会が斡旋する様だ。
これは、恐らく彼等を当局の目の届く所に置いて監視するという意味も含まれている為、彼らは互助会の斡旋を断れないだろう。
磯部元一等主計らは治安維持法違反で既に有罪判決が出て服役中だ。
そして、近衛歩兵第三連隊所属の中橋中尉だが、満州へと移駐になった第一師団に転属になり、満州へ行ったようだ。
蹶起には参加しなかったが、昭和維新の同志であったらしい安藤大尉と野中大尉の所属する第一師団歩兵第三連隊は、満州国国境守備隊と共にソ満国境の国境守備の任務に付いていると聞く。
偶に新聞にソ満国境地帯での紛争の記事が出るが、恐らく彼らはソ連との戦いの最前線に居るのだろう。
これで二・二六事件に関しては、一区切りついたといった所だろう。
1937年8月中旬、上海国際共同租界でイギリス海兵隊の将校と下士官が乗った乗用車が何者かによって銃撃され、射殺されるという事件が発生した。
ここの所悪化する中国の治安情勢を警戒して、イギリスやアメリカが上海国際共同租界に駐留する兵力を増強させていたのだが、この銃撃事件がこれに対する抗議の意味があるのかどうかはわからない。
しかし今回の銃撃事件はこれ迄で一番酷く、乗用車はまるで待ち伏せされたかのように無人の筈の廃ビルの窓から複数の軽機関銃で銃撃を受け、ハチの巣にされて炎上した。
銃撃犯は関係当局が到着する前に遁走しており、実行犯を現在捜査中との報道だ。
使われた軽機関銃は中華民国軍が広く使って居る所謂チェッコ機銃であった。イギリス軍もチェッコ機銃の採用を決めて、イギリス軍仕様に改修したものをエンフィールド銃器工廠でライセンス製造して配備を進めているので、聞きなれた銃声と落ちていた空薬莢からすぐに銃の特定が出来た。
しかし肝心の実行犯は、中華民国軍に所属する、もしくは関係する者なのか、それとも中華民国軍から流出した機関銃を使用した別の第三者なのかは、今の所断定されて居ない様だな。
租界を走る乗用車は、イギリス軍関係者が乗っているのならばイギリス軍関係者が乗っている事を示す小旗を乗用車に立てて走っている為、その乗用車がイギリス軍関係者の車両であるという事は容易にわかる。
しかし、廃ビルで待ち伏せし、逃走経路まで確保した上での銃撃事件だ。
標的が租界に軍を駐留させている外国軍関係者なら誰でも良かったとしても、その時間に外国軍関係者の乗用車がそこを通る事がわかって無ければ待ち伏せのしようがない。
人が大勢住む都市の中での待ち伏せだから、いくら無人だと思われている廃ビルだったとしても、潜伏期間が長くなれば何かのはずみで露呈しないとも限らないし、確保していた逃走経路が安全なままとは限らないからな。
そして当たり前だが、どこの軍であろうとも、何時にどんな車両がどこの道を通るかなどは事前に公開されている訳も無く、秘匿事項の筈だ。
つまり、どこかから情報が漏れた、あるいは駐屯地内にスパイが入り込んでいる可能性がある。
租界の中の各国軍の駐屯地には、色々な中国人の業者や施設内で働く為の一般の中国人が多数出入りしている。
勿論、今は検問が厳重になっており、租界に入るにも身分証明書が必要だし、まして軍の施設に出入りするともなれば身辺調査が済んだ者で無ければ入る事は出来ない。
一人一人、きっちりとチェックされていると聞く。
つまり、入り込むのは不可能ではないにせよ簡単でない事は間違いないだろう。
またこれ迄にも銃撃事件はあったが、大抵は数発弾が撃ち込まれる程度で、弾が当たった者が負傷したり、中には死亡する者もいた様だが、今回の様に目標を確実に殺す為に軽機関銃で大量の弾を撃ち込むという様な事件は発生していなかったのだ。
今回の銃撃事件を重く見たイギリスとフランスは、蒋介石に事件調査の依頼と上海の警備の厳重化を申し入れると共に、更に駐留する部隊の増派を決定した。
アメリカは既に上海租界にアメリカ海兵隊の部隊を増派しており、今回の事件を受けて更に増派するという発表は無かったようだが、代わりに太平洋艦隊の増派を検討しているとの事だ。
我が国は、今のところ情報収集に努める程度に留めており、再度の中国本土への派兵は考えていない。
蒋介石と結んだ協定に、中華民国の要請に基づかない軍事介入はしないという条項があるからな。
1937年9月12日、上海に租界を持つイギリス、フランス、アメリカが、中国軍の租界進入には武力で対抗する旨発表。
中華民国軍でも中国共産党軍でもなく、敢えて〝中国軍〟と言い回している所に、ここ暫く続いている銃撃事件に蒋介石が有効な手立てを打てていない事に対する警告と、中国共産党に対して武力介入するぞという脅しの意味があるのだろう。
実際の所、先月の英軍人銃撃死亡事件に関しても捜査の進展は殆どなく、凶器の軽機関銃の出どころすら掴めていないという現状に、各国には相当な苛立ちがある様だった。
1937年9月20日、その上海国際共同租界で大事件が発生した。
20日10時過ぎ、租界の街並みに人通りが増え出した頃、そこに迫撃砲弾が複数発撃ち込まれるという事件が発生したのだ。
まさにテロリズムと言っていい大事件であり、人通りの多い場所で迫撃砲弾が炸裂すれば、民間人に多数の死傷者が出るのは当然の事で、上海租界の整然とした街並みが血の惨劇の舞台へと様変わりしてしまった。
新聞報道によれば、ホテル前や大通りなど人の多い場所に何発も着弾した為、数百人の死傷者が出た模様だ。
直ちに現地の官憲や救急隊、そして各国の駐留軍が出動して事態の収拾と事件調査に当たった。
調査の結果、撃ち込まれた迫撃砲弾は少人数でも運用可能な口径80mmクラスの迫撃砲弾だと判明した。
イギリス、フランス、アメリカ軍からなる調査チームは、自軍の同等の装備である口径80mmクラスの迫撃砲の有効射程から、着弾地点から半径1500mの範囲内から攻撃を受けたと推定した。
しかしながら、着弾地点から半径1500mの範囲を捜査しても、殆どの場所が人目のある市街地であり、砲撃場所が特定できなかった。
その為、使用火器を中華民国軍が使用しているドイツ製8cm迫撃砲と疑い、更に捜査範囲を広げたところ、着弾地点から2500-3000m程離れた場所で、複数の砲撃の痕跡を発見することが出来たそうだ。
その場所は、共同租界の外縁に存在する中国人街の外れにあるスラム街等の中にある人気の無い空き地だった。
租界の外縁に沿って存在する中国人街は、比較的治安の良い租界内に比べるとかなり治安の悪い地域であり、そんな治安の悪い地域の中でも更にスラム化している様な地域は、欧米人はまず訪れる事が無い場所である。
英米仏軍の調査によれば、租界外縁の中国人街の中でもスラム街と言えるその場所は、ここの所続いている銃撃事件の実行犯と目される共産ゲリラが潜伏している可能性があり、三ヶ国は中華民国政府に厳重抗議すると共に、即刻捜査を要求した。
しかしながら中華民国側の動きは鈍く、また例によって誰とも知れない犯人の死体を差し出して事件の幕引きを図る、という事になりそうであった。
実の所、共産党シンパが中華民国政府内に多数入り込んでいる事が判明している為、欧米諸国は中華民国政府を完全に信用している訳では無く、特にここの所テロが続いている事もあり、急速に信用を落として来ていた。
この辺りは、中華民国と関係を深め続けているドイツとは対照的で、ドイツ人もテロの犠牲者になっている事を考えると、ヒトラーが考える所の国益を優先した差なのかもしれないな。
1937年9月下旬、更に散発的に迫撃砲によるテロが続き、死傷者が増え続けている。
我が国は勿論の事、欧米のメディアでも連日事件の続報が大々的に報じられ、上海国際共同租界の危機、との大見出しのトップ記事が連日紙面を飾っている。
厄介な事に、砲撃地点であるスラム街はそれなりに広いうえに道が狭く入り組んでおり、元々のメインストリートなら兎も角、様々な建物が雑多に建っている場所な為、奥まった所になると軍隊が出動しても直ぐに現地に到着とはいかず、発射場所を探し当てる頃にはすっかりもぬけの殻で、手際の良さも含め、現地に多数の中国人協力者が居る事が確実視されている。
我が国も当然ながら、今回の事態の推移に重大な関心をもって見守っているが、我が軍は中国本土から既に撤収している為、また中華民国との協定もあるので軍事介入はしない方針で固まった。
結局、その後も迫撃砲による散発的な租界への攻撃は終息する事が無く、中華民国側も官憲が動いている様だが目に見えた進展も無く、租界からの退避勧告を出す国も出て来て、居留民の退避が始まり出していた。
それと時を同じくして、貧民街で欧米人など外国人排斥のデモ行進が発生しだした。
租界で同胞を殺された欧米諸国でもその様子は報道され、中華民国政府への信用は更に失墜し、蒋介石に対する批判が強まっている。
その批判を何とかする為、米大統領ルーズベルトの妻と親交のある蒋介石の妻である宋美齢が事態収拾の為に訪米の途に就いた、と小さく報じられた。
そして幾度目かの砲撃の後、とうとう痺れを切らした欧米列強が中国人街のスラム街の排除を宣言。通告した期日内にスラム街から住民を退去させる様に中華民国政府に通告した。
1937年10月上旬、欧米の租界駐留軍によるスラム街の掃討作戦が始まった。
中国に権益を持つ欧米列強を排除し中華民国を弱体化させたい中国共産党の暗躍は徐々に実を結びつつあります。




