中独、独波防共協定締結さる
アメリカ軍の空爆支援を受けた中華民国の延安に対する大侵攻作戦は頓挫し、さらに事態は進んでいきます。
1937年8月中旬、アメリカ陸軍航空隊による中国共産党の本拠地である延安への大規模爆撃を得て、蒋介石率いる国民党軍が中国共産党の息の根を止めるべく延安へ大攻勢を掛けた。
しかしながら、延安の街を廃墟と化すほどの爆撃を行ったにも関わらず、共産軍は殆ど被害を受けなかった。これは、共産軍は昔ながらの城市に拠る事無く山岳地帯に強固な陣地を構築して待ち構えていた為で、共産軍は壊滅したと油断した国民党軍は甚大な損害を被って撤退した様だ。
ジャーナリストを伴っての必勝を期しての大攻勢にも関わらず、惨敗をした事に蒋介石が激怒。中華民国軍の最大の支援者であるドイツの軍事顧問団団長アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼンを呼ぶと、蒋介石が信頼するハンス・フォン・ゼークトを呼び戻してほしいと頼み込んだ様だ。
1927年に中国共産党が起こした上海クーデターに加担していた為、放逐された在華ソビエト軍事顧問団はその後、中国共産党に対して引き続き支援を行っていた。
しかしながら、これ迄のソ連の中共への支援は細々としたもので、精々軽機関銃や軽迫撃砲を持つ部隊がたまにいる程度で、殆どが小銃くらいしか持っていなかったのだが、今年に入って新たな協定を結んだのか、戦車や火砲などの兵器の他、トラックなどが見られるようになり、明らかに装備の質の向上が見られたのだ。
そして今回の大攻勢を頓挫させた強固な陣地構築は、明らかにこれ迄の中国共産軍とは違っており、ソ連側から優秀な軍事顧問団が派遣された可能性が高かった。
この辺りの話は、中華民国と定期的に行われて居る会合の際に中華民国側から伝わってくる様になっており、新聞で報じられることもあれば、軍内部でのみ伝えられることもあれば、永田が俺にそっと話してくれることもある。やつは情報通だからな。
1937年9月10日、中華民国はドイツと中独防共協定を締結。ヒトラーは中華民国が、東アジアにおけるソ連共産主義を防ぐ為の正式な同盟国となる事を望み、そして経済的にも中華民国がドイツにとって重要な国であると判断した様だ。
今回の防共協定締結によりドイツは、これ迄は供給の対象としなかった最新のドイツ製兵器の供給や、ドイツの様々な先進技術の供与の他、名だたるドイツ企業の更なる進出と工場の建設、中国人技術者をドイツ本国で指導するなど、その内容は多岐にわたるものだった。
その一方でドイツは、中華民国の最恵国待遇を受け、中華民国内での様々な便宜、優遇を受けられるほか、中華民国から毎年1000万マルク相当のタングステン等の希少な鉱物資源を協定が続く限り優先的に輸入できる権益を得た。
この協定締結については日本は勿論、欧米諸国でも大々的に新聞で報道された。
我が国政府は中独防共協定という実質的な同盟締結について、日本が中華民国と結んだ防共協定と並立するものであれば歓迎する、とコメントした。
アメリカなど中国に権益を持つ欧米諸国も、各国が保持する権益を害さない限り協定締結を問題視しないと発表。
実際、中華民国に進出している欧米諸国、特に租界に権益を持ち大々的に進出している様な国は、最近頻発している中国人によるテロ行為に悩まされており、それらの背後にいる中国共産党が静かになるなら、むしろ協定締結は歓迎なのかもしれないな。
残念ながらゼークトは去年ドイツで亡くなっていたとの事で、蒋介石の望みは叶えられなかったが、今回の防共協定締結を受けて、代わりの有能な顧問団を追加派遣する事をヒトラーは約束した様だ。
一方、中国に部隊を増派したアメリカ軍は、自国の権益と合衆国国民を守る為に上海など沿岸部都市と、天津などの租界に部隊を増派した以外は、ドイツの様な様々な軍事援助を中華民国には行っていない。あくまでアメリカ政府、つまりはアメリカの軍部が認めた兵器を米国企業が輸出する事を認めているだけで、アメリカ軍が正式採用した最新兵器の多くは輸出が認められていない。
これは我が国も同じで、基本的には我が軍で使わなくなった旧式兵器を低価格で在庫処分しているだけだ。中華民国軍は兵器の数より兵士の数の方が多いらしく、兵器は旧式だろうとあればあるだけ欲しいらしいからな。
アメリカは中華民国軍に対する支援と中国共産党軍に対する報復として延安の爆撃を行っているのだが、中華民国軍の大攻勢失敗の報せを受けて程なく、中国共産党軍側が対空砲を多数揃えて砲撃して来る他、迎撃に戦闘機を飛ばしてくるようになった為、爆撃に出撃していたボーイングB-10爆撃機に損害が出る事態が発生した。
アメリカ政府はこの損害を重く見て、作戦計画の見直しをした様だが、アメリカ陸軍航空隊が中国に展開しているボーイングP-26戦闘機は航続距離が短く、B-10爆撃機に随伴させることが出来ない。しかも共産党軍の主力戦闘機であるソ連製のI-16戦闘機の性能は、スペイン内戦での情報を加味すると、P-26戦闘機ではまるで歯が立たない可能性が高い。
結局アメリカ軍は、現在の作戦内容での継続は困難と、作戦の仕切り直しをする様だ。
蒋介石もドイツの援助を受けて軍の再編成を行うみたいだから、中国共産党の暗躍はまだまだ続きそうだな…。
1937年9月29日、ドイツと中国との防共協定締結と関連性があるのかはわからないが、大きな出来事が新聞紙面を飾った。
ドイツのヒトラーは以前からポーランドの元首であるユゼフ・ピウスツキと直接会談し、予てからの懸案事項であったポーランド回廊の問題を解決したいと考えていたが、ピウスツキが1935年に死去し、穏健派のイグナツィ・モシチツキが大統領となった事で、再度直接の会談を持ち掛け、初めての首脳会談を行う事が出来た。
ヒトラーはこの会談で、ポーランド回廊を通過し東プロイセンとドイツ本土を結ぶ治外法権の道路の建設を認める事をポーランド側に要請した。
それをポーランドが認めたならば、現在、ポーランドと締結しているドイツ・ポーランド不可侵条約を更に進め、ポーランドに対してドイツ・ポーランド相互援助条約、及びドイツ・ポーランド防共協定の締結を行いたいと提案した。つまりは、事実上のポーランドに対する軍事同盟、安全保障に相当する条約の締結を提案したのだった。
この提案は、ポーランドにとってヒトラーがドイツの政権掌握後、常に不安に苛まれていたドイツの脅威と、同じく常に脅威にさらされているソ連との問題を一気に改善させる事が出来、また経済的にも再び強国として蘇りつつあるドイツとの関係強化は大いにポーランドにとってメリットである事であった。
1937年9月29日、ドイツ・ポーランド相互援助条約・及び防共協定が締結された。
これによりドイツは、ソ連の西側にはポーランド、東側には中華民国という対共産主義の防波堤と新たな市場を得る事となった。
ドイツの動きを常に監視し、世界大戦の再発を防ぐ事を主眼としていたイギリスは、今回のドイツとポーランドとの和解を好ましいと捉えた様だ。
しかし、最近ソ連との関係が悪化しているフランスは、表向きはドイツとポーランドの関係改善を歓迎と評したものの、ドイツの西部国境線への野心を押し留める役割もあるドイツの東側地域問題の解決は、フランスにとってドイツの脅威が増大する可能性があると考えた様で、欧州でのドイツの動きについては我が国も引き続き注視していく事になるだろう。
この時期から活発に動き出すドイツが、中国とポーランドと防共協定締結しました。
史実ではどちらもそういう動きがあった物の、ドイツは中国より日本を選び、ポーランドは二度ほどヒトラーの交渉を断り、結局ドイツから割譲要求の最後通牒ももたもたして侵攻される羽目になりました。
今回は中国との防共協定締結に気を良くしたヒトラーがポーランドの穏健派大統領にも同じような提案を持ち掛け同盟を結ぶという話になりました。
これで、ドイツのポーランド侵攻は無くなります。




