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乾岔子島事件

アムール川の乾岔子島をソ連軍が不法占拠した事による国境紛争の話です。





1937年6月下旬、満州国黒竜江流域黒河下流にある乾岔子島にソ連軍が侵入するという事件があった。


黒竜江は、ソ連側の呼称だとアムール川という河川名であり、この川には多くの島が存在する。


このアムール川にソ満国境線が設定されているのだが、満州国側の認識では、川の中間線が国境であり、今回ソ連軍が侵入した乾岔子島は満州国領土の筈だった。


この島は砂金が採れる事もあり、小島ではあるが歴史的に採金、漁業、農業を営む満州国人が住んでいた。国境沿いの重要な場所でもあり、満州国建国後の1934年9月に国境線の確認と協定の締結をしていた。しかしソ連側は、1935年頃から不法越境をするばかりか、満州国人を拉致したり、満州国側に不法射撃を行うという極めて挑発的な態度をとるようになり、国境紛争が頻発するようになっていた。


その件数たるや1935年には136件、翌1936年には203件と急速に増加し、度重なる抗議や外交努力も全く意味を為さなかった。


そればかりかソ連軍はこの地域に兵力を増強し続け、今や航空機を1000機以上、戦車は1000両以上、装甲自動車は500両以上を配備し、更にはウラジオストックを中心に小艦艇や潜水艦など100隻以上の海上戦力を配備し、そしてハバロフスクには砲艦など河川用舟艇を30隻以上擁するアムール小艦隊があり、その総兵力は30万を超えるだろうといわれている。


しかしこれは、あくまで我が軍の偵察活動や諜報活動によって出された概算であり、実際はこれより更に多い可能性もある。


残念ながら、ソ満国境地帯に展開する満州国軍、及び関東軍の兵力は、ソ連軍の半分にも満たないのが現状だ。


この現状もあって、1937年に入ってからはさらに国境紛争が増え、年初から四月までにソ連側の不法行為は既に70件に届くほどになり、ついに1937年4月、ソ連は満州国とのアムール川における全ての協定の破棄を通告。


これによりソ連は、アムール川の満州国領土である筈の戦略的要地の不法占拠、或いは水路の封鎖などを公然と行うようになった。


満州国からの抗議に対して、ソ連側は例によって逆に満洲国側に抗議をするなど連中のいつものやり方を繰り返してまともな話し合いにならない状況が続いていた。


そんな中、発生したのが乾岔子島の不法占拠である。



1937年6月中旬頃、ソ連兵約20名が満州国東部アムール川の満州国領側に存在する乾岔子島に上陸し、同島にある航路標識近くにある灯台に乗り込み、職員宿舎の看板を強奪破棄し、銃で脅して職員を強制退去させた。


更にはその下流に位置する灯台にも乗り込み、ここの職員及び付近で採金に従事する採金夫を銃で脅して追い払った後、ソ連兵達は彼等の駐屯地のあるノボオペトロフスキーへと引き上げていった。



1937年6月19日、再び乾岔子島にソ連兵が上陸、採金夫役40名を銃で脅して強制退去させ、更には一部の採金夫を拉致した。


乾岔子島から追い払われた採金夫より通報を受けた満州国警察は、直ちに警察官十余名を乾岔子島にに急行させた。


翌20日の早朝6時ごろ、満州国警官隊が同島に居る事を発見したソ連軍は砲艇一隻、警備艇一隻に兵士30名を搭乗させて乾岔子島に派兵し、兵を上陸させた。


上陸したソ連兵は、警備艇が備える重機関銃による援護射撃と共に攻撃して来たため、犠牲者を出す前に満州国警官隊は、已むなく同島から撤退した。


ソ連側は翌21日早朝より、兵40名を追加上陸させて陣地の構築を始め、更には乾岔子島の東側対岸にも警備艇二隻で乗り込み、付近に居た満州国人一名を拉致。


同日午後にはさらに増派されたソ連兵が同島に散兵壕の構築を始めた。


満州国政府はソ連側に抗議するも、ソ連政府はソ連領土を不法占拠する満州人を追い払い、また逮捕しただけであり、満州国政府の抗議は不当だと反論。


外交交渉が続く中、24日の昼頃には乾岔子島の隣にある金阿穆河島にも30名のソ連兵が不法上陸し、同島も占拠するに至った。


これを見て満州国政府は、同地への軍の派遣を決定した。


乾岔子島及び金阿穆河島の両島は明らかに満州国領土であり、1934年にソ連との間に結ばれた満ソ水路協定に基いて満州国が航路標識を建設し、航路の安全の為に灯台を設置して監視してきたのであった。灯台の保全や職員の常駐などは、勿論全て満州国側にて実施されて来たのであって、対岸のソ連はこれ迄その恩恵を受けてきた筈なのである。


両島には古くから満州国人が居住し、漁業や採金業に従事しており、対岸のソ連人はそこが満州国であると認識してきたにもかかわらずだ。



満州国軍が姿を見せた事により、一先ずソ連側の動きが収まったかに見えたが、27日に再び両島への兵力の増強を始めたばかりか、現地のソ連農民を徴発して島に上陸させて陣地構築を急がせ、更には二十隻を超える多数の砲艦や砲艇を集結させたため、同地の緊張は危険な所まで高まった。


これに憂慮した満州国は、ソ連総領事館に外務担当者を派遣して即時撤退を要求したのであるが、翌28日に至っても、ソ連側の既成事実化を狙った兵力増強が続いたため、満州国は関東軍に出動を要請。


関東軍司令部は、直ちに歩兵第一師団に対し現地への対応を命じ、歩兵第一師団は現地に支隊として一個歩兵中隊を派遣した。


アムール川島嶼でのソ連兵の不法占拠や度重なる挑発行為、更には満州国人拉致などの発生により、満ソ間の空気は極めて険悪になっており、偶発的な戦闘によるソ連との本格的な軍事衝突の発生の可能性の高まりに憂慮した日本政府は、駐ソ大使の重光葵大使に事態打開の訓令を発した。重光大使はソ連外務人民委員を訪問し、満州国領土を不法占拠するソ連軍の即時撤退を要求し、もしソ連側があくまで満州国領土の侵犯を続けるならば、日本政府は満州国との間に結ばれた安全保障条約に基づき、断固たる措置を取る用意がある、と強く抗議した。


これに対しソ連外務人民委員は、ソ連側の非を認めて両島からソ連軍を撤退させることに同意し、同時に同地に派遣された満州国軍と関東軍の配備を解くように求めて来た。


更にソ連側は、この度の出来事は中央政府の関知しない所で発生した出来事であり、いずれも国境線の未確定に起因するものであるから、国境確定をする必要がある。

今回の出来事は、両軍の撤退によって解決するのであるから、また別途外交交渉にて国境線の確定を話し合ってはどうかと、巧みに両島の領有権問題から話題を逸らしてきたのだった。


俺の知る限り、ソ連に限って党中央の関知しない所で、現地が勝手に行動するなどという事はほぼ発生しない筈だ。それは共産主義者達が最も重要視する上意下達の大原則を崩す行為だからだ。


そんな事をすれば、仮になにがしかの成果を挙げたとしても、それに関わった上層部は粛清の対象になる。


ソ連軍には、党中央から派遣されて軍を監視監督する役目を負う政治将校という者がいる。政治将校は、たとえ将官であろうと必要とあれば自らの判断でその場で銃殺刑に処する権限を持つ。


つまり、党中央が関知しない所で、軍部隊が越境し軍事行動を行うなどという事はありえず、当然それは党中央の指示で動いているのだ。



一先ずソ連側が兵の撤退を約束した為、満州国軍側は撤退こそしなかったが部隊を下げ、ソ連軍の動向を注視していたのであるが、ソ連側は29日深夜になって更に多数のソ連兵を両島に上陸させ、更には砲艦三隻で乾岔子島南側の満領水道に侵入し、満領江岸にて監視活動中の満州国軍国境警備隊に対し、追い払うかのように重機関銃で猛烈な射撃を加えるという暴挙に出た。


国境警備隊は直ちに関東軍に応援を要請し、後方に下がっていた日本軍部隊が現地へと急行、ソ連軍の砲艦に反撃し、砲艦二隻を撃沈、もう一隻に対し甚大な損害を与えて浅瀬に座礁せしめた。

歩兵中隊の銃砲で、河川用とは言え軍用艦を撃沈せしめたという出来事はにわかに信じがたかったが、後日詳報が届いたので読んだところ、ソ連軍の砲艦は船体の装甲が極めて薄い鋼板であったらしく、戦車砲を流用したらしい砲塔こそ装甲にそれなりの厚みがあった様だが、同中隊が装備していた12.7mm重機関銃は勿論の事、チェッコ機銃や三八式歩兵小銃等で猛射したところ、簡単に貫通して穴だらけになって沈んだという事だそうだ。


軍用艦についてはあまり詳しくは無いが、そんなに装甲が薄い物なのだろうか。



砲艦が撃沈された事でソ連軍は、アムール川艦隊に所属する艦艇二十数隻を出動させてボヤールコフ水道に集結させ、また対岸のコンスタンチノフスキーには多数のソ連軍騎兵部隊が動員されて集結を始め、日本側も支隊だけでなく本隊の歩兵第一師団が現地へと移動を始め、満州国軍も騎兵部隊を現地へと集め出した。


まさに、大規模戦闘前夜の如き様相を呈していた。



満州国政府はソ連側の不法挑発行為に大いに憤激し、30日夜外交担当者をソ連総領事館に派遣し、不法挑発行為の即時停止と責任者の処罰を要求。


日本政府も斎藤首相以下政府首脳が協議を重ねた結果、モスクワの重光大使に訓電を発して、厳重抗議をすると同時に直ちにソ連軍の撤退を要求した。


しかしながら、いつものようにソ連側はこの度の出来事全てが満州国、及び関東軍による挑発行為が原因であり、全ての責任は日満両国にあると主張し、物別れとなった。


ここに至って、我が国政府も現地へ我が軍の砲艦を派遣し、満州国軍の砲艦と合流して現地に姿を見せる事で、日満両国の決意をソ連に示した。


それを見たソ連はやっと態度を軟化させ、あくまで現地部隊の勝手な挑発行為であり、厳重に処罰し、部隊を撤退させるので日満両国軍の部隊も撤退させて欲しいと伝えてきた。


我が国も、また満州国も、ソ連との大規模戦争は望む所では無かったためこれを了承し、7月2日にソ連軍が撤退を始め、満州国領土が原状回復出来た事を確認してから日満両軍もまた撤退した。


これで漸くソ連とのこれまでにない規模での国境紛争を収めたのであるが、依然としてソ連は両島がソ連領土だという主張を取り下げていないし、国境確定に関しても先の議論というばかりで少しも前に進まない。


結局は問題を先送りしただけであった。



今回の国境紛争は動いた兵力が大きかった事もあり、また満州国が国内に多く居る欧米報道陣に対して情報を完全公開した結果、ソ連側の度重なる挑発不法行為が広く報じられることとなりソ連の国際評価を下げた。


更には関東軍の歩兵部隊によって容易に砲艦を撃沈された事によって、ソ連軍の脆弱ぶりと戦闘時の兵士達の無統制ぶりが広く報じられたことで、ソ連という国が大きく侮られる事となった。


それと同時に、ソ連に屈せずこれを退けた満州国への国際的な信頼度が高まった様だ。



だが、ソ連が諦めるとも思えないし、今回侮られた事で新たな戦乱の火種となりそうな嫌な予感がする。




史実でも簡単に沈められたソ連軍の砲艦は火力が更に増した本作世界ではさらに簡単に撃沈されてしまいました。

これによってソ連は侮りを受けることになります。

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― 新着の感想 ―
スターリンからしたら、満州国軍の威力偵察や日本軍その他の列強と満州国の協力関係がどの程度構築されてるのか、一当てして小競り合いで確かめただけなのだろうけど、、、 何故か砲艦撃沈されてソ連が侮られるとい…
[気になる点] パットンはソ連の挑発をどう受け止めてるか。この人は、史実でも筋金入りの反共主義者なので、アカ共の行動をどう見ているか。 [一言] 日ソ国境紛争じみてきましたね。 ノモンハン事件も近くな…
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