匪賊討伐、マルコポーロ橋事件
パットン中佐率いる騎兵隊が早速活躍します。
1937年4月7日 黒竜江省北部 アメリカ陸軍中佐 ジョージ・パットン
我が騎兵連隊は満州国からの支援要請に応じて、黒竜江省北部にある山間部に出動した。
旅団本部が満州国に到着し、本来の旅団長たるチャーフィ准将と幕僚たちに司令部任務を引き継いで、駐屯地に入って我々本来の任務に着任してから早くも半年になる。
当初は車両などの重装備が到着していなかったこともあって、本来の騎兵隊らしく騎乗して任務をはじめたのであるが、この満州という国は我が合衆国の開拓時代さながらに、都市部は兎も角、都市部から少しでも離れるとインフラの整備がほとんど進んでおらず、当然整備された道路など望むべくもない。
その為、車両が届きだしてからも、この地に住む多くの住人の様に馬を使って任務にあたる事が多い。
というのも、我が軍が採用しているトラック等の自動車は、世界一の性能と品質を誇る合衆国の工業製品であり、その信頼性は疑うべくも無いが、残念ながら多くは民間向けの自動車を軍の仕様に合わせて部分改修した車両であり、最初から軍が作らせたものではない。
軍が要求しなくとも、我が国の自動車メーカーの既製品はたとえ民間モデルであったとしても、十分に軍の要求を満たす自動車を製造している。その為、これまでは軍専用のモデルをわざわざ作らせる必要は無かったのだ。
しかしながら、ここ満州国の荒野で本格的に任務で使用してみると、些かタフさが足りないと感じる。
そもそもが民間向けの自動車は、整備された道路である必要は無いが、ある程度平坦な土地で使う事を前提としている。正に荒れ地と呼ぶのがふさわしい様な起伏の激しい土地や、山岳地帯などの急こう配で隘路の多い様な所には、そもそも民間向けの自動車は入っていく事を想定していない。
満州国は広大な大平原が広がる土地柄であるが、山深き土地も多く、そう言ったところは無理に車両で入ろうとするよりも、騎馬で行った方が何かと都合がいい。
それはつまり、我が騎兵連隊がこの半年間従事してきた匪賊討伐という任務の都合であるのだが…。
満州国には数十万ともいわれる匪賊、我が国風に言えば強盗団が存在する。
彼らは数十人から数百人、多いと千人単位の規模を持っているので、とてもではないが地方の警察当局の手に負える様なレベルではなく、彼らの鎮圧には軍が当たることになる。
しかし、満州国の正規軍は増強中とはいえ今の時点でも七万にも届かず、広大な国土と長い国境線を持つ国という事を考慮すれば、国境線を守る事で手一杯だ。
こんな有様であるから、匪賊が万単位の規模を持つまでに至ったのだろう。
匪賊は司直の手の及びにくい僻地の山岳地帯に山塞を築いて根城とし、近隣の農村などを掠奪する。そして住処を焼かれ貯えを奪われた農民たちは村を捨てて新たな匪賊となるので、匪賊の規模が益々膨れ上がっていくという訳だ。
そればかりでなく、勢力争いに敗れた軍閥の敗残兵達や、過酷な兵士生活から逃げ出した脱走兵なども匪賊に合流する事があり、無教養でロクな訓練も受けていないただの野盗同然の匪賊も居れば、しっかりした軍人教育を受けた元将校に率いられた軍隊レベルの匪賊も存在する。
彼らの多くが馬を利用する為、馬賊とも呼ばれているが、その装備も野蛮な刀剣ばかりではなく、大型の軍用拳銃や小銃を数多く装備している様な集団も存在する。
特に数千人の規模を擁する様な匪賊は、もはや盗賊団のレベルを超えていて、彼らは周辺の村々を従えて徴税を行い、徴兵までして集団を拡大している。その地方の独立した勢力として軍閥化しているような集団もおり、そこまでいけば正規軍であっても、それなりの準備と作戦を立ててあたらねばその鎮圧は容易ではない。
匪賊の鎮圧には、これまで満州国の正規軍たる満州軍は勿論の事、満州国から要請を受けた日本陸軍などが出動し鎮圧にあたっていたようだが随分と手を焼いている、と我が軍にも支援要請が来た時に聞いた。
「中佐!
全員配置に着きました!」
「うむ。
よしっ、全部隊突入!
抵抗するものは殺せ!」
「「「はっ!」」」
騎兵連隊に装備されている75mm山砲で敵の砦の門を破壊し、土塁に砲撃を食らわせると我が騎兵連隊の兵士達が次々と砦に突入して行った。
こういった山賊退治のような任務に就くとは思わなかったが、これはこれで中々血が滾るのだ。
砦の中から聞こえる激しい銃声や叫び声といった戦場のコーラスが、心地よく耳に届く。
砦は完全包囲した。虫一匹這い出す事は出来まい。
逃げて外に出て来た匪賊共は、余さず撃ち殺している。
そろそろ頃合いだろう。
「よし、我々も突入するぞ!」
愛用のリボルバー拳銃を抜くと、砦の中へと馬を走らせた。
戦闘は早くも掃討戦に移っており、中は薄汚い匪賊共の死体が幾つも転がっていた。
匪賊共相手の戦いはワンサイドゲームになる事が多い、連中は弱いもの相手には威勢が良いが、砦の門に砲弾を食らわせて破壊してやればすぐに士気が崩壊し、首領が真っ先に逃げようとする。
今は匪賊相手の戦いではあるが、陸軍が満州国遠征にあたって我が旅団に持たせてくれた新鋭小銃であるガーランドは、実に素晴らしい。俺はこんな素晴らしい武器は見た事が無い。
引き金を引けば八発のカートリッジを撃ち尽くすまで連続で射撃できるセミオートマチックライフルであり、一々ボルトを手動で操作しての排莢装填アクションをする必要のない小銃は、騎乗射撃に非常に向いており、欲を言えばもう少し短いほうが良いのであるが、ジャムの少なさなど兵士達の評判も良い。
そんな事を考えていると、掃討中の建物から蛮刀を片手にフラフラと男が出て来て、即リボルバー拳銃から一発お見舞いした。
弾を受けた男は驚いた表情を浮かべながら、そのまま崩れるように倒れた。
仕事はきっちりやらないとな。
程なく掃討と制圧が終わった兵士達が、薄汚れて粗末な服を着た人相の悪い男達を穴倉から連れ出して来た。
そしてその後から、匪賊共に攫われて来た女や子供たちが恐る恐る兵士に付き添われて出てくる。
女達は煤けて真っ黒な顔をして、体つきから女だと判るが不潔なぼさぼさの髪で人相などわかった物ではない。
子供に至っては服すら着ていない。
こんな不衛生で文化の欠片もない所で育っては、ロクな大人に育つまい。
女子供は守ってやらねばならない。そして正しく導いてやらねば。
本国からは、彼らを正しく導くために宣教師たちが大勢満州国にやって来ている。
宣教師たちが村々を訪れ、教会や学校を作り、そこで正しい神の道を教えれば、現地人はその交流の中から我らが文化を学び取り、きっと蛮人から文化人へと成長を遂げるだろう。
やはり、マニフェストディスティニーは必要だったのだ。
戦闘を終えたので、女子供を麓で待機させているトラックへと連れて行かせる一方、捕虜を使って穴を掘らせて死体を放り込む。
死体をそのままにしては伝染病の元になるからな。
「中佐、死体の焼却準備が完了しました。よろしいですか?」
「ああ、ご苦労だった。頼む」
俺が許可を出すと、死体に油が振りかけられ火が掛けられた。
死体が燃えている間、改めて将校が匪賊共の砦を捜索し、捕虜を使って武器や物資などを集めさせる。この場で燃やして破棄する物もあるが武器などは回収していく。
「中佐、ここにもありました」
「わかった」
砦の捜索をしていた中尉に案内されて、どうやら首領ら匪賊の幹部共の居住区画と思われる一角に入ると、そこにはキリル文字が書かれた無線装置が置かれていた。アカ共が作成したビラまである。
「やはり、匪賊共にアカ共がかなり浸透しているな」
「はっ、奴らの使っていた小銃などもソ連製の物が殆どです」
中尉が差し出して来た状態の良い小銃を見ればソ連製のモシンナガンだった。
手入れが行き届いていないだけで、小銃自体はそれほど古い物ではない。
つまりは、彼ら匪賊に武器など必要物資を与えて扇動しているのがアカ共だという事だ。
外に出て、もう一度集められた武器を見てみると、やはりソ連製の拳銃や小銃が多い。
やはり匪賊の問題を根本的に解決するには、アカ共を何とかする必要があるのかも知れぬ。
我が騎兵連隊は最後に砦を爆破すると山を下り、迎えに来た満州国の官憲に捕虜と女子供を引き渡し、任務を終え帰投した。
匪賊共を何とかせねば、満州国の治安状況を改善し、安定した国情とする事は無理だろう。だからと言って、数十万も居ると言われる匪賊共を全て掃討するのは簡単ではないだろう…。
フランスやイギリス、オランダの部隊もそろそろ満州に駐屯する頃だ。彼らの活躍にも期待するとしよう。
1937年7月7日、天津租界に駐屯する我が軍の第十五歩兵連隊がマルコポーロ橋の東部に広がる平原で夜間演習中に、盧溝橋駅南部の小山から迫撃砲による砲撃を受けるという事件が発生した。
我が軍は直ちに砲撃地点と思われる箇所に向けて反撃したが、更に苑平県城に駐屯する中華民国軍より攻撃を受けた。
これに対しても我が軍は応戦し、明け方まで戦闘が続いた。
翌早朝、中華民国軍より軍使が来て、停戦。
両軍による事情聴取と調査が行われた結果、盧溝橋駅南部の小山には中共の兵士らしき遺体と、破壊されたソ連製の軽迫撃砲が遺棄されていた。
また苑平県城の中華民国軍が我が軍に対して攻撃した事については、彼らの主張は〝アメリカ軍から攻撃を受けた〟と言っており、こちらも中共関与の謀略の可能性が高く、引き続き調査するという事になった。
夜間戦闘という事もあって、双方負傷者が出たのみで済んだのが幸いと言えよう。
中華民国も中共の暗躍には悩まされているらしいが、我々欧米人に対する中国人の感情は確実に悪化しており、取り返しのつかない出来事が起こらなければいいが。
マルコポーロ橋の東部平原で演習中の米軍に対して迫撃砲による攻撃。
史実の盧溝橋事件とは少々異なる展開です。




