重四輪機動車の開発、山口少佐渡欧す
年が変わって1937年、日本はイベント盛りだくさんな年でした。
1937年3月15日、名古屋で汎太平洋平和博覧会が開催された。我が国では初となる本格的な国際博覧会だが、1940年には更に大規模な万国博覧会の開催が計画されていると聞く。我が国の国民が海外の風俗や文化を直に触れる切っ掛けとなるし、逆に我が国を訪れる海外からの来訪者に対して我が国の風俗や文化を紹介することが出来るだろう。
今回の博覧会には海外から40カ国近い国が参加し、それぞれの国の文化や風俗、産業などが展示紹介される。
本博覧会開催の趣旨は、諸外国国民との平和親善と共同の繁栄に資する、と謳われていて、ソ満蒙国境での紛争はあるが、我が国国内は現在平和そのもので好景気な事もあり、開催期間を通じてきっと大勢の入場者がある事だろう。
空撮された会場写真が載ったパンフレットを見てみたのだが、舶来のキネマのセットの様な会場で、近代ヨーロッパ建築風の建物があれば、まるで想像上のローマ時代の街並み風の一角があったり、そうかと言えば日本風の建物や朝鮮半島や中国風の建物が有ったりと、知らない人がこのパンフレットに写る写真を見たら、会場が日本だとは思わないだろう。
実は会場の一角に〝国防航空館〟というのがあって、そこに試製一号戦車が実戦風に迷彩塗装されて展示されているのだ。
〝平和博覧会〟と謳われているのに兵器を展示するというのはどうかなとも思うのだが、その平和を生み出すのが軍事力の均衡だと考えれは、展示の意図はわからなくもない。
ちなみに東京や関西方面から、この博覧会の為に会場近辺に臨時に作られた駅まで特別編成の列車が何本も走っているので、普段より名古屋に行きやすくなっている、と書かれていたな。
この博覧会は産業展示の他に商談の場も兼ねている様で、わざわざ貿易館というのがあり、我が国の貿易品を展示しているのは勿論の事、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、蘭印と言った国の他、サルヴァドル、サンフランシスコ、ホノルル、バンクーバーなどの都市からも展示があり、民芸品や工業製品ばかりか、農産物や天然資源などが展示されているらしい。
パンフレットを見ていると非常に面白そうであるが、残念ながら俺は忙しくて見に行けない。
そのうち、誰かから土産話を聞くとしよう。
1937年3月19日、新聞に「神風号」という我が国初の純国産機が完成した、との記事と写真が載っていた。
つまるところ、我が陸軍のキ15、九七式司令部偵察機なのであるが、これの試作機の一機を朝日新聞に払い下げた物が「神風号」というわけだ。
写真に写る「神風号」は中々美しい機体で、我が国でもこんな飛行機が作れるようになったのだなと感心した。
航空機に関しては技本は基本別組織で、搭載する装備なんかで交流がある程度だ。最近だと、FN社製の12.7mm機関銃やFN30機関銃、フィリップス社製の無線機などの技術情報を提供したり、評価の為に実機を貸し出したりした。
その「神風号」が、3月28日に福岡と立川の間で試験飛行を行い無事成功した、とこれもまた新聞記事に載っていた。
この「神風号」であるが、航空機先進国のフランスで行われている〝パリと東京間100時間飛行コンテスト〟に未だ成功者が現れていないのに、5月12日にロンドンで行われるジョージ六世の戴冠式奉祝の為に、この機でヨーロッパまでの連絡飛行を計画している、との話だ。
朝日新聞の社旗をあしらった塗装を施した銀翼は、4月2日に出発を予定しているらしい。
1937年3月下旬、防共協定加盟国から派遣された部隊が、相次いで満州国へと到着し始めた。
アメリカだけは去年中に先遣隊が到着していたそうだが、フランス、イギリス、オランダなどの部隊を載せた船が続々と大連港へ入港しているそうだ。
流石に装備込みの旅団規模の部隊となると、貨客船一隻で運ぶことは無理なので、それなりの船団だ。入港にも時間がかかるだろう。
アメリカに関しては先遣隊の下準備が良かったのか、兵員は軍馬と共に去年の内に満州国に到着しており、今回運ばれて来た車両などの重装備の移動もそろそろ終わるそうだから中々の手際の良さだ。
アメリカ軍の持ち込んだ装甲車両は、装甲車と最近配備が始まったばかりの〝戦闘車〟と彼らが呼んでいる軽戦車の二種類で、それに火砲や機関銃などの兵器と、それらすべてを搭載或いは牽引して機械化行動出来るだけのトラックと乗用車を満州国へと持ち込んだ。
もっとも、彼らの装備するトラックや乗用車などは、わざわざ本国から全数持ってくることはせず、足りない分は日本で生産した物を調達した様で、我が軍と同じトラックが混ざっている。
彼らの編制で特に優れているのは、輜重部隊が充実している他に専用の施設大隊があり、その施設大隊にはブルドーザーなどの重機までが多数配備されている事だ。
この様子だと、恐らくアメリカ軍の駐屯地の完成は早そうだな。
1937年3月末、原中佐が大佐に昇進後、技本を後にした。
習志野の戦車第二大隊が戦車第八連隊に再編制されるのだが、砲兵科から歩兵科に転科した原大佐は、その戦車第八連隊の連隊長に就任するらしい。
戦車第八連隊は、再編制を終えた後に満州へ転出するそうだが、現在もう一つ独立混成旅団を増やす事が検討されて居ると聞くし、案外そこに配属されるのかもしれないな。
原大佐は、これまで研鑽してきた装甲部隊戦術を自らが部隊を率いて実践できる、と案外喜んでいた。
なら俺は、原大佐が無事に帰ってこれる様、良い戦車、良い装備を届けてやるとしよう。
1937年4月上旬、砲兵向けの指揮車両の開発を任せていた山口大尉が、3月付けで少佐に昇進した。彼が開発していた指揮車両は歩兵向けの装甲貨車を改良した物で、無線機設備を完備していて一個大隊の砲兵部隊を指揮する事を目的としている。
さらにこの指揮車の優れたるところは、無線機によって航空部隊とも交信出来る事であり、前進観測班から上がってくる敵情報告及び着弾情報を、航空部隊とも共有できることにある。
こういった車両が絵空事ではなく現実のものと出来た要因は、我が国に進出してきたフィリップス社の支社と工場が日本国内にあり、我が軍における無線機の性能が大幅に向上した事が大きい。
我が軍が開発中のキ36直接協同偵察機及びキ51襲撃機が実戦配備された暁には、この指揮車両はその能力を十二分に活用することが出来るであろう。
ちなみに、前進観測班も勿論自動車化されており、必要に応じて前線近くで偽装して観測を行うが、踏破力に優れた九五式小型乗用車の他に、ハ号戦車を改造した九十五式観測挺進車もあり、何方も既に満州で使われて居る。
ただ、九五式小型乗用車は良い自動車だとは思うのだが積載量が余りにも小さいので、踏破性と積載量に優れたもっと大きな車を求められている。
そこで国内の自動車メーカーに仕様を提示して競わせる事にした。仕様内容は、武骨でも良いから路外踏破性に優れた四輪駆動車、或いは六輪駆動車で、100馬力エンジンを搭載。乗員は運転手込みで十人乗り。積載量700kg、車高が25cm以上、航続距離が350km以上、路上速度が80km/h以上、ウインチを搭載し、1頓貨車が牽引可能な事。
割と無茶な要求仕様だが、前進観測班や偵察部隊が任務で使用するにはこの位の性能が無ければダメだ。もし実現すれば、かなり広く使われる車両になる事は間違いない。
国内メーカーで良いのが出来なければ、日本や満州国に進出してきている外国企業に試作依頼することになるが、国内で良いのが出来て来ればいいが。
山口少佐が開発した〝九十七式火力支援指揮車〟と名付けられた指揮車は満州に送られ、実際に試用されることとなった。
一仕事終えた山口は、色々と頑張ったご褒美、というわけでは無いが、欧州へ出張に行かせる事になった。
今回はいつものイギリス、フランスの他、イタリア、チェコスロヴァキア、それにオーストリアを見て来てもらうことになって居る。
期間は一年から一年半、1938年中には帰国するだろう。
各国の新しい技術、新しい考え方、新しい兵器。それらの情報を持ち帰るのが任務となる。
それともう一つ、山口には軍人として以外の任務を課した。俺は前世ではソ連という閉鎖社会に居た事もあり、そういう事が起きて居た事を知らなかったのだが、ドイツでナチス政権がニュルンベルク法とやらを制定してドイツ国内のユダヤ人差別が激しさを増しているらしい。それでドイツ国内は勿論、近隣諸国のユダヤ人達迄が不安を感じて欧州から脱出を考えている、という話を小耳に挟んだのだ。
まあ、教えてくれたのは永田なんだが。
ユダヤ人は富裕層が多いし、学者や技術者など知識人も多い。で、永田はそう言った脱出を考えている様なユダヤ人に接触して日本や満州国に連れて来て役立てようと考えているらしい。勿論、これは永田一人の考えでは無くて、ヨーロッパ各国にいる駐在大使館員や駐在武官、民間の駐在員などいろんな方面から、人道面への配慮と世界へのアッピールになるし日本の国益にも繋がるので、ユダヤ人脱出に手を貸した方が良いのではないかと。そういう話が出ているそうだ。
更には、ユダヤ人というのはアメリカでも発言力がかなりあるそうで、彼らを活用すればアメリカを意のままに動かすなんて事は出来なくとも、我が国に不利になりそうな事態がアメリカ国内で発生しそうになっても、それを上手く回避したり出来るのではないかと。何しろ民主国家だからなあの国は。
そういった感じで、山口の訪欧の任務の一つに、ユダヤ人の知識人などを調べてコンタクトを取る、というのも含まれているのだ。
技本四部で歓送会を主宰し、神戸港までみんなで見送りに行ったぞ。
そして、その帰りに名古屋の汎太平洋平和博覧会の視察も行ってきたのだが、帰ったら永田から、物見雄山とはい良い身分だ、と嫌味を言われる羽目になった。
折角永田の家族の分まで土産を買って来てやったのに…。
砲兵科の主人公は陸軍の火力支援能力の向上を図ります。
そして、山口少佐がきな臭くなってきたヨーロッパに旅立ちます。
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