陸軍技術本部第四研究所
主人公は自らの舞台を手に入れる為に動きます。
1928年11月、俺は砲兵大佐に昇進し、陸軍技術本部第四部長に就任した。
この第四部というのは、戦車の開発に成功した事により技術本部車輌班を改組した、戦車や車両の開発を担当する部署だ。
正式名称を、陸軍技術本部第四研究所という。
実は俺が第四部長に就任する前、今年の三月下旬には軽戦車と重戦車の二車種の開発が決定しており、既にそれぞれが動き出していた。軽戦車の方はイギリスのビッカースC型中戦車を参考に、そして重戦車の方は先の試製一号戦車をベースに開発するという事で動き始めたらしい。
四月には設計要目が決定し、八月には概略設計図が出来上がったので、陸軍造兵廠大阪工廠に試作車両の製作を発注した、という流れだったらしい。
戦車の開発は比較的順調であったらしいが、一つ懸案事項があった。それはビッカースC型中戦車を試験中に、搭載しているサンビーム製ガソリンエンジンが炎上し、試験していた担当者が火傷を負う事故が発生したそうだ。原因を調査した担当者から上層部に、矢張りガソリンエンジンは戦車に不向きでディーゼルエンジンの方が相応しい、との報告が上がったそうだ。
それで陸軍省としては、今後戦車にはガソリンエンジンではなくディーゼルエンジンを搭載する、という方針になったそうだ。
当初、ディーゼルエンジンの調達はまだ出来て居ない為、当面軽戦車のエンジンは国産の百馬力のガソリンエンジンを搭載することで動いていた様だ。
そのディーゼルエンジンの調達に関しては、三菱に発注するという案があったらしい。しかしその時に、以前本格的なディーゼルエンジンの論文を書き、しかもディーゼルエンジンの発祥の地ドイツに派遣されている砲兵将校、つまり俺の事が思い出されたそうだ。
俺がディーゼルエンジンの論文を書いてドイツに派遣された、という事は半ば忘れられていた。と言うのも、俺は砲兵将校として日露戦争に砲兵連隊で出征し、しかも審査部の欧州駐在員としては火砲関連で高い実績を上げていたので軍内部では、彼は火砲の専門家、という認識だったから致し方ないのだが。
しかし、ディーゼルエンジン開発が持ち上がった事で俺の論文が国内で再評価されて、漸く俺がディーゼルエンジンの専門家だと再認識されて来た、というのが教授からこの前聞いた話だ。
その俺が帰国するという事で、折角欧州で技術習得して帰ってくるのだから、俺に戦車開発を担当させようと、俺が技術本部第四部長に就任したのはそういう事だった様だ。
ちなみに、大佐への昇進は今回の事とは無関係に既に決まっていて、どの仕事を任されたとしても、昇進していた様だ。
それで、戦車の開発に加えてディーゼルエンジンの開発も担当して欲しい、という事だったのだ。
俺は、前世でもディーゼルエンジンの開発を担当していた事があり、しかも既に船で引いた図面もある。
だから開発を始めるには何の問題も無いので、直ぐにディーゼルエンジンの図面を上司に見せたのだが、彼は、俺が論文に書いた物を既に図面に具体化しており、しかもそれは想像以上の物であった事に驚き喜び、このディーゼルエンジンをこの戦車に載せられないか、と今開発している戦車の図面を見せてくれたのだった。
その図面を見て、俺が前世で参考に見せて貰ったことがある八十九式中戦車と紹介されて居た戦車だというのが直ぐにわかった。
確かに、俺は試製一号戦車の開発成功を評価はしたし、原大尉は優れた技術者だと思う。だが、前世でこの戦車を見たとき、俺は鼻で嗤ったのだ。こんな戦車は対戦車戦闘ではまるで役に立たないだろうと。
前世の祖国では、当時既に対戦車戦闘を想定して対戦車砲を整備し、戦車にも対戦車戦闘を前提とした火砲を搭載していた。俺がスケッチを書いた新型戦車には、76.2mm砲クラスの主砲を搭載するつもりだった。
それに引き換えこの戦車は、何の冗談なのだろう、という程度の代物でしかない。
〝高速戦車〟と名付けられたBTは薄い装甲だったが、クリスティー方式の懸架装置を装備して高い機動性を誇り、時速50キロの最高速度で走る、正に高速戦車だった。
しかるにこの戦車は、BTと同等以下の装甲しか持たず、被弾経始もまるで取り入られて居ない。その姿は先の欧州大戦期の戦車であるルノーFTを彷彿とさせる。もう十年も前の戦車を思い出させる、この鈍重で大きく目立つ前世代的なフォルムの戦車は、一体何なのだろうか。
基礎工業力が脆弱な我が国は、イギリスやドイツ、そして前世の祖国の様な高い工業生産力を持たない。そんな国で、もしこの戦車を採用したら、この戦車は十年は現役で使われることになるかもしれない。
国力的にも採用したら長期に渡って使用される事が分かっているのに、完成した時点で既に時代遅れのこの戦車を、本当に我が国は採用するのだろうか。
それでは俺が何の為にこの国に生まれかわったのかわからない。
俺は、この戦車をこのまま開発する事は我が国を、そして我が将兵を危うくする、と強く意見具申した。
俺は、この国では欧州に駐在員として長期滞在した経歴から、欧州通として通っている。その俺が、これ迄のうっ憤を晴らすかのように、欧米列強に比較してこの戦車はダメだ、とはっきり明言するのだから、たちまち今開発中の戦車に対する上層部の期待は萎んでしまった。
そして俺にどうすればいいのだと聞いてくるので、用意していた新しい戦車の図面などの資料を見せて、俺に任せてくれれば欧米列強を超える新しい戦車を、俺が開発したディーゼルエンジンを搭載して完成させてみせる、と言い切った。
〝世界最強〟と世界に誇れる戦車を開発して見せる、と大見えを切ってみせたのだった。
俺の戦車の図面を一通り見た上層部は、即座に現状の戦車開発を中止してこの戦車の開発を俺に命じた。これがもし本当に我が国で完成できるなら、確かに君が言うとおり我が国は〝世界最強〟と世界に誇れる戦車を持つことが出来るだろう、との言葉と共に。
いざ風向きが変わると難色を示していた一部の上層部も、この戦車は確かに未来的だ、以前米国のクリスティーが作った戦車の資料を見た時以上の衝撃だ、などと口々に俺の戦車を賞賛した。
こうして俺は、戦車と車両の開発を担当する新設の陸軍技術本部第四研究所の責任者となり、しかも俺が前世で造れなかった戦車を開発する許可を得た。
漸く俺は、俺の戦車を作る舞台を手に入れたのだ。
こうして、日本戦車の父不在の間に戦車開発の責任者の地位を手に入れました。
主人公が動かなければ三菱に出向してディーゼルエンジンの開発をやらされていた筈です。
ちなみに、主人公が上層部に提出した図面は、かつて主人公が前世で描いていたスケッチを更に二度目の人生で軍人として生きて培った知見を盛り込んで設計を前提としてきっちりと図面におこしたもの。
その戦車とは、前世ではA-20(BT-20とも)、そしてA-32という開発コードで呼ばれて居た戦車です。
主人公は後にその型番を付けられて実際に開発された事は知りません。