ロ号戦車改完成
ロ号戦車改の戦車砲が届きます。
1936年10月上旬
ドイツに視察団団長として派遣されて居た大島浩少将であるが、この人物は予てよりドイツ寄りの言動が目立つ事を問題視されていて、既に取り込まれているのではとの疑いを持たれていたのだが、今回のドイツ視察においてナチ党幹部などからの不適切かつ過度な接待を受けていた事が、同じく視察団員としてドイツに派遣されて居た随行者の報告により発覚し、軍を追われることになった。
彼は帰国後、しきりにドイツとの防共協定締結を訴えて方々に働きかけていたのであるが、ドイツはお世辞にも日本に好意的とも言えないし、彼の言動はナチ党とは距離を置くという我が国政府の方針にも反する。
そもそも我が国の対外方針は欧米協調路線であり、その事によって国内外で様々な恩恵を被っているにも関わらず、ここで先の欧州大戦以降友好国とも言えない状態のドイツと、一足飛びに同盟関係を結ぶというのは我が国の国益に反するだろう。
更にはドイツは、ドイツ企業が満州国に進出しているにも拘らず、満州国を未だ国家承認していない。
我が国政府は先の欧州大戦終結以降、ドイツを敵視する事はしていないし、国交もあり人的交流もある。また日本が欧米資本を国内に誘致した際にはドイツ企業も進出してきており、表向きその関係は悪くないにも拘らず、ドイツ側、特にドイツ軍部やドイツ外務省が日本を敵視している。
大島少将と共に帰国した原乙未生中佐が、漸く技術本部に戻って来た。
俺は念願叶ってやっと会う事が出来たのだが、初めて会う原中佐は、流石は何も無い所から戦車を作り上げるだけあって、力量がある技術者の顔をした人物であった。
そんな原中佐は、てっきり車両を開発している我が第四部に来ると思っていたのだが、本部付になるらしく開発現場には来なかった。
彼は派遣中に、日本に戻ったら色々と手掛けるつもりで戦車などの数々の構想を練っていたらしいが、帰国後に俺が手掛けた戦車などを見て、やりたい事を全部やられてしまった気分だ、と零していた。
とはいえ、第四部に配属されるならばやってほしい仕事は幾らでもあるんだという話をしたら、是非そうあってほしいと笑っていた。
だが技本の本部長の話だと、どうも彼は来年の三月の辞令で技本から離れる可能性が高い、と言っていた。
軍としては、優秀な戦車は既にあるのだから、戦車開発者としての彼より欧米で学んできた技術と戦車戦術に明るい将校としての彼に期待している様だ。
俺としては彼にこそ、いずれそう遠くない時期に予備役編入になるだろう俺の後を継いでほしいと思っていたのだがな…。
1936年11月3日、アメリカ大統領選挙でフランクリン・ルーズベルトが再選したと新聞報道があった。なんでも歴代最多得票率で当選したというから大した人気だ。
正直対ソ戦を考えると、間違ってもアメリカと拗れるのは拙い。我が政府が今の欧米協調路線で行く限り、揉めるとは思えないが…。
1936年11月下旬、イタリアが遂に満州国を国家承認。アンサルド社などイタリア企業が既に満州国に進出している事もあり、現状を追認した形になるのだろうか。
アンサルド社は満州国に製鉄施設を建設する他、現在急速に建設中の鉄道路線向けの機関車を売り込みたいようだな。
それに、満州国海軍向けの艦艇の輸出を狙っている様だが、満州国向けの艦艇に関してはイギリス、フランス、そして我が国が既に艦艇の提供を申し出ていて、そこに新規参入は難しいのではないか。
現在満州国海軍には、我が国とイギリスから旧式艦艇が無償供与されていて、既に習熟訓練がかなり進んでいるからな。
イタリアは今の所、満州への部隊派遣は警備部隊以上の派遣は考えていない様で、今後の情勢次第で部隊の派遣も検討する様だが、今は防共協定に加入するのに留めた。
1936年12月上旬、これ迄満州国への航空便は日本航空輸送と満州航空が担っていて、満州航空は名前は満州だが親会社が満鉄の日系企業だ。
この満州航空から旅客部門を分離して満州国へと移管し、新たに満州国政府を大株主とする半公営の〝満州航空株式会社〟が誕生し、元の満州航空は〝満州航空輸送〟に社名が変更された。
というのも、満州航空の業務はあまりに雑多で、民間旅客だけでなく、貨物輸送、軍事輸送の他、航空機の整備、製造、更には空中写真の撮影、航空測量や測図など満鉄で必要とされる業務の殆どを担っており、増大する民間貨客輸送業務に対応しきれなくなってきていたのだ。
新たな満州航空には欧米企業も出資し、それぞれの国の旅客機が使われる事になった様であるが、満州航空のハブ空港である広大な新京飛行場の一角にオランダのコールホーフェン社が工場を構えることになり、コールホーフェン設計の航空機の製造の他、満州航空所有の機体整備業務を下請けすることになった。
元の満州航空ではオランダのフォッカー社がスーパーユニバーサル機をライセンス生産していた繋がりがあり、後発であるが同じくオランダのコールホーフェン社が新たな市場を求めて満州国に進出し、新たな満州航空に最新型の旅客機を売り込んだ、というのが経緯らしい。
満州航空に就航したばかりの、最新型らしいコールホーフェン社製旅客機の写真が新聞に掲載されていたが、スマートな旅客機で、以前から使われて居るフォッカー社のスーパーユニバーサル機に比べると随分と先進的に見えた。
他にもイギリスのデ・ハビラント社やアメリカのロッキード社、ダグラス社等から旅客機が導入される様で、満州国内便が充実するのは勿論の事、日本と満州国を繋ぐ国際便にも投入されるらしい。
12月1日、千葉県に千葉陸軍戦車学校が開校した。
この学校では、将来の装甲部隊の指揮官や戦車を指揮する将校の育成、更には戦車に関する通信、整備などの専門知識を学ぶことが出来る。
これにより、我が国における戦車部隊の人材育成に拍車がかかる事を期待している。
12月上旬、遂にボフォース社から新型75mm戦車砲の試作品が届いた。
早速戦車砲を専用に拵えた固定具に装着して射撃テストを行ってみたが、無事に目標の鋼板を打ち抜いて見せた。続いて何発かテスト発砲してみたが、向こうでも当然ながら何度もテストを行っているであろうから、特に問題は見つからなかった。
砲に問題が無いことを確認すると、既に完成させてあった新型砲塔第二案の試作砲塔に搭載してみた。
予め戦車砲の図面が届いており、それを参考に砲塔を作製していたので、特に問題も無く無事搭載が完了した。
そして新しく試作したロ号戦車の改修型車体にこの新型砲塔を搭載すると、全くの新型戦車の様な印象を受けるから不思議な物だ。
この〝ロ号戦車改〟ともいえる戦車は、大型砲塔からすらりと長い砲身が伸びて、如何にも強そうに仕上がった。
技本で更に完成状態でのテストを行い、細かな手直しが完了すると早速演習場でテストを行う事になった。
12月も半ばになる頃、専用の輸送車両に載せると、厳重に覆いを掛けて習志野演習場へと向かった。
この輸送車両は、今回の改修型戦車開発に併せて、今後戦車の重量が嵩むことを考慮して、輸送中に道路を傷めない様に、専用の輸送車両を開発して用意したのだ。
これはトレーラー部と牽引車両からなり、戦車用のトレーラーは40頓迄の戦車を運ぶことが可能で、これを牽引するのが新たに開発した九六式六輪重牽引車だ。
この重牽引車は、イギリスで使われて居るスキャメル社のパイオニアという重トラクタートラックを参考に、自動車工業株式会社に作らせたものだ。
エンジンは200馬力ディーゼルエンジンを搭載しており、参考にしたパイオニアよりも大型の車両になった。その分、将来的に戦車が大型化し重量が増えても対応可能だろう。
勿論、この輸送車両は戦車輸送専用という訳では無く、重砲の輸送などに用いることも可能だ。
さて、習志野演習場で関係者だけでテストを行ったわけであるが、その様子を見ながら俺は、強力な戦車に仕上がったな、と思った。
ペリスコープを十分に活用した結果、外部への視認性はこれまで以上に良くなり、また砲塔の大型化に対応する為、この戦車から砲塔旋回方法を動力式にした結果、この大きさの砲塔であるにもかかわらず、砲塔旋回速度は前よりも軽快になった。
そして肝心の新型戦車砲の貫通力も問題無く、1000mの距離で100mmの鋼板を楽に貫通して見せ、150mmの鋼板でも貫通させることが出来た。
この砲であればソ連の重戦車であっても撃破可能であろう。
ちなみに防御力の方も既に試していて、テスト用に用意した伽藍洞の砲塔を47mm砲で射撃した所、500mの距離では全周貫通しない事を確認している。
ロ号戦車に搭載されて居る75mm戦車砲であっても前面装甲を抜くことは無かったから、十分な防御力であろう。
テストに立ち会った軍上層部の評価は上々で、早速量産に入る事が決定した。
こうして、今年も忙しく働いていると一年が終わってしまった。
来年はとうとう俺が前世で殺された年だ。
実質的に17ポンド砲を超える性能を持ちます。
更にはボフォースは早くからAPDSなど様々な砲弾を開発していますから、通常の徹甲弾以上の威力を後々発揮する事も可能。
本作世界では大島が失脚し日独防共協定は不成立。
そして、中国から撤退しているので綏遠事件も西安事件も起きてません。
本作世界では敢えて書いてませんが、満州国を国家承認した国の数は史実よりかなり多くなっています。
イタリアは北アフリカにも手を出しているので軍を派遣する余裕がないので、今回は国家承認と正式な国交樹立と大使の交換だけです。