イギリス軍の事情
イギリス軍の話です。
1936年10月上旬 ロンドン イギリス陸軍准将 パーシー・ホバート
帝国参謀総長であったアーチボルド・モンゴメリー=マッシングバード卿の後任として、今年帝国参謀総長に就任されたシリル・デヴェレル卿に召喚された小官は、総司令部の卿の執務室へと出頭した。
「ホバート准将、満州国での事件は聞き及んでいるか?」
満州国での事件というと、先頃我が国の新聞でも報道されて居た、フランス人夫妻がモンゴル人民共和国に謀殺された可能性があるという、あの事件の事だろうか。
あの国には我が国の企業などが多く進出し、居留民もそれなりに居ると聞くが、今迄は新聞の一面を賑わすということは殆どなかった。但し最近は、モンゴル人民共和国との国境紛争が頻発しているとの報告が有り、参謀総長が〝事件〟というからには、満州国の事件が初めて我が国の新聞の一面を賑わした、あのフランス人夫妻の事件の事だろう。
「はっ」
「では、我が国が満州国に一個旅団派遣するという話も知って居よう」
「聞いております」
「なら話は早い。貴官が一個旅団を率いて満州国へ行ってくれないか」
「…は?
小官は現在旅団長職を拝命しては居りませんが…」
小官が実験機械化部隊を任されて居たのは去年までの話だ。
今は後進育成の方に回っている。
それにあの実験は既に終了し、実験機械化部隊は実戦部隊化される事無く解散した筈だが。
「実験機械化部隊を覚えているな」
「勿論であります」
「あの部隊は役目を終えたと判断され、解散した事は知って居る。
今回参謀総長命令で、解散した実験機械化部隊を実戦部隊として再編制するので、その部隊を率いて満州国に渡り、そこでこの部隊の真価を確かめて来て欲しいのだ。
現在満州国には日本軍の部隊が駐屯しており、南満州鉄道や日本人居留民、そしてまだ十分とは言えぬ軍備しか持たぬ満州国を警護する為に活動している。
その日本軍の満州駐屯部隊には〝独立混成旅団〟という、我々の実験機械化部隊の様な編制の機械化部隊が存在し、成果を挙げていると聞く。
また今回、満州国に部隊を派遣するフランス、アメリカ、オランダも、恐らく我等と同様に機械化部隊を派遣するはずだ。
これら他国の機械化部隊を調査するのも、貴官の任務の一つだ。
よろしく頼む」
話そのものは魅力的な話だ。
だが、満州国とは…。
これは左遷では無いのか?
しかし与えられた軍の任務に、上官命令に対し、否はない。
「はっ」
拝命すると執務室を後にした。
解散した実戦機械化部隊での活動内容は成果を挙げた、と自分では思っている。
ならば任地でも同じ事をするだけだ。
それに、他国の機械化部隊の現状という物にも興味がある。
しかし、今から準備を始めても、実際に任地に赴けるのは来年だろうな。
1936年10月上旬 ロンドン イギリス陸軍元帥 シリル・デヴェレル
退室していくホバート准将の背中を見送りながら、前任者であるモンゴメリー=マッシングバード卿からの申し送りを改めて思い出していた。
ドイツはフランスへ、必ず、再びやってくるだろう。
そして彼らはマジノ線を避けて迂回するので、間違いなく小規模なエリート機械化部隊で低地諸国を攻撃して来るだろう。つまり、オランダとベルギーを経由して素早くフランス本土へ侵攻する事が、ドイツがこの攻撃を手っ取り早く成功させる唯一の方法である、と結論付けることが出来る。
そんなドイツに対抗するには、先ず野戦軍に自己完結型の機械化師団を導入する事。そして有事の際に低地諸国に対し四つの歩兵師団とその機械化師団からなる野戦軍の第一部隊を、ドイツ軍が低地諸国全てを占領する事を防ぐために、迅速に大陸に派遣せねばならない。
それが出来てこそ、我が国に対する航空防衛の為の奥行きが与えられ、更にはイギリス空軍の爆撃機が大陸の基地から飛べるようになるのだ。
我がイギリスは、ドイツ軍をオランダ西部とベルギー西部から締め出すために、同盟軍に対して十分な精神的、物質的支援を提供する。
その支援の核になるのが、機械化師団の意義なのだ、と。
ここ迄は問題ない。この事は我が軍でも、ある程度認識が共有されている話だ。
馬狂いと言われる騎兵部隊ですら、今や生身での騎兵突撃など誰も望まないし、そんな事が可能だとも考えていない。
恐らく次の戦いが始まる迄には、騎兵部隊の殆どが機械化されているだろう。
問題は。
ホバートら戦車を主幹する連中だ。
彼らは、我が軍の未来の部隊とも言える機械化部隊を主管する立場だ。
そしてあの実験機械化部隊は、一応の成果を出したと言える。
しかしモンゴメリー=マッシングバード卿は、このままでは我が国の機械化部隊はドイツ軍に勝つことは出来ない、と看破した。
このまま行けば、あの実験機械化部隊の成果に基づいて、我が国の機械化部隊は編制される事になる。つまり、今後我が軍の装備する戦車などの装備は、当然の事ながら彼らが主導して開発された物が装備される。
問題は、彼らの戦車に対する思想が間違っている、という事なのだ。間違った思想の持ち主達が主管となり開発された戦車は、正しい思想で開発された戦車を装備する敵に、良い様にやられてしまうだろう。
ところがホバートらは、我々参謀本部の意見を聞き入れようとしない。
彼らには彼らなりの、そこに至った経緯と考え、そして矜持があるのかもしれないが、このままでは我が国は、次の戦争の緒戦から苦戦は必至だ。
彼らにそれを理解させる一番の方法は、実際彼ら自身に、彼らの部隊を率いさせて戦わせることだ。
演習を重ねたところでそれは只の演習であり、ケーススタディは無駄では無いが、一度の実戦に勝る経験は無い。
故に彼らを再編制して、満州国へ送る事にしたのだ。
派遣する部隊は機械化部隊である必要は無いが、行き先は広大で未開地の多い満州国だ。そして当面は派遣する部隊のみでの活動になるという事を考えれば、自己完結型の部隊でなければならない。そんな部隊とは、正に我が軍が思い描いた機械化部隊であり、実験機械化部隊もその様に編制されて居た。
問題は〝機械化部隊が実現した〟とは、戦力たりえる戦車を正しく装備し、適切に運用されて初めて〝機械化部隊が実現した〟と言える事だ。
これに至る迄には犠牲が出るだろう。しかし、来たるドイツ軍との戦いを、より良い戦いと出来るのであれば、その犠牲は致し方ない。
そして、我が国の戦車開発を一刻も早く正常化する為にも、現在開発中の戦車も含め、我が国の全ての戦車を極力早期に満州国へと送り、実戦結果を彼らに見せてやるのが一番だろう。
色々と思いを巡らしていた私は、引き出しから一枚の写真を取り出すと、改めて眺めた。
そこに写っているのは、満州国で撮影された日本軍のハ号戦車。
この戦車の名前には〝巡航〟や〝歩兵〟などと、余計な物は付いていない。
我が国は、戦車に関してはフランスと並ぶ先進国だった筈だ。
それが、この戦車はなんだ。
ソ連のT-26の様なビッカース戦車の模造品などではない。
抑々日本は、先の欧州大戦の後は、我が国やフランスから戦車を輸入していた筈だ。
そんな国からなんでこんな代物が出てくるのか…。
我が国の戦車は、恐らくこの戦車には歯が立たないだろう。
攻撃力、防御力、機動力、どれにおいても高い性能を誇る、と現地に駐屯する我が国の警備部隊の将校から何度も報告が上がっているのだが…。
ホバート准将ら戦車を主幹する連中も、当然この情報は知って居る筈だ。
なのになぜ、我が国の戦車開発陣から、あんな戦車が出てくるのだ?
私の脳裏には、この前視察した我が軍の最新鋭戦車であるA11歩兵戦車が思い浮かんでいた。
私は深いため息をつくと、写真を引き出しに戻した。
満州国で現実を見て来ればいい。
実は参謀本部は自軍の戦車がダメな進化に進んでいると知って居たという話。
しかも、問題意識を持っていた人たちはタイミングが悪かったのか政治家にクビにされてます。
その結果が、あの謎進化を遂げた英国面に沈んだ戦車たち。




