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帰国

長きに渡る欧州出張を終えて帰国します。





『シセイイチゴウセンシャノカイハツ二セイコウセリ』


未だ試作ではあるが、我が国も国内で戦車の開発に成功した様だ。


本来であれば喜ぶべき事。


しかしながら、俺はこの電報に接した時、口惜しさと焦燥感がない交ぜになった様な感情が噴き出し、冷静さを失いそうになった。


俺は何のために二度目の人生を歩んでいるのか。


砲兵将校としてキャリアを積む事か?


或いは、調査部で目利きのバイヤーとして、各国の優秀な新兵器を見つけて来ては本国に報告する事か?


断じて否だ。我が国にまだまともなディーゼル機関のノウハウが無い時に本格的なディーゼル機関の論文を書いた事も、詳細な戦車の報告書や提言を度々本国に送った事も、全ては俺が戦車を作るためだ。


他人の作った戦車を改良する為でも、それを扱う為でもない。


俺こそが戦車を開発する為に、生まれかわったのだ。



憤懣やるかたない気持ちを抑え込むと、再び帰国の準備を始めた。


漸く後任の武官が到着したのは、年が明けて1928年5月。



技術習得の為に1913年に渡欧し、1923年からは四年にも渡る駐在武官としての任に就いていた俺は、気が付けば知人友人を含む多くの人脈を作り出していた。

それらの人達への離任の挨拶と後任の武官の紹介は勿論の事、様々な業務の引継ぎが発生した。


そして、溜め込んでいた膨大な書類の整理や荷造りといった引っ越し準備に思いの外時間が掛かってしまった。


全ての準備と引き継ぎを済ませ、多くの荷物と共にマルセイユで日本行きの日本郵船の貨客船に乗り込んだ時、季節は秋になって居た。



船は地中海を東に進んでスエズ運河を通過し、紅海からインド洋を経由して一路日本への航海が続く。途中幾つかの主要港に寄港しながら航行する五十日余りの船旅は、有り余るほどの余暇を俺に与えた。



長い船旅の間、俺はその時間を利用して前世で俺が死ぬ前にスケッチしていた戦車を、再び今世でも図面に描き起こした。帰国したらいつでも開発に掛かれる様に、落書きレベルのスケッチではなく、実際の開発に使える物を書き上げていった。


またこの戦車は、見合うエンジンが無ければ十分な性能を発揮できないから、前世で俺が関わったDB-2エンジンの図面も再び描き上げた。


前世の祖国では冶金技術などが劣り、その辺りを底上げすべく、多くの資料や指導できる人材を祖国に送り込んだが、同じことが日本で出来るとは限らない。


特にエンジンは実際に開発する過程で色々修正が必要だろう。


こうして俺は船室に籠り続けながら、これ迄のうっ憤を晴らす様に作業に没頭した。



そのせいもあって、船旅の期間が若干延びて約二ヶ月弱程掛かって漸く最終目的地の横浜へと到着したのだが、俺は全く気にもならず、あっという間の船旅だったな。


そして、随分と久しぶりの祖国の土を踏んだのだ。



1928年10月、陸軍技術本部へ出頭し、帰任の報告を行う。


長期にわたる欧州滞在を労われ、陸軍技術本部附としてオフィスを割り当てられて部下も付いた。そして、当面は持ち帰ったものやこれ迄送った資料などの整理をするように、と命じられた。


閑職に回されたという訳では無く、俺が欧州から日本に送ったり今回持って帰った資料などが余りに膨大である為、部下を付けるから次の仕事まで資料整理をして欲しい、という事らしい。


俺は合間を見て電報にあった試製一号戦車の事を調べ、そして開発に関わった部員から話を聞くことが出来た。


陸軍省は、1925年に陸軍科学研究所長である緒方勝一中将を団長とする代表団を米国へと送り、米国の発明家であるジョン・W・クリスティーと接触したが、彼が発明したクリスティー戦車は、性能は評価されたものの実績に乏しく、そもそも米陸軍が採用していない事が不安視されで、結局購入を見送ったそうだ。


クリスティーの戦車は前世の祖国が購入しBT戦車の原型になった戦車であり、それ迄の戦車とは一線を画す性能を持つ戦車だったのだがな。今世の祖国が購入しなかったのは残念だ。



その後、俺の所にイギリスかフランスの新型戦車を購入する命令が来ていたが、イギリスの新型戦車は自軍への配備が優先で生産量に余裕が無いという理由で断られ、フランスの新型戦車は未だ開発中なので提供できる物が無かった。


中古のルノーFTは十分すぎる在庫がある為、多数を購入する事が可能であったが、性能的にも既に陳腐化しており、調査用の台数以上の購入は見送られた。


陸軍省が戦車購入交渉に対して陸軍技術本部の意見を求めたところ鈴木孝雄技術本部長は、既に技術的に陳腐化した様な戦車の導入には反対で、それよりも国産戦車の開発を熱望した。


俺が以前送った意見書が参考にされたかどうかはわからないが、既に三屯牽引車という大砲等を牽引する全装軌式のトラクターの開発に成功しており、しかもこれはルノーFT戦車より性能が優れていた為、新規開発に自信があったというのも国産戦車の開発を熱望した理由だったそうだ。


陸軍技術本部の意見は陸軍省に受け入れられ、陸軍大臣から新型国産戦車の開発が許可されることになったのだが、予算の関係で22ヶ月での開発を求められたとか。


前世の祖国はかなり過酷だったが、今世の祖国も中々過酷の様だ。

戦時下でもないのに、しかも開発実績がなく技術的蓄積も乏しい国なのに、一から作る戦車の開発に二年も掛けられないとは…。


開発に関わったのは陸軍技術本部付の原乙未生大尉らしい。彼は俺と同じ東京帝国大学工学部機械工学科出身で戦車設計をテーマにした卒論で卒業し、戦車通として知られて居たそうだ。


俺が欧州大戦から戦車に関する資料を本国に送っていたが、それを見たのかどうかはわからないが、陸軍としては我が国から若手の戦車通の優秀な人材が出たと喜んだようで、中尉に昇進後陸軍技術本部付となり、陸軍技術本部内で戦車の国産化を強く主張していたらしい。


俺の送った資料が陸軍技術本部内で読まれていた事や、観戦武官だった佐官殿が帰国後、自ら見て来た戦車の素晴らしさを色んな所で話した事もあって、戦車導入に対する下地は十分すぎる位出来て居て、国産戦車開発の許可が下りたら真っ先に白羽の矢が立つのが彼だろう、と言われて居たそうだ。


果たして、陸軍省から国産戦車開発の許可が下りた時、声が掛かったのが陸軍技術本部の期待を一身に浴びていた原大尉であり、しかも彼は任された国産戦車開発を見事に成功させたと。


車両開発の為に設置された技術本部車輌班は原大尉以下16名のチームで、1925年2月には仕様をまとめ、6月には設計を開始し、翌年5月にはもう実物大の模型を作り上げたらしい。


試作車の作成は陸軍造兵廠大阪工廠で行われたが、新たに工作機械を調達、或いは製造するところからだったとの事で、相当な苦労があった様だ。


流石にエンジンは既存のV8ガソリンエンジンを搭載したそうで、エンジンも新規開発していたならば、とてもでは無いが期間内には間に合わなかっただろう。


原大尉は、流石陸軍技術本部が大きな期待を寄せるだけあって優れた人材である様で、原大尉が独自に開発した遊星歯車装置を内蔵したギアボックスを搭載した試製一号戦車は、無限軌道車特有の超信地旋回等の動作に対応し、非常に優れた機動性を発揮した様だ。


装軌部分は多数の小転輪を並べる弓型板バネ方式が採用され、これもまた十分な性能を発揮したらしい。


性能諸元は全長6m、全幅2.4m、全高2.8m、重量は18tで速度は時速20km、主砲に57mm戦車砲を搭載し、重機関銃を二挺を装備、装甲は厚い所で17mm、薄い所で6mm、エンジン出力は140馬力出たそうだ。乗員は5名。


写真を見せて貰ったが、この時代の戦車として考えれば、初めて作ったと思えない本格的な戦車で、試験の結果も良好だったそうだ。流石に試製戦車をそのまま採用して量産する事は出来ないそうだが、これなら本格的な戦車の開発が十分に可能だろう、と高評価だったそうだ。


確かに、先の欧州大戦での低速な戦車を見ていれば、時速20km近い速度で走るこの戦車を見た者は、国産戦車に対して大きな期待感を持つことが出来ただろう。


試製戦車が完成したのは1927年2月。締め切りとされた3月を目前にした、ギリギリの完成だった様だな。


俺はその原大尉に会って話をしてみたいと思ったのだが、残念ながら原大尉は俺と丁度入れ違いで欧州へ技術習得の為に駐在する事になったそうで、暫く帰ってこないとの事。


俺の大学の直系の後輩でもあるし、優秀な技術者として会って色々と話をしたかったのだが残念だ。


それと同時に、俺よりずっと若い技術者が陸軍技術本部随一の戦車通、戦車の専門家として扱われ、俺は先の欧州大戦の時から戦車に関する報告書を上げたりしていたにもかかわらず、戦車通という評価ではなく欧州の火砲事情に通じる火砲の専門家という評価だった事に対して、実に不本意な気持ちを抱かずには居られなかった。


確かに日露戦争では砲兵連隊で出征したし、俺が調査し報告した火砲の多くを陸軍が採用する事となった。そして、配備された部隊での評価も良好となると、そういう評価も致し方ないのかもしれないが…。何ともモヤモヤする。



俺は別命があるまで待機という事であったので、部下と共に資料整理を進めながら、休暇を取って古巣の東京帝大へ顔を出したり、欧州にいて間長らく帰っていなかった実家に顔を見せに行ったりと久しぶりに骨休めをした。


しかし、帝大で俺の論文を評価した担当教授から聞いた話は少々ガッカリする内容だった。教授曰く、俺が書いた論文は技術に明るい教授たちの評価はかなり良かったそうで、日本のディーゼル技術の大幅な躍進を期待したそうだ。


その教授は良い人材が出て来たと、確かに俺の論文に関する話を軍の学校に話をしたそうだ。ただ、残念な事に俺の論文を読んだその当時の軍の関係者は今の日本ではとても開発出来そうに無いと判断し、俺をドイツに送る事にしたそうだ。


ただ、欧州での大戦を挟み俺も別の任務に従事する事で、俺が書いた論文は宙ぶらりんになり、そのままになって居たという事だ。


それが再び日の目を浴びだしたのは、俺が再びディーゼル機関の技術習得という本来の目的の方に戻り、本国へ資料や人材の紹介を行うようになり、俺の論文が再評価される様になってきたからだそうだ。


欧州で作られている様な出力の大きい車載用ディーゼル機関の開発を頑張ってほしいと教授に激励された。


資料の整理もそろそろ終わりそうだし、新たな命令は、果たしてどんなものが下るのだろうか。


そんな事を考えていると、新たな命令が下った。



現在開発中の新たな戦車の開発に加わる事。それが俺に下された命令だった。心のモヤモヤが一気に晴れていった。



陸軍技術本部付の中佐である主人公は試製一号戦車の量産型とも言える戦車の開発に投入されます。


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