二・二六事件
二・二六事件当日です。
1936年2月25日 22時 麻布歩兵第一連隊 駐屯所
「何!? 田中中尉が来ていないだと?」
「細君の話だと、数日前より体調を崩し、今日は起き上がれない程酷いそうです」
集合時間を過ぎても、兵員輸送用の自動車を手配する筈の田中勝中尉は姿を見せなかった。
その為、心配した栗原中尉が自宅に電話をしたのだが、細君の話だと体調を崩しているとの事だった。
「田中め臆したか」
磯部元一等主計が悪態をつく。
「細君の口振りでは本当に悪い様でした」
「致し方ない。歩一の車両を借りてくれ」
「心得ました」
丹生中尉が車両の手配の為に、部屋から出ていった。
「中尉殿 機銃を借りてきました」
入れ替わりに歩一の下士官が報告に訪れた。
「ご苦労、自動車が来たら出動準備を始めてくれ」
「はっ」
下士官が拝命して退出する。
「安藤と野中が来なかったせいで、予定の半分も人数が集まらなかった」
「安藤大尉殿の意思があそこまで硬いとは、自分も予想外です」
「安藤が動けば野中も動いたはずなのだ…」
「しかし、ここまで来た以上集まった人数でヤルしかありません」
磯部元一等主計が頷く。
「如何にも、これでヤルしかない」
「首相官邸は、予定通り栗原の中隊で行ってくれ。
官邸制圧後は二個小隊をトラックに乗せて移動し、警視庁を制圧してくれ」
「承知」
「高橋大蔵大臣の私邸は、予定通り中橋中尉の近歩三で頼む。
大蔵大臣を始末した後は鈴木侍従長を」
「心得た」
「陸軍大臣官邸は香田大尉と丹生中尉、それに私と村中で行く」
「了解した」
「渡辺教育総監の私邸は安田少尉、貴様が小隊を率いて行ってくれ。
渡辺を始末した後は後藤内務大臣官邸に行ってくれ」
「はっ」
「では各人、兵を動員して予定通りに行動してくれ。
決行だっ!」
「「「おうっ」」」
1936年2月26日 0時 麻布歩兵第一連隊 駐屯所 陸軍中尉 栗原安秀
弾薬係の石堂軍曹に弾薬庫を開けさせ、弾薬を調達した。
石堂には悪いが密告されては敵わんから、動けない様に縛って猿轡をして閉じ込めておいた。
その後、蹶起に参加する同志が更に集まり、牧野前内大臣の所在を確かめに行っていた河野大尉殿らが到着した。
最後にもう一度作戦の確認を行い、目的地が遠い河野大尉殿らから出発した。
今回元老の西園寺公望を誅殺する筈だった豊橋陸軍教導学校の対馬中尉からは、教導学校の他の将校や主要な下士官の賛同が得られず部隊での参加は中止、竹島中尉と二人で上京して合流せんとするも雪の為交通網が寸断されて移動困難の為、残念ながら今回は参加を見合わせる、と連絡があった。
君側の奸、西園寺公望を誅殺出来ないのは残念であるが、致し方ない。
午前三時半。歩一の車両の準備が完了した為、車両で出動する組は乗車を開始する。
そして、午前四時。我々は徒歩で、或いは車両に乗車して、それぞれの目標へと出発した。
1936年2月26日 5時 首相官邸 陸軍中尉 栗原康秀
首相官邸は駐屯所から程近い為、我が中隊は徒歩にて首相官邸へと向かった。
ここ数日は降雪が続いており、我々はまだ薄暗い中、真っ白な帝都を進軍していく。
しんしんと雪が降る静寂の中、ただ我々の軍靴が雪を踏みしめる音だけが聞こえる。
「よし、官邸だ。
まず入り口を制圧する。
騒ぎにならぬよう、静かに、そして素早く行動するのだ。
行くぞ!」
下士官たちが頷き、自分に付いてくる。
自分はピストルを抜くと先頭に立ち、足早に首相官邸前の門衛に突進した。
門の前に一人立ってた門衛は、我々に気付くと直ぐに中に知らせるべく駆け出すが一歩遅く、体当たりを食らって押し倒された。
門衛はつんのめるように前に倒れ伏したが、肩から下げていた短機関銃が暴発したのか、タンッと乾いた銃声が響き渡った。
自分はしまったと内心思いながら、門衛の後頭部をピストルのグリップで殴りつけると黙らせた。
しかし銃声を聞き付けたのか、官邸敷地内の門衛詰所から、詰めていた警備の警官が飛び出して来て、我々をみて誰何してきた。
「何者かっ!」
下士官に戦闘準備を合図すると、兵士達は小銃を構え、軽機関銃手が射撃体勢に入る。一応降伏勧告をしてみる。
「降伏すれば命までは取らん、武器を捨てろ!」
詰所の門衛は五人程だったが、武器を捨てるどころか詰所を盾にして銃口を向けて来た。
「総理に仇なす叛徒共をみすみす通したとあっては、我等警察の面目が立たぬ。
通りたければ自分達を殺して押し通れ!」
「警官風情が生意気言うなっ!
構わん、やってしまえ!」
「「はっ」」
機銃手の構えた軽機関銃が、軽快な音を立てながら火を噴く。
それにつられる様に、兵士達が小銃弾を撃ち込む。
詰所の窓ガラスが割れ、レンガ造りの壁に無数の弾痕が出来上がるが、頑丈に作られている官邸の詰所は小銃弾が貫通する事は無く、警官達も負けじと撃ち返して来た。
帝都警備の警官隊に短機関銃の配備が始まっている事は聞いていたが、所詮短機関銃は拳銃弾を使用する射程が五十メートル程度の代物に過ぎず、今の彼我の距離であれば、精々がこけおどしにしかならず、我が軍の兵士が装備する歩兵銃や軽機関銃の方が圧倒的に優勢なはずだ。
ところが、あろうことか門衛の警察官達も軽機関銃で撃ち返して来たのだ。
我が軍の採用したチェッコ機銃とは異なる発射音の軽機関銃を、派手に撃ち返して来たのだ。
門衛詰所の向こうで警官が構えていた短機関銃と軽機関銃が盛大に火を噴き、その激しさはとても五人程度の門衛を相手にしているとは思えない程で、しかも相手は建物の中の暗がりに紛れていて視認が難しく、人数では圧倒している筈なのに思わぬ苦戦を強いられた。
門衛共の損害はわからぬが、こちらの兵士には弾が何発も当たり、戦闘不能に陥る者が続出する有様で、明らかに同志たちの表情に焦燥感がにじみ出していた。
何故、警察風情がこんな軍隊並みの武装をしているのだ。
自分達が門衛共と激しい銃撃戦を繰り広げていると、後方を警戒している隊の伝令兵が、後方から何か来ます、と報告に来た。
何が来たのかと後方を見れば、前照灯で我々を照らしながら車両が近づいて来た。
「後方車両接近、注意せよ!」
「はっ」
拝命した下士官が何人かの兵士達を後方からくる車両に振り向けるが、前照灯を照らしながら闇の中から現れたのは、我が軍の重装甲車だった。
重装甲車に搭載されている機銃が既にこちらに狙いを定めていて、短機関銃を構えながら重装甲車に跨乗している警備隊の中から、指揮官らしき警官が大喝した。
「我々は警視庁特別警備隊だ!
叛徒共は直ちに投降せよ!」
叛徒呼ばわりされた同志の一人が激昂し、大喝した警察官をピストルで撃った。
「警官風情が吠えるな!」
ピストル弾はその警察官に当たる事は無く、装甲車の砲塔に当たって弾かれ、金属音を上げる。
代わって装甲車の機関銃が火を噴き、ピストルを撃った同志がハチの巣にされると、ぼろきれの様にくるくると回って倒れ、降り積もった雪を血で赤く染めていった。
それを見て兵士達は戦意を喪失してしまい、銃を捨て出した。下士官も心配げな表情で自分の方を振り向いた。
これ迄だ。そう言って自分はただ頷くしかなかった。蹶起は頓挫したのだ。
ならば、連れてきた兵士達を無事に原隊復帰させるのが、最後の自分の義務だ…。
「わかった。降伏する。全員武器を捨てろ!」
手に持ったピストルを捨てると両手を上げた。それを見た周りの同志、下士官、兵士全員が武器を捨て、両手を上げた。
まさかこのような結末を迎えるとは…。
1936年2月26日 5時5分 高橋大蔵大臣私邸 陸軍中尉 中橋基明
我々は決行予定時刻である5時を目標に、近衛歩兵第三連隊の駐屯所から五分程度の位置にある高橋大蔵大臣私邸へと向かった。
大蔵大臣が私邸に在宅なのは、警備の警察官が居る事から明らかだ。警護の警察官は十名程度の筈で、下士官兵士合わせて百名近い人数である我々なら、容易に制圧できるだろう。
ところが、私邸入口へと向かう曲がり角で一旦停まって角から門を覗き見ると、何故か大蔵大臣私邸の門の前には我が陸軍の重装甲車が停まっており、短機関銃を首から下げた警官隊が周囲を警戒しているのが見えた。
「何故、重装甲車が停まっているのだ」
中島少尉は、まるで理由がわからない、とばかりに当惑した表情を浮かべる。
警官隊だけならば、想定より人数が多いが、十分に制圧可能だ。しかし、重装甲車は別だ。
今の我々には、あれに対抗する術がない。
ならば、人数を選りすぐって外塀を越えて直接邸宅を襲撃すれば、未だ可能性があるだろう。
下士官の肩を借りて外塀から頭を出して敷地内を見ると、庭にも巡回中の警察官が居り、既に明かりが灯っている邸宅の方にも警察官の姿が見て取れた。
邸宅外の警備に気付かれる事無く邸宅内の警察官を制圧し、更に大臣襲撃をやり遂げるのは、あまりにも困難だ。
万が一を考えると、とてもそんな危険は犯せない。
「なぜこんなに警備が厳重になって居るのかわからんが、大蔵大臣は諦めるしかなさそうだ」
中島少尉が、残念そうな表情を浮かべながらも同意する。
我々は自動車に乗り込むと直ぐに鈴木侍従長官邸へと向かったが、同じく正門の前には重装甲車が停まっており、短機関銃を装備した警官隊が警備していた。
「ここもダメだ。しかし何故我が陸軍の重装甲車が警察と共に居るのだ?
何かあったのか…?」
「わかりません。
こうなった以上、陸軍大臣官邸へ向かった香田大尉殿らに合流しましょう」
「そうだな、そうするしかないか」
我々は不審に思われぬ様に一度通り過ぎると、大きく迂回して陸軍大臣官邸へと向かった。
1936年2月26日 6時5分 渡辺教育総監私邸 陸軍少尉 安田優
我々はトラックに乗車すると、渡辺教育総監の私邸へと向かった。
閑静な住宅地の道が次第に狭くなってきた為、私邸近くの空き地でトラックを停めると、そこからは隊列を組んで私邸へと歩いて行った。
私邸の入り口には、警護の憲兵が一人歩哨として立っていた。
入口の向こう側には三叉路があり、騒ぎを聞きつけた憲兵共がやってくると面倒だから、あそこに一隊配置するとしよう。
暗がりを利用して素早く憲兵との距離を詰めると、銃を突きつける。
歩哨の憲兵は驚いて三叉路の方へと逃げようとしたので、面倒なことになる前に射殺した。
我々は素早く門を開けて私邸へとなだれ込んだが、銃声を聞き付けた憲兵数人が、大声を上げながら駆けつけた。
「何事だっ!」
「狗共を始末しろ!」
憲兵らに軽機関銃弾を浴びせると、全員がもんどりうって倒れ伏す。
するとそれを上から見ていたのか、二階から我々に向かって軽機関銃や短機関銃の射撃が浴びせられる。
遮蔽物が何も無い前庭で弾丸を受けた兵士達がバタバタと倒れ、残りの者は身を隠す場所を探しながら散開する。
そして、こちらからも二階の憲兵共へと撃ち返す。
私邸は木造住宅なので小銃弾を防げる訳も無く、漆喰の壁を突き抜けた弾丸が二階で射撃をしていた憲兵共に命中したのか、射撃が止んでうめき声が聞こえてきた。
「よし、中へ踏み込むぞ」
我々は庭に面した雨戸を打ち破ると、家の中に踏み込んだ。
すると、中で待ち構えていた憲兵達が短機関銃を撃ち込んできて、踏み込んだ兵士達が悲鳴を上げながら次々と倒れていった。
このまま家の中に留まっていると危険なので我々は一度外へと出ると、家の中の憲兵に向けて銃弾を撃ち込まんとする。その瞬間、正門と裏門から憲兵隊が雪崩れ込んできて、我々を囲むようにして銃口を向けた。
「大勢殺しやがって…。
降伏しろ!
これ以上余計なことをしたら、全員この場で射殺するぞ!」
憲兵隊の隊長が短機関銃を向けて我々に大喝する。
こちらも既に大勢が戦闘不能になっており、うめき声があちこちから聞こえる。
最早勝ち目は無く、かくなる上は兵士達を無事に原隊復帰させねばならぬ。
自分はピストルを捨てると下士官に頷いた。すると下士官も武器を捨て、兵士達もそれに倣った。
まさか、このような事になるとは…。
邸宅の中から渡辺教育総監が出て来ると、自分の家で起った惨状を見て、悲しそうな表情を浮かべて何かを呟くと憲兵隊隊長に敬礼し、宅内へと戻っていった。
1936年2月26日 5時10分 陸軍大臣官邸 陸軍中尉 丹生誠忠
我々は、我が中隊と共に三宅坂にある陸軍大臣官邸へと向かった。
少し離れた所から官邸を窺うと、まだ日が昇らぬ暗闇の中でも煌々と照らし出された陸軍大臣官邸の入り口前には、以前来た時には無かった歩哨所が置かれ、その脇には土嚢が積まれた重機関銃陣地が設置されていた。篝火が焚かれて幾人もの憲兵らが護りについており、さながら前に満州で見た前線司令部の如き有様だった。
大臣官邸の入り口がこの有様では、恐らく陸軍省の正門前はもっと厳重に守備されているだろう。
幸い、まだこちらには気づいていない様であるが…。
「まさか、我々の蹶起が気付かれて居るのでは…」
磯部元一等主計は思案顔で首を傾げる。
「わからん。蹶起に関してはギリギリまで全貌を明らかにせず、しかも極限られた者にしか話していない筈だ」
「こんな時刻に一個中隊もの下士官兵を連れていては、中に入るどころか近づく事すら難しいだろう。
以前の様に数名の憲兵が門衛に立っているだけであれば押し通る事も出来たが、あの有様では皇軍相撃つ事にもなりかねん…」
香田大尉殿が、苦渋に満ちた表情で腕を組む。
「だが、もう始めてしまった以上引き返す事など無理だ。
幸いあちらは、暗がりにいる我々には気づいていない。
中隊長である丹生中尉と中隊は、ここで待機していてくれ。
我々三人だけならば、大臣に急用だと言って押し入る事も出来るだろう」
そういうと、香田大尉殿ら三人は陸軍大臣官邸へ向かい、入口の憲兵に急用だと言って強引に入ってしまった。
応対した憲兵が電話でどこかに連絡しているのが見えたが、我々はまだ気付かれて居ない筈だ。ここで動くわけにはいかない。
香田大尉殿らが中に入って十分も経たないうちに、陸軍省の裏門方向から懐中電灯を持った憲兵の一団がやって来て、その後ろから重装甲車が随伴してきた。
まずいぞ、このままここに居ては、我々の事がバレてしまう。
「中尉殿、あちらからも憲兵隊が来ます!」
下士官が声を上げて南方向を指さしたので振り返ると、確かに憲兵隊がやって来る。
引くもならず、進むもならず。
かといって、ここで銃を撃つなど自殺行為。
自分だけならまだしも、下士官兵を巻き込むわけにはいかない。
こみ上げる焦燥感で頭がおかしくなりそうになりながらどうすべきか頭を巡らせるが、そうこうしていると、南から来た憲兵隊がこちらに気が付き、声を掛けて来た。
「演習に向かう部隊がこの前を通るという話は聞いていないが、そちらの所属部隊名は?指揮官は名乗り出てもらいたい!」
銃こそこちらに向けてはいないが、明らかに警戒しているのが見て取れた。
そもそもこの道は、こんな時間に一個分隊近い憲兵隊が短機関銃や軽機関銃をぶら下げながら巡回していた事など、これまでは無かったのだ。
「自分は歩兵第一連隊第十一中隊附の丹生中尉だ」
南からきた憲兵隊と話していると、程なく裏門方向からきた憲兵隊もこちらに気付いて囲まれてしまった。
兵数ではこちらの方が多いが、重装甲車が相手では手に負えない。
下士官兵らが自分に心配げな顔を向けてくる。
下士官は兎も角、ここに居る兵は皆初年兵だ。つい半年ほど前に兵士になったばかりなのだ。
彼等を厄介な事に巻き込んでしまった。今更後悔の念が胸を突く。
「中尉殿、連隊長殿は出動の話を聞いておられるのですか?」
憲兵軍曹の言葉は丁寧だが、明らかに尋問口調で聞いてくる。
勿論、連隊長は知るわけもない。
返答に困って居ると、裏門の方から来た憲兵少尉が近寄って来た。
「答えられぬ様だな。
中尉殿、一緒に来てもらおう」
そういうと、我が中隊は有無を言わさず陸軍省の裏門から敷地内の空き地に整列させられ、そこで武装を解除された。
裏門は予想通り、厳重に防御陣地が築かれ、重装甲車が一両停まっていた。敷地内の空き地にも幾つか機関銃陣地が構築されていて、我々に銃口を向けていた。
「下士官兵らはここで待機せよ。
丹生中尉は一緒に来てもらう」
中隊は逃げられない様に憲兵隊に囲まれ、自分は憲兵隊の建物へと連れていかれた。
そこには、先に入った筈の香田大尉殿や磯部元一等主計、村中元大尉も居た。
そこで自分達は、反乱軍として逮捕された。
こんな有様では用意していた蹶起趣意書など、陸軍大臣から畏れ多くも天皇陛下に取り次いで貰えるわけもない。
蹶起は失敗だった様だ。
1936年2月26日 6時10分 陸軍省 陸軍中尉 中橋基明
我々は磯部元一等主計らに合流するため、取り決め通りに陸軍省に向かおうとしたのだが、陸軍省に通じる道は全て厳重に警戒されており、とてもでは無いが陸軍省に辿り着く事は無理そうだった。
予定では既に蹶起部隊が配置されて居る筈の場所に立って居るのは、憲兵の腕章を付けた明らかな憲兵であった。陸軍省へ向かった磯部元一等主計らは失敗したとみて間違いないだろう。
予定では五時過ぎには陸軍省を制圧している筈だからだ。
「よし、明治神宮へ行くぞ」
「はっ。明治神宮へ!」
自分の命令を拝命した下士官が手をグルグルと回して後続の車両に伝える。
我々はそのまま明治神宮へと向かって参拝し、途中で陸軍砲工学校へ戻る中島少尉を降ろすと、そのまま元の近衛歩三の駐屯所まで戻って来た。
そして、何事も無かったかのように車両を返却し、隊を解散した。
こうして我々は蹶起に参加はしたのだが、結局何もしないまま戻って来たのだった。
他の同志たちはどうなったのであろうか。
1936年2月26日 8時15分 麻生歩兵第一連隊 連隊長執務室 陸軍少尉 林八郎
「林八郎、参りました」
「おう、入ってくれ」
連隊長執務室に入ると連隊長の小藤恵大佐殿が自分を出迎え、両手を握った。
「林、辛い仕事をさせたな」
「いえ…」
「本当にヤルとはな。だが、林のお陰で蹶起をボヤで阻止することが出来た。
陛下の宸襟を悩ます事無く済んで、本当に良かった」
陛下の膝元で、宸襟を悩ます事をしでかして何が尊王か、と思ってはいたが、自分を同志と呼んでくれた人たちを裏切って居たのは事実。
連隊長殿の命令で、最初から栗原中尉殿ら革新将校達の監視をする為に彼らの中に入っていったのだが、心が痛むところが無かったのかと言われれば、勿論そんな事は無い。
だが、彼らの勝手な思い込みで下士官兵を勝手に動かすなど、あってはならぬ事だ。
まさか首相官邸で本当に警官隊と撃ち合うことになるとは思わなかったが、自分の指揮していた機関銃分隊には、実は演習だからと、実包を与えて無かったのだ。
警察が装甲車で応援に来るとは思わなかったが、直ぐに応援が来ることは分かっていたから、隊の後方に居て後方警戒をしているふりをして居たのだ。
警察官も我々軍人と同じく職務に忠実な同じ日本人なのに、なぜ殺し合う必要がある。
「何とかご命令をやり遂げることが出来ました。
ところで、自分はこの後どうなるのでしょうか」
「心配するな。既に、命令で林少尉は内偵任務についていた、と報告してある。
栗原は、残念だが事を起こした以上、ただでは済まんだろうな。
そして私も、蹶起を防げなかった責任は負わねばならん。
お前たちと一緒に満州に行きたかったのだがな…」
「はい…」
「だがその前に、貴様の今回の功績に報いねばならん。
軍として正式に報奨する事は出来んが、次の連隊長に推薦状を書いておいてやる。
悪い様にはならないだろう」
「ありがとうございます」
「ご苦労だった」
「はっ」
自分は任務を終えた訳であるが、蹶起に参加した者達はどうなるんだろうか。
元々お目付け役を期待されて居た林八郎が期待に応えて随時報告していたというオチでした。
そして、事前に蹶起を察知した永田鉄山が色々に手を回して蹶起を阻止に動いていたと。
想定外の死傷者が出るという事態はありましたが、史実と違い阻止に成功したので、殺すリストの人は誰も死んでいませんし、北や西田も加わらず終わりました。




