モハウプト来日、そしてクーデター前夜
スイスの若き発明家であるモハウプトが来日します。
年が明けて1936年、今年も年始は実家に帰省した。実家は兄一家がそのまま家業の農業を継いで両親と住んでいるし、昔同居していた叔父夫婦が近所に住んでいて実家と交流が有るので心配はしていないが、やはりみんな歳を取った。
なにしろ叔父夫婦は勿論、兄や妹にも孫が居るくらいだからな。実家を訪れるたびに、歳月の経過を感じずにはいられない。
1936年1月10日、定期的に手紙のやり取りをしているスイスの友人から去年の秋頃に「面白い人物が居る」と紹介され、早速その人物に手紙を書いていたのだが、今日返事が来た。
彼は、スイスチューリッヒのとある大学の研究室に在籍しているハインリッヒ・モハウプトという人物で、爆発物に興味があり、ニトログリセリンの製造プロセスに関する特許を既に取得している有望な若者らしい。
彼は金属ライニングによる中空電荷の影響について研究しているらしいのだが、経済的に貧しく、これ以上自費で研究を進めるどころか、通っている学校からの退学を考える程らしい。
彼の話ではこの研究は兵器として有用らしく、スイス軍にも提案して資金提供をお願いしているそうだが、未だいい返事は貰えていない様で、俺への手紙にはわかりやすく言えば、研究が続けられずに困っている、と書いてあった。
他には、この研究が上手くいけば金属ライニングを非常に高速なメタルジェットに変形させて分厚い鋼板をも貫通できるだろう、とか、それを実証実験する為の費用が無い、とか。
俺は、この研究はうまくいかなければ掛けた費用が全く無駄になるが、うまくいけば我が軍の強力な武器になるだろう、と考えた。そして俺は何となくだが、うまくいきそうな気がしたのだ。
そこで俺は、彼に二つの選択を提案した。
一つは、日本政府がお抱え研究者として雇い、給金と費用を出すから研究を完成させる事。その代わりに完成した成果物に関しては、日本政府が特許を買い取る。あるいは日本政府に優先的で有利なライセンス契約を結ぶ事を承諾する。
もう一つは、日本に研究室を用意して研究者として雇用するから、日本に来て軍の支援で研究を完成させる事。
勿論、この研究が終わっても引き続き研究者として雇用する。
彼が選んだのは二つ目の来日する事だった。
どうも彼はスイスでは不遇だったようで、安定した身分が欲しかった様だ。日本でも若手研究者は苦労すると聞くからな…。
彼は来日後、陸軍造兵廠内の爆発物を研究する部署に迎えられ、用意された専用の研究室で研究を続けることになった。
1936年1月27日、日比谷公会堂で開催されたロシアのシャリアピンの独唱会に、家族で鑑賞に行った。
前世で未だ帝政ロシアだった頃、華やかなりしサンクトペテルブルクで彼を見た事がある。あの頃は自分もシャリアピンもまだ若かったな。
1936年2月1日、天皇機関説で有名な美濃部達吉貴族院議員が、右翼と目される男から銃撃を受けた、と新聞に載っていた。美濃部議員に弾丸が一発命中したが、幸いにも命に別状は無かったそうでなによりだ。
しかし、警護役の警察官が付いていた筈なのに一体何をしていたのか。
国内の景気は確実に上向いているのに、この手の犯罪が続くのにはうんざりする。
1936年2月10日、革新将校など危険分子を内偵していた憲兵隊から、クーデターの動きがある、と報告が上がって来たそうだ。
陸軍、そして警察はただ座してクーデターを待つ訳はなく、彼等がクーデターを思いとどまる事も期待して、警備人員の増員と、憲兵隊や特別警備隊に短機関銃の常時携行が命じられた。
俺は永田に会った時に、そこまでするならいっそ警備隊に装甲車でも配備したらどうか、と話したら、戒厳令下じゃあるまいに、帝都でそんな無様なことが出来るか、と言われた。
言われてみれば、確かにそうだ。
ただそれはそれとして、欧州では警察が装甲車を持っている、という話を永田にしたところ、渡欧経験がある永田が腕を組んで考え込み、そう言えばそうだったな、今度警察関係者に会った時に話してみよう、と言っていた。
永田自身も未だ狙われているらしく、自身の警備体制を以前に比べてかなり厳重にしているそうだが、そんな永田が俺に、どうやらこの前の暗殺未遂事件の時に村上が相沢中佐を射殺した事が世に知られてしまい、革新将校達の恨みを大分買っているぞ、と忠告してくれた。
俺はそれを聞いて、そう言えば公務では秘書役の副官が同行するが、公務外では副官は居ないし、そもそも俺に警護なんて付いていないぞ、と思った。
技本本部や静岡の技本四部の入り口には門衛は居るが、どちらもそれ程警備が厳重という訳では無い。そもそも技本が襲撃対象になるとか、想像もしていなかったな。
そんな話をすると、永田が手を回してくれて警備を強化してくれることになった。
そして、1936年2月26日。帝都は早朝から銃声がこだまする、さながら戦地の如き有様となる。
革命家は眠らない。