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警備力の強化、そして潜望鏡。

永田鉄山の暗殺未遂事件が色々と影響を及ぼします。





1935年8月下旬、8月12日に発生した軍務局長永田鉄山少将暗殺未遂事件は、新聞や雑誌で連日大きく取り上げられ、未だ軍内部で燻っている革新将校の存在を炙りだしていた。


前年の陸軍士官学校事件から続く度重なる不祥事に、政府は軍への深い憂慮と更なる綱紀粛正を表明。

斎藤総理大臣は、一層の粛軍が必要であると判断されたようだ。


相沢中佐が持っていた怪文書の出処は、特高の調べで陸軍士官学校事件に連座して去年軍を追われた磯部浅一元陸軍一等主計と村中孝次元陸軍大尉からと判明、両名は改めて治安維持法違反で逮捕されることになった。



これにより、革新将校と目される人物は特高の監視対象にされる事となったが、恐らくうまくいかないだろう。


何故なら、特高も結局は特別高等警察と云う警察組織であって、軍人や元軍人を秘かに監視する位の事は出来ても、それが軍にバレると嘗てのゴーストップ事件の様に再び軍と警察が揉める元になるから、深くは関わらないだろう。


かといって、軍の警察である憲兵は強権を持つが、警察の様な地道な捜査をやっているのかと云えば、正直わからない。しかしこれだけ革新将校が野放しにされて、度々クーデター騒ぎや暗殺事件が起きている事を見れば、憲兵の捜査の実態は明らかだろう。



俺は暗殺未遂事件直後に永田と会った時に、これだけ物騒な事件が相次ぐのだから、またクーデターや暗殺事件が起きぬとは限らぬ。これに対応するには、警護の警察官や兵士には短機関銃を持たせるくらいしなければ警護の用を成さないのではないか、と話した。


そして更に永田に言った。何故こんな進言をするのかと言うと、永田を殺そうとした中佐を俺が射殺したあの時に俺が持っていた拳銃が、我が軍の将官などが良く使って居る25口径の小型拳銃だった場合、彼を阻止できなかった可能性が高い。それに中佐は一人だったが、俺が13発も撃ち込んでやっと止まったのだ。もし襲撃犯が複数だったら、永田も俺も命が無かっただろう、と。


そう指摘すると、確かにそうだなと言ってこの前の事を思い出したのか、ゾッとした様な表情を浮かべた。


とはいえ、我が軍でも短機関銃と云う武器の存在自体は知られているものの、我が国では未だ作っておらず、国内にあるのは海軍のベルグマン式自動拳銃位で、これも数が限られている上に海軍の装備品を陸軍に引っ張って来るというのは簡単では無いな。


しかも警察への配備もどうするのかとなると、これもまた別の面倒臭い話となる。


結局、以前我が国に売り込みに来ていたアメリカのトンプソンという会社の短機関銃を、アメリカの警察が採用していてしかも性能や信頼性が良好との評判なので、警察は帝都の要所警備用、要人警護の警察官用、及び二年前に設置されたばかりの警視庁特別警備隊用として購入する事になった。また永田の事件の調査で、永田はホテルでの会合中を襲われたが、実は例の中佐があの日永田を訪ねて先に陸軍省を訪れている事がわかっており、この事から帝都にある陸軍を始めとする各省庁などの門衛にもトンプソン社の短機関銃を配備することになった。


幸いトンプソン社には在庫が潤沢にあった様で、商社を通じて発注したところ、二月掛からずに我が国へと到着した。


ちなみに、陸軍でトンプソン短機関銃をテストしたところ、アメリカの軍や警察が好んで装備する45口径拳銃弾は威力絶大で、強い静止力が期待できた。その代わりに射撃時の反動が強いので、訓練を受けて銃の特性を学ばないと、銃口が跳ね上がって制御不能となる事がわかった。


その為、元々弾丸はまとまった数を購入した方が安いのもあるが、訓練用の弾丸がそれなりに必要なことを想定して、かなり多めに輸入した様だ。



後日、東京の技本本部へ行った時に門衛の兵士が持っていたトンプソン短機関銃を見せて貰ったが、軽機関銃程では無いにせよ、短機関銃にしては少々重たかった。


兵士に聞いたところ、拳銃弾を使うだけに有効射程は精々五十メートル程度らしく、また射撃時の反動が強いが、慣れれば拳銃で撃つよりも良く当たるそうだ。


この種の短機関銃は、戦車兵用の車載兵器として戦車に搭載するのに良いのではないかと思ったのだが、いかんせんトンプソン短機関銃は、性能は良いらしいが、戦車の中で取り廻すには大分嵩張りそうだ。




1935年9月16日、ポーランドからカンドラッハ潜望鏡が届いた。


ポーランドと我が国の友好関係が極めて良好である事が幸いしたのか、ポーランドはこの新しくて画期的な発明品のライセンス生産にも快く応じてくれたそうだ。


サンプルをテストしたところ、やはり性能は非常に素晴らしかった。また、もしかするとこのサンプルは、かつて前世で俺の許に届いた物と同じものなのか、とても既視感があった。


これが有れば、装甲車両内からの視界が格段に良くなる。


日本でライセンス生産を請け負う会社は、既にこの手の製品製作で実績のある日本光学工業が担当する事になり、大量生産体制を組むことになった。


来年からは、国内産の量産品が供給される事を目標として頑張ってくれるそうだ。



この潜望鏡は広く使われる事が確実で、既に配備済みの装甲車両に関しても、順次搭載される事になる。


特に既存のイ号、ロ号、ハ号戦車には、直ちに潜望鏡搭載の為の改修作業を行える様に改修部分の設計は済ませており、潜望鏡の現物が届き次第直ちに改修出来るようにしておいた。




1935年10月21日、土壇場で国際連盟に復帰した我が国とは対照的に、ナチス党が政権を掌握している常任理事国のドイツが、正式に国際連盟を脱退した。

また欧州諸国は、現在エチオピアを侵略している常任理事国のイタリアがドイツと結びつく事を恐れている様で、エチオピアが国際連盟に軍事支援とイタリアの介入阻止を要請しているにも拘らず、どちらも強い形では行われて居ない。


我が国としては国際連盟の存続を望んでいるが、これ以上常任理事国や主要加盟国が脱退したり、連盟の介入が意味をなさない状態が続くと、国際連盟の存在そのものが危ぶまれるのかもしれないな。




1935年11月3日、中華民国政府が幣制改革を実施。これにより、今迄軍閥が発行していた私幣や清朝時代の古い通貨などから新しい通貨へと統一されることになる様だ。


我が国は、今は中国本土から撤退していることもあり、あまり大きな影響を受けなかったが、一部では改革に対して強い反発が出たりしたそうだ。




1935年12月9日、第二次ロンドン海軍軍縮会議が開催された。


既に去年の予備交渉である程度話し合いが進んでいた為、無事締結に至った。


イタリアはエチオピアの件もあり、条約からの離脱を検討していた様だが、どの国も離脱しなかった為、残る事にした様だ。


もし我が国やフランスが抜けて居た場合、イタリアも一緒に離脱した可能性が高く、危うく軍縮の枠組みが壊れる所であった。


新しい条約では、ワシントン条約と1930年のロンドン条約の基本的維持が確認され、今回は質的制限のみに決まった様だ。


今回の軍縮条約締結に関し、国民や陸軍はおおむね肯定的だが、海軍では意見が割れている様だ。海軍には未だに対米戦を主張するグループが少なからず居るからな。



こうして、1935年も色々な事があったせいか早々と終わってしまった。


俺の前世の命日まであと二年もないな…。



欧米協調で第二次ロンドン海軍軍縮条約が調印される世界線。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 戦車の開発に必要な技術の蓄積が順調であること。 [気になる点] 戦間期のギャングの特産品、トンプソンマシンガン。下手したら、過剰火力と言われても仕方ない。市街戦だと大いに威力を発揮する事は…
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