熱河作戦 独立混成旅団
いよいよ熱河作戦も大詰めです。
1933年3月2日 陸軍大尉 百武俊吉
「よし!敵中突破と行こうじゃないか。
全車前進攻撃だ!」
後列車両に手を振って合図をすると、展望塔ハッチから搭乗し〝隊長に倣え〟の信号旗を掲げた。
「操縦手、これから前進するが、余計な物を踏んだりぶつけたりしないように注意しろ。
こんなところで車両故障して、この後の作戦に差し支えては困るからな。
装填手、次弾榴弾用意。砲手、前進と同時に機銃攻撃開始。主砲発砲は指示あるまで待て。では操縦手、前進!」
「「「はっ」」」
縦隊の後ろから、激しく機銃を射撃しながら猛然と突っ込んで来た戦車に敵は恐慌を来たし、四方に蜘蛛の子を散らすように逃げだした。
敵の縦隊は火砲や輜重部隊まで含む為、道路上をゆっくりと進んでいたところに、いきなり縦隊を串刺しにするように我が戦車隊が突進してきたものだから、前に逃げるわけにもいかず、必然的に道路の左右の脇側に敵は逃げていく。
そのお陰で、まるで我が戦車隊が無事に前に進めるように、敵が左右に避けて道を空けていくという何とも珍しい状況が発生し、我が戦車隊を遮るものは殆どなく敵を貫いていったのだ。
中には、我が方に何とか反撃を加えようと果敢に攻撃してくる敵の兵士達も居たが、彼等が銃弾や機銃弾をどれ程撃ち込んだところで、ハ号戦車はびくともしない。
勿論、ハ号戦車とて覗視孔など、例え小銃弾であってもまともに当たれば損傷する弱点はある。だが、それなりの速度で走行中の戦車の小さな覗視孔を撃ち抜くなど至難の業だ。
敵は算を乱して我が戦車隊にやられまいと一目散に逃げていくから、彼らが逃げ散った後の路上には兵器、弾薬、被服など様々な物が散乱していた。
我々はそれら遺棄物には目もくれず、かといってわざわざ踏み潰したりぶつけたりしない様に、注意しながら戦車を進め敵を追った。
間違えて敵の砲弾など踏みつけたら、例え戦車とて無事では済まないからだ。
歩兵部隊、砲兵部隊、輜重部隊等様々な敵の縦隊を我が戦車隊は串刺しにしていく。とにかく敵が尽きるまで前進あるのみだ。
途中、幾つかの村落を通り抜けたが、中には敵部隊が休止中だった村落もあり、混乱の中我々を待ち構えていて激しく銃撃してくる部隊もあった。だが、我が戦車隊にとってはそんな一つ一つの部隊はどうでもよく、とにかく敵の混乱に乗じて敵を攻撃し、敵を更なる混乱に陥れながら突進あるのみだった。
それにしても今回の様な連続戦闘にあっては、車載機銃が射撃継続能力の高いこのベルト給弾式の新型機関銃に交換されていて本当に助かった。説明では試験的交換という事であったが、是非とも正式に採用して欲しいものだ。後で提出する戦闘詳報に、どれ程実戦向きで素晴らしい機関銃であるかを詳しく書いておこうと密かに記憶に刻んだ。
四十キロ程も進み集落を抜けたところで、漸く街道上に敵の姿が見えなくなった。
つまり、敵の大部隊を全て貫き切ったという事だ。
戦車を停車させ時計を取り出してみると、丁度午後五時を過ぎた所だった。
我が戦車中隊の後から、歩兵連隊を前衛に挺身隊本隊も敵を掃討しながら進んできている筈だ。
「隊長殿、機関が過熱気味です」
この後の行動に頭を巡らせようとしたところで、操縦手が報告してきた。
「よし、急いで冷却しろ」
ここには五道染子という集落があったので、この場所で後続を待つことにした。
戦車の点検整備を行いながら中隊の後続を待って居ると、続々と後続の中隊車両が到着し、暫くすると最後尾の小隊まで全てがこの村落に到着した。
早速、中隊の点呼をしてみると、途中で脱落した車両が三両ほどあった。
部下の話では、幸い敵に撃破されたわけではなく故障によるものだったようではあるが、彼等が敵地に取り残された事は確実だ。
無線があれば、直ぐに状況がわかるのであるが、こうなっては部下の無事を祈るしかないのがなんとも情けない事だ。
兎も角、挺身隊の本隊が到着する迄、部下達にも整備をはじめる様指示した。
暫くすると挺身隊の前衛である歩兵連隊が到着し、彼らと共に、何とか修理が出来たのか、途中で脱落していた戦車三両も中隊に合流することが出来た。
小官としてはこの機会に、車両の能力が続く限りまだまだ突進出来る限り突進して、戦車部隊の能力を存分に証明して見せたい。
その為にも、何とか陽のあるうちに距離を稼いでおきたいと考えていたのであるが、流石にここ迄無理をさせ過ぎたのか、すんなり全車発進準備完了とはいかず、補給と整備に時間を取ってしまい、再び出撃する事が出来たのは午後六時を過ぎた頃になってしまい、夜の帳が下りようとしていた。
更に街道沿いに戦車を進めるが、敵に時間を与えてしまったのか、敵が準備した障害物が路上に増えていた。
と言っても、単に輜重馬車をひっくり返して数台を針金で結んだ様な簡単な物だ。
戦車の車体であればぶつけて壊せない事は無いが、車両故障の原因になる様な事なるべく避けたい。
幸い、今回は歩兵連隊がすぐ後ろについて来ており、彼らの協力を得ることが出来た。
歩兵たちが頑張って障害物を撤去すると、障害物にされていた輜重馬車の数は二百程もあったそうだ。これとて貴重な軍需品であろうに、敵も必死だ。
五道染子で伝令から受け取った挺身隊の次の目標は、更に街道を進んだところにある、街道の関ともいえる平泉城だった。
準備を整え平泉城に突入したのは、日付が変わった翌三日の午前一時だった。
しかし平泉城の敵は既に退却済みの様で、城内の制圧は歩兵連隊が行う為、我々は歩兵連隊と共に城内へと突入すると、我々はそのまま大通りを突っ切り、南側の門から城外へと出た。
そして、万が一を考えて残敵を捜索掃討しながら城外二キロの南嶺まで進出し、ここに警備警戒の為に一個小隊を残置すると、一旦平泉城へともどった。
時計をみると、午前二時であった。
本日、三月二日の我が戦車中隊の追撃距離は実に百四十キロに及んでいた。
敵に与えた損害はまだはっきりしたところはわからないが、夥しい損害を与えたという手ごたえはあった。
我が戦車中隊の損害は軽微で、結局撃破されたり脱落した車両は無く、人員の死傷は軽傷の負傷者が何人かいる程度で、我が隊長車に至っては乗員全員が無傷で無事という僥倖であった。正に戦女神が我らをご照覧あったとしか考えられぬ戦果であった。
追撃戦に於ける戦車部隊の威力は、これで充分に証明できたのではなかろうか。
そして翌日、三月三日の朝を平泉城で迎えた。
昨日は疲れ果てていた事も有り、交代しながらではあるが、我が中隊は身体を伸ばせる場所で十分な休養をとることが出来た。
だが、最終目標の省都承徳にはまだ八十キロもあり、そこまでの道は山深くなり雪が積もっている。
そして敵は陣地や障害物を構築して待ち構えているだろう。
平泉城で川原少将に、この先は戦車部隊のみでの先行は困難となる可能性が高い為、工兵車両や自走砲兵の支援を頼むと、少将も既にその事を考えていたとの事で直ぐに受理された。
今回も前衛の歩兵連隊に先んじて我ら戦車中隊が先行するが、その後から来るのは工兵車両に乗車した工兵部隊、そして自走砲兵だ。歩兵連隊はその後から追随する。
平泉城を朝七時に出発し、途中南嶺に残置した戦車小隊と合流したが、それ以降も接敵する事無くさらに進んでいくが、段々山深くなってくる。
山間を抜ける街道を進んでいくのだが、正面に敵が設置した障害物が見えて来た。
今回は、急ごしらえではあるが、金属製の本格的な物であり、早速工兵に除去を頼むことになった。
工兵車両は、我々のと同じハ号戦車の車体を利用して装甲を備えた〝工兵戦車〟ともいえる車両であり、車体前面に頑丈な排土板を備える他、クレーンまで備えている本格的な物だ。
我が隊の車両を両方の路肩に寄せて道を空けると、工兵戦車が障害物を撤去すべく間を抜けていく、そして障害物を押しのけ出した所で、山の両側に隠れていた敵兵が猛然と攻撃してきた。
偽装された陣地から撃ち込まれる迫撃砲弾が炸裂し、激しい銃撃にさらされた戦車の装甲から金属音が響き続ける。
直ちに〝各自の判断に任せる〟の信号旗を上げて、それぞれの戦車長の判断に任せる。
小官もすぐさま覗視孔から敵を探すと、巧みに偽装しているが、我が戦車への命中箇所から凡その敵の位置を割り出し、その方向を注視していると、射撃中の敵を発見した。
「砲手、三時の方向山の中腹に敵陣地、榴弾射撃。
装填手、次も榴弾」
「「はっ」」
砲塔が旋回をはじめ、敵陣地に砲を向けると榴弾を放った。
57mm榴弾が敵陣地に命中すると、敵の積み上げた土嚢に土煙が立ち上がる。
しかし、敵陣地を沈黙させるには至らず、直ぐにこちらへの射撃を再開する。
「さらに発射」
「はっ」
二発目の榴弾でも敵陣地を沈黙させることは出来なかったが、その直後大きな爆煙が敵陣地に上がり、陣地ごと敵は沈黙させられた。後ろを見ると、後方の自走砲兵が我々が撃ち込んだ榴弾による土煙を目標にして105mm榴弾砲を撃ち込んだのであった。
他の陣地も中隊車両がそれぞれに応戦し、自走砲兵と協力し何とか全ての敵陣地を沈黙させることが出来た。
工兵車両は我々が戦闘している間に障害物を排除し、道を開いてくれていた。
こうして我々前衛は協力しながら、何とか日が暮れるまでに山間部の敵を制圧し抜けることが出来たのであった。
改めて諸兵科が密接に協力しながら戦う諸兵科連合、つまりは混成部隊の威力というのを再確認することが出来た。
この力があれば、きっとすごい事が成し遂げられるだろう。
最終目標の省都承徳を眼下に収めたのは、作戦四日目の三月四日午前九時であった。
後から来ていた整備小隊や補給部隊とも合流を果し、戦車中隊を準備万端に整えてある。
歩兵連隊が突入に備えて展開を終えると、、自走砲兵が省都前面の敵陣地に対し準備射撃を始める。
今回も我が戦車中隊がそれぞれの小隊で横隊を組むと、敵陣地に向けて前進を開始した。
省都前面に展開する敵部隊からの攻撃は迫撃砲弾と銃弾のみで、覚悟していた野砲による射撃は無かった。
中央突破で蹂躙してきた部隊の中には野砲を装備した砲兵部隊も居たのだが…。
結局、省都前面の敵の撃退にはそれ程の時間は掛からず、一時間後の午前十時に省都承徳への突入を果した。
我が戦車隊に恐れをなしたのか、敵本隊は既に省都から退却していたので、市街戦は発生しなかった。
午後二時に挺身隊本隊が承徳に到着し、省都は我が軍によって掌握された。
その後、予め告げられていた通り、我が戦車中隊は歩兵連隊と共に長城まで残敵を掃討しながら進出し、熱河省の制圧を果した。
今回の川原挺身隊の戦功は高く評価され、戦車部隊に対しても功績大であるとのお言葉を師団長から賜った。
これによって、我が国で最初の常設の独立混成旅団が、この満州に於いて創設されることになったのだ。
省都承徳を制圧し、長城まで敵を追い払いました。
史実以上に功績大で独立混成旅団が史実通りに誕生しました。




