熱河作戦
いよいよ本格的な戦いです。
1933年1月 陸軍少将 村上聡一郎
満州ではまだ中華民国軍との戦闘が続いていて、日本では元旦である1月1日に万里の長城の東端にある山海関で武力衝突が発生したらしい。
そして翌月2月23日、我が軍は満州国独立を確たるものにし、中華民国の影響を排するため熱河省へと侵攻を開始した。
大陸へは、車載機関銃を換装したハ号戦車の他、去年突貫で完成させた架橋戦車や工兵車両、そして、うまく運用してくれると良いが、市街戦用として150mm榴弾砲を装備して正式採用となった九二式十五糎自走砲が、既に届いている筈だ。
今年になっても国内で共産主義者の摘発が相次ぎ、この国への浸透が驚くほど広範囲である事に驚きを禁じ得ない。
ある県など教育現場が丸ごと赤化していて、大勢の教師ばかりか職員に至るまで学校全体が摘発されて教育の現場を追われた、との新聞報道があった。
これこそ共産主義の恐ろしい所で、彼らは巧みに人々を騙して入り込み増殖を始めるのである。
ボルシェビキが労農階級を騙してロシア全土を掌握した手段も正にこれであったと、今ならわかる。
ボルシェビキがロシアでやった悪魔の如き所業が明らかになれば、流石に騙される者も減るだろうと思われる。しかし、その事実を知って居る俺がいくら皆に話したところで、今世ではロシアに行った事も無い俺の話では流石に狂人の扱いを受けるのがオチだろう。
だが、いつか明らかになる日が来る筈だ。
年初から続いていた中華民国軍との武力衝突は我が軍の優勢のうちに推移し、1933年5月31日、中国河北省塘沽で中華民国軍との間で塘沽協定という停戦協定が結ばれた。
この協定により我が軍は長城より超える事は無く、中華民国軍を率いる蒋介石は共産党軍との内戦に専念する様だ。
将来的に我が国がソ連と戦争する事になった場合、中華民国が共産党軍に敗北して赤化したり共産党お得意のオルグによる取り込みなどなされては、背後に大いなる不安を残す事は間違いなく、また中国の広大な領土を考えれば、西欧諸国の戦争の様に首都を落とせばそれで戦争が終わり、などという事は絶対に無い筈だ。
そうなれば、元々国力に限界がある我が国は泥沼に嵌まり込み、勝てない戦を延々と続ける羽目になる。
また無視すべきでは無いのは、中国には我が国だけでなく欧米諸国も権益を持って居り、治安回復を目的とした上海事変ですらあれだけの反発を喰ったのだ。我が国の心情からすれば欧米諸国から感謝されるべきだと思うが、結果として非難されただけだった。
そう考えれば、我が国が中国本土に兵を入れたなら、米英などは中国に対し様々な支援や干渉を行う可能性が高いし、我が国がそれによって禁輸などの経済制裁を食らっては、戦争遂行すら困難となるだろう。
海軍には、南進して資源地帯を獲れ、などと勇ましい事を言う輩が居るそうだが、我が国を危うくする国賊の如き連中である事は間違いない。
元々俺は技術者らしく、軍内政治には距離を置き無関心でいるつもりであった。
しかし、先日の永田との会合で俺の人生の目的がはっきりした以上、軍内政治にも関心を持つようにしたのだ。
そこでまずは、これ迄はあまり積極的には聞かなかった、勉強会に参加している若手将校達の言葉に耳を傾けてみたのだが、案外といろんな話が聞けた。
この勉強会は、これ迄は政治色が薄めだったし、今後も軍内政治に関わるような政治色の強い集まりにする気は毛頭ない。
だが、あまり軍中央部と関りの無い俺にとっての貴重な情報源になりそうだな。
1933年3月1日 陸軍大尉 百武俊吉
一昨年の末に戦車第一中隊の中隊長として満州に派遣された小官は、中隊の戦車が満州全土に展開中の各師団の支援の為にばらばらに派遣されるという事態に失意を感じながらも、指揮する部下と部隊無き戦車隊指揮官として、派遣先の部下の安否に心を砕き、部隊の車両の維持に心を砕く日々を送っていた。
それが、去年の秋頃から満州の各部隊に様々な車両が配備されるようになり、我が部隊のハ号戦車も改修型が配備され、当初持参した車両は引き上げられた。。
新たに配備された改修型は試験配備された車両との事で、作戦後に提出する戦闘詳報にはそれを留意した報告を記載して欲しい、との命令を受けた。
色々と改修されているとの事だが、一番大きな変更は車載機銃の変更である。
以前の機銃は車載用に改造された三式機関銃を搭載していたが、今回新たに搭載されたのはFN30機銃というベルギー製の機銃だそうだ。
以前の三式機銃との最大の違いは給弾方式で、ベルト給弾式という日露戦争時にロシア軍が使用したマキシム機関銃が採用していた給弾方式と同じものだ。但し、マキシム機関銃では弾帯が布製だったが、これは金属製の弾帯が採用されて居る。
使用する弾丸も我が軍が採用している6.5mm小銃弾ではなく、ベルギー軍の7.65mmモーゼル弾という我が軍の小銃弾より威力がある弾丸だ、と受領する時に説明を受けた。
このモーゼル弾を250発込めて一式となる弾帯を1500発分、専用の弾丸箱に収納して持っていくのだが、これ迄の保式給弾方式に比べれば格段に運用が楽になるであろう。
新たに搭載された新型機関銃に対する部下達の評判は非常に良く、故障も殆どない良い機関銃だといっている。
小官も習熟の為に射撃訓練を行ったのだが、確かに中々に良い機関銃を付けてくれたものだ。
今年になって、年始早々山海関で中華民国軍との武力衝突が発生したのだが、我が中隊も万里の長城迄の敵部隊を排除するために出動することになった。
これ迄はバラバラに派遣されて居た我が部隊が、今回初めて中隊として総出動が命じられ、第八師団の指揮下に入る事となった。
我が戦車中隊は、奉天の駐屯地から満州南部の熱河省朝陽に移動を命ぜられたのだが、錦州北部の義県までは鉄道で運んでもらい、そこからは戦車を走らせての移動となった。しかし途中からは道幅も狭い悪路の連続で、道幅が狭すぎて通過が困難な所は迂回するなどして、漸く朝暘に到着したのだった。
もし、これが機動力に優れるハ号戦車では無く、ルノーNCであったなら無事到着できたのだろか。
それに満州の厳冬期は氷点下二十度という寒さが続くが、ハ号戦車は寒冷地での使用を想定して作っているのか、この気温でもエンジンは快調で足回りの不安も無い。本当に、以前乗っていたルノーNCとはまるで違う。
欧州先進国から輸入する事でしか装備する事も困難だった戦車だが、まだまだ技術的にも工業的にも後発の我が国が、よくもこんな良い戦車を開発出来たものだと感心しきりだ。
試製一号戦車の開発成功からここ迄の飛躍、我が国も捨てたものでは無いではないか。
実に素晴らしい。
熱河省朝陽に到着した我が中隊は、市役所に設置された第八師団司令部へと出頭した。
入口で歩哨を務める兵士達の傍にいた憲兵軍曹に、参謀本部の場所を教えてもらう。
移動の道中ですっかり砂と埃まみれになって居た小官の姿に、軍曹は目を丸くしていた。
今日は昭和八年二月二十八日、懐中時計を見ると指す針は午前七時五十八分であった。
参謀本部に出頭すると、丁度命令下達が行われるところだった。
作戦説明によると、第八師団に与えられた任務は作戦開始地点である熱河省東部にあるここ朝陽から目標である熱河省の省都承徳の攻略であった。
作戦開始時刻は明日午前七時。
作戦参謀から各部隊に、個別の命令書が渡される。
師団の行軍序列を見ると我々は第二梯隊に配属されて居た。
命令書を受け取った後、師団長が呼んでいるとの事で、小官は師団長の副官に連れられ、師団長室へと案内された。
師団長室へ入ると、第八師団の師団長である西義一中将が待っていた。
敬礼し着任の挨拶をし、我が中隊の状態などの報告を済ませると師団長が話しかけて来た。
「我が師団は承徳を攻略した後、速やかに長城線を占領したい企図を持っている。
この為、川原少将には、指揮する歩兵一個連隊を基幹として自動車化した挺身隊として、進路上を突進させる様に命令した。
そこに貴官の戦車中隊を全て挺身隊の指揮下へと組み入れて、大いに働いてもらおうと思うが、どうか」
小官は師団長の言葉に、胸に熱くこみ上げて来るものがあった。
やっとか、やっとだ。
すわ初陣と意気揚々と勇躍満州にやって来れば、待っていたのはコマ切れ用法。
部下達を各地に送り出し、彼らの安否と補給と戦車整備だけを心配するのが仕事の戦車隊長の悲哀をこの一年、嫌というほど味わってきたのだ。
正に、今日この時の為に満州へとやって来たと云っても過言では無かろう。
「はっ、大いにやります」
「よしっ、ならそうしよう。
今日中に、先行する川原少将に会いなさい」
「はっ」
小官は師団長室を出ると、補給と整備を済ませて直ぐに川原少将の許へと向かった。
川原少将がいる第十六旅団司令部には昼前に到着した。
川原少将から示された、挺身隊での我が戦車隊の配備先は、実にわかりやすく明快な物だった。
すなわち、『全数を前衛に』だった。
挺身隊の前衛主力は歩兵第十七連隊、連隊長は長瀬大佐であった。
前衛に配属される各部隊は逐次朝陽に到着中であったが、既に朝陽の西方五十キロで敵に接触していた。
補給を行った我が中隊は、挺身隊の命令で午後二時に先に朝陽を出発し、本道上二十キロに位置する大班に向かった。
幸い道中接敵する事も無く、敵無き道を進み午後五時には大班へと入った。
大班で充分に整備と補給と休養を取り、翌日三月一日の午前七時、我が戦車中隊は挺身隊と共に大班を出発した。
我が部隊が先頭で、その後方に騎兵旅団の九十二式重装甲車が、そして更にその後方からハ号戦車の車体を転用したという九一式装甲牽引車に牽引された装甲貨車に乗車した歩兵部隊が続く。
今回の挺身隊には自走砲兵部隊まで加わっているので、本邦初の本格的な混成部隊だ。
午前十一時ごろから我が軍の進行を遅らせる為の、敵による進路の破壊が目立ちだすが、それの補修の為に工兵車両が活躍するので、遅れは発生しなかった。
更に三時間後、我々は平安地という村落へと到着した。
挺身隊はここで一先ず停止し、偵察部隊が村の向こうへと偵察に向かった。
暫くして戻って来た偵察部隊によると、敵部隊は村より更に南方に数キロの地点の街道沿いに陣地を築いて待ち構えて居るようだ。
挺身隊司令部より各部隊に命令が下され、それぞれの部隊が動き出す。
ここ迄装甲貨車に乗車してきた前衛の歩兵連隊は、下車してそれぞれの指揮官に指揮されて展開していき、自走砲兵部隊も射撃準備を整える。
今回の作戦では、挺身隊司令部も専用の車両で我々と共に移動している為、状況把握から命令下達迄に無駄がない。
主力の歩兵連隊が街道の左翼、右翼に展開して敵陣から死角となって居る場所をにじり寄る様に進み始める。
我が戦車中隊に下された命令は、街道を前進して街道付近の陣地を攻撃して右翼隊の前進を支援せよ、であった。
小官は〝指揮官にならえ〟の命令旗を砲塔から掲げて部下に命令を下すと、前進命令を出した。
「操縦手!道路上より前進攻撃を行う。装填手、榴弾装填!、次弾も榴弾用意!、砲手、射撃待て!、前へ!」
「「「はっ」」」
命令を聞いた車内の乗組員がそれぞれの役割を果たし、戦車が前へと進みだす。
英国では既に戦車に無線機が搭載され、車内通話用の内線機能も備わっているそうだが、我が軍のハ号戦車には恐らく無線機を置く場所ではないかと思える空間が存在するが、未だそこに無線機は装備されておらず、今は物置として利用している。
無線機があれば、もっと円滑な部隊指揮が可能だ。しかも戦闘中の車内は騒音が酷すぎて声が聞こえない。
直ぐ傍の砲手や装填手なら兎も角、操縦手はそれこそ身体を叩くなり蹴るなりしないと、肉声では騒音で気付かない事が殆どだ。
戦車を前へと進めていると、街道沿いに連なる畑に身を隠すように進む歩兵部隊が攻撃地点へと到達したのか、歩兵部隊が射撃する機関銃の音が聞こえて来る。
我々の接近に気付いたのか、敵方から撃ち返してくる射撃音が聞こえだす。と、そこへ自走砲が支援射撃を行ったのか敵陣地に幾つもの爆発煙が上がり、敵が慌ただしく動き出す。
戦車を更に進めると、煙が晴れて敵が視界に入り出した。
「砲手!前方の敵兵を機銃掃射」
「はっ」
砲手が前方の敵兵に向けて同軸機銃を撃ち込みだすと、敵兵が陣地へと頭を引っ込める
そのまま射撃しながら敵陣へ突撃すると、戦車を銃撃しているのか激しく車体を叩く音が聞こえる。
音の方向を覗視孔で確認すると、敵の機銃陣地が見えた。
「砲手!二時の方向、目標敵機銃陣地」
「はっ」
砲手が砲塔の旋回ハンドルをグルグル回して主砲を機銃陣地向けると、榴弾をお見舞いした。
機銃陣地に大きな爆煙が上がると完全に沈黙した。
部下達の車両も陣地に突入し、それぞれが陣地を守備する敵兵への攻撃を始めると、敵兵たちは更に後方の陣地へと逃げ出すのが見えた。
そこに、右翼から進んで来ていた歩兵部隊が突入してきて陣地を制圧すると、一先ずこの陣地は確保出来た。
そこに、後方から伝令が来たのでハッチを開けると、鉛筆書きの命令書が差し入れられた。
どうやら、この奥にまだ敵の陣地がある為、我々挺身隊はこのまま夜を徹して敵陣地への攻撃を続けて敵を潰走せしめ、そのまま追撃戦に移行する方針の様だ。
熱河作戦はまだ続きます。




