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永田鉄山との夜 第二夜

年が明けて、再び永田鉄山と会います。





1933年1月10日、俺は都内某所の料亭で再び永田と会っていた。


表向きは再び親交が出来た旧友とのささやかな新年会だ。

久しぶりに会った永田の階級章は俺と同じく少将だった。


「村上、一昨年の秋に会って以来か」


「そうだな。

 息災だったか?」

 

「ああ、それなりにな。

 村上も元気そうでなにより」


「ハハッ。まあ年中忙しくしているよ。

 欧州派遣中の頃は、こんなに忙しくはなかったが」


「自ら願い出た結果だろう?

 むしろ喜ぶべきでは?」


「まっ、そういう事だ。

 毎日が楽しくて仕方が無いよ」


「それは結構」


「「ハッハッハッ」」


互いに軽口を叩いて二人して一頻り笑うと、また前回と同じ様に永田が女将に料理を頼んでくれた。


そして、前回と同じく他愛のない世間話をしながら料理をたのしみ、料理が終わって手酌でチビチビとやって居ると、永田が本題に入った。


「村上、貴様はソ連事情にかなり通じていると聞いたが、そうなのか?」


ああ、前世でな。


と、言えれば楽だが、そんな事をここで話しても、酒の上での冗談にしかならないだろう。

こんな話をするからには前回と同じく誰かに話を聞いて来ているんだろう。

永田は陸士時代から何事にも周到な男だからな。いい加減な話はしない。


「多少な。どこで聞いたのだ?」


「ああ、自分は陸大で大正十三年頃から教官を兼任でやっているのだが、その時の教え子らがたまに訪ねてくるのだ。

 教え子の中に貴様がやっている勉強会に参加している者が居てな、貴様が勉強会でたまにソ連の話をするそうだが、随分と良く勉強していて詳しかった、と話していたのだ。

 確かに貴様はソ連の戦車についても随分詳しかったからな」


今度の出所は勉強会か。


「陸大の教官をやっていたなら、貴様は人と知り合う機会が多そうだな」


「まあ、そういう事だ。

 教え子からは、勉強会自体は政治色の薄い、純粋に戦車など装甲車両を使った機甲戦術に関する戦術論などの勉強会だ、と聞いている。

 折角我が軍は良い戦車を手に入れたのに、使う側が戦車を良く知らねば意味が無いからな。

 今の我が軍に必要な、時流に合ったいい勉強会じゃないか」


「そう言って貰えると、開いた甲斐がある。

 良かったら永田も来るか?」


半分冗談で話を振ってみる。


すると永田は意外な誘いだったのか、軽く目を見開く。


「ハハッ、そうだな。

 中々時間が取れないが、その内必ず顔を出そう」


「ああ、いつでも来い」


「うむ。

 それでだ、ソ連を多少知る貴様に聞きたいのだ。

 あの国はあまり内情を知る事が出来ないからな。

 断っておくが、貴様がここで話した内容についてはどこでその話を仕入れたのかは聞かないし、あくまで話半分、自分個人が参考のために聞きたいだけで、話した事で貴様に何か影響が及ぶことはない事を約束する」


今は共産主義者が厳しく取り締まられて居る時世だ。俺は、後から自分がスパイとして疑われる事態を想定しないほどお人好しではない。


とはいえ、はぐらかせば却って疑われるだろう。


「…、なにが聞きたいのだ?」


緊張して重苦しくなった俺を察したのか、永田が苦笑いする。


「ハハッ、そう堅苦しく考えるな。

 酒の席の与太話だ。

 話半分だって言っただろう」


「永田が聞きたい話を俺が知って居るかどうかはわからないぞ」


「ああ、構わない。

 噂程度の話で充分だ。

 早速だが、貴様はソ連と云う国についてどう思う?」


ソ連は、つまり俺の前世の祖国であり、悪魔の様なボルシェビキに支配される国だ。良い印象がある訳がない。


「ソ連か…。

 永田はソ連がロシア革命で出来た事を知って居るな?」


「ああ。無論」


「なら、ソ連でロシア革命からこの方、何人の国民が死んでいるか知って居るか?」


「さて、内戦があった事も考えれば、数万位か?」


「一千万とも一千五百万人とも言われている」


永田は俺の言葉に驚愕の表情を浮かべる。


「…、おい真面目な話をしているのだぞ?」


「この様な話を冗談で言えるものか」


俺の言葉に永田の顔が青ざめる。


この国の人間もそうだが、恐らく欧米でもソ連の実態は極一部しか知られて居ないだろう。

いずれ将来明らかになる事もあるかもしれないが、ボルシェビキはこの手の話を完全に隠蔽していた筈だ。


俺が話した数字は、俺が前世で伝え聞いた方々の話から推測した話で、正確な数は勿論わからない。

もしかしたら、もっともっと多いのかもしれない。しかし、例えもっと少なかったとしても、数百万単位の死者が出ているのは間違ない。

そしてその多くが餓死者だ、それだけボルシェビキがやった収奪は酷かったのだ。


元々帝政ロシアでは、欧州大戦参戦への常識を逸した様な大量動員と戦費不足を解消する為の大増税もあって、ロシア人は皆飢えていた。飢えていたからこそ革命を起こしたのだ。


但し、帝政ロシアでは飢餓はあっても、ソ連になってからのあそこまで酷い餓死者は出てはいない。


ロシア人をはじめとするソ連国民は、ボルシェビキの甘い言葉に騙されたのだ。


「貴様の話が本当だとして…、その死者の内訳は聞いているのか?」


「その殆どが飢えて死んだ餓死者だと聞いている」


「ボルシェビキは労働者の為に権力を握ったのではないのか?

 なぜそんなに餓死者が出るのだ」


「元々先の欧州大戦に参戦したロシアは、かなり無理をしていた。革命が起きる程にな。

 そして革命を支持し革命に参加した労農階級は、飢えてパンが欲しくて革命に参加したのに、権力を握ったボルシェビキがやった事は、農民からの度重なる大規模な収奪らしい。

 その結果、ロシア人やソ連を構成する他民族も大勢が飢えて餓死し、多くの農民が食べ物を求めて村を捨てた為、農村部が荒廃した。

 ちょうどその頃ソ連全体が不作で、その為食料が少なかった事も飢餓を招いた原因の一つではあるのだろうが、更にはボルシェビキが盛んにブルジョア階級から資産を没収するという行為を行っていたのだが、それに便乗した飢えた貧しい労農階級による大規模な略奪と虐殺がソ連各地で相次ぎ、国内はどこも地獄絵図だったそうだ。

 そんな有様だから、ロシア革命以来多くのロシア人達が故国を捨てて異国へと移り住んだ」

「なるほど、貴様はその国を捨てたロシア人から話を聞いたという訳か」


実際そうやって起きた事の一部を知った欧米諸国がソ連に介入しようとした事もあるから、あながちそういう話が無いわけではない。


俺は黙ってうなづいた。


「それだけじゃない。次にボルシェビキは、知識階層や富裕層、技術者などと言った膨大なロシア人達を言い掛かりの様な罪で逮捕して粛清、或いはシベリアなどの強制収容所へと送り込んだ。

 勿論、彼らがもっていた資産などは全てボルシェビキが没収したから、強奪した様な物だ。。

 シベリアの強制収容所へ送り込まれた人たちは、劣悪な環境での強制労働に従事させられてそのまま死んだのか、戻って来る者は殆どいなかった。

 しかし極稀に、運良く強制収容所から別の場所に移動することが出来た技術者などの中には、そのまま国外へと逃れる事が出来た者が僅かには居る。

 そういう方法で国外に逃れて来た人の口からボルシェビキの実態が漏れ伝わる事もある」


「軍人は、白軍はどうなったのだ」


「白軍は多くが戦死し、運良く生き延びた者は祖国を捨てて国外へと逃れたと聞く。

 確か、我が国にも白系ロシア人という、ロシアからの亡命者が居たと思うが。

 赤軍の捕虜になった者は、恐らく全員が殺されただろう。

 白軍の兵士や将校の多くは、彼らが憎悪するブルジョア階級の出身だからな」


「確かに、白系ロシア人は我が国にもいる。

 そうか、彼らにも話が聞けるか」


俺は頷く。


「つまり、村上はソ連についてあまり良い感情は持っていない、という事だな」


「ああ、あの様な悪魔の支配する国は存在すべきではない。

 共産主義者が世界に不幸をまき散らす事は間違いない。

 勿論、我が国に共産主義者は必要ない。

 ソ連が世界に〝共産主義の勝利だ〟と喧伝する五か年計画の実態もお寒い物なのだ。

 ソ連に傾倒し、我が国を悪魔の国にしようとする連中には殺意すら覚えるぞ」


俺も結構酒が回っていたのか、普段では絶対に話さないような事まで饒舌に話していた。

それは、生まれ変わって以来ずっと心の底に仕舞い込まれて居た前世の感情が、噴き出して止まらなかったのだ。


「五か年計画がお寒いと?」


「あれは、相当に無理をしている。

 貴様に質問だ。ソ連は外貨を稼ぐために夥しい量の穀物を輸出しているが、その穀物はどこから出て来たと思う?」


「あれは、当然ソ連の農民が生産した物だろう。違うのか?」


「そうだ、ソ連の農民が生産した物だ」


「それの何処がおかしいのだ?」


「確かにあれはソ連の農民が生産した穀物だが、正確にはウクライナ人が生産した穀物をスターリンが収奪したものだ。

 だから今ウクライナの地には、食べる物が無くて餓死した人の死体が至る所に転がってるらしいぞ」


「そんな馬鹿な、自国民が餓死する程食料を徴発する様な国が一体どこにあるというのだ。

 村上、貴様真面目そうな面していい加減な嘘を吐くんじゃない」


顔色が青くなっていた永田が、話についていけなくなって顔を真っ赤にして怒り出す。


だが、事実なのだ…。俺はそこに居たのだから。

俺の前世は、ウクライナ東部の出身だからな。

最後に働いていたのも、ウクライナにある工場だった。


「信じるか信じないかはお前の勝手だ。

 だが、調べれば幾らでも出てくるぞ?

 何なら我が国の在ポーランド大使館にでも調べさせたらどうだ。

 或いはソ連に行った事のあるジャーナリストに聞いてみたらどうだ。

 人の口に戸は立てられぬだろう。ああ、共産主義に傾倒しているジャーナリストに聞くのはやめておけよ。奴らは平気で嘘を吐く」


俺の言葉に我に返った永田は怒りをスッと収めると、いつもの冷静沈着な永田に戻った。


「…そうだな。

 すまん、自分が噂程度、酒の上での与太話で良いからと話してもらったのに腹を立てるとは。

 自分もまだまだ人間が出来て居ないのかもしれぬ。

 

 だが…。

 貴様が話した内容が真実なら…。

 自分も連中の事は信用できぬし、我が国をそんな悪魔の国にしようと企てる輩は生かしておけぬだろう」


「ああ。俺も今日は少し酔いが回りすぎた様だ」


「ハハッ。最後に酒の上での与太話にするか、貴様は。

 まあいい。

 良い話が聞けた」


そういうと永田は懐中時計を取り出して時間を確認する。


「おっと、もうこんな時間か。

 では、そろそろお開きとするか。

 また機会を作って会おう。

 例の勉強会にも必ず顔出す」


「ああ、また会おう」



こうして、永田との二度目の夜の会合は終わった訳だが。


そう云えば、こうやってこういう話が永田と出来たのは初めてだな。

同期の桜とはいうが、やはりかつての若かった頃の感覚のままに話が出来る同期と話をするのは良い。


気が付けば、俺の周りも随分と歳下が多くなった。

それだけ俺が歳を取ったという事か。


俺が女神の力で生まれ変わったのは、あの悪魔どもを退治する為なのやも知れぬ。

結果的に、それが我が国を悪魔どもの魔の手から救うことになるのだ。


 

永田鉄山と会い、主人公も自らの目指す道の様な物が見えてきました。

ちなみに、永田鉄山はソ連から流れて来たカネの一部を受け取った疑惑がある人物です。

とはいえ、本人がそのカネの出元がソ連だという事を知らなかった可能性が高いです。

丁度この時期、バーデン・バーデンの密約をした小畑や一夕会の面々で大陸でどう動くべきかを議論されて居た時期です。


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― 新着の感想 ―
[一言] ホロドモールは、現在のウクライナ侵攻を機に徐々に知られてきてますが、アレは流石にナチよりやりすぎ。ナチでも自国民は大切にしてたし、他国でも自国民を痛めつける政策はやらないと思いますよ。 小畑…
[気になる点] 本人は無自覚にも反ソ思想を日本に広めていく事になるのだろうか? これで永田が反ソをひろめていくと歴史が変わるかもしれない。 まあ、悪魔二人を倒すことはできないにしても
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