永田鉄山との夜。
陸士同期の永田鉄山に呼び出された主人公です。
1931年10月 村上聡一郎
関東軍の発表によると、柳条湖での爆破事件は中国軍の仕業で、関東軍は自衛行動の為に直ちに出動したそうだ。
満州で起きた事変、つまり満州事変と呼ばれるようになったが、大陸で戦闘が発生するという事は俺が開発した戦車が早速活躍の場を与えられるという事だな。
今月になって久留米の第一戦車隊の百武大尉が満州に派遣された。
臨時派遣戦車第一中隊、通称百武戦車隊が今回派遣される戦車部隊だ。
我が軍の戦車と戦車部隊の初出動とあって、勉強会でも大いに盛り上がった。
残念ながら久留米は九州、ここ帝都より遠方地になる為、壮行会を開いてやれなかったのは残念だ。
無事に戻ったら、土産話を聞かせて貰うとしよう。
今回派遣された戦車中隊の戦車は全て九〇式軽戦車で統一され、甲型の57mm戦車砲装備車と、乙型の20mm機関砲装備車の両モデルがともに派遣されている。
情報によれば中国軍も戦車や対戦車砲を装備しており、接敵する可能性もある為、両方のモデルで小隊を組ませ、派遣したのは良い判断と言えよう。
十月も半ばになった頃、陸軍士官学校で同期だった永田鉄山が何故か連絡を取って来て、都内の料理屋で会うことになった。
永田とは陸士で成績上位を競った仲だが、首席卒業したのは奴だった。
卒業後、俺は砲兵科へと進み、その後日露戦争に出征したのだが、歩兵科へ進んだ首席の永田や士官学校時代に上位を争っていた歩兵科の連中は、誰も出征しなかった。
戦後、俺は陸軍砲工学校高等科を経て東京帝大への派遣学生となり、卒業後は直ぐに欧州へと派遣されて長らく日本には戻らなかったから、ずっと陸士十六期の同窓とは没交渉だったのだ。
1920年頃に永田がスイス公使館、小畑がロシア公使館付武官として欧州に来ていたというのは知って居たのだが、既に没交渉だったこともあり、結局会う機会は無かったな。
俺がスイス公使館に行った事もあったから、案外近くに居た事があったのかもしれない。
指定された料理屋へと行くと、既に永田は来ていて、名前を言うと部屋に案内された。
部屋に通されると、座っていた永田が立ち上がって声をかけて来た。
「村上、久しいな。
貴様、随分と老けたな?」
というと、にやりと笑う。
俺の記憶の中にある永田もまだ二十代の頃の若い永田で、それが今回再会すると年齢相応に老けた顔になって居るのだから、そう言いたくなる気はわかる。
「ハハッ。貴様もな」
俺の返しに永田が大笑いする。俺もつられて大笑いする。
「「ハッハッハ」」
ひとしきり笑ったところで、永田が席を勧めるので、永田の前に用意されて居た座布団に座る。
永田が手を叩いて女将を呼ぶと、料理を運ぶように頼んだ。
そして、二人で他愛のない思い出話や世間話を楽しみながら、料理に舌鼓を打った。
食事が終わり、一息ついて酒を手酌でチビチビと始めた時になってやっと永田は、今回俺を呼んだ本題に入った。
「村上、貴様は今技本で戦車を作っているのだってな?」
俺は、永田が今陸軍でどういう立場に居るのか知らないのだが、階級章は俺と同じ大佐だ。
俺が技本に居る事は官報に載っていただろうし、技本で大佐ならどの位の立場かという事も分かるだろうが、何故戦車を作って居ると知って居るのか。
それは別に軍機と云う訳でも無いし、上層部なら戦車開発の責任者が俺だって事は知られているから、永田にも案外何処かから耳に入ったのかもしれないな。
「如何にも。よく知ってるな」
「まあ、俺も色々と顔が広くてな。
満州で紛争が始まったのは貴様も知って居るだろう」
俺は頷く。
「その満州だが、北のソ連が介入してくる可能性がある。
それに、中国軍がそのソ連から戦車を導入しているという情報があってな。
だからソ連の戦車に対応するために、現在の世界の戦車に関する情報が必要になった。
しかし、残念ながら英仏の戦車の情報はあるのだが、ソ連に関しては殆ど情報が無いのだ。
貴様、戦車の開発を任せてほしいと上層部に訴えた時に一席ぶったらしいが、その時に随分と詳しくソ連の戦車について語ったらしいじゃないか」
俺は永田の話に冷や汗が出るのを感じた。
そんな事まで耳に入っていやがるのか、こいつは…。
誰が一体そんな話まで筒抜けにしているのやら。
「技本の上の方にまで顔が利くとは中々だな」
俺は思わず苦笑いを浮かべる。
「ハハッ。
いやいや、貴様はかなりの有名人だぞ。
上役に直談判して開発途中の戦車を潰して、俺が考えた戦車の開発をさせろ、と強烈に捻じ込んだらしいじゃないか。
その時の話が陸軍内で語り草になって居るのだぞ?」
確かにそれは事実だが、まさか語り草にされているとは…。
「しかも、試製一号戦車の時の話を意識したのかは知らぬが、新型試製戦車が完成したら、わざわざ上役を集めて展示迄やらかしただろうが」
あれは…、確かに試製一号戦車の時の話を聞いて、そう言う事をやるものだと思って上役に話をしたらやって見せろって事で、後は上役の手配で展示を行っただけなんだがな…。
もしかして、やらなくても良かったのか?
上機嫌な永田の話は続く。
「だが、貴様はその展示で見事に結果を出して見せた。
貴様がそれ程の奴とは知らなかったが、良い戦車を作ってくれたものだ」
「あ、ああ」
「貴様が作った戦車の話は、今はまあいい。
それより、ソ連の戦車の事を聞かせろ。
どんな戦車を装備しているのだ。
中国軍がもっているとしたらどの様な戦車を持っているのだ」
書面による資料がある訳でもなく、あくまで俺の前世の記憶なのだが…。
「そうだな…。
ソ連が装備している戦車はフランスのルノーFTと、ルノーFTを元に開発したらしいT-18戦車だ」
「T-18か、どの様な戦車なのだ?」
「実物を見た訳でも無いし、俺が得た情報が細かい部分まで正しい保証が無いと思って聞いてくれ。
T-18はエンジンが強化されて居て元のルノーFTの倍ほどの速度が出るらしい。
兵装は主砲が37mm砲で、他にオチキス社の7mm機銃を搭載していて、防御力はルノーFTと同じくらいだと聞いている」
「ほう、ルノーFTの改良型か。
他に戦車は無いのか」
「後は我が国も参考に購入したビッカース六トン戦車をソ連も購入したという話を聞いた。
T-18の例を考えると、ビッカース六トン戦車の改良型を開発している可能性はあるだろうな。
それがいつの段階で出てくるのかはわからないが」
俺は出来る限り情報の出元を暈すために、さもある様な話を作って語って聞かせる。
永田は腕を組むと考えこむ。
「その、ソ連がビッカース六トン戦車を元に改良した戦車を開発したとして。
貴様はどの様な性能になると予測するのだ?」
「そうだな…。
ソ連は他国の砲より一段階上の砲を導入する傾向がある。
例えば、105mm砲なら、122mm砲という風に。
122mm砲はシベリアに出兵した時に鹵獲して持ち帰ったものがあっただろう。
あれと同じで、今欧州各国が戦車砲として採用しているのは37mm砲だ。
それから考えると、40mmを超える戦車砲を搭載している可能性が高いと思う」
俺の話を聞いて永田の眉間に皺が寄る。
「ふむ。
単刀直入に聞くが、貴様が作った戦車。
例えば軽戦車として採用されたハ号は、そのソ連の新型戦車に勝てるのか」
「俺は我が国の国力を考えて、十年は運用に足る戦車を作ったつもりだ」
「つまり?」
「ソ連の新型戦車が搭載しているだろう主砲の威力はわからないが、俺は開発したばかりの今の時点で容易に敵戦車に撃破されうる様な戦車を作ったつもりは無い。
仮に、性能が足りないとなれば、それを強化できるだけの余裕を持たせて開発してある」
それを聞いて永田の表情が和らぐ。
「ハハッ。そうかっ。
それでハ号の攻撃力はソ連の戦車と比べてどうなのだ」
「ハ号甲型が今装備している57mm砲は、歩兵支援の為の低初速砲であるから榴弾の威力はあるが、敵が戦車の場合、装甲貫徹力に劣る為、苦戦する事は否めない。
だが、それを補うために、長砲身の20mm機関砲を装備した乙型を用意してある。
あれが装備する20mm機関砲は、歩兵や陣地などに対する威力もさることながら、今の時点で戦場に現れるだろう装甲車は勿論のこと、戦車に対しても十分な威力を発揮する筈だ。
それでもなお甲型乙型の威力が足りないとなれば、ハ号戦車はイ号に搭載されている高初速の47mm戦車砲の搭載を可能にしてあるからこれに換装すれば、現状戦場に現れるだろう全ての戦車を撃破しうるだけの威力を持つ戦車に生まれ変わる」
「それは頼もしいな。
ならばこの度の満州での戦いに不備は無しという訳だ。
おっと、もうこんな時間か」
永田は懐から懐中時計を出して時間を見る。どうやら時間の様だ。
「村上、今日はいきなり呼び出して悪かったな。
楽しく、有意義な夜を過ごさせてもらった。
今俺は陸軍省に勤務しているから、機会を作ってまた逢おう」
「ああ、また会おう」
久しぶりに会ったが、永田は今陸軍省勤めか。
なるほどな…。
この頃のソ連は情報が入りにくく、装備している戦車などの情報もあまり入ってきません。
それを主人公は前世の記憶を元に語ってしまったのが、上層部経由で永田鉄山の耳に入ったという話でした。




