転生
お約束ですが粛清された主人公は女神の力で皇国に転生します。
1937年11月13日、寒空の下、私は他の罪無き同僚達と共に目隠しをされ壁の前に立たされていた。
私は間もなく忌まわしいボリシェヴィキ共の都合で殺されるのだ。
銃殺隊の近くでにやついているだろう連中を睨みつけて死んでやろうにも、目隠しでそれも叶わない。
私は無駄な足掻きは諦めて、静かに目を閉じた。
するとこれが走馬灯というのだろうか。
生を受けてからの人生が鮮やかに脳裏に流れ出した。
マリウポリの豊かな商家に生まれた私は、恵まれた環境で良い教育を受けることが出来た。
それに元々勉強が嫌いでは無かった私は、技術者を志して祖国ロシア帝国の技術学校へと進み、更には親の支援もあってドイツやスイスに留学して工学を学んだ。
卒業後の就職をどうしようかと考えていたが、大学では当時新しい技術であったディーゼル機関を学び、それについて書いた論文が認められたのか、スイスのスルザーという企業に就職が叶った。だからいつか祖国に戻る時には多くの技術を持ち帰れる様に、更なる技術研鑽に励んだのだった。
今思えばスイスに暮らしていたあの頃は毎日が輝いて見えた様に思う。
そして、欧州全土を巻き込む様な大戦争が勃発した。
私は今こそ祖国の役に立てる時だとスイスの企業を辞め、祖国に帰国した。
帰国後、留学先で学んで来た事を活かしてアルハンゲリスクの機械工場で船舶用のディーゼルエンジンの開発に携わり、そしてニジニ・ノヴゴロドの船舶工場に移ってからは地雷の開発にも携わったな。
世界を巻き込んだ戦争により我が帝国は疲弊し、ブレストリトフスク条約を中央同盟国と結び講和した事で、漸く四年越しの戦争が終結したのだが、既に1905年の血の日曜日事件の頃から国民の不満は高まっており、遂に革命が起きた。
各地で内乱が発生し、最終的にボリシェヴィキが権力を掌握する1922年位迄、国内は大きな混乱状態に陥った。
私は幸い内乱に巻き込まれる事も無く、1917年頃よりニジニ・ノヴゴロドで技術者の教育に携わっており、五年後ボルシェビキ政権が発足すると、再び技術者として招集されてニコラエフの造船所で働き、その後ボルシェビキによってレニングラードと改名されたサンクトペテルブルグのディーゼルエンジン工場でディーゼルエンジンの開発に携わった。
新しい政権が私の人生に影を落としだしたのは、この頃からだ。これまで私は技術者として懸命に働き、政治とはまるで無縁の人生だった。
にもかかわらず、1930年に破壊工作グループに参加したと告発され、秘密警察に逮捕されたのだった。
全く身に覚えのない事で、そのような活動に携わる程私は暇では無かったにも関わらずだ。
その後、私は強制収容所に入れられて過酷な環境で強制労働に従事させられた。ところが、突然収容所から釈放されたのだった
実は私が強制収容所に入れられていた頃、故郷にも近いハリコフの山岳地帯にあるハリコフ機関車工場では秘密裏に新型戦車の開発が進められていたが、開発は困難を極め、特に搭載するディーゼルエンジンの開発が深刻な状況に陥っていたらしい。
そこで事態打開の為、白羽の矢が立ったのが私という訳だ。
1931年12月頃、私は強制収容所からハリコフ機関車工場へと身柄を移され、そこで秘密戦車設計局を率いる事になった。
設計局には若いエンジニアが集まっており、私はこれまで培った知見を活かして彼らを指導し、さながら学校の様な雰囲気であったと記憶している。
ディーゼルエンジンの開発を担当していたチョパンやヴァシリエフと、当時開発していた出力400馬力を目指したV型12気筒4ストロークディーゼルエンジンの開発を指導して完成に漕ぎつけたのは良い思い出だし、戦車の車体部門の助手だったモロゾフ、タルシノフも良い弟子だったと思う。
最初に携わったのはBT-2戦車の改良だった。後にBT-5と呼ばれた最初の改良型を1933年に、そしてBT-7と呼ばれる更なる改良型を1935年に完成させた。
しかし更なる改良を進め、新たに開発したBD-2ディーゼルエンジンを搭載した改良型のBT-7の量産試作品の完成が、私の命取りとなった。
何故なら私は、BT-7の量産試作品が完成し試験配備が終わった去年の夏頃、設計局の長を突然解任されたのだ。
理由は、BT-2の頃から問題となって居たギアボックスに故障が多すぎると運用部隊から報告が届いたのだ。これは更なる機動力を得るために出力を上げたエンジンに、元々問題を抱えていたギアボックスが耐えられなかったのだが、その問題の責任を取らされたのだ。
BT-7の先行生産モデルは破壊工作戦車などと呼ばれ部隊から回収された。
私の後任はコーシュキンというレニングラードから来た技術者だった。
彼はかつて「党の千人」という若手技術者育成プログラムに選出されてレニングラード工科大学を卒業し、レニングラード工場でT-29とT-46という戦車を開発して赤い星勲章を授与されたボルシェビキのメンバーだった。
つまり、党のお気に入りという訳だ。
設計局は彼が受け継いだ。
問題のギアボックスは私が開発したものでは無かったが、新しいギアボックスの開発は急務だった。そこで助手だったモロゾフと共に問題を解消したギアボックスを寸暇を惜しんで開発して、何とか正式生産に漕ぎつける事が出来た。
だが、私の技術者としてのキャリアはそれ迄だった。
1937年も半ばが過ぎた頃、私は再び逮捕された。同時に、同じハリコフ機関車工場で働いていた同僚技術者が何人も逮捕された。
私が逮捕された理由は、BT戦車の破壊工作を行った、という罪らしい。私が携わる以前からBT戦車のギアボックスの故障は問題になっており、つまり私が開発したものではないので、私が破壊工作を行える訳がない。現に、私が問題を解消した新しいギアボックスを開発し、量産にまで漕ぎつけたではないか、と自らの潔白を主張したが、彼らはまるで取り合わなかった。
結局、最初から決まっていたかの様に、即決裁判で私の死刑が決まった。
死刑は即日執行なので、家族に別れを告げる事も出来ない。
私と一緒に逮捕された同僚技術者の話では、留学組が狙い撃ちで逮捕されて居る可能性がある、と聞いた。ロシア帝国時代は技術習得の為にドイツなどに留学する事が推奨されて居たから、技術者に限らず例えば軍人などでも優秀だと言われて居た将校では留学を経験した者がそれなりに居る筈だ。
私は可能性の一つとしてそれがありえると思ったが、流石にそんな事はしないだろうとも思った。何故ならもしそんな事をしたら、夥しい数の技術者や将校などの高級軍人が粛清される事になるだろう。
だが、留学組を粛清する為の理由が何でも良いのなら、つまりギアボックスの件は私を粛清する理由付けにする為に過ぎないのだとしたら、ボルシェビキは狂っているとしか思えない。
こうなっては最早どうする事も出来ないが、残された家族がどうなるのか、それだけが心残りだ。妻、それに息子と娘に類が及ばない事を祈った。
ああ、もう一つ心残りがあったな。
私はBT戦車とは別の、全く新しい戦車の構想を進めていた。
対戦車砲弾に堪えうる傾斜角を大きく取った厚い装甲を持ち、長い砲身の76.2mmクラスの戦車砲で武装し、そして燃えにくい高出力のディーゼルエンジンを搭載した、全く新しい戦車だ。
完成すれば高い踏破能力を持ち、敵の対戦車砲による攻撃に耐え、自らの大きな打撃力で敵を粉砕する高機動戦車となる筈だった。
詳細な仕様とスケッチは二年前には完成していたのだ。
BT-7戦車に代わる次の戦車の開発の噂も伝わって来ていたから、こんな事が無ければ新型戦車の開発に携われたはずだ。
私が残したスケッチなど資料は全て当局が没収し、恐らく後任のコーシュキンの手に渡った筈だ。
案外、彼が引き継いで開発するのかもしれないが、出来れば自分の手で開発したかった。
銃殺隊への射撃命令が聞こえ、私は現実に引き戻された。
どうやらここ迄の様だ。
号令と共に射撃音が聞こえ、胸に衝撃と共に焼ける様な痛みが走った。
そして、程なく私の意識は闇に包まれた。
しかし、私は再び意識を取り戻した。
私の人生は終わった筈だが…、恐る恐る目を開けると、そこは真っ白な空間だった。
身体の痛みも消えている。
目が慣れてくると目の前に、この時代やこの国のものでは無い、それこそ物語に出てくるような装束を着た少女が居る事に気が付いた。
私が目を覚ますのを待っていたのかはわからないが、少女が私に語り掛けて来た。
「私の国を助けてくれるのならば、あなたの願いを叶えましょう」
この少女は何を言っているのだろうか。
私の願い…。
既にある物の改良ではなく、一から私が考えた戦車の開発。
それが心残りだった。
訳の分からない理由で死なねばならない国とは違う国ならば、もっとマシに生きられるはずだ。
もう一度チャンスが欲しい。
少女は私の思考が読めるのか、私の考えが纏まったところでにっこり微笑んだ。
「私の願いがあなたの国を助ける事になるのかはわからないが、チャンスをくれるならばあなたの国に貢献する事を約束する」
「しかと聞き届けました。
二度目の生を終えるまで再び会う事はありませんが、あなたの事は見守っていますよ」
少女がそういうと、私は再び光に包まれ、眩しくて目を閉じたところで意識を手放した。
再び意識を取り戻した時、目の前の風景はまるで違っていた。
この風景は…、以前ドイツに居た頃に雑誌や本で見た、東アジアの生活様式に似ている。
まるで長い夢から覚めた様な、そんな気分だ。
「聡兄、朝御飯出来たよ」
おかっぱ頭の女の子が部屋に入って来た。
…幸子。
そうだ、俺の妹の幸子だ。
目覚めてから次々と記憶が蘇ってくる。
自分の名前や年齢、これまでの人生での経験など。
村上聡一郎、それが俺の名前だ。大日本帝国の静岡に住む、尋常小学校に通う小学生だ。
だが、アファナシー・オシポヴィッチ・フィルソフ、ロシアのエンジニアだった記憶もある。
つまり、俺は前世の記憶を持ったまま、少女の国であるこの日本で新しい生を受けていた。
そして、前世の記憶を今思い出した。そういう事なのだろう。
あの少女は異国の女神だったのか…。
戦間期の日本の戦車開発の初期を描きます。