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Valkyrie Aile-繋ぎたい手と手-  作者: 雪代 真希奈
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第一章『好かれたい気持ち、好きである気持ち』

「---やれやれ、ようやく歓迎の言葉の直しが終わったか…。」

 俺---浦澤 蒼天 (うらさわ そら )が、ここ…兵器の力を宿す女性『ヴァルキリー』と、それに力を与えることができる男性『オーディン』の学び舎、ヴァルホル国際平和学園を有する学園島、社島 (やしろじま)にやってきて、今年の四月で早三年目。そんな中、高等部生徒会へと選出された俺は、学園が休みの中、生徒会室へと足を運んでいた。

 明日は入学式。年によって人数がばらけ、なおかつ同じ学年でも何人かが後から来ることもあるこの学園ではほぼほぼ形程度のものでしかない行事ではあるが、それでも、行事としてしっかり設定されている以上、それなりの体裁は整えなくてはならない。その体裁づくりの一環として、俺はこの休みの日にわざわざ学園…それも俺が通っている学舎から海を挟んで離れたところにある高等部生徒会室へと出張ってきているのだった。

「あ、浦澤君、お帰りなさーい。」

 …部屋に入って早々、会長の席でぐでーっとしている、長い茶色の髪の女子生徒が声をかけてくる。

「…おい、リーザ。いつも言ってるだろ。お前は一応高等部の生徒会長なんだぞ。だらしない恰好をするんじゃない。」

「えええ…どうせ学園は明日からなんだし、いいじゃないのよ。どうせここには今浦澤君しかいないし。」

 俺がリーザと呼んだこいつ…現高等部生徒会長である女子生徒、エリザベータ・グラーヴィチが、俺の言葉を受けて苦虫を噛み潰したような顔をして言う。

「お前な、そういう問題じゃ…って、そういえばアンはどこに行ったんだ?」

 俺は呆れ顔を真面目な顔に戻し、この場にいない女子生徒…俺の幼馴染であり恋人、アンジェリーナ・美翔 (みそら)・フローレス、通称アンのことを尋ねると、リーザはニヤニヤとしてこちらを見てくる。

「…ほほう、あたしに注意はするけど、生徒会役員同士の恋模様には何も言わないわけだ。」

「…何が言いたいんだよ、お前は。」

「べーつーにー?今日もアツアツだなぁ、って思っただけだけど。…何、不純異性交遊とか言ってほしいの?」

「それは言うな。俺とアンの関係は不純なものじゃない。」

 俺の言葉に、リーザは「冗談よ。そんなのあたしがよくわかってるから。」と言って笑う。

 まあ、多少…いや、かなり適当な部分はあるが、リーザはヴァルホルの中において、俺たちの通う学舎…航空機などの力を宿すヴァルキリーと、彼女たちに力を与えるオーディンが通う『ヴァルキリーエール』の学舎に通う人間の中でも、何だかんだでものすごく話が通じるやつだから助かる。

「とりあえずアンなら、学舎の中の備品の確認に出てもらったわよ。どうせ明日までにやらなきゃいけなかったことだしね。」

「…で、アンにだけ行かせてお前は行かずにここでのんべんだらりとしていたわけだな?」

「い、いやいやいやいや、だってねぇ…浦澤君だって、あたしがあっちこっち動くのは困るでしょ?」

「では聞くが、その手に持っているスマホは何だ?お前にも俺の連絡先は教えているはずだが。俺がそっちに合流してもよかったんだぞ?」

「…あー、まあ、あたしも後は帰るだけだし、アンの手伝いに行こっかな。何もしないってのもあれだし。」

 この野郎、ごまかしやがったな。…まあ、スマホがイヤホンや携帯型バッテリーにつながれてるところから察するに、どうせ暇つぶしにゲームでもしていたか、あるいは動画でも見ていたんだろう。

「お前がそもそも休み前にお達しを受けてた諸々のことを忘れてたなんて言わなきゃ、わざわざ今学園にいる必要もなかったわけだし、俺やアンだってお前に呼び出されなけりゃ学園にも来る必要性はなかったわけなんだが…まあいい、とりあえずアンと合流するぞ。」

 俺はそう言って自分のスマホの通話アプリを開き、アンに電話をしようとする。しかし---

「……おかしいな。」

 かけ直してみても、アンが電話に出る気配がない。アンはいつも、電話にはよほど都合が悪くない限りしっかりと出る。俺からの電話ならばなおさらだ。アンに電話をした時に、俺はかけ直しなどほとんどしたことがない。

「お手洗いでも行ってるんじゃないの?さすがにそれだったら出ないのも納得するけど。」

「本当にそうだったらいいんだが…。ここで嫌な予感がするのが俺の常でな。ついでにリーザ、おそらくお前ならその嫌な予感とやらに対して、それらしい回答を見つけられると思うが。」

「…あぁ、そういうことね。」

 俺の思わせぶりな発言にも、しっかりと推測を立てるリーザ。…こいつの推測はいつも妙に的を射ている。俺の考えと同じ考えで、なおかつ今回も的を射ているとしたら…。

「そうだとしたら…あたしはアンと合流するまで、浦澤君のことも一人にするわけにいかないわね。ここが祠島 (ほこらじま )でないとはいえ…あたしたちの学舎 (ヴァルキリーエール)じゃ、他の学舎と比較しても、ヴァルキリーやオーディンの寝取り寝取られなんて珍しくもなんともないし、アンを狙うオーディンがいるように、浦澤君を狙うヴァルキリーがいないとも限らないし、本島に来てないとも限らないわけだから。ただ、別れて探せない分、アンとの合流は時間がかかっちゃうかもしれないけど、それは我慢して。まあ、アンも浦澤君以外になびくような子じゃないのはあたしもよくわかってるし、大抵のことはなんとかできる子でもあるとは思うけど…。」

「それでいい。俺もアンが他の男と絡んでるなんざ見たくないし、アン以外の女に彼女気取りをさせる気もないからな。リーザ、頼む。」

 俺は、リーザにそう返す。

「了解。そうと決まれば急ぐわよ。あたしだって、浦澤君とアンがイチャイチャしてないところを見るのは嫌だもんね。護衛、謹んでお受けいたします、と。」

 少し茶目っ気のある笑顔を浮かべ、リーザがこちらに向かってサムズアップをしてくる。

 俺は頷いてそれに応え、リーザと共に駆け出した。急ぎながら見回りの要領であっちこっちを見て回る中、リーザが口を開いた。

「…それにしても、生徒会に放り込まれて思ったことっていうのが、大学部生徒会と高等部生徒会の雰囲気は本当に似てるってことだっていうのがねぇ。」

「…ん?どういう意味だよ?」

 俺が返すと、リーザは口をへの字にして答える。

「どっちの生徒会室に行ったとしても砂糖が口からドバドバ出そうで、っていう話。高等部生徒会には浦澤君とアンがいるわけだけど、向こうにもいるわけでしょ?いろんな意味でうちの学園の名物になってる先輩約二名が。」

 ニヤニヤとしながらこちらを見るリーザ。

 …しかし。

「…少なくとも、今話すことではないな。」

 俺は呆れ顔でそう返すと、リーザは面白くなさそうな顔をする。

「え、何で!?」

「何でって、今はアンを探してる最中だ。別のことを考えてる暇はない。」 

「探してる間の雑談もだめって…。真面目なのか、それとも色ボケで他のものが見えなくなってるだけなのか…。」

「少なくとも色ボケじゃない、ただアンが心配なだけだ。」

「自覚全くなし!?世間じゃそれを色ボケっていうんでしょうが…まったく、呆れかえるような、それを通り越してうらやましさすら感じ始めてきてるような…。」

「うらやましかったらお前も誰かと付き合ってみるといい。恋人のいる生活というのはいいもんだぞ。いや、これは本当に。うまくは言えないのが申し訳ない気もするが。」

「…いや、ただの言葉の綾なんだけど…。というか、あたしがそんな気なんて全くないこと、君だって知ってるはずでしょうに…。」

 そう言ってどこか遠い目をし始めるリーザ。

 …というか、リーザは何やかんや見た目は美人だし、普段は猫を被ってるとはいえ素の性格も悪くないし、現在の高等部において唯一の『ブリュンヒルデ』…ヴァルキリーの才能を示すランクの最上位に位置するということもあって、実際のところ、男子生徒連中の競争率は入学した頃から高かった。しかしリーザは、言い寄ってくる男子生徒連中を片っ端から振っている。俺やアンがリーザと仲良くなったのは入学して同じクラスになって一週間ほど後のことだったのだが、話すようになる前からリーザにアタックした男子が次々に玉砕したという噂は、聞く気がなくとも耳に入ってきたものだ。リーザと話すようになってから理由を聞いたことがあったのだが、その時聞いた話によれば、


「あたしって本来、すごい適当でわがままで好き勝手やっちゃう人間だし、みんなが思ってるような女の子じゃないもん。どこでボロが出ちゃうかもしれないし、そこで見放されたら多分悲しくなっちゃうし、見放されなかったとしてもあたしが男の子の方を振り回す側になっちゃうのも申し訳ないもんね。」


 …なんて、多少申し訳なさそうな顔で言っていたことを覚えている。

 そんなことを思っていると。

「…あ、あそこにいるの、アンじゃないの?」

「え?」

 ふと、リーザが指さした方向を見ると。


「------いいから、俺を専属オーディンにしてよ!!」

「ま…待って、待って!!なんでそんな話になっちゃうの?」

「このままじゃ俺、ヴァルホルにいられなくなっちゃうんだよ…ねえ、俺を助けると思って!!」

 

 俺の視線の先の廊下の突き当たり。遠目ではあるが間違いない。俺が幼い頃からずっと見てきた、肩のあたりで白いリボンで結び、胸の前へと垂らした長くて大きな黒髪のツインテールが見える。その前に立って叫んでいるのは、俺の知らない男子生徒。…しかし、ここからでも聞き取れるその声は、俺が聞く限り、どこからどう考えてもろくでもなさそうな言葉の羅列として、俺の鼓膜に突き刺さってくる。

「ほ、ほら…ヴァルキリーはオーディンのグレイプニル遺伝子との相性によって強さが変わることもあるっていうし…もしかしたら、元のオーディンなんかより俺との相性の方がいいかもしれないだろ?強いヴァルキリーになれるかもしれないだろ!?…そうだ、俺と今すぐビフレストを繋いでみればわかるはず…。」

「え…そ、そんなの駄目…学園の規則違反だし、私にはそもそも蒼天がいるし…。それに私、強さとか、そんなの興味ないから…。」

「規則やタブーなんて関係ない!!知ってるだろ?エールは弱肉強食の世界…やったもの勝ちの世界なんだ!!そもそも、ここには俺たち以外誰もいないんだから------」


「---------------!!」


 …それを聞いた瞬間、俺の中で堪忍袋の緒が切れただけでなく、袋そのものすらも木っ端微塵に破裂する音が聞こえた。

「-----おい、今すぐアンから離れろ!!」

 大きな声を出して、俺は床を強く蹴っていた。

「蒼天…?」

 俺の声に気付いたらしいアンがこちらを見る。彼女の大きな黒の瞳が安堵の表情を浮かべるが、隣にいる男子生徒には、突っ込んでくる俺の姿が明らかな脅威に映ったようだった。

「なっ…!?」

 男子生徒がこちらを向いたときには、すでに俺の拳が男子生徒に迫っている。…何も考えられないまま、がむしゃらに繰り出したその拳が、驚いた拍子に動けなくなったらしい男子生徒の頬を捉えようとした瞬間。


「-------浦澤君、ストップ!!」


 俺の振り上げた拳は、いつの間にか追いついていたらしいリーザの華奢な、しかし俺の力では振りほどけないほどの力によって、しっかりと空中に縫い止められていた。

「落ち着いて。仮にも君は高等部生徒会役員なんだから。アンが君にとって大切な人だってことはわかるけど、ここで迂闊に騒ぎを起こしたら、浦澤君の立場だってなくなっちゃうでしょ?」

「……。」

 俺の怒りが収まることはなかったものの、実際、リーザの言うとおりでもある。俺が拳を下ろすと、リーザはアンと男子生徒の前にさりげなく、しかししっかりと立ちはだかるように体を入れ替える。

「アン、大丈夫だった?乱暴とかされてない?」

「リーザ…う、うん、私は平気だよ?あの、ごめんね…さっきの電話、蒼天だよね?着信はわかったんだけど、いろいろそれどころじゃなくて…。」

 …ひとまず、アンは無事なようでよかった。

「いや、気にしなくていい。アンは何も悪くなんてないから。な?」

 アンを心配させないようにそう言ってから、俺は目の前の男子生徒の方に顔を向け、自分でも驚くほどに低い声で言った。

「…それよりお前、エールの学生だろ?学園が休みの日に何で学園に、それも祠島じゃなく本島の施設の中にいる?適当なことを言ってごまかそうなんて考えるな、正直に答えろ。さっきの言葉から察するに、お前は明日の入学式で入ってくるはずの新入生ってわけでもなさそうだから、迷い込んだなんて言い訳は通用しない。エール専用の学生寮や学食だって祠島にあるし、買い物だって大抵のものはわざわざ本島に来なくたって寮の部屋への取り寄せで事足りるんだから、特段の理由がなければ祠島から本島に来る必要はない。生徒会にいる俺だって、こうして生徒会の仕事や、今お前が困らせていたアンと出かけたりする以外に本島で何かをするときってのは、各種式典や行事で講堂や演習施設に入ったくらいしかないレベルだからな。春休み最終日のこんな夕方の時間にわざわざ制服なんか着て学園の施設の中にいるんだ、本島に遊びに来たり、こっちじゃなきゃ買えないようなものを買いに来たわけでも、ショッピングモールあたりでバイトをしに来たわけでもないんだろう。…人の彼女を捕まえた挙句に、ふざけたことばかり好き放題言いやがって。元々アンのことを知ってて狙ってたのか、それともその辺で見つけた女子に片端から声をかけてるのかは知らないが、どちらにしてもろくでもないことには変わりない。事と次第によっては-----」

「あの…蒼天?顔が怖いよ…?ほらほら、笑って笑って?むにむに、むにょ-----ん…。」

 そんなことを言いながら、俺の目の前に立って俺のほっぺたをつまんでむにむにし始めるアン。…少しくすぐったいが、アンが俺の笑顔のためにやってくれていることを思うと、血が上りまくっていた頭が少しずつ冷えてくるような気がした。

「こーらこらこら浦澤君、落ち着いたと思ったら何でまたさっきのテンションに戻ってんの。話を聞くにしても、そんな喧嘩腰でかかったら、また話をややこしくするだけでしょ?もう、いつもは冷静で真面目な優等生って感じなのに、アンのことになるとすーぐこれなんだから…。」

 リーザが俺を窘める言葉を発した時。

 

「-------話をするつもりなんてない。お前たち勝ち組になんか…どうせ何もわからないだろ。」

 

 …勝ち組。

 男子生徒は確かに、今そう言った。

 それを聞いて、リーザが男子生徒に問いかけを始める。

「…今見た状況と君の言葉から察するに、なんだけど…君はエールの学舎に通う子で、その中でも『脱落者 (ドロップアウト)』って呼ばれてるらしい子、っていうことで間違いない?」

「…。」

 男子生徒は答えない。だが、逆に言えばそれだけで、リーザの言葉が彼にとって図星であったのだろうということを、俺は直感的に察していた。


…『脱落者』とは、エールの学舎の中で、低ランクのヴァルキリーや、専属のヴァルキリーのいないオーディン…そういった学生を蔑む言葉として使われている文言なのだ。


 俺たちの通う学舎、『ヴァルキリーエール』。

 高等部の中においての学舎のひとつであるそれは、他の二つの学舎…陸上兵器の力を宿すヴァルキリーとそれに力を与えるオーディンの通う『ヴァルキリーパンツァー』や、水上あるいは水中における兵器の力を宿すヴァルキリーとそれに力を与えるオーディンの通う『ヴァルキリーオーシャン』の学舎、それに同じく本島にある大学部の本学舎とは一線を画す部分のある場所。

 社島本島ではなく、海を挟み海中トンネルで本島と繋がる離れ小島、通称『祠島』に、大学部分舎と共にある、というだけならばまだいい。…問題は、祠島にある高等部及び大学部の分舎…『ヴァルキリーエール』の学生が学ぶ場所であるそれは、本島の学舎以上に、ヴァルキリーとしての実力やランクの高いヴァルキリーの専属オーディンという立場がほとんどそのままヒエラルキーとして確立してしまう環境であり、学園の基本方針とは真っ向から反発しかねないようなことが日常的に起こりやすい環境でもある、という点にあった。

 社島とヴァルホルは、ヴァルキリーやオーディンとしての力を持つ人間、特にまだ社会に出ていない子供たちの存在把握と教育を兼ねた保護施設として国連安全保障理事会によって創設されており、その教育というのは、力を行使して戦うための力を身につけさせるためのものというよりも、どちらかと言えば、力を行使することによって生じる可能性のある危険性を理解させ、学園卒業後、社会に出た時に自分から無暗な力の行使をさせない、あるいはその力を悪用したがる人間に自分の力を利用させないようにする、ということに重点を置いたものになっている。卒業後に自分の国に戻り、自分の意志で軍に入ったりするものも少なからず存在することから、実技や行事の一環として発砲訓練や模擬戦などが行われることも確かにあるが、その場においては、摸擬弾の使用やあらぬ方向へ弾が飛んでいくのを防ぐ遮蔽用シールドによって安全性を確保するなどの配慮が成されている上、そもそもの話として、ヴァルキリーやオーディンは国際法において過度な軍事利用と力の行使を禁止され、有事の際、もっと言えば専守防衛限定の予備戦力という扱いを要求されており、また、ヴァルホルに通学するヴァルキリーやオーディンの全員が軍所属になることはない上、年齢や仕事などのやむを得ない理由によって、資質はあれど物理的にヴァルホルに通うことができないという人が少なくないこともあり、ヴァルキリーであれば力を行使する時の戦闘服『スヴェル』を纏うことや、宿す兵器に搭載されている武装『グングニル』の発砲、オーディンであれば、オーディンの持つ特殊遺伝子『グレイプニル遺伝子』から、ヴァルキリーと繋がるためのバイパス『ビフレスト』を通してヴァルキリーに力を供給すること、そして、ヴァルキリーやオーディンがそれらを行うための前段階として唱える言葉『ルーン』をみだりに唱えることというのは、ヴァルホルに通えない人や現在通学しているヴァルホルの学生だけでなく、ヴァルホルの卒業生、さらにはその卒業生の中でも各国の軍へと進むことを選んだヴァルキリーやオーディンに至るまで厳しく制限されている。そのため、本来ならばほとんど使われることのないはずのヴァルキリーやオーディンの力云々でものを語ること自体がナンセンスであるはずなのだが、実際のところ、それらの優越によって学内ヒエラルキーを決定するべきだという声は、ヴァルホルの内部において確かに存在している。その声というのは、社島本島から離れたところにある学舎…すなわち祠島に存在する学舎の中において特に大きく、学生から教員までのかなり広い範囲において、暗黙の了解のもとに共通認識として持つべきものと化しており、クラス分けや使う学食などにも直結するものとなっているのだ。

 ヴァルキリーのことを言えば、ランクの高いヴァルキリーはその分名の知れた兵器、名はそれほど知られていなくとも強力な兵器、あるいは現在各国で使われている最新鋭やそれに近い兵器の力を宿している場合が多い、という傾向がある。もちろんそれは傾向でしかなく、ランクが低くとも有名な兵器や強力な兵器の力を宿しているケースも存在するが、基本的にヴァルキリーとしての力の強さ自体が、利き手の甲に現れるヴァルキリーとしての証『ニーベルングの(かん)』の種類によって確認することのできるランクの高さに依存し、なおかつそれを第三者が視認できてしまうため、それがヒエラルキーに直結するエールの学舎においては、低ランクのヴァルキリーというだけで宝の持ち腐れと捉えられることが少なくない。ついでに言えば、ヴァルキリーは宿している兵器の力の種類によってそのまま通う学舎が決まるため、場合によっては転科も可能なオーディンとは違って物理的に転科を行うことができないために、その烙印を押されてしまったエールの学舎のヴァルキリーにとって、祠島での生活は居場所がなく苦しいと思うものになる場合がほとんどなのだという。

 そして、エールの学舎所属のオーディンに関しては、ヴァルキリーと比較して転科という最終手段が存在する代わりに、学舎全体におけるヒエラルキーがそもそも低く、またヴァルキリーと同様にオーディンの中にも、暗黙の了解としてのヒエラルキーが、他の学舎に比べても顕著に存在するという特徴がある。元々オーディン自体がヴァルキリーに比べると数が少ないと言われているということもあるが、それだけではない。その説明をするには、エールの学舎所属のヴァルキリーのことに関してもっと詳しく触れる必要があり、少なくとも現在におけるエールに通っているヴァルキリーは、そういった学舎の気質によるものなのか、それとも本人の性格によるものなのかは俺もいまいちよくは知らないが、高ランクから低ランクに至るまで、ヴァルキリーという特殊な存在であることを名目にとにかくやたらとエリートを気取りたがる連中が多く、そういったヴァルキリーたちはオーディンに関しても、いろいろと細かい注文をつけて、自分の趣味嗜好や欲求を満たすことができるようなオーディンを欲しがる傾向にある。そのため、一人のオーディンを複数のヴァルキリーが奪い合い、それと引き換えにどのヴァルキリーにも気に入られることがないオーディンが多数出てくる、ということが後を絶たない。その上、エールの学舎においては、他の学舎に存在する『チーム』…すなわち、クラスや学年、ヴァルキリーやオーディン、それらの垣根を越えた、実技や模擬戦などを行うための班分けのようなものだが、それが存在しないため、淘汰されたオーディンは学舎の中において完全に行き場を失ってしまう。そのおかげで、エールに所属するオーディンの中では、『ヴァルキリーに気に入られ、専属オーディンとなること、できるだけランクの高いヴァルキリーの専属になること、というのがすなわちステータスであり、それが叶わない者は負け組である』という暗黙の了解が一人歩きするようになってしまっているのだ。

 …アンは第三位ヴァルキリー(ゲルヒルデ)。九段階あるヴァルキリーのランクとしては、上の下というそれなりに高い力を持っている上、アンの宿す兵器の力は、戦後第四世代戦闘機に分類される非常に有名な兵器…『ファイティング・ファルコン』の愛称で知られ、開発国であるアメリカをはじめ、世界各国の軍によって使われているベストセラー戦闘機、F-16のものだ。目の前の男子生徒が、先ほど俺のことを『勝ち組』と言ったことを考えるに、少なくとも俺とアンが専属同士であることと、アンのランクと兵器の力については知っていた可能性が高い。そうであるなら、エールの学舎の気質に慣れてしまっていて、なおかつ『脱落者』の烙印を押されてしまっているらしい彼が、それなりに優秀な部類に入るアンの専属オーディンになりたい、と思うのは、ある意味で当然の流れであると考えることができた。

「…しかし、まさかよりによってアンに目をつけるとはねぇ…。まあ、気持ちはわかるけど。ヴァルキリーの力もそうだけど、なによりアンって可愛いし。でもねぇ…完全に冷め切って別れる寸前になってるとかならともかく、どこからどう考えても踏み込む余地のないカップルの片割れを寝取ろうとするのはどうかと思うわ。浦澤君があんなに怒ったのにはあたしもびっくりしたけど…でもね、君が浦澤君のことをそこまで怒らせちゃうようなことをしちゃったことは事実だと思うわよ。…例えばの話にはなるけど、もしも君に専属ヴァルキリー…それも恋人になっちゃうくらいに仲良しな子がいたとして、誰かがもしも今の君と同じことをしたとしたら?君からその子を奪おうとする人が目の前にいるっていうのに…君は黙って見ていられる?」

「か…可愛いって…。」

 リーザが言うと、アンはぽっと顔を赤くして俺の背中に回り込んできて、俺の制服の袖を指先でつまむ。…いつもは天真爛漫な彼女だが、たまにそんな小動物のような仕草を見せることもある。それもまた可愛らしいと思える-----と、その時。


「…そんなの、結局勝ち組の連中だから言えることだ。俺たちみたいに負け組って呼ばれてる連中に、そんなことは言ってられないんだよ…。俺は認められないといけないんだ…ここにいるためには、それしか方法なんてないんだよ!!毎日毎日俺は言われるんだ…お前はヴァルホルにいるべきじゃない、負け犬に国連の保護を受ける権利なんてないって…!!ヴァルキリーからも、そいつらに気に入られて調子に乗ってるオーディンの連中からもだ…お前らにその気持ちがわかるか?勝ち組のお前らに…学舎ぐるみでちやほやされるお前らに…!!いや、それだけじゃない、特にここにいるお前ら三人は生徒会役員だ。学舎だけじゃない、学園全体から見ても勝ち組だろうが!!学舎からも、学園からも贔屓されてるお前らに…そんなやつらに、俺の気持ちがわかってたまるか!!」

 

 男子生徒の声が、俺たち以外には誰もいない廊下に木霊する。

 …ヴァルホルの生徒会は、基本的に高等部の生徒会役員に選出された学生が、そのままエスカレーターの要領で大学部生徒会役員になるという方式になっており、その肝心の高等部生徒会役員は、普通の学園で行われるであろう生徒会役員選挙ではなく、次の年に大学部生徒会に入ることになる前高等部生徒会役員の先輩たちが、それに足ると考える学生を自分の通う学舎から推薦し、推薦された学生は、それに伴って行われる会議によって、その時点における学園生徒会の全役員と、学園長などのお偉方を含めた先生方の双方から全会一致での承認を得なくてはならない、という規則の元で選出されることになっている。それも当然と言えば当然で、国連安保理が創設した学園として、学園、社島、ひいては世界をより良くできる力はヴァルキリーやオーディンとしての力ではない、という見解の元、学園の代表となる学生たちを選ばなくてはならない、という考え方らしい。…すなわち、ある程度の人間性ができていなければどんなに優秀でも生徒会に選出はされないし、してはいけないと思われている、ということだ。最上位ヴァルキリーであり何だかんだ人望もあるリーザはともかく、他にも優秀なヴァルキリーやオーディンがいる中で俺とアンがエールの学舎からの生徒会役員に選出された理由は、人間性の部分を今学園生徒会にいる先輩方や先生方が見てくださったかららしい。実際、俺やアン、それにリーザを推薦してくれた先輩方も、問題を起こしたなんてことは一度も聞いたことのない、とても真面目で誠実な人たちばかりだった。…正直なところ、自分としては「人間性ができている」なんて言われても実感がないし、期待に応えられるような人間性を自分が持っているのだという自信もないが…しかし、少なくとも俺は、俺を信じて高等部生徒会を託してくれた人たちがいる、彼らに恥じないように頑張らなくては、と、気持ちがきゅっと引き締まったものだった。

 …しかし、そういった独自のシステムによって生徒会役員を選出することをよく思っていない…今言われたみたいに、学園からの依怙贔屓のような形で生徒会役員になったんだろう、なんていう連中がいることも、残念ながらまた事実。何だかんだ表立って言われたのはこれが初めてではあったものの…やはりそういったことを言われてしまうのは嫌な気分になるものだ。

「うーん、ここまでこじれちゃってたら、さすがにあたしが言っても逆効果よね…。まだかな…そろそろ来るんじゃないかと思うんだけど…。」

「え?」

「来る、って…誰が…?」

 俺とアンが、目をまん丸くしてリーザを見る。すると、リーザはこちらに向き直り、ウインクと共に口を開いた。


「---多分、今のヴァルホルの学生たちの中において一番頼りになって、なおかつ、人の抱える痛みっていうのを一番理解してくれるであろう人たちよ。」


 リーザが言い終わった瞬間。


「-----あぁ、いたいた。グラーヴィチさん、待たせちゃってごめんね。」

「-----あの…みなさん、怪我とかはしてないですか?痛いところとか…ありませんか?」


 この声---------まさか。

 俺が振り返ると、俺の目の先にいたのは、大学部生徒会役員専用の制服を着た男子生徒と女子生徒。爽やかさを感じる表情の中にある、深い優しさを秘めた黒い瞳でこちらを見つめる男子生徒と、その傍らに立ち、ふわふわとしながらも流れるような美しい金色の髪を揺らし、そして彼と同じ深い優しさの表情を秘めた、エメラルドの瞳の女子生徒。


鶴城 (かくじょう)先輩に…ローレライ先輩…?」

 

 俺は、いつの間にか彼らの名前を口に出していた。

「リーザ…どうして先輩たちがここに…?」

 俺の隣にいるアンも、まさかこんなサプライズがあるとは思っていなかったようだ。そんなアンの問いに、リーザはふふん、と自慢げに鼻を鳴らして答える。

「まあ、こんなこともあるかと思って、アンを探してる最中にこっそりメールを打っといたのよ。万が一何か問題が起こったとして、あたしがどうにかできる範囲には限りがあるし、それなら大抵のことが何とかできそうな人に助っ人に来てもらうのが一番だと思って。」

 …まったく気づかなかった。いつの間にそんなことをしていたのやら。

 そんなことを考えつつも…俺は今のリーザの言葉に、奇妙な安心感を抱いていた。

 ------リーザが呼んでいたというこの二人は、それほどまでに信頼に足る人たちなのだから。


 鶴城 誠 (かくじょう まこと)学園生徒会会長と、クリスティナ・E (アインス)・ローレライ副会長。

 『ヴァルキリーパンツァー』の学舎で学び、現在は大学部に所属するその二人の名は、社島の住人であれば確実に誰もが、そして、下手をすれば島の外の人も小耳に挟んだことくらいはあると答えるであろうほどによく知られている。

 ローレライ先輩は、世界全体で見ても数えられるほどしかいないとされる最上位ヴァルキリー(ブリュンヒルデ )の中でも、古今東西、そしておそらく未来永劫に至るまで並ぶ者すら現れないであろうと言われるほどの強力な力を持つヴァルキリー。そして鶴城先輩は、通常のオーディンならば不可能であるはずの、複数人のヴァルキリーの能力を数段階上のランクと同等まで向上させることができるという、ヴァルキリーとの類稀な相性の良さを持つグレイプニル遺伝子の持ち主。その中でもローレライ先輩との相性は凄まじく、ただでさえ本気で戦えば誰が何人集まっても太刀打ちできないと言われるローレライ先輩に、限界を超えたさらなる力を与えることができるほどのものであるらしい。…二人とも、今までのヴァルキリーやオーディンの常識が通用せず、すごいという一言では表現できないような人たちだ。

 それだけではない。ヴァルキリーの中に眠る兵器の記憶とヴァルキリーの記憶の混線によって引き起こされ、最低でも一人以上のオーディンの死か、あるいはヴァルキリーそのものの死を以てようやく止めることができるヴァルキリーの暴走現象『狼化現象 (ラグナロク)』を抑制し制御することができるようになる可能性を秘めるという、『ヴィーザル型』と呼ばれるさらに特殊なグレイプニル遺伝子を鶴城先輩が持っていること、さらにはそれを以て、今から五年ほど前…すなわち俺たちがヴァルホルに来る前だが、その時起こったローレライ先輩の狼化現象…その異常とも取れる強力すぎる力が故に、本来最終手段であるはずの、社島そのものの自沈によるローレライ先輩の伊豆・小笠原海溝への永久封印措置すら本気で検討されるほどであったというそれを、鶴城先輩はたった一人で止めたのだという逸話まで持っているときている。

 なおかつ、誰もが認めるカップルでもある。誰がいつ見ても二人は一緒にいて仲睦まじく笑顔で話しており、婚約しているなんて噂すら流れているくらいだ。それだけじゃなく、鶴城先輩がローレライ先輩の狼化を抑えこんでいることによるものらしく、普段は必要のない時は自然に切れたりすることもあるビフレストが、彼らの場合は、何があっても決して途切れることがないのだという。

 そして、ヴァルキリーやオーディンとしての強さやお互いの信頼の強さだけではなく、誰にでも分け隔てなくしっかりと接し、自分たちの才能や関係、そしてこれまで述べた逸話といったものをひけらかすことはしない、とてつもない人の好さまで持ち合わせているときている。ヴァルホルに通う人間誰もが憧れを持ち、リーザがべた褒めするのも納得できるような、あらゆる意味で最高、最強、理想であることの体現者。それが、鶴城先輩とローレライ先輩なのだった。

「…さて、とりあえず、どういう状況で、何で俺たちが呼ばれたのかっていうのを説明してくれるかな?」

 鶴城先輩が、俺たちに向き直って言う。

「あ…はい。俺が先輩たちに、リーザが書いた明日の挨拶を持って行って見ていただいたと思うんですが、実は、その後アンと合流しようと思っていたら、電話が繋がらなくて…。」

「なるほど、それでフローレスさんを探している最中に、何かあった時の保険としてグラーヴィチさんが俺とクリスに連絡をよこした、と。…えっと、それで、そこにいる彼は?察するに、ここにいるっていうことは、彼はフローレスさんと一緒にいた、ってことで間違いないかな?」

 俺の言葉を聞いて納得したらしい鶴城先輩が、今度はアンに聞く。

「ええと…そうです。私、備品の確認に来ていたんですけど、そうしたら声をかけられて…。それで、何か困ってるような顔をしていて、エールの学舎のお友達ということだったので、お話を聞いていたら、なんだかよくわからないことになっちゃって…。」

「…お友達?」

 疑問に思って俺が尋ねると。


「え?同じ学舎なら…お友達…だよね?」


 -------そうか。

 なんとなくわかってきた。事の顛末が。

「…なるほど。じゃあ、とりあえず君も話を聞かせてくれるかな?フローレスさんの今の説明だけじゃわからない内容もあると思うから。上手な言い回しにならないとか、乱暴な言い方になっちゃうかも、とか、そういうのは全然気にしなくていいよ。君の言葉で教えて。ね?」

 鶴城先輩の言葉を受けて、少しずつ、事の顛末をリーザと一緒に鶴城先輩とローレライ先輩に説明している男子生徒の方を見て、俺は彼の言葉に耳を傾けてみる。…そうしているうちに、今俺が察したことの顛末が大正解であったということが、どんどんと明らかになってきた。

「…なるほどね。辛い思いをしてる中でフローレスさんが話を聞いてくれて、彼女ならもしかしたら、って思ったっていうことかな。」

「…はい。俺に声をかけてくるようなヴァルキリーなんてはじめてだったから…。」

 …彼の言葉を聞くに、彼がアンに言い寄ったのは、自分が誰かの専属オーディンではないことで勝ち組と言われている連中に悪口を言われ続けることに嫌気がさした、ということだけではなかったのだろう。…ヴァルキリーに選ばれないオーディンというだけで馬鹿にされてしまうという、終わらない苦しみと恐怖が絶えず訪れ続ける中、自分の心と体に鞭打ち、人知れず耐えて、耐えて、耐え抜いてきて…その苦しみがついに限界を迎えてしまった結果、目の前に現れて話を聞いてくれたアンに、自分の理解者になってくれたのなら、その苦しみを消し去るための存在になってくれる…すなわち自分を専属オーディンにしてくれるのではないか、そうすれば、きっとこの地獄から抜け出すこともできるはず…そんな微かな希望を求める気持ちが、彼の心の中に少なからずあった結果でもあった、ということ。

 そう思う俺の耳に、また小さな声が響いてくる。

「でも…俺の話を聞いたことなんて、結局はただの自己満足の産物だったってことだと思いますよ。…彼氏持ちなら下手に希望なんか持たせないで、はじめから他の連中みたいに無視したり、一思いに自分の力で俺を殺すとでも言えばよかったのに。」


「-----待ってくれ。」


 俺は彼の言葉を制止する。

「お前がしてしまったことに関して、俺はお前に何かを言う権利がある。…その立場を使ってお前がした事実をひたすら糾弾し続けて、この場でお前を本当にただの悪者に仕立て上げるのは簡単だ。でもな…アンがお前にしたことに対しては何も言えないし、言いたくない。…昔から幼馴染としてアンと一緒にいて、今は専属オーディンでもあって、恋人でもある俺だから、アンがどんな人間なのかはよく知ってる。…アンの気持ちがわかるって思ってる俺だからこそ言う。アンがお前に向けた、お前を友達だって思った気持ち、困ってるお前を助けたいって思った気持ちを、ただの自己満足の一言で終わらせるな。」

「蒼天…?」

 アンがこちらを向いて、俺の方を見つめてくる。

 …昔から変わらない、その濁りのない瞳。

 それを見て、俺はアンと暮らしてきた今までのことを思い出していたーーー


 物心ついた時から、俺とアンは幼馴染だった。

 隣の家の住人を見て、俺は最初、ものすごくびっくりしたことを覚えている。

 髪は金色、瞳は青い、背は驚くほどに高い人である男性…後に俺は彼のことを、アメリカ出身のアンのお父さん、アルフレッド・フローレスさんであると理解することになるわけだが…彼は、その当時小さかった俺でも「この人は日本人じゃない」とわかる人だった。

 しかし、彼の傍らに立つのんびりした雰囲気の女性…アンのお母さんであり、アンのミドルネームにもなっている人、美翔(みそら)さんと、彼女と手を繋いでいた女の子…アンは、どこからどう見ても日本人だった。そのため、俺はアンと出会った当時、「日本人とアメリカ人の子供は日本人に似るんだ」などと平気で考えていたという恥ずかしい過去もあったりする。…今となっては、ただ単に見た目に関してはアンが母親似であるだけだろうということは理解しているが。

 そんな見た目は母親似のアンだが、性格は昔から、自分から積極的に、そして楽しげに話しかけるタイプであるアルフレッドさんと、しっかり話を聞いて、人に合った言葉で受け答えをする美翔さん、そんなご両親二人のいいところを足し合わせたような性格だった。

 アンは昔から、困っている人がいたりすると放っておけず、まずは話を聞いてみよう、と思うだけでなく、出会った人間と片端から積極的に友達になろうとする節があり、アンと仲良くなったのも、お隣さんであった俺にアンが声をかけてきたのが始まりだった。それから、保育園、小学校、中学校、そして、この社島に来た後もその性格は変わっていない。エールの学舎においてそんな風に周りと接するアンを見て、彼女よりも上のランクのヴァルキリーから変人のような扱いを受けていたこともあるくらいだ。

 しかし、そんな扱いをいくら受けても、アンはまったく変わることがなかった。自分のことを相手がどう思っていても、みんな「同じ学校のお友達」として、明るく楽しく接し続けた。それが上手くいく時も、そう簡単にいかないときもあることなど関係なしに。

 …最初は、俺も複雑だった。

 アンが誰とでも仲良くしようとするのが。…アンが俺の家の隣に住んでいて、一番最初に友達になったのが俺だったという自負があったから。その当時から、俺のことだけを見ていてくれると信じていたのかもしれない、ということもあるのかもしれない。

 着実にコミュニティを広げていくアンが、遠くに行ってしまうのではないか、と思ったこともあった。しかし、それは当然だと達観している俺もいた。人は自分の思い通りに動くものではなく、それはアンも同じなのだと。俺が止められるものではないのだと。

 だから…中学卒業と同時に、アンが俺に告白してくれた時---俺はこう返していた。

 

『-----俺で、いいのか?』

 

 コミュニティを広げていくのに長けたアンならば、俺なんかよりもいい男を見つけることだってできただろうに。俺なんかに執着することもないだろうに。

 何だかんだ話すことはあったにせよ、それは幼馴染としてであり、恋愛事情に発展することはない…諦めなくてはならないと確信していた俺がそんな意味も含めて言った言葉に対して、彼女は言った。


「ーーーいいの。私、蒼天がいいの。ずっと一緒にいてくれたから…蒼天じゃなきゃ嫌なの。」


 …俺は、その時はじめて知った。

 たくさんの友達を作り、たくさんの人たちと交流を持ちながらも、彼女はずっと俺を…俺だけを、ただ一人の特別な存在として見てくれていたのだということを。

 それ以来、俺はアンが友達を作ろうと頑張る姿を、疎ましく感じなくなっていった。友達を増やし、コミュニティを広げていって、そして、今日は誰と話せた、友達になれた、と、眩しさすらも感じる笑顔で俺に語る彼女を、もっともっと好きになっていった。

 だから、はっきりと言える。

 俺は男子生徒を見て、ゆっくりと話し出す。

「…さっき、俺がお前にでかい声で怒鳴ったのは、お前がアンになにかろくでもないことをしようとしていたのだと思ったから…俺を特別な存在として見てくれている彼女を、俺から奪おうとしているように見えたからだ。声をかけるにあたって、お前がアンに対して何か特別な感情があったのかなかったのか、それは知らない。でも、オーディンとしてただただ焦ってたにせよ、それともアンに特別な感情を抱いていたにせよ、お前はアンに声をかけ、専属オーディンになろうとした…俺から、俺の大切な存在であるアンを奪うことに繋がることをだ。その事実を、お前に忘れさせようとしたり、なかったことにさせる気はない。


 だが…それは俺個人がお前に考えてほしい問題でしかない。


 アンの立場で考えてみればどうだ?アンは今、お前が困っていそうだったから話を聞いた、と言った。人類皆兄弟ならぬ友人という考えを持っているアンだ。そんな彼女だからこそ、お前を放ってはおけない、と思って話を聞くことにしたんだろう。…果たして、俺は彼女の行動を否定することはできるだろうか。そんな権利があるだろうか。

 断言できる。そんな権利はないし、あったとしてもしたくない。…もしもそれをしてしまったとしたら、俺自身が大好きなアンのことを否定することになるからな。…だから、お前がアンに何らかの危害を加えたりしていないのなら、俺はお前に対してこれ以上の追及はしない。もちろん、二度目はないと思ってもらわないと困るが。」

「蒼天…。」

 きらきらした目を向けてくるアン。それにリーザが同調したように言う。

「へえ…浦澤君、いいこと言うじゃない。ついでに惚気るのも忘れないのが君らしいけど。」

「茶化すなリーザ。俺は真面目な話をしてるんだぞ。」

 俺はそう返しながら、なんとなく、俺がリーザと話すきっかけがアンだったということを思い出す。

 当時からリーザは、俺たちの学舎における実態などまったく気にすることなく、アンの声に応え、友達になってくれた数少ない人間だった。確か、教室で本を読んでいた俺に、


「蒼天、新しいお友達できたよ~!ヴァルホルに来てからはじめてのお友達~♪」


 …と言って、アンが後ろから満面の笑顔を浮かべて抱きついてきたんだったな。

 そんなことを思っていると、男子生徒が俯いたまま、ぽつりぽつりとつぶやき始める。

「許されたところで、俺が『脱落者』で、負け犬で、ヴァルホルに居場所がないことに変わりはない。それならーーー」

「…あ、あの…ちょっと待って!!」

 今まで、話を聞くことに集中していたローレライ先輩が声を上げる。


「自分に居場所がないなんて…そんなこと言わないで。…その…確かに、わたしはあなたのことはよくわかっていないけれど…でも、気持ちはわかるの。…わたしもそうだったから。自信もなくて、失敗ばかりで、どこにいればいいのかもわからなくて、そんなわたし自身がここにいることが、たまらなく嫌で、苦しくて…もしかしたら、存在していなかった方がよかったんじゃないか、ってずっと思っていて…。


 でも、そんなわたしを救ってくれた人がいた。わたしがいてもいいところになってくれた人がいた…。


 わたしを信じてくれて、わたしが信じることができるお友達、支えてくれた妹や、お隣のお姉ちゃん…それに何より…わたしが好きになって、わたしのことを好きって言ってくれて、わたしのことを受け入れてくれて、どんな時も、そしていつまでも一緒にいたいって言ってくれた人。そんな人たちがいたから…だから、わたしは今、こうしてここにいることができるの。

 …今のわたしは、はっきりと胸を張って言える。

 わたしがここに…なにより誠さんの隣にいられる、いてもいい、って思えるようになった理由は…わたしが最上位ヴァルキリーだったからでも、ここにいる誠さんがそれを知って、オーディンとしてヴァルキリーであるわたしを欲したからでもないの。ただ、ありのままのわたしを誠さんが受け入れてくれて、わたしもそんな彼に惹かれた…ただそれだけ。

 だから…諦めないで。自分に居場所がない、なんて言わないで。あなたの思い…それをもっともっとわたしたちに教えて。…もしかしたら、助けてあげることができるかもしれないから。希望が見出せるかもしれないから。…かつてわたしが、誠さんに助けてもらったみたいに。」


 そう言ったローレライ先輩が、鶴城先輩の手を握る。鶴城先輩もその手を握り返し、少し苦笑しながら言った。

「あはは…クリスに俺が言いたかったこと、全部言われちゃったな…。俺もみんながいたから何とか社島で今までやってこれた、その中でもやっぱりクリスの存在は大きかった、って言いたかったんだけど。」

「あぅ…ご、ごめんなさい…。」

「あぁ、ごめんクリス…謝らなくていいんだよ、クリスはクリスが伝えたいことを伝えただけなんだから。…それに、俺とクリスが同じこと考えてるってわかったこと、嬉しかったから。」

 縮こまるローレライ先輩と、そんなローレライ先輩の手を握り続けながら、空いた右手で正面に立つローレライ先輩を抱き寄せる鶴城先輩。…お互いに顔を赤くしながらもまんざらでもない顔をしているが…この人たち、この場に俺たちがいること、忘れてるんじゃないだろうな…?なんだか見てるこっちが恥ずかしいわ申し訳ないわ、そんな感覚に襲われるような気がしてならないんだが…と思った時。


「…出逢えるよ。きっと。」


 鶴城先輩が、男子生徒に向き直って言う。


「君を大切に思ってくれる人。君が大切だって思える人。君を信頼してくれる友達、人間性を認めてくれる先輩や後輩…。この学園でそういう存在に本当に出逢えるのか、それは俺たちにもわからないけれど…でも、もしもこの学園で、そんな人に出逢うことができたら…そういう機会に、少しでも多く恵まれることができたなら。

 そんなことを言われても、って思うかもしれないし、最初はそんなことを思えないかもしれない。でも…君や俺やクリス、それにここにいるみんなは、ヴァルキリーやオーディンである前に、一人の人間で、ヴァルホルの学生だ。そして俺たちも、そんな学生のみんなに、この学園に通えてよかった…そう思えるような思い出を作っていってほしい。せっかくの一度きりの学園生活なんだもの、たくさんたくさん楽しんでほしい。その中で、友達が増えたり、認めてくれる人ができたり、大切な人と出逢うことができたり…そんなことがもしも起こったとしたら、とても素敵なことだって思わないかな?

 …だから今は、君の今の気持ちを聞かせて。オーディンとしてでも、ヴァルホルの学生としてでも、理由は何でもいい。君が、君自身の学園生活を、目いっぱい楽しめるようにするために。」


「…俺は、オーディンとして馬鹿にされたくない。ヴァルキリーの役に立ちたい…それがエールの学舎ではできないし、できてる連中には馬鹿にされる…いくら頑張っても駄目だったんですよ…。俺を受け入れてくれるヴァルキリーは一人もいなくて…。転科しようとしたら今度は、逃げるのか、負け組にふさわしいって言われて、悔しくて、そのうち転科も考えなくなっていって…エールの学舎に貼りつかなきゃいけない、エールのヴァルキリー…それもランクの高い連中にしか好かれちゃいけないって思い込んで…。」

 ぽつぽつと話す男子生徒に、鶴城先輩が肩をぽんと叩いて言う。

「うんうん、辛かったね…。よし…本音も聞けた。今、君はヴァルキリーの役に立ちたい、って言ってくれたよね。…実は今、パンツァーの学舎に、オーディンがいないから来てくれないかな、って言ってるチームがあるんだよね。そのチーム、俺やクリスの友達の一人が元々リーダーをしてたチームでね。ちなみにその友達曰く、チームの雰囲気はすごく良くて、誰とでも打ち解けられるし、ランクとか関係なくわいわいできるようなすごくいい子たちが揃ってるらしいんだ。それこそ、羨ましい、自分もこんな雰囲気のチームを作れればよかったのに、ってその友達が言ってたくらいにね。…それで、物は相談なんだけど、もしも転科をしたいって思うなら、この話、受けてみたらどうかな?…あぁ、もちろん、それは君の意志で決めるところだから、俺にできるのはこの提案と、友達を通してチームに話を通してもらうくらいまでだけど…。」

「…俺を…受け入れてくれるかもしれないヴァルキリーが…いる…。」

 男子生徒の目尻から、ぽろり、と一筋の涙が伝う。

「…会長…俺、行きたいです。行ってみたいです…!!話…通してもらえますか?」

 彼の言葉を聞いて、鶴城先輩がにこっ、と笑う。

「うん、もちろん。俺からその友達だけじゃなくて、パンツァーの責任者の先生にも、エールからの転科希望者がいます、って話は通しておくね。多分名前は聞いたことあるとは思うんだけど、白鷺 珀亜(しらさぎ はくあ)先生っていう先生だから。それから、白鷺先生からエールのマルセイエーズ先生にも話を通してもらうことになるとは思うけど、自分でもマルセイエーズ先生に話はしておいてね。…マルセイエーズ先生ってああいう人だから、もしかしたらちょっとハードルは高いかもしれないけど…でも、動くためにはどうしても必要なことだと思うから。胸を張って、自分の気持ちをしっかり伝えておいで。」

「…はい、ありがとうございます…!!」

 男子生徒はそう言って、今度は俺とアンに向き直る。

「浦澤…フローレスも…迷惑かけて本当にごめん。それから…ありがとう、声をかけてくれて、俺のしたことを叱ってくれて。俺…頑張るから。パンツァーの学舎で、ヴァルキリーのみんなに頼ってもらえるように、必要だって言ってもらえるように。」

「あぁ、頑張れ。応援してる。」

 俺は、今度は彼の目をしっかりと見て言うことができた。

「謝らなくていいの。だって…私たちはもうお友達だもん。学舎が変わっても、知り合った人はみんなお友達。それは変わらないから。…パンツァーの学舎に行っても、頑張って。」

 アンがそう言った時。

 いろいろな感情を抑えることができなくなったんだろう。涙を止めることができず、崩れ落ちそうになる彼を、リーザが支える。

 …もう、大丈夫そうだな。

 俺は、俺の隣に立ってきゅっと俺の手を掴むアンの柔らかな手を握り返し、彼女の新たな友達の門出を祝うように、もう一度『頑張れよ』と、心の中で呟いていたーーー


「鶴城先輩、ローレライ先輩、ありがとうございました。」

「私も…ありがとうございました。」

 男子生徒が落ち着きを取り戻し、転科に関する話をエールの学舎の責任者、サラ・マルセイエーズ先生に話してくる、と言って、祠島へと戻るべく昇降口に走っていった後、俺とアンはその場に残った鶴城先輩とローレライ先輩に、お礼を言うために頭を下げる。

「…あれあれー?ねねねね、浦澤君、アン、あたしはー?呼んだのあたしだからねー?」

 何やら口をとがらせてこちらに呼びかけてくるリーザ。

「わかってるよ、リーザにも感謝してる。」

「うん、リーザが先輩たちを呼んでおいてくれなかったら、どうなってたかわからないもん。」

「ちょっとー、アンはともかく浦澤君の反応が寂しいんですけどー!?」

 そんな俺たちのやり取りを見ながら、鶴城先輩とローレライ先輩がにこっ、と笑う。

「ううん、気にしないで。俺たちはするべきことをしただけだから。…でもよかったよ、ちょうどパンツァーにオーディンが欲しいって言ってるチームがあるんだっていうことを把握してて。ね、クリス。」

「はい。わたしたちが役に立てて、本当によかった…。あ、誠さん、さっきのお話って、確かアナスタシアちゃんがΩの子たちにお願いされた、って言っていたお話ですよね?あの…彼のお話、わたしからアナスタシアちゃんにお伝えしてもいいですか…?その…わたしとアナスタシアちゃん、お部屋が同じ階なので、伝えやすいかな、って思ったんですけど…。」

「ありがとう、クリス。じゃあ、お願いするよ。でもまあ、とりあえずその前に、珀亜さんに話をしにいかなきゃね。」

「あ…は、はい…!!」

 鶴城先輩の言葉に、ローレライ先輩の頬が緩む。

「じゃあ、俺とクリスはパンツァーの学舎の職員室に行くから。三人とも、気をつけて帰ってね。」

「また明日です。明日の入学式、よろしくお願いしますね。」

 そう言った鶴城先輩とローレライ先輩が、手を繋いで笑顔で話しながら去っていく。

「鶴城先輩とローレライ先輩…今日も仲良しだね。うらやましいなぁ。」

 それを見て、アンがぽつりとつぶやく。

「…そうだな。」

 俺は、何気ないアンのそんな言葉に、そんな言葉を返していた。

「いや、何言ってんのよ、あたしからすれば君たち二人も大概なんだってば…。というか浦澤君、さっきあれだけ大っぴらに惚気まくってたこと、もしかして忘れてるんじゃないでしょうね…?」

 リーザが呆れた顔をして言う。

 …いや、まあ、自分で言ったことにせよ、確かにさっき俺が言ったことはそう捉えられても仕方ない部分ではあるな。アンも似たようなことを思ったらしく、「あ…あぁぁぁぁ…。」と言って顔を真っ赤にしている。

 そんなことを思っていると、リーザはふっと表情を緩め、

「冗談冗談。そもそもあたしだって、浦澤君とアンの惚気は毎日クラスでも生徒会室でも見まくって何やかんや面白がってるし、今さらそんなこと驚いたり馬鹿にしたりしないわよ。…とりあえず一件落着ってことだし、先に帰ってて。あ、生徒会室の鍵はあたしが返しとくから心配しないでねー。」

 と言って生徒会室に戻っていく。

 …リーザが言うと、冗談なのか本気なのか本当によくわからないな。

「…何だか、リーザに気を使わせちゃったみたい。」

「そうだな。とりあえず、帰るか。荷物とか持ってきてるわけでもないし。」

「うん、そうだね。」

 そう言って、俺たちは昇降口に足を向ける。校門を抜け、祠島へつながる五百メートルほどの海中トンネルの入り口に差し掛かった時、アンがぽつりとつぶやく。

「蒼天…ありがとう。」

「ん?」

「その…心配して来てくれたから。それに…私が彼のお話を聞いたこと…あんなことしちゃ駄目だって言わなかったから。」

 …なるほど。

「…言っただろ?アンはあいつが困ってたから話を聞こうとしただけだ。そのことを俺が文句なんて言えるはずがない。…まあ確かに、あいつに言い寄られてるお前のところを見たときは俺も腹が立ったが…。それとこれとは話が別だ。」

「うん、わかってる。蒼天は私のこと、全部理解してくれるから。だから、ありがとう…大好き、蒼天。」

 そう言って、俺の左腕にぎゅっと抱きついてくる。

「…誰かに見られるかもしれないぞ?」

 俺がそんなことを言うと、アンはそんなことを気にすることなく、

「いいもん。私は蒼天の彼女だから。…お友達はたくさん欲しいけど…それでも、私にとって一番大事なのは蒼天なんだから。」

 …本当に、可愛いことを言ってくれる彼女だ。

「…ね、この後、蒼天のお部屋、行きたい。…いい?」

 …上目使いでそんなことを言われたら、俺には拒否権はないし、拒否するつもりもない。

「あぁ。俺ももっとお前と一緒にいたいから。」

 それを聞いて、アンはふにゃ、と顔を緩める。…いつも思うが、その顔は反則だ。

 そんなことを思いながらゆっくりと海中トンネルを歩き、いつもより少しだけ時間をかけて祠島の寮に着くと。


「…ちっ。」


 舌打ちが聞こえて振り返ると、階段の踊り場にいる数人の男子生徒がアンと手を組む俺の方を見て嫌な顔を向けてくる。…とりあえず、俺の部屋が一階でよかった。ああいう連中には関わらない方がよさそうだ…と思った時。


「ぐあっ…。」


 という声と、何かが階段を落ちる音が同時に聞こえてきて咄嗟に振り返ると、先ほどまで踊り場にいたのであろう男子生徒の一人…それもよく見ると、先ほど俺とアン、そしてリーザと一緒にいて、先に祠島へと戻ったはずの男子生徒が、階段の下で蹲っている。

「…おい、大丈夫か!?」

 俺とアンは咄嗟に彼の元へと駆け寄る。…制服を着ていることで外側から見て怪我をしているかはいまいちわからないが…しかし、その顔は苦痛に歪んでいる。彼が踊り場からあの連中によって突き落とされたのだということに気がついたときには、俺はすでに荒げた声を張り上げていた。

「…おいお前ら、一体何してる!?」

 俺は彼の快方をアンに任せ、踊り場の男子生徒たちに詰め寄ると、その中の一人の男子生徒が、ふん、と鼻を鳴らして言った。

「あぁ、生徒会役員様。今さっきそいつに聞いたぜ。『脱落者』のくせに、いっぱしにパンツァーの学舎に行ってヴァルキリーの役に立つことをする、学園生徒会の会長様に話を通してもらうことになってるんだ、とかなんとかな。」

 …俺やアンとこいつらは接点がほぼないに等しいので名前は知らないが、言動を見ればどんな連中なのかはおおよその見当はつく。こいつらはオーディンの中でも全員がヴァルキリーに気に入られている奴ら…エールの学舎風に言えば『勝ち組』と呼ばれてる連中だ。俺はそいつらを睨みつけて、低い声で言った。

「それが悪いことなのか?悪いことだというならなぜ悪い?俺やアン、それからリーザもその場にいて、こいつが鶴城先輩やローレライ先輩と話してた内容は聞いた。こいつはヴァルキリーに気に入られないこと、それにエールに居場所がないことを悩んで、そんな中で鶴城先輩から勧められてパンツァーの学舎に行くことを受け入れたんだぞ。オーディンを選り好みしたがるヴァルキリーと、そんなヴァルキリーに気に入られてるってだけで増長するお前ら、そんな連中の集まってるこの場で、こいつがどれだけ苦しい思いをしたと思ってるんだ?それとも、こいつが別の学舎でお前らと同じ土俵に立つかもしれないことがそれほどまでに迷惑だとでもいうのか?こいつが自分で決めたことに対して、お前らに文句を言う権利があるとでもいうのか!?」

「蒼天の言うとおりだよ…それに、同じ学園のお友達だよ?仲良くしなきゃだめだよ…!!」

 それを聞いて、踊り場の男子生徒たちが爆笑の渦に包まれる。

「浦澤、フローレスも、お前ら負け組の肩を持つのかよ!?自分たちも勝ち組のくせに!!それとも生徒会役員様ってことで調子に乗ってんの!?」

 …何でそんな話になるんだ。

 これ以上こいつらと話しても時間の無駄だと思った俺は、踊り場から目をそらし、突き落とされた男子生徒に声をかける。

「…立てるか?とりあえず、医療ブロックに行くぞ。もちろん、本島の医療ブロックにな。」

 祠島にも専用の医療ブロックはあるが、基本的に生徒会役員が何らかの都合で医療ブロックを使うときは、祠島でのことであっても、必ず本島にある医療ブロックを使うようにと指示を受けている。本島に行くにはまた長い道を引き返さなきゃならないから、戻ってきたばかりの俺たちにとっては二度手間になるし、彼には大きく負担をかけてしまうことにはなるが…しかし、さすがに彼を祠島にこのまま置いておくわけにはいくまい。俺たち生徒会役員がそういったお達しを受けているということもあるが…もしもそれがなかったとしても、少なくとも今の状況においては、俺は祠島の医療ブロックに足を向けることはないだろう。祠島という場所である以上、踊り場で爆笑している連中が何かの拍子に彼の寝首を掻くために動かないとも限らず、下手に騒いだところで問題が問題にならずに立ち消えになりかねず…そして、万が一それが起こってしまったとしたらすべてが遅い。…あまり自分の通う学舎のことに対して自分からマイナスイメージを持ちたくはないが、それほどまでにこの場は危険だということを、俺は直感的に察していた。彼はどうやら骨が折れていたりはしなかったようで、肩を貸せば歩けそうだ。ならば、こいつらに絡まれる危険性が少なく、セキュリティもしっかりしている上、必ず誰かしらのスタッフが常駐している本島の医療ブロックに運んだ方が彼にとっても安全に違いない。

「アン、手を貸してくれ。」

「うん!!…大丈夫?掴まって。」

 アンが言うと、男子生徒は「ま…待ってくれ…。」と言ってから、苦痛に歪む顔で続けた。


「まだ、伝えてないんだ…マルセイエーズ先生に…俺がパンツァーの学舎に転科したいってこと…!!早く伝えないと…。こんなところで…足止めなんて食らってられないんだよ…!!」


 …それだけで、彼の意志がまだ強く生きていることが俺にはわかった。

「落ち着け。とりあえず、お前自身の体の安全の方が先だ。お前に万が一何かあったら、お前に道を示してくれた鶴城先輩やローレライ先輩、それに、お前を待ってくれてるパンツァーのヴァルキリーたちにどう説明する?…心配するな、鶴城先輩が言ってただろう?自分でも伝えることは必要だろうが、マルセイエーズ先生には白鷺先生からも話が通るはずだってな。今のことは俺から鶴城先輩にも伝えておく。あの人のことだ、絶対に悪いようにはしないだろう。」

 そんな俺たちを見て、踊り場の男子生徒たちの視線がこちらに集まる。

「…ふん、まあいい。俺たちや俺たちのヴァルキリーを差し置いて生徒会役員に選ばれやがったお前やフローレスに嫌気がさしてて、元々はそれで俺たちはここでお前たちが帰ってくるのを待ってたわけだからな。そんな中で、そいつが嬉しそうに通りかかったから、ちょっと遊んでやろうと思っただけ…要はこいつを突き落としたのはお前たちにしたかったことのついでだ。…てなわけで、お願いします、お嬢様方。」

 踊り場の男子生徒たちのうち一人がそう言った時。

「…まったく、あんたたちオーディンが私たちヴァルキリーを使いっ走りにするって、ただで済むと思ってるの?というかそもそも私、こうして群れるのってあんまり好きじゃないんだけど?」

「まあまあ、いいんじゃないですか?彼ら、これが終わったらあたしたちに何でも好き勝手言っていいって言ってましたし?」

「えー?嘘ー!?ブランドのお洋服とか、高いアクセサリーとか買ってもらえるの?」

「私はどちらかと言うと彼と一緒にいられるだけでいいなぁ…それこそ寝る間も惜しんで…。」

 …そんなことを言いながら、数人の女子生徒が、俺と突き落とされた男子生徒を快方しているアンを取り囲む。…オーディンの連中と同じく名前はいちいち覚えてはいないが、この場の雰囲気を見て察する。こいつら、全員第三位ヴァルキリー(ゲルヒルデ)以上の奴ら…それに、一番最初に出てきた女子生徒は、名前と顔は一致しないものの、ランクだけは知っている。確か第二位ヴァルキリー(ヴァルトラウテ)だったはずだ。しかも、全員がすでに、レオタードのような衣服と体の各所に配置されている装甲という、『ヴァルキリーエール』特有のスヴェルに身を包んでいる。

「お前ら…まさかここで力を使う気なのか?そんなことしてみろ、寮が吹き飛ぶことになるぞ!!それに、本島の学園の偉いさんや学園生徒会がどんな顔をするか…!!」

「ふん、そんなこと関係ないね。俺たちはお前らを追い落としにかかりたいだけだ。わかってんだろ?本島の常識は祠島の非常識。本島で許されないことでも、祠島なら許されるんだからな。」

 …まずいな、ただ話が通じないだけならまだ無視するだけでよかったんだろうが…ここにいる全員がヴァルキリーを連れてきていて、しかも学園の規則やら何やらを無視して物理的に俺たちを黙らせようとしているなら話は別だ。だがどうすればいい?俺とアンがこちらも規則度外視でビフレストを繋いで本気で戦うとして、第三位ヴァルキリーであるアンが、ヴァルキリー・オーディン間における相性が並程度の俺とのビフレスト接続で得られる力は、せいぜい第二位ヴァルキリークラスまで。しかし、ここにいるヴァルキリーの連中は、オーディンが周りにいる以上、全員が少なくとも俺とアンがビフレストを繋いだ時とほぼ同じくらいの能力の向上を約束されている上、素のランクにおいてアンに一段階勝るヴァルキリーもいるときている。そしてこの数…もしも俺とアンが、鶴城先輩とローレライ先輩のように箆棒に相性がよく、俺とのビフレストの接続によって爆発的にアンの力を向上させることができるのならばまだしも、それができない以上、この状況では勝ち目はない。…何とか一瞬だけでも隙を作って、アンと彼だけでも本島に逃がすか…?いや、アンの性格上、俺を一人ここに置いて逃げるなんてことはそもそもしないだろうし、それができたとして、連中がアンをみすみす逃がしてくれるとも思えない。くそ…考えろ、どうすれば…?

 …その時。


「んー?浦澤君にアン?鍵返しに行ったあたしより先に帰ったと思ったら…そんなところで何してんの?…というか、何でさっきの彼のところを支えて、しかもスヴェルを着た子たちに囲まれてんの?」


 寮の入り口から聞こえた声を聞いた瞬間、俺たちを取り囲んでいた連中が、引きつった顔をしてそちらを向く。

 今の声…リーザか!?

 本島から戻ってきたのか、と俺が思う間に、リーザは「…まあ、多分あたしの予想で大当たりだろうけど…。」と言いながらこちらに近づいてきて、うーん、と考えるような素振りを見せながら言った。

「ヴァルキリーの子たちがスヴェルを着てる、っていうことは…もしかして君たち、お休みの間に欲求不満になっちゃった?じゃあここにいるみんなで、あたしとこれから模擬戦でもしよっか。演習場の利用許可、すぐ取るわよ?あたしも一日生徒会室に缶詰めだったから、ちょーっと羽根を伸ばしたいなー、って思ったりもしてたしね。…あ、もしかして摸擬弾じゃ嫌?じゃあ、本島にある実弾を使える演習場借りよっか。大丈夫、あたし高等部の生徒会会長だし。お任せだよー。さあさあ、最初にあたしと戦いたいのは誰かな誰かな?あ、別に全員一緒にかかって来てくれてもいいけど。うーん、それはそれで楽しいことになりそう♪」

 …リーザの顔がどんどんにこにこ顔になっていき、声色もどんどん楽しそうになっていく。しかし、周りにいる連中の顔はみるみる青ざめていき、


「わ、私…帰るわ。…ほら、あんたも早く来なさい!!」

「いでっ…!!ひ…引っ張らないでくださいよ!?」

「会長を敵に回したくないから仕方ないけど…そういえば…好きなことしてくれるっていう約束はどうなるの?」

「うっ…。」

「そうそう!!お洋服やアクセサリー、買ってくれるんでしょ?」

「私は彼と一緒に…うふふふふ…。」

「お…おいお前、『脱落者』連中に貢がせた金持ってるんだろ!?俺によこせよ!!」

「ふざけんな!!俺が彼女に貢ぐ金がなかったから連中から巻き上げることにしたんだぞ!!」

 

 そんなことを言いながら、俺たちを取り囲んでいたそそくさと各々の方向へと立ち去っていく。それを見て、リーザがぷくっと頬を膨らませて言った。

「…んー、相変わらずつまんないわねぇ…。エールの学舎が弱肉強食の世界なら、一人くらいあたしのところに果たし合いでもなんでも仕掛けてくる子がいてもいいのに。実際いろいろストレスも溜まってるんだから、発散相手くらい引き受けてよー…。」

「…リーザ、それ、リーザが最上位ヴァルキリーじゃなかったら叶ってたんじゃないかな?」

 アンの意見を、俺はうんうん、と首を縦に振って肯定する。

 …実は、リーザはヴァルホル入学の後、一度も誰かから喧嘩を吹っかけられたことがない。この場所がエールの学舎がある祠島で、なおかつオーディンがいないにも関わらず、だ。…その理由は、何だかんだ人が良く、そもそも猫をかぶっていることもあり、嫌われる要素やいじめに遭いやすい弱みもなく、あったとしても弱みなど見せる性格でもない、ということもあるが、そもそも、リーザが現在の高等部における唯一の最上位ヴァルキリー、すなわちオーディンからのビフレストの接続による力の供給がない状態でも格下のランクのヴァルキリーよりもはるかに高いポテンシャルが発揮でき、なおかつ、現在、リーザの出身国であるロシアにおいて空軍の最前線で使われている主力戦闘機のひとつ、Su-30SMの力を宿しているから、ということに他ならないだろう。

 ヴァルキリーの強さは、基本的にはヴァルキリー自身のランクやビフレストを接続するオーディンとの相性に依存し、少なくとも一対一においてランクが上のヴァルキリーに勝つことはできないというものではあるのだが、実は、オーディンとのビフレスト接続による力の一時的な向上以外にも、それを覆す可能性を秘める「性能補正」と呼ばれる要素が存在する。それは兵器そのものの史実における本来の性能や逸話など、ランク以外の部分に依存する要素であり、宿している兵器の力や発現した内容によっては、格上のヴァルキリーにも対抗できるほどに強力な要素として機能しうる。しかし、そんな優れた一面もあるものの、場合によっては普段の体調や体質にも異常をきたすほどの爆弾を抱えかねないものでもあり、それがなかったとしても、そもそものランクで負けているのならば、性能補正で対抗できる部分以外はランク相応に収まってしまい、どうしてもその別の部分においては格上に対して遅れを取りやすいことは変わらないため、性能補正という要素自体を過信しすぎることはできない。ついでに言うならば、性能補正は最上位ヴァルキリーにも当然発現する要素であり、なおかつ強力、有名、最新という三拍子そろった兵器に近づいていけばいくほど性能が洗練されていくように、それがヴァルキリーの力として発現した際にも強力な補正として働きやすく、なおかつ爆弾を抱える可能性が低くなるという傾向もあるため、ランクが高く、かつ強力な兵器を宿しているヴァルキリーが強くなるのは当然の流れと言えるものなのである。

 …ここまで言えば、おそらくヴァルホルに通っている人間ならば…いや、下手をすれば外部の人間だったとしても、最上位ヴァルキリーであり、なおかつ現在進行形で軍によって正式採用されているほどの強力かつ有名な戦闘機の力を宿すリーザがどれだけ強力なヴァルキリーかというところは嫌でも理解できるだろう。…さすがに、性能補正云々を考える必要すらないほど規格外の才能の持ち主であるらしいローレライ先輩なんかと比べてしまえば、そりゃ足元にも及ばないものだが、それは比べる対象が明らかにおかしいというべきものだ。…ともかく、学生たちがリーザの力を認めている…と言うよりも認めざるを得ず、万が一下手に喧嘩を吹っかけて負けた、なんてことになったら学舎中の笑いものになりかねないからこそ、彼女はエールの学舎という無法地帯のようなところにオーディンのいないヴァルキリーとして所属していながら、何のヘイトも集まることがないのだ。

「サンキュー、リーザ。助かった。」

「…ありがとう、リーザ。」

 俺とアンがリーザに言うと、リーザはにこりとして、

「気にしないの。浦澤君は真面目で規則は絶対破りたくないだろうし、アンはそもそも喧嘩はしたがらないもんね。だから、ああいうめんどくさそうなのを散らすのはあたしに任せて。…ついでに、あたしも彼を運ぶの手伝うわ。なんか怪我もしてるみたいだし、察するに、本島の医療ブロックに連れて行こうとしてたんでしょ?さっきみたいなことがまた起こらないとも限らないし、ここまで来たら乗りかかった船ってものよ。」

 …やはり、厄介事だったと気付いていたか。まあ、武装した連中があんな物々しい雰囲気を纏っていたら、誰だって厄介事だと思うだろう。

 そんなことを考えながら、俺たちは本島の医療スタッフに男子生徒を引き渡すため、彼の右側を俺、左側をアンが支えながら、元来た道を引き返す。本島の医療ブロックに着いた時、

「…あぁ、とりあえず、鶴城先輩に話をしなきゃな…。」

 大事なことに気がついた俺は、アンとリーザに彼を任せて廊下に出る。スマホを取り出し、鶴城先輩の連絡先を押して数秒。

「…はい、鶴城です。浦澤君、どうしたの?何か急ぎの用事?」

 俺は、すぐ鶴城先輩が出てくれたことに安堵しつつ、要件を伝えるために口を開く。

「鶴城先輩、今日の間に何度もすみません。…実は、今本島の医療ブロックにいるんですけど…。」

「医療ブロックに?一体どうしたの?さっきいろいろあってからそんなに時間は経ってないわけだけど…もしかして、本島から帰る前に何かあった?」

「あぁ、すみません。何かあったのは俺やアンやリーザじゃないんですけど…実は、さっき先輩たちとも話していた彼が、学舎の寮の階段の踊り場から、うちの学舎で調子に乗ってる連中に突き落とされて…。」

「何だって !?さっきの彼が?……わかった、今から行くからそのまま待ってて…って、うわ、ちょっと、え!?」

「え、せ、先輩!?」

 よくわからない叫び声を出した鶴城先輩の声に続いて、

「もしもーし、お電話代わりました、白鷺でーす。」

 そんな、なんとなくうちの学舎で言うところのリーザのような、のほほんとしているような気もするがしっかり者でもあるような、そんな雰囲気の声が聞こえてきた。

「え…し、白鷺先生!?そこにいらっしゃるんですか!?」

「うん、そうだよー。今、マコとクリスちゃんから、エールのオーディンの子がパンツァーに転科したい、って言ってたっていう話をしてもらってたからね。そうしたら、マコがいきなり電話口で血相変えてさっきの子が云々、とか言うもんだから、ちょーっと気になっちゃって。」

「あ…あのぅ、白鷺先生…?その…お話はわかるんですけど…さすがに誠さんの携帯を盗っちゃうのは…。」

 話を聞くに、おそらく鶴城先輩と一緒にいたのだろう。ローレライ先輩らしき少し縮こまった声が聞こえてきたとき、白鷺先生が言った。

「んー、蒼天君がいるってことは、アンちゃんもいるかな?…まあ、それはいいとして。じゃあ、あたしもマコたちと一緒にそっちに行くから、とりあえずその場で待機って伝えて。それじゃ、また後でねー。」

 …電話が切れる。

 怒涛の展開に俺は面食らいながらも、とりあえずスマホをしまって再び中に入る。

「蒼天…先輩、なんて?」

 俺が入ってきたのに気づいたアンが、俺に聞いてくる。

「すぐこっちに来るらしい。白鷺先生も一緒に来るらしいから、そのまま待機しててくれ、だそうだ。」

「あらら…白鷺先生も来るとか、何かとんでもないことになっちゃったわね…。」

 俺の言葉にリーザが返答すると、本島医療ブロックの責任者、ミレイナ・カーティス先生が奥から出てきて、苦笑しながらも真面目な声色で言った。

「大丈夫よ、あなたたちは何も気にしなくていいわ。生徒会がらみの対応は、たとえ祠島で起こったものでも本島ブロックに来るもの、っていうのは常識なんだから。白鷺先生が来ることなんて、それこそ日常茶飯事よ。…とりあえず、積もる話は白鷺先生たちが来てからにしましょうか。」

 それからしばらく待っていた時、部屋の扉がとんとん、と叩かれる。

「はーい、どうぞ。」

 カーティス先生が扉に向かって声をかけると、つい先ほどと言っていい時間に分かれた先輩二人を引き連れるようにしながら、比較的身長は高めであるはずのローレライ先輩よりも高い背丈をした、長い黒髪の女性…ヴァルホル第一期生の一人であり、ヴァルホル創設当時一人しかいなかったと言われる最上位ヴァルキリー、そして現在、日本の自衛隊におけるヴァルキリー部隊隊長とヴァルホルの教師を兼任し、『ヴァルキリーパンツァー』の学舎の責任者と生徒会顧問でもあるこれまたすごい人…白鷺 珀亜先生が入ってきた。

「お待たせー、蒼天君にアンちゃん。…お、リーザちゃんも一緒なんだね。」

 白鷺先生が、俺たちを見回して言う。それを聞いて、鶴城先輩が頬を掻きながら言った。

「あはは…みんな、なんかごめんね、大所帯になっちゃって。」

「んー?マコ、かわいい教え子兼後輩になるであろう子が怪我したってのに、見舞いに来ない先生兼先輩がいるってーの?それともー、クリスちゃんと二人で来ようと思ってたのにー、って?まあ、気持ちはわかるけどね?あたしから見てもあんたとクリスちゃんは砂糖吐きそうになるくらい甘いし。もう、なんでもいいから早くクリスちゃんと結婚しちゃいなよこのやろー!!」

 そんなことを笑って言いながら、鶴城先輩の肩をがっと掴んで右に左に振り回し始める白鷺先生。

「ぐえっ…ちょ、ちょっと待ってください、誰もそんなこと言ってないですって…!!それに俺とクリスはまだ学生で…というか何回も言いましたけど、結婚は卒業してからって二人で決めてるんですってば…!!」

「何言ってんの、クリスちゃんに指輪まで送っといてさ。あたしや(しゅう)だって、在学中は指輪の送り合いなんてしてなかったんだからね?しかも社島に来た年のクリスちゃんの誕生日、それもその日はホワイトクリスマス、シチュエーションは鐘の音響き渡る中!もうあの年のあの日が結婚式の日だったって言ったって誰も文句言わないんじゃないの?そんな偶然なかなかないよ?あたしたちがあんたたち二人を迎えに行った時、本当にびっくりしたんだからね?二人仲良く手を繋いで、あまつさえ左手の薬指に二人して指輪してるなんてとこ見せつけられちゃったもんだからもう…。」

「あ…あわ…あわわわわわ……。」

 鶴城先輩を白鷺先生が振り回す中、その後ろでローレライ先輩が顔を真っ赤にしながら慌てている。…婚約している云々というのはさすがに噂でしかないだろうとたかを括っていたのだが…どうやら本当のことだったらしい。

「はいはい、学園生徒会会長と副会長、それに顧問が揃いも揃って医療ブロックで騒がないでください。別室ではあるけれど、他にも体の調子が良くなくて、ベッドで寝てる子もいるんですから。ちなみに、その一人は三人とも心当たりがある子のはずですよ?」

 頭を抱えながら言うカーティス先生の言葉に、白鷺先生の手が止まる。

「あ…そういえば、さっきまたリゼットちゃんが体調悪くしちゃった、ってパンツァーの寮から報告来てたんだった…。確かシャーリーちゃんとヴィクトリカちゃんが医療ブロックに連れてきて様子も見てくれてるんだったよね…。後でそっちにも顔出してあげなきゃ…。」

 ばつの悪そうな顔をして白鷺先生が鶴城先輩を開放すると、それを確認したカーティス先生はまた真面目な表情に戻って言う。

「とりあえず彼の方だけど、今、他のスタッフが内臓や骨の損傷がないかどうか確認してくれてるわ。…それよりもよかった、あなたたちがその場にいてくれて。その場にもしもあなたたちがいなかったら、もしかしたらもっと大変なことになっていたかもしれないから。…最初に私が体の怪我を見た時、正直、驚いたなんてものじゃなかったわ。彼、今までも相当に痛めつけられてきたんでしょうね。…服の下を確認してみたら、理由はどうあれ、ただ単に階段の踊り場から落ちただけ、では説明がつかないような切り傷や火傷のような跡がたくさんあったから。向こうの医療ブロックの世話に多少なりともなっていたのかどうか、それは今の段階ではわからないけれど…おそらく、もし世話になっていたとしても、ろくな対応はしてもらえていなかったんでしょうね。」

 …何てことだ。悪口でのいじめだけじゃなく、そんなことまで受けていたのか。

 そんなことを思っていると、カーティス先生が続ける。

「しかし、エールの学舎の気質がこうも変わってしまっているなんて…。昔も確かに競い合いやランクによる格付けをするべきっていう風潮はあったし、やんちゃな子がいたのもいじめを受ける子がいたのも確かではあったけれど、今のエールの学舎みたいに、学舎ぐるみでの極端な格付け推奨は聞いたことがなかったし…。それに、今回のような極端な攻撃的いじめは稀なのかしら。頻発しているのなら、もっと問題になっていいものだと思うけれど…。」

 …実際、悪口くらいなら何回か俺も小耳に挟んだことはあるし、俺やアン自身も今回みたいにアンより高いランクのヴァルキリーやそいつらに好かれているオーディンにちくちく文句を言われたことはある。俺たちがそんな連中やそんな言動に興味がないこともあって気にもしていなかったが…実際はどうなのだろう。治外法権を認めているに等しいヴァルホル本部が生徒会役員に対してそういったお達しを徹底しているのも、そういった状況に遭遇し、それが明らかに度の過ぎるものだと判断した際、本島からどうにか介入を試みるために必要な状況証拠を集めるカウンターウェポンとしてのものなのかもしれない。

「…そういえば、あれだけの怪我や怪我の跡を見たのは、そうね…ただ単に怪我だけなら直近だと今から五年くらい…いじめや暴力云々というものを合わせれば、そのさらに一年前くらいだったかしら。…ここにローレライさんがいて、辛いことを思い出させることになるだろうから、今こんなことを言うべきではないかもしれないけれど。」

「あ…。」

 ローレライ先輩が、ふと、少し悲しそうな顔を浮かべる。それを見て、鶴城先輩がローレライ先輩の肩を抱いて、ゆっくりと優しく呼びかける。

「…クリス、大丈夫?」

「あ…ごめんなさい、誠さん。」

「…あの…それ、どういうことなんですか…?」

 アンが少し遠慮がちに聞くと、カーティス先生が「話してもいい?」と言ってローレライ先輩を見た。ローレライ先輩がゆっくりと首を縦に振るのを確認して、カーティス先生は話し始める。


「一つは、さっき白鷺先生と鶴城君がじゃれ合いながら言っていた日の前日のことよ。あなたたちも知っているはず。…その日は…その年の12月24日は、『史上最大の狼化現象オーバーロード・ラグナロク』の日だから。」


 …史上最大の狼化現象。

 ローレライ先輩の狼化を鶴城先輩が止めたというその日。史上最高のヴァルキリーであるローレライ先輩の狼化というその規模の大きさゆえに、第二次大戦終盤のヨーロッパ戦線において、フランス解放を目的として連合国の行った大規模反攻作戦…延べ200万とも言われる兵力を投入したとされ、後に史上最大の作戦と称されるノルマンディー上陸作戦にちなみ、『オーバーロード』の名を冠することとなった事件だ。自衛隊のヴァルキリー・オーディン部隊が先鋒として出動する事態となっただけでなく、そんな史上最悪の狼化ヴァルキリーと化してしまったローレライ先輩を、既存の戦力では到底止められないことがわかったことで、島そのものの自沈による永久封印措置すらも検討され…そして、元々国連安保理が秘匿し、社島においても限られた人間しか存在を知らされなかったはずの狼化現象とその基本的な対処法、社島においてそれが起こった時の最終手段の方法、そしてそれを抑制できる可能性を秘めるヴィーザル型のグレイプニル遺伝子についての情報が、社島で学ぶ学生たちや、国連加盟国の軍事組織所属のヴァルキリーやオーディン全員に周知されることになった事件でもある。

「…あの日、ローレライさんと戦ったっていう子たちを見た時…私のここでの医療スタッフ人生の中で、実弾を勝手に使って怪我したっていうやんちゃな子たちは何人も見てきてはいたけれど、命に別状はなかったとはいえ、あれほどの大怪我は見たことがない、って思ったわ…その怪我をさせたのが、本当にあんなにも優しくておとなしい子なの?っていうこともね。…ローレライさんって、普段からここに来ることって多かったのよね。周りから聞こえてくるグングニルの音で気絶してその都度運び込まれてみたり、体の弱いお友達の付き添いをしてみたり…それを見てローレライさんのことを割とよく知ってしまっていたから、余計にそう思ってしまったの。…まあ、狼化現象自体、ヴァルキリーが自分自身で止めることはできないものだし、ローレライさんの力の本来の強力さはその当時は全然知られていなかったことだから、こんなことを言っても仕方ないことではあるけれど…。」

 ローレライ先輩が、鶴城先輩の手をぎゅっと強く握るのが見える。…そりゃそうだろう。誰よりも優しいローレライ先輩のことだ。狼化の影響とはいえ、自分の手で人を傷つけてしまったこと…それは、絶対に忘れてはならない自身の汚点と考えてしまっているに違いない。

 カーティス先生の言葉は続く。

「それからもうひとつ…これは鶴城君が島に来る前の話だから、ここにいる高等部組の三人はもとより、ローレライさんのことをよく知っているはずの鶴城君も知っているかどうか怪しいけれど…フィアナ・ロンメルさん…鶴城君の前の学園生徒会会長だから、高等部組の子たちも知っているわよね。その彼女が、ローレライさんが倒れた、って血相を変えてここに連れてきたの。…あの時もびっくりだったわ。ローレライさんはその時、倒れたのは寝不足のせいかもしれません、とか言っていて、その時足を引きずっていたから、念のために体の方を確認しようとした時、足だけじゃなくて、なぜ巻いてあったり貼ってあったりするのかもわからない包帯や絆創膏が体中にあって、その下からたくさんの傷や痣が出てきたのを見て、これは何?って聞いたら、自分はおっちょこちょいだからよく階段から落ちたりどこかぶつけたり切ったりするんです、なんて頑なに言うの。…確かに、ローレライさんが極度の緊張から来る失敗が多い子だって当時から噂ではあったから、あながち間違いでもないのかな、とも思っていたけれど、それでも、ただ転んだり不注意で怪我をしたにしては、服に隠れているところしか怪我をしていない、って思ったところはあったわ。…その後、アンネマリーさん…ローレライさんの妹さんが島に来てから、それはほとんどがご両親やいじめっ子たちの仕業で、ローレライさんが誰にも言わず、誰にも迷惑をかけないように自分で手当てをしていた結果、っていうことが分かったんだったわね。その後、ロンメルさんがローレライさんのお部屋を自分のお部屋の隣にするように学園に働きかけたことでとりあえず体への攻撃は止んで、そのさらに後、鶴城君がいじめの現場に居合わせて、いじめっ子たちのうち一番厄介だった子たちをお縄にしたことで、他のいじめっ子たちも手を出さなくなったのよね。」

「…先輩たちに…そんなことが?」

 俺の口から、そんな言葉が紡ぎだされる。

 …今、扉の向こうで検査を受けている男子生徒に、ローレライ先輩が言っていたこと。

 彼女もまた、そんな凄惨とも呼べるであろう過去に苛まれていた、ということ。それは、それほどまでのことだったのか。…それも、社島に来てからならばまだしも、実の両親にまで。

 俺がそう考えていると、鶴城先輩が続ける。

「ええ、カーティス先生。それは俺も知っているところです。…とは言っても、俺自身はフィアナさんの口から、俺が来る前のことをある程度聞いたくらいで、クリス本人からはそれほどたくさん聞いていたわけではないんです。…クリスの生い立ちについて俺が知っていることは、だいたいは『オーバーロード』の時、クリスの持つティーガーⅠの記憶とクリス自身の記憶を俺が共有したことで知ったこと…。いじめっ子をどうにかした云々も、アナスタシア・シャシコワ…学園生徒会役員でもあるし、さっき、彼の件で名前も出てきてたから、ここにいるみんなは知ってるよね。…とりあえず、彼女が迅速に手を打ってくれて、その後フィアナさんと一緒に助けに来てくれたからどうにかなった、っていう感じですし。…ただ…俺がここに来る前のクリスは、本当に文字通り、自分に向けられるものをすべて自分ひとりで受け止めようとしていた…それだけは俺にもわかるんです。」

 鶴城先輩はそう言って、今度は何かに思いを馳せるような顔をする。

「…俺がクリスと出逢った時に、少なくともクリスの体に向かって目立った攻撃がそれほどなかったのも、今のクリスみたいにほとんどの怪我が綺麗に治ってたのも、俺が島に来る前に、フィアナさんやアンネ、白鷺先生、当時クリスや俺と一緒だったチームのみんなや、他にも、俺の周りであれば重樹 (しげき)たちみたいにクリスのところを心配してくれていた友達…それからカーティス先生たち医療スタッフの人たちが手を尽くしてくれたおかげだったんだ、っていうことも、記憶を共有した時に知ったことだったっけ…最初は目をつぶりたくなるような記憶ばかりだったけど、よく見ると目立ちにくいところどころにそういう記憶がちりばめられてて…ただ、お父さんにひどいことをされてた時の怪我の跡…そのうちの一番大きいものがクリスの背中に今もまだ残ってるのを見ると、記憶を共有した時に見た映像のひとつを思い出したりして、悲しい気持ちになったりもするんです。…閉めきられた暗い部屋で、薬箱も包帯もない中で、クリスが苦しそうに自分のベッドのシーツで背中の怪我の止血をしようとしてて、部屋の外からはアンネと二人のお父さんとお母さんが言い争ってる声が聞こえてきて、それを聞いたクリスが何度もごめんなさいって繰り返して…自分も痛かっただろうに、苦しかっただろうに…だから、俺がしっかりしなきゃ、俺がクリスの笑顔を守らなきゃ、って考えることが…って、あ、しまった…ごめんクリス…余計なこと言っちゃったよね…?」

 話している中で出てきてしまった自分の言葉が失言であったと気付いたのだろう。鶴城先輩が、少し慌てた様子で、しかし心底申し訳なさそうにローレライ先輩に謝罪すると、ローレライ先輩はふるふると首を横に振り…

「…そんなことないです。わたしは大丈夫。だって、誠さんがいるから。…わたしの辛いと思う過去も、一緒に背負ってくれて、一緒に笑って、一緒に泣いてくれるあなたがいるから…だから今、わたしの過去を思い出して…涙を流してくれたんですよね…?」

 そう言って、彼女はそのまま鶴城先輩に…自分では気づいていたのかいなかったのか、彼女が言った通り、語りながら目尻から一筋涙を伝わせていた彼に抱きついて、目を細めながら、深く深く息をする。…まるで、自分の居場所を確認するように。そこにいることこそが、自分にとって一番心地よいのだと、全身全霊で伝えようとするかのように。

「…ありがとう、クリス。」

 そう言って笑みを浮かべる鶴城先輩と、さらに体を寄せるローレライ先輩---と、その時。

 

「…あのー、そこの会長さんと副会長さん?とりあえず、自分たちが何ゆえここに来たのかを忘れてしまってはおりませんかな…?」


「え…。」

「はうっ…。」

 …この先輩二人、今の白鷺先生の一言によって自分たちが一体何をかましていたのかに気がついたらしい。 …まあ正直、俺たちも途中から完全に雰囲気に呑まれまくって目を皿のようにまん丸くしながら映画やドラマのワンシーンを見るかのように見入ってしまっていたが…。

「…彼の怪我やら相当ないじめがあったんだろうってことについての話をする中で、そういえばこんなこともあったわ、って昔話をしてみようっていう気になったのは、もしかすると失敗だったかしらね…?その話の登場人物が自分たちとはいえ、まさかここまでのことになるとは思わなかったわ…。」

「いや、カーティス先生、こうなる予想はさすがにつかないですって…。それよりも、今あたし、すごいこと聞いちゃった気がするんですけど…。あの…鶴城先輩?ローレライ先輩の過去をほとんど丸ごと知ってるのは理解したんですけど…なんで今もローレライ先輩の背中に傷跡が残ってるって知ってるんですか…?それ以外の怪我がほとんど治ってるっていうのも…。」

「…いいところに気がついたねリーザちゃん、あたしもそこについては詳しく聞きたいって思ってたのよ。…まあ、クリスちゃんがお風呂間違えました事件が二人の出会いだったことは知ってるからある程度は不思議ではないけど…でもね、クリスちゃん髪長いし、確かその時って普通に髪下ろしてたって聞くし、その後クリスちゃんがパンツァーの男湯の壁をふっ飛ばした後に目を回してひっくり返ったのは仰向けだったって言うし、他のところはともかく背中はほとんど見えないでしょ?…まあ、あの時のパンツァーの寮の寮長ちゃんやギャラリーがすっ飛んでくる前にクリスちゃんのナイスバディをじっくり凝視する時間がもしもあって、そこでそのことを知ったとしても…それで『今もまだ』っていう言葉が出てくるのはおかしいよね…?それを言ってたってことは…。確かにマコが社島に来たばっかりの時、好きな子ができたら部屋に連れてきてどれだけイチャイチャしてもまったく近所迷惑にならないレベルの防音設備になってるとは言ったけど…ねえマコ、クリスちゃん…正直な話、あんたたち二人どこまで進んでんの?一緒にお風呂?一緒のベッド?それとも------」

「人を勝手に変態に仕立て上げようとしないでください!!というか白鷺先生、俺とクリスは別の階の別の部屋だってこと知ってますよね!?」

「え、でもマコもクリスちゃんもお互いに部屋行ったり来たりしてるんじゃないの?お泊りも結構あるって聞いてるけど。」

「なっ…。」

「はぅっ…!!」

 ぼふっ、というような擬音と共に思わず湯気が出そうなくらい顔を真っ赤にする先輩二名。

「…何でそんなこと知ってるんですか?」

 鶴城先輩の小さな呟きに、白鷺先生がニヤニヤしながら答える。

「いや、あたしパンツァーの学舎の責任者だし。そりゃ学生たちのことはそれなりに把握してるよ?というか寮長室から毎回『今日も片方がもう片方の部屋に行った』ってすんごいミーハー精神旺盛な電話がかかってきたりするし。だから二人がどこまでいってんのかは元々聞いてみたいところだったんだよね。ほら二人とも、しらばっくれないで言っちゃいなよ?大丈夫、最初に言ったでしょマコ?少なくともあたし個人はあんたの恋路は邪魔しないって。」

「あ…あああああの…。わ…わわわわたしと誠さんですから…結婚…お約束していますから…!!だから…ふ…不思議じゃないです!!…わたし、誠さんと一緒にいたくて、何でもしてあげたくて…そ、それに…誠さんが喜んでくださったり…わたしを喜ばせてくださったり…わたしと一緒にいたいって思ってくださるんだったら…その…何でも、させてあげたくて…。」

 真っ赤な顔で小さくなっていくものの、なぜか嬉しそうな顔のローレライ先輩。

「く、クリス、そんなに正直に言わなくていいんだよ…?」

「い…いいんです…!!恥ずかしいけれど…でも…それでもわたしは誠さんの彼女さんで、婚約者さんで…。わたしの望みでもあって…。だから、これはあの…そう、お…奥さん…未来の奥さんの余裕です!!」

 鶴城先輩の言葉に対し決意を込めた瞳で応え、さらに見せつけるかの如く抱きつくローレライ先輩を、そんな困ったようなことを言いながらも、その表情の中に嬉しさを込めた瞳を向けて抱きしめ返す鶴城先輩。

「…愛だね。」

「ええ、愛ですね…。」

「先生方、これが愛を知った女の強さってもんなんですねぇ…。」

 上から白鷺先生、カーティス先生、リーザの順に温かい目で二人を見つめ始め、こそこそ話し始めたと思えば、次の瞬間にはきゃあきゃあと黄色い声を上げ始める。

 …何なんだ、このいろいろな意味で違和感を感じるこの場所というのは。

「…何というか、さらに話がどこかに飛躍しまくってるような気がするんだが…。」

「う、うん…そうだね…。」

 完全に話に置いて行かれている俺とアン。と、

「…っぱり…かな…。」

「え?」

 アンがぽつりとつぶやいた時。

「…と、とりあえず、今は俺たちのことじゃなくて、彼のことに関しての話をしましょう!ね!?」

 鶴城先輩の一言で、鶴城先輩とローレライ先輩を取り巻いてきゃあきゃあ言っていた三人が二人から離れる。

「まあ、マコとクリスちゃんいじりはこのくらいにしといて…とりあえず、あたしの方からちょっとサラちゃんの方に話をしてみるよ。そんな気質が一人歩きしちゃって、ついでに向こうの情報がほとんど入ってこなくなってる理由…あの子が数年前、いきなり社島に戻ってきたことが無関係とも思えないし。それから、蒼天君たちが助けた子のこともあたしに任せて。どうやら彼は話はできるみたいだし、検査が終わったらあたしからサラちゃんに話を通しておくから安心しなって言っておくからさ。…まあ、サラちゃんがあたしの話を聞いてくれるかは怪しいけどね。」

「そうですね…。私もサラと同期という立場や、本島の医療ブロックの責任者の立場を使って探りを入れてみたりしてみますけど…。あまり期待はしないでください。」

 先生二人がそう言うと、鶴城先輩がローレライ先輩が顔を合わせ、こちらも互いに頷く。

「そういえば、白鷺先生…彼のこともですけど、今日、浦澤君たちを祠島に帰すのは危険じゃないですかね?浦澤君たちも危ない目にも遭ったみたいですし…。少なくとも、せめてある程度ほとぼりが冷めるまで、できる限り本島にいてもらった方がいいんじゃないか、って思うんです。もちろん、彼らの授業もあるわけですし、本島と祠島との往復っていう面倒をかけてしまうことはあると思いますけど…。」

「うん、そうだねマコ。さすがに、危ないから一日中起きてなさいっていうのも無理な話だしね。一応、パンツァーの学舎だと、たしか今二部屋空いてるはずなんだよね。んー、ただ逆に二部屋しか空いてないってなると、一人一人に部屋を割り当てるのは無理かなぁ…。ついでにその空きも男の子たちの階しかないから、女の子たちにはちょっと面倒をかけちゃいそうだし…。オーシャンの寮に聞いてみようか?」

 白鷺先生がそう言うと、リーザが手を上げる。

「あ、白鷺先生、あたしは普通にエールの学舎に戻ってもいいですよ?あたしをマークする子たちもいないですし。」

「駄目駄目。リーザちゃんだって女の子だし、うちの学園の一人の学生。それに、リーザちゃんの力を疑うわけじゃないけど、基本的には最上位ヴァルキリーだってスヴェルを着てなきゃただの人間なんだからね。もしも寝てる最中に今日のやんちゃっ子たちが本気で襲ってきたらどうするのさ?運よくそれに気付けたとして、咄嗟にルーンを唱えてスヴェルを纏うことができなかったとしたら、蜂の巣にされるのはリーザちゃんだよ?そもそも、それができたとしたって、ルーンを無暗に唱えてスヴェルを纏うのは基本的には規則違反だしね。一応、学園生徒会役員には有事の時にはルーンの詠唱やスヴェルを纏うこと、それにビフレストの接続は認められてはいるけど、それを授業や学園内行事以外でやったら、いつ、なんの目的で、発砲数は何発で、みたいな感じで、本当に面倒くさい報告書の山が待ってるし。自分のせいでスヴェルを纏うことになったっていうわけじゃないのに、後々そんな面倒なもの書かされるなんてことになるんだったら、そんなことをしないに越したことはないと思うでしょ?先生の指示には従う。オーケー?」

「んー、白鷺先生がそう言うなら…でもどうしましょうねぇ。まだ本決まりではないとはいえ、彼は多分パンツァーに転科すれば自分の部屋になるわけですし、一部屋はそれで確実に潰れるような…。」

 リーザが言い終わるのを待って、今度はローレライ先輩が手を上げる。

「誠さん…あの、わたしが誠さんのお部屋にお邪魔してもいいですか…?そうしたらわたしのお部屋が空くので…女の子二人で使ってもらうことになっちゃいそうなので、ちょっと狭いかもしれないですけど…。」

「あぁ、なるほど。うん、俺は大丈夫だよ。女の子二人、どう?」

「あたしは問題ないです。むしろそこまでしていただいちゃって申し訳ないような…。あ、アンがよければだけど。」

「…うーん…う――――――ん…。」

「…アン?」

 リーザの問いに、うーん、うーん、と繰り返すアン。一体どうしたっていうんだ?そう思って声をかけようとした瞬間。


「わ…私、蒼天と同じお部屋がいいです…!!」


 …というわけで、ローレライ先輩の部屋にはリーザだけが泊めてもらうこととなり、男子生徒の検査に戻るというカーティス先生や、彼と話をしたり、昼間に体調を崩したらしい友人の見舞いをするためにもう少し医療ブロックにいるという鶴城先輩とローレライ先輩、それから白鷺先生と別れた後、俺は渡された鍵を手に、アンと一緒に当てがわれた部屋の前に立っている。

 「……。」

 「……。」

 沈黙する俺たち。そうしていると、脳裏にフラッシュバックするのはさっきの光景。「ははーん、そういうことか」と言ってニヤニヤするリーザ、わかっていないのか、一応俺たちの関係を知っているからか、それとも学園ナンバーワンカップルの余裕なのか、いずれにせよにこにこ顔を崩さない鶴城先輩とローレライ先輩、熱い熱い甘い甘いと顔をぱたぱた煽ぎ始める先生二名…まあ、そもそも元々アンは今日俺の部屋に来るということだったわけだし、俺としてもアンと一緒の部屋は嫌どころかむしろ嬉しいから、結果はどうあれ、それが叶ったのは喜ばしいことだ。しかし…。

「……。」

 アンが真っ赤になって固まっている。俺もアンも、付き合い始めた頃から数えても、お互いの部屋に行ったりしたことは一度や二度ではない。むしろ幼馴染として出逢った時代から数えれば、それこそ覚えていないほどたくさんだ。だからそれほど気にする必要もないとは思う…とも思うものの、まあ、そんなことを言っている俺自身も頬が熱くなってきているのはなんとなくわかっているから、人のことはまったく言えない…。というか、少なくとも俺とアンは本島で暮らす間、この部屋に一緒に住むということでもあるわけで…。泊まりとか、数日間同じ部屋で一緒とか、部屋に行ったり来たりしたことがあったとしても、さすがにそこまではしたことがない。…今日だけでいろんな話を聞いたから理解はできるし、恥ずかしがる一面もあったものの、何だかんだ言って人前で部屋に行きたいとか一緒の空間で暮らしたいとか言えてしまう先輩方は、やっぱりすごい人たちだな。

「…とりあえず、入るか。だいたいのものは揃ってるから好きに使っていいって言ってたし。」

「う、うん…そうだね…。」

 鍵を開け、アンと一緒に中へと入る。祠島の寮と同じつくりの部屋は、まったく違う場所でありながら、なにか奇妙な安心感を与えてくれる。

「アン、とりあえず、荷物置いたら飯に行こう。」

 元々の部屋の鍵と学生証、スマホ、それから財布以外に荷物を持たないまま来てしまったため、とりあえずの寝間着として、俺は鶴城先輩の予備のジャージ、アンはローレライ先輩のお古というピンク色の可愛らしいパジャマを持たせてもらっていた。ベッドにそれらを置いて、傍らのアンの方を見ると。

「……。」

 …なにやら明後日の方向を向いている。

「…アン?」

「…あ…え、何、蒼天?」

「いや、これ置いたら飯にしよう、って。昼飯の後すぐにリーザに呼ばれたり、その後いろいろありすぎて、その間俺たち、何も食べてないしな。まだ食堂も空いてるって言ってたし…。アンも腹減ったろ?」

「あ…うん、すごくお腹減った。行こ、蒼天。」

 言って、ローレライ先輩から借りたパジャマを、俺が借りたジャージの隣に置くアン。…彼女が何を考えていたのかはわからないが、それが何であれ、とりあえず腹が減っていることには変わりない。二人で部屋を出て食堂へと歩いていると、

「…それにしても、誰かに絡まれないってのは、いいもんだな。」

 俺はそんなことを考えてしまう。

 …実際、俺たちを見てああだこうだと文句と共に絡んでくる連中はいない。そんな連中がいないわけではないのだろうが、祠島にある寮よりも明らかにそんな奴は少ないんだろうということは容易に想像がついた。

 …それよりも。

「あれ?アンちゃん?こんなところでどうしたの?」

「お、浦澤にアンじゃないか!二人して今日も仲いいなこの野郎!」

 …そんな、どちらかというと好意的な言葉が目立つ。まあ、それもこれも俺たちが基本的に一緒に行動している…ということもあるだろうが、ほとんどはアンが専らそこら中で友達を作りまくっていることに由来するものだ。

 そうこうしているうちに、俺たちは食堂へとやってくる。

「どれもおいしそう…それに、これ、全部選べるんだ。うーん…何にしようかな…。」

 食券の券売機の前で悩むアン。少し遅めの夕飯なので、それほど並ぶことがないのはいいことだと思いながら、俺は自分が何を食べるかを考える。

「確かに迷うな。エールの学舎だと専ら部屋の設備で自炊してたわけだし、食堂自体ほとんど行かなかったからな…。」

 各部屋にキッチンと調理用具一式があり、なおかつ食材などは本島に来なくてもほしいものを取り寄せて冷蔵庫への保管もできる上、アンが食べることだけでなく料理もでき、自分の分だけでなく俺の分の飯や弁当も作ってくれるということもあって、俺とアンはどこでも一緒に飯を食べることが日課になっていた。

 …というよりも、アンにばかり負担をかけてしまうことに対して幾分かの後ろめたさを感じつつも、食堂だけは行きにくいことこの上なかった、と言った方がいいだろう。祠島の食堂は二つに分けられており、一つは基本的に無料で高いものが食べられる代わりに、主に勝ち組と呼ばれる連中専用であるというところ、もう一つは誰でも入れる代わりに、仕送りや島の各所でできるアルバイトで十分賄えるレベルとはいえ幾分かお金がかかり、メニューもそれに準ずるものになっているというものだ。そこそこのランクのヴァルキリーであるアンとそのオーディンである俺ではあるが、ド庶民かつ食べ盛りの学生には違いないため、無料で食べられるとはいっても、テーブルマナーやら何やらが必要なこともある上にひとつひとつは大した量もなく、なおかつ高飛車な連中が集まるようなところでの雰囲気最悪な食事は御免被りたい。かと言って誰でも入れる方に行こうものなら、今度はアンの第三位ヴァルキリーであるという事実と俺という専属オーディンの存在が面倒なものになってきてしまう。俺たち自身がその場にいる学生たちに勝ち組認定を受けてしまっている可能性があるためだ。いかにアンが友達を作ることに長けているとはいえ、祠島という特殊な場所である以上、その肩書きを背負いながら友人を作ることは容易ではない。アンが前向きに明るく接しようとしても、離れていこうとする人間は非常に多く、アンが友人になりたいと思って相席を頼むと大抵の場合断られてしまい、結局その場の雰囲気を悪くしてしまいかねないということで、俺とアンの暗黙の了解として、『食堂はなるべく使わない』というものが定着してしまっているのだった。

「…うん、決めた。これと…これ!」

 アンがボタンを押す。続けて別のボタンも押す。アンの手に握られた二枚の食券には、『日替わり定食(ご飯大盛り)』と『わかめうどん』の文字があった。

「相変わらずよく食べるな、お前は。」

 俺は、アンと同じ定食ご飯大盛りのボタンを押した後、それをアンと一緒にカウンターに持っていきながら言う。

 アンは昔から、見た目に似合わず本当によく食べる。食べ盛りの男である俺よりも明らかに食べる。俺が知る限りの同年代の日本人女性の平均身長と同じかそれより低めくらいで、ついでに言えば見ただけで細いとわかる体型なのにも関わらず、だ。元々代謝がいいのか、それとも何か別の理由があるのかはよく知らないが、最初にアンの食べっぷりを見た時、この体のどこにそんな量が入るのか疑問に思ったことは確かだ。しかし…それも子供の頃の話。アンがいくら食べても体型が変化しないから、たいして運動などしないでも問題ないことくらいもう理解しているし、おまけに毎回毎回おいしそうに食べるものだから、今ではこのアンの痩せの大食いっぷりを楽しむ余裕すら出てきているくらいだ。

 「いただきまーす♪」

 自分たちが食べる分を受け取り、机に着席すると、アンはさっそく手を合わせて食べ始める。…父親であるアルフレッドさんの日本文化好きが相当なもので、日本に来た時に美翔さんと知り合ってその後結婚しアンが生まれたということもあるらしく、アンの家ではいつも食べる前はいただきます、食べた後はごちそうさまというのが普通に習慣になっているらしい。頬をほころばせながら、幸せそうにもぐもぐと口を動かすその姿は、何やらウサギか何かを見ているようで楽しいものだ。

「…あ、そういえば。」

「んむ…?むぐむぐ…。ごっくん…どうしたの?」

 いっぱいに頬張っているせいでリスかハムスターのごとく膨れていたアンのほっぺが元に戻ったのを確認して、俺は言う。

「さっき言ってたこと…あれ、なんて言ってたんだ?」

 ものすごく疑問に思っていたことを言うと、アンはきょとんとして聞き返してくる。

「さっき…?」

「ほら、さっき医療ブロックで、先生とリーザが先輩たちを囲んで騒いでた時だよ。何か言ってたから、何なんだろうな、って。ついでに言えば、さっき部屋でどこか見てたし…。」

「あ…。」

 箸を持って固まるアン。…と思った瞬間、アンはうどんの入ったどんぶりを両手で持つと、一思いに麺とそれに乗っている大量のわかめを箸で持ち上げて啜り始める。

「…アン?」

「もぐもぐ…ごっくん…。ほ、ほら蒼天、おいしいよ?冷めないうちに食べちゃお?」

「あ…あぁ…。」

 …何やら煙に撒かれたような気もしないでもないが…アンの言うことももっともだ。とりあえず、しばらく本島にいるとはいえ、今度はいつ食堂を使うことになるかわからない以上、味わっておいて損はない。それに、アンにも話したくないことだってあるはずだ。ならば、俺だって無理に聞くわけにはいくまい。


 …そうは言っていたものの、アンと夕飯を堪能した後、アンがなぜ固まったのかを理解することになるとは、俺はまだ知る由もない。


※※※


(another view“Hakua”)


『…はい、マルセイエーズです。』

 電話に出た相手を、サラちゃん…エールの学舎の責任者、サラ・マルセイエーズであると確認して、あたしはよし、と心の中で呟いて言う。

「サラちゃん、白鷺だけど。…言っとくけど、今切ったらあんたの部屋まで押しかけるからそのつもりで。」

『…何の用ですか、白鷺先生。こちらは忙しいので、手短に------』

「じゃあ単刀直入に言うよ。あんたのとこのオーディンの子、一人もらうことになりそうなんだけどさ、本人希望でね。」

 サラちゃんが言う前に、あたしは一言で言う。

「そうですか。構いませんよ。」

 …自分の教え子のはずなのに、あっけらかんと言ってくるサラちゃんに、あたしは少し考えて言う。

「…ねえサラちゃん、その子、そっちの学舎の競争精神でいじめられて、それでうちの学舎に転科することにしたらしいんだけどさ。それ、あんたもう把握はしてんの?」

『そうですか。今知りましたが…そんなことをお話しにわざわざ?』

「そんなこと、って…あんた、自分の教え子でしょ?」

『だから何です?その彼は、エールのやり方についていけなかっただけなのでしょう?『脱落者』らしい逃げ出し方です。そんな弱い者は、このエールの学舎にふさわしくありません。逃げ出さない者たちを受け入れているだけありがたいと思ってほしいものです。本来ならば低ランクのヴァルキリーやヴァルキリーがいないと嘆くオーディンもまとめて国に追い返してしまいたいくらいなのですが。』

 …相変わらず、そういうことしか言わないんだからね。

「…ねえサラちゃん、あたしが気に入らないのはわかるよ。あんたが変わっちゃった根本の原因を作ったのがあたしってこともわかってる。だからそこに関しては何も言えないけど、子供たちを教育する立場の人間が、そんな理不尽な競争精神を育ませるのは違うんじゃないの?あんたもヴァルホルの学生だったんだから、うちの学園の方針、知らないわけじゃないでしょうが。」

『理不尽な教育…そう思われていらっしゃるなら心外です。強くなければならない、そう私に教えたのは他でもない、あなたです。力だけではなく精神も。そういった意味では白鷺先生には感謝しているんですよ、私は。あなたのおかげで私はこういったことを考えられるようになったのですから。私はそれを…あなたに教えられたことを子供たちに教えたいと思っているに過ぎません。競争など、優劣をふるいにかけるための手段の初歩の初歩。競争の中で追い落としが起こるのは至極当然。その程度のことで弱さを見せ、弱さを是とし、それを己の中に残そうとして逃げ出す弱い心の持ち主であったのなら、それは私が教えるに値しない者でしかありません。…ともかく、その彼の処遇は白鷺先生にお任せします。せいぜい、使えるオーディンとして育ててあげてください。では。』

 …電話が切れる。

「…はぁ、あたしのせい…ね。ま、その通りなんだけどさ。でもさ…そのストレスを子供たちにぶつけるんじゃないよ、まったく…。」

 あたしは受話器を持ったまま立ち尽くし、ぽつりとそう呟くことしかできなかった------


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