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幻でも見ているのだろうか。又は狐に騙されているのではないのだろうか。若い女子の体全体が、黒い靄の様な、霧の様な物に包み込まれている。先程までは、確かに無かった黒い物。それがさい銭箱の前に立った途端、現れた。
五郎丸は何度も両目を擦った。だが、何度も何度も擦っても、やはり黒いそれはある。
若い女子は、寺に一礼をすると、袖から小銭を出し、さい銭箱へとそっと入れた。そして胸元で両手を合わせると、ゆっくりと頭を下げ、真剣な面差しでお参りをしている。すると体中に身に纏っていた黒い物が、寺の扉へと向かって行った。いや、扉の中へと吸い込まれる様に、黒い物が体から離れて行く。全ての黒い物が体から無くなると、若い女子はゆっくりと頭を上げ、又軽く一礼をする。そして五郎丸の方に、体を向けた。
「それでは、わたくしはこれで失礼致します。」
若い女子は五郎丸にも一礼すると、ゆっくりと寺を去って行った。
五郎丸は口がポッカリと空いたまま、その場で硬直してしまっている。今見たのは何だったのか。もしやあの黒い物が厄とやらで、それを寺の中に居る妖が、吸い込んで食ったのか。心なしか、来た時と違い、今見た若い女子の表情は、どこか輝いて見えた。本当に厄を食って貰ったお陰だからか。
あれこれと考えていると、脳ミソから煙が出そうになってしまう。
「やはり…妖はあの扉の向こう…中に居るのか…?」
ゆっくりと顔だけ寺の扉に向けると、ゾッと背筋に悪寒が走った。だからと言い、先程までの意気込みが消え失せた訳では無い。只、信じ難い物を目にし、圧巻されただけだ。それと同時に、妖の存在を確信したのだ。ならばやはり、やる事は一つ。
五郎丸はもう一度寺の前に力強く立ち、大きく息を吸った。今度こそ。
「たのもう‼妖とやら、いざ、その姿を現し、我が願いを叶えたまえ‼」
力の入った大きな声で叫ぶ。暫し待つ。
「…。」
暫し待つ。
「…。」
何も起こらない。
拍子抜けし、深くため息を吐いた途端、突然寺の扉が、ガタガタと動き始めた。五郎丸は驚き、ハッと慌てて視線を扉の方へと向けた。と、その瞬間、強い突風な様な物に、体を吹き飛ばされそうになる。思わず両腕を、体の前えと構え、顔を下に向ける。本当に、吹き飛ばされてしまいそうな勢いだ。
暫くすると、体に突風を感じ無くなり、力んでいた体も、自然と力が抜けていった。そっと両腕を下ろし、恐る恐る頭を上げてみると、寺の扉は開いていた。
「扉が…。妖…妖は何処へ⁈」
が、扉の中は、空っぽだった。
五郎丸は、寺の周りをキョロキョロと目玉だけを動かし、妖の姿を探す。どこにも見当たらない。そう思った瞬間、後ろから「キシシ…。」と言う、奇妙な笑い声が聞こえて来た。笑い声に驚いた五郎丸は、思わず体が跳ね上がり、ゴクリと生唾を飲み込む。
「後ろだ。馬鹿め。」
確かに、五郎丸の後ろから、声は聞こえて来る。それは何とも、幼い声だったが、背中には言葉では言い表せない、得体の知れぬ恐怖にも似た感覚があった。まるで数千もの針で、背中を刺されている感じだ。
間違いない、妖だ。そう確信すると、五郎丸は恐る恐るも、ゆっくりと体から後ろに振り返る。最後に顔を後ろに向けると、五郎丸の顔色は、真っ青になっていた。が、完全に後ろを振り向くと、顔色は何時もの味気ない顔色に戻ってしまう。
「誰も居らぬ…。」
拍子抜けしたかの様に、ガクリと首を項垂れると、居た。下に居た