クソ人間のクソエッセイ19 悩みをぶっちゃけて良かったと思える日は来ないだろう
話してくれないとわからない、だとか、話したらスッキリするかもよ、とかいう言葉が嫌いだ。
そういう言葉に救われる人がいる事もわかるけど、僕に対しては嫌な言葉でしかない。
僕は自分の悩みだとか、そんなモン話したくない。
悩みというモノは、棘だらけのモノを飲み込んでいるようなものだと思う。
腹にため込めば自分を傷つけるけど、吐き出せば当然腹以外の喉や口といった余計なモノまで傷つけていく。
場合によっては自分以外も傷つける。
だから嫌だ。
その棘による傷を癒す者はいない、棘を吐き出して残るものは、何も言わず怪我する部位を腹だけにとどめておけばよかったという後悔。
でも、結果が後悔”だけ”しかないならむしろ幸運なのだ。
吐き出した棘を見た他人の行動は多種多様で様々、こんなに辛い思いをしていたのねその怪我治してあげると言いながら傷口を抉ったり、この程度の棘で悩んでたのか弱虫死ねと、人の悩みを馬鹿にしたり。
自分の傷をあけっぴろげにすることは、傷口を広げて来る相手がいるという解決が難しい悩みを作る。
後悔どころか問題が出来るのだ
誰かに自分の悩みをぶちまけて、良かったと思えたことなんて一度もない。




