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クソ人間のクソエッセイ  作者: ゴミクズ塵芥ノ丞
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クソ人間のクソエッセイ16 出来たら思考出来る人間じゃなくてバクテリアとかとして生まれたかった

僕の感覚はまるで信用ならない。

自分で真面目に仕事をしていても、真面目にやれと言われるし。

掃除をして綺麗になったと思っても、綺麗にしろと言われる。


ソレは僕が間違っているからだ。

僕の認知は歪んでいて、僕が無能で、何も出来ないゴミクズで本当は死んだ方が世の中のためな人間だという事以外正しく認識できていない。



だから、本当は他人に全てをゆだねるべきなのだ。

僕の思考も夢も、人から言われるままの操り人形として生きるべきなのだ。

しかし全てを他人に依存して生きる事は出来ない、僕はゴミクズで、ゴミクズというモノはいくら廃棄しても問題無いモノだから。だから、依存先の他人が僕を見捨てる事は簡単に想像がつく。


ゴミクズだから自分の意思とか捨てたほうが世のためなのに、そんな事すると悲惨な末路を辿る。


だったら最初から僕は自分の意思で生きたい。


だってどうせゴミクズにはゴミクズに相応しい結末しか用意されていない。

理不尽に誰かに殺されて、可哀想だねと同情される死に方も無い。

所詮死んだところで、すぐ傍にいた人間が気付き“あぁもう役所に報告しないといけないじゃないか”とか“コイツ死にやがった、樹海とかで自殺してくれれば死体掃除の手間が無かったのに”と思われたり

しながら誰にも悲しまれず、ただ死んでいく。

もしも僕の死を悼む奴がいるとすれば、何の関係もない他人だ。

僕がゴミクズと知らない他人だ。

そんな死に方しか出来ない事は確信できる。


となれば、自分の意志で行動を選択する生き方のほうがマシだと思うのだ。


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