3話 気づいたら‐2
「おはようルイちゃん。ご飯の時間よ」
なんだなんだ?
俺はまだ寝ていたいのに、一体誰が俺を起こそうとするんだ?
まだ会社に行く時間には早すぎるだろう?もう少しだけ寝かせておいてくれよ。
「ルイちゃん? ご飯よ? ママはこの後も忙しいんだから起きてちょうだい」
ママ?
俺の母は既に死んでいるはずだ。一体どういうことだ?
疑問に思いながらも起きろという言葉に従い起き上がろうとするが、思い通りに手足が動いてくれない。
ここで思い出した。
……そうだった――。俺は今赤ん坊なのか。
昨日突然自分の身に起きた出来事を一晩寝てしまっただけですっかり忘れてしまっていた。
いや、忘れてしまったというよりは、まだ実感が湧いていないと言った方が正しいだろう。
とにかく自分の今置かれている状況を再確認できたところで、昨日の記憶を思い起こす。
死んでしまったことを伝えられた後、突然転生して赤ん坊になって、新たな両親の存在を確認し、女神に授けられたスキルを確認した所で眠気が襲ってきて寝たんだったな。
たった一日の間で随分と濃い経験をしてしまったな。
とにかく寝ようと決めてからあっという間に寝てしまったが、もう次の日になってしまったのか。
それにしても赤ん坊になったからか、会社員時代よりもよく眠れた気がする。
夜中に何度か目覚めたりもした気がするが、何度か目覚めた割には朝起きた時に眠気はほとんどなく、熟睡できた時のように眠気も体の疲れも何もない。
これが若さということか。
「ルイちゃんようやく起きてくれたのね!じゃあご飯の時間ですからね~!」
この一言で自分を起こしに来た母親の存在を思い出した。
会社員時代と比べて良質な睡眠をとれたことに感動していたが、これ以上母親を待たせるわけにもいかないため大人しく感動とはお別れをしておく。
母親は食事を与えようと抱きかかえてくるが、昨日を含めてもまだ二回目である俺は、恥ずかしさや屈辱的な気持ちから多少の抵抗を試みる。
しかし、抵抗しようにもこの体は小さくまだ力もないため、少しの抵抗も意味をなさずに簡単に抱きかかえられてしまう。
ただ、恥ずかしさや屈辱的な気持ちを持ちながらも、元社会人として大人の朝は忙しいということを理解しているため、忙しい朝の準備の邪魔をしたくないという気持ちもある。
それでも恥ずかしさや屈辱的な気持ちの方が上回る。
そんな様々な葛藤をしているとも知らずに母親は俺のことを軽々と抱きかかえ、母乳を与える準備を始める。
そして昨日と同様食事の時間が始まった。
ーーーーーー
うん、昨日もそうだったがまだ一日二日で慣れるものではないな。ただ、赤ん坊になったからか今日のミルクもおいしく感じる。
「じゃあルイちゃん、ママはやることがあるからおとなしくしていてね」
母親は俺にミルクを飲ませ終えると、そっと頬にキスをし元の位置へと俺を優しく寝かせ、頭を撫でて部屋から出て行った。
母親がいなくなり静かになった部屋で、俺は現在自分が置かれている状況について考える。
まず、この赤ん坊の体は生後どのくらいなんだ?
目がまだはっきりと見えないとなると、生まれてからまだそれほど月日がたっていないのだろう。
まあ俺は前世では結婚もしていなかったし、赤ん坊というものに関わる機会もなく、そういう知識は一切ないから当てずっぽうだが、そのくらいは知識がなくても分かる。
それにもう一つ分かることは、生まれたばかりの赤ん坊と違い、俺は三十年分の知識を持っているため、普通の赤ん坊とは違うということだ。
つまり、この期間をうまく使えば、この世界の人との力の差をつけることができるはずだ。
この世界がまだどんな世界なのか把握できていないが、とにかく力は必要だろう。
あの女神は、「違う世界で生きていくのが大変かもしれない」とか言っていたから、何よりも自分で生きていくためにも様々な力を身に付けることがきっと生存に役立つはずだ。
……ということでなにかやることを考えよう。
この赤ん坊の体でもできることはなにかあるだろうか。
とりあえず、昨日確かめたスキルでも使えるか試してみるとするか。
――色々とスキルが使えそうなことを試してみたが、どれも無駄に終わった。
スキルの存在は昨日確かめることができ、自身のスキルの詳細も確認できたが、スキルの使い方だけはわからなかった。
この世界ではスキルがあるくらいなのだから、きっとスキルが重視される世界だと思う。
つまり俺がスキルという力を上手く使えれば、生存に役立つかもしれないが、どのようにすれば使えるのかが分からない。
それっぽいと思うものを片っ端から試してみたものの、全て不発に終わった。
今の状態で力をつける方法だと思っていたスキルの使用ができないとなると、他に何もしようがない。
まあこの赤ん坊の状態じゃ仕方がないか。
――いや、待てよ。
スキルを与えられたことでスキルのことしか目に入っていなかったが、もしかしたらスキルが存在するこの世界にはステータスみたいなのも存在するかもしれない。
思い立ったら早速試してみよう。
ステータスが出てくる姿をよくイメージしろ。
イメージするんだ――。
結果から言うとステータスは、スキルのようにイメージしただけでは出てこなかった。
なぜできなかったんだろう。俺のイメージが足りなかったのだろうか。それともこの世界にはステータスはないのだろうか。
まあできないものはしょうがない。
次に進もう。
ステータスは無理だったので、やはりスキルについて考えることにする。
スキルをあの女神にもらったのはいいが、このスキルを発動するには何かそれの元となるものが必要だったりするのだろうか。
家電を使用する際に電力が必要なように、スキルを発動する時も電力のような何かが。
例えば――
この世界に存在するかは良く分からないが、魔力のような異世界ならではの力。
スキルを確認する時にイメージすることが必要だったので、精神力を削るというのもあるかもしれない。
これが一番あってほしくないが、寿命が削られていくとかいう可能性もなくはない。
魔力もそうだが、何か俺がまだ知らない未知の力があって、それがスキルの発動に必要かもしれないが、今の所は可能性だけの話なので、何も分からない。
もしも、魔力や精神力や寿命がスキルの発動に必要だったとすると、それらを消費することによって発動できるのだろうか。
上の二つだったとすれば消費しても大丈夫だろう。
前世の異世界転生物の知識から魔力や精神力は時間経過で回復していくものだと考えられる。
この世界のことを知らないため、もしかしたらこの前提も間違っているかもしれないが、一番問題なのは寿命を削られる場合だ。
寿命が削られていくなら、俺はスキルが使えたとしても決して使わないだろう。
異世界に転生したのだから、スキルのような力は一度は使ってみたいと思うが、長生きするのが今の所の目標なのに、寿命を削ってしまっては意味が無い。
まあ寿命だったらの場合だ。
これが魔力とかだったら、そんな心配は必要なくなる。
そのため魔力が存在するということを信じて、俺は魔力を感じ取ろうと色々と頑張ってみる。
そもそも魔力は感じ取ることができるんだろうか?
まあ、魔力があるものと期待して試してみるか。
魔力。魔力。魔力。
と頭の中に魔力という存在するかも分からないもののイメージを思い浮かべようとするが、なぜか魔力という漢字が思い浮かんできた。
そうすると――スキルの時のように、俺の頭の中に魔力量というものが浮かんできた。
魔力を感じ取ろうと頑張っていたのに魔力量が出てきたが、そこはまあいいだろう。
魔力量が存在するということは魔力も存在するということだから、存在を確認するという目的は達成した。
ただ、スキルの時と異なり簡単に成功したので拍子抜けだった。
もはやイメージでもないし、そもそも感じ取るものですらなかった。
上手く成功したから深くは考えなくていいだろう。
魔力量 《50》
魔力量《50》と頭の中に浮かんできたがこの世界の基準を知らないからこれは多いのか少ないのかよくわからない。
この魔力量とはもう決まっている量なのだろうか。幼少期の魔法の訓練とかで魔力量を増やすというのは異世界ものの定番だが、魔法というのが存在するのか分からないし、スキルも使えないからそれはできない。
なんとかこの頭の中に浮かんでる数値を変更することはできないのだろうか。
などと考えていると、
魔力量 《50》変更可能
と頭の中に浮かんだ魔力量の文字が変化した。
変更可能!?
なんの努力もしないで魔力量を変えられるのか?
いや、もしかしたらこの世界の人間は自由に魔力量を変更できるのかもしれない。
とにかくこの世界の基準を知らないから、魔力で困らないように最高値まで変更してみるか。
俺の考えが反映されたのか、
魔力量 《000000》最高値
と変化した。
変更後の数値は全部ゼロに見えるが、一番右に最高値という文字があるからゼロではなくきっとこれが最高値なのだろう。
変更できてしまったが、大丈夫なのだろうか。この魔力量の変更というのが分からなかったが、もしかすると何も詳細が分かっていないもう一つのスキルの効果だったのだろうか。
とりあえず最高値まで変更してしまったが、これで魔力量が少なくて困るということはきっとないだろう。
魔力量を変更できたが魔力量というものがあるということは、前世と違いこの世界には魔力が存在することになる。
つまり、スキルの発動に必要なのは魔力なのだろう。
もしかしたら、魔法が存在する可能性もあるが、なんとなくスキルの発動に必要な気がする。
これで疑問が一つ解決はしていないものの、新たな仮説が生まれた。
後はスキルが使えればもっとこの世界の仕組みが分かるのだが、できないことはしょうがない。
今のところあった疑問はある程度片付いただろう。
あとは日々過ごすことによって段々と新たな疑問や問題も増えていくだろうが、少しずつ解決していけるだろう。
この世界のことはまだ分からないことだらけだから、長生きするという目標のために問題や疑問解決のためだけでなく力をつけるためにも情報収集をすることは重要だ。
だが、この体では情報収集もできないから早く体が成長するのを待つのみだ。
そんなことを考えていると、
「ルイちゃん、そろそろお昼ごはんの時間よ」
と先程出て行ったばかりだと思っていた母親が部屋に再び入ってきた。
俺が考え事をしている間にもうそんな時間が経っていたのか。
やることがたくさんあると時間が経つのも早く感じるな。
まあ時間が早く経ってくれないと俺も大きくなれないからちょうどいいが。
しかし、朝も普通に飲んでいたが、たった数回で知らない女性から母乳を飲むことに抵抗が無くなっている自分に驚く。
もしかして俺は適応力が意外とあるのかもしれない。
何も感じず、食事に集中することができる。
もはや恥ずかしいなどという感情は少しもわいてこない。
これもきっとこの体になったからだろう。
「ルイちゃん、今日はたくさん飲むわね?」
食事に集中していたおかげでこんなことを言われたが気にしないでおこう。
母親は俺に食事だけ与えるとまたすぐに出て行ってしまった。
俺は子どものことはよく知らないが、この年齢の子どもは普通もっと世話をするものではないのか。
この世界では子どもを放っておいて育てるものなのだろうか。
それとも俺があまり泣いたりしないから、安心して放っておかれているのだろうか。
どちらにせよ、そのお陰で俺は自由に考える時間が確保されるからいいのだが。
そういえば女神が言っていた、この世界で生きていくのが大変というのはどういうことなのだろうか。
何があるか分からないが、とりあえず何個か仮説を立てておこう。
この世界は治安が悪い――
人類に敵対する存在がいる――
様々な種族がおり異種族間の仲が悪い――
国が存在し、国家間での関係が悪い――
すぐに考えられるのはこのあたりだろう。
まずは治安が悪いというのはなんとかなるだろう。
そもそもこの家で安全に過ごしている時点でこの可能性はないかもしれない。
二つ目の、人類に敵対する存在がいるというのも可能性としてはあるだろう。
この世界にはそのような存在がいるかもしれない。
その場合には生き抜くのは大変だろう。長生きなんて夢のまた夢だ。
三つ目と四つ目はそうであったあとしても個人ではどうしようもないだろう。
こうして考えてみたのはいいが、どれも今の段階では分からないし、まだ何とも言えないな。
それにあの女神が本当のことを言っているとも限らない。
何も分からない状態でこの世界に転生させられたため、あの女神に良い感情を持っていないからか、あまり信じることができない。それとも俺の直感なのだろうか。