11話 行商人‐3
大きな革袋を抱えたジェイクとその隣で満面の笑みで歩くルイ。
そんなジェイクの抱える革袋には本が入っており、袋に収まりきらない本が多数積み重ねられている。
傍から見たら本に対する関心が薄いこの世界で大量に本を抱えているだけでも充分奇妙な光景だが、その大量の本を時折見つめながら満面の笑みを浮かべている子どもがいることで、周囲にはより奇妙な光景に映っているのだろう。
周囲の目も気にせずに満面の笑みを浮かべているルイが口を開く。
「いや~それにしてもたくさんの本を買えたね!これも全部ジェイクのお陰だよ」
「俺のお陰だって?何を言ってんだ?お前さんが買いたいものが本だったからこんなにも買うことができたんだろう」
「いや、ジェイクが色々なことを教えてくれたお陰でこれほどの本が手に入ったんじゃないか」
「そうか?まあ、お前さんの目的だった本がこれだけ買えてよかったな。俺も買いたいものを買えたことだし大満足の行商だったな」
ジェイクはそう言いながら皮製の袋を顎で指す。
ルイは目的であった本を大量に買うことができ、ジェイクも買おうとしていたものを買うことができた。
それだけで今回の行商人の露店は、ルイとジェイクにとっては良い買い物ができたと言えるだろう。
◇
ルイとジェイクは店で本を眺め、ルイは眺めている本のうちの何冊かを買おうと決めたが、いざ代金を払おうとした際に持っていた貨幣の価値について知らなかったことを思い出し、行商人の男に選んだ本を他の人に売らないで欲しいと頼むとジェイクをひっぱり店を離れた。
店から少し離れた所に来ると、なぜルイが急に店を離れたのか分かっていないジェイクが口を開く。
「お前さん、急にどうして店を離れたんだ?本を買おうってところまでいってたじゃないか」
「うん、そうなんだけど。お金を払う所で僕がお金の価値を知らないことに気が付いてさ」
「お前さん神童なのにそういうところは抜けてるんだな!」
ルイの言葉にジェイクはガッハハと大笑いするも、笑いながらこの世界のお金の価値がどの程度なのかを詳しく教えてくれた。
ジェイクが教えてくれたこの国の貨幣価値は、
金貨一枚=銀貨百枚=銅貨一万枚
となっており、この銅貨一枚だとだいたい、パンが一個買える程度のようだ。
つまり、銀貨一枚持っていればパンが百個買え、金貨一枚持って入ればパンを一万個買うことができる。
ルイはそこまで説明を聞いて、先ほどの本の値段を思い出してみると、見間違いでもない限り十冊で銅貨一枚となっていた。
本十冊とパン一個が同じ値段と聞くとどう考えても釣り合わないような値段設定だと思われるが、きっとその日食べられるものとそうでないものの違いなのだろう。
本を手に入れたい今のルイにとっては安い値段で多くの本を買えるため都合の良い値段でもある。
ルイは貨幣の価値も知ったことで両親からもらったお小遣いがどのくらいか確認しようと、貨幣が入った革袋の口を開く。
すると革袋の中には銅貨が五枚入っていた。
つまり、この銅貨五枚で少なくとも五十冊の本を買えることになる。さらに、一冊ジェイクにも買ってもらうから五十一冊もの本が手に入ることになる。
それほどの量の本を銅貨五枚で手に入れられるお得感にルイは舞い上がっていたが、貨幣の価値と本の値段を見てあることに気づく。
ジェイクは一冊好きな本を買ってやると言って、機嫌を損ねたふりをしていたルイの機嫌を直したため、ルイはジェイクを手のひらで転がせていたと思っていた。
しかし、実際はルイがジェイクの手のひらで転がされており、銅貨一枚分もしない条件でルイの機嫌を直したことになる。
本の値段も貨幣の価値も元から知っていたジェイクは、彼の財布にとって痛くも痒くもない条件を提示していたにも関わらず、ルイの演技に一本取られたような素振りを見せていた。
ルイのことを神童と言いながらも結局はルイを手のひらで転がしていた本人は楽しかっただろう。
今なら、あの時になぜ笑いを堪え切れていなかったかがよく理解できる。
あまりにもルイが思い通りに動いてくれて笑いを我慢できなかったのだろう。
ジェイクも本の相場と貨幣の価値を教えたことで、流石にルイがそのことに気が付いたのを感づいたのか、ルイがジェイクに何かを言おうとするよりも先に立ち上がり、移動を開始する。
「さあ、お金の価値も分かった所でそろそろ本を買いに行くか!俺達が早く行かないと行商人も買ってもらえないって勘違いするかもしれないしな!」
ジェイクはそう言うと、ルイを掴み上げて再び店の前にまで連れて行く。
店の前まで来ると先ほどと同じ人が奥から出てきた。
「いらっしゃいませ。またいらしてくれたんですね!あんな事を言いながらも買うのをやめて帰られたのかと思いましたよ」
「安心してください。本を買うのは決まっていたことなので」
「本当ですか!?ありがとうございます!やはり本はあまりにも売れないためお客様に買っていただけるなら全てお安くして銅貨一枚で十五冊にさせていただきますのでどうかよろしくお願いします」
「銅貨一枚で十五冊ですか!?そんなに安いならここにある本ほとんど買えるじゃないですか!」
「こちらとしましては全て買って行ってもらっても構わないくらいです」
あまりにも値引きをしてくれたため、ルイは店にある本全てを買うことにする。
全部で数えてみたら四十五冊あったため、革袋から銅貨を三枚取り出して行商人に渡す。
行商人はルイから銅貨を受け取ると事前に用意していたのか、紐のような物で本を五冊ずつまとめていく。
紐でまとめ終わると本をルイに渡そうとしたが、ルイが持つのは無理だと判断したのか代わりにジェイクに渡していく。
ルイの代わりに本を四十五冊分も渡されたジェイクだが、まったく嫌そうな顔も重い素振りも見せずに持ってくれた。
目的の本を買えたルイは行商人に礼を言うと、ジェイクと共に帰ろうと店に背を向ける。
店を後にしようとすると背後から行商人が声をかけてくる。
「お客様!!どうしても気になったんですが、お客様はもしかして神童ですか?」
行商人のその質問にルイが答えようとする前にジェイクが答える。
「こいつが神童かだって?この歳でこんなに喋ってる奴が神童じゃなかったら何が神童なんだ?」
「やはりそうでしたか!!まさかこんな所で神童をお目にかかることができるとは」
ルイは本人を差し置いて話している二人の間に割って入る。
「違います!神童って呼ばれるけど僕は神童じゃないです!一体神童って何なんですか?」
「神童をご存じないんですか?まあ、最近の若者は確かに詳しく知らない人がほとんどかもしれませんね。神童についてはお客様がお買い上げになったその本に書かれてあるのでそれを読んで頂ければ分かりますよ」
ルイは都市から来た行商人にも神童と言われ、この世界の神童というものがどういうものか気になったが、今回買った本の中に書かれてあると言われたため、詳しいことは本を読んで確認することにする。
今度こそ行商人に背を向けて家に帰ろうとするも、少し歩いた所でジェイクに呼び止められる。
「お前さん、自分の欲しいものが手に入って満足しているみたいだが、何か忘れてはいないか?」
本を買えたことで満足していたルイはジェイクに言われて、忘れていたことがあるか思い出そうとする。
しかし、思い出そうとしてもまったく思い出せないルイは、ジェイクを見て首をかしげる。
ルイの反応を見たジェイクは、やれやれと言いたそうな表情で大きなため息をついた。
「まったく、お前さんだけじゃなく俺も買いたいものがあるからここに来たことを忘れてもらっちゃこまるんだがな?」
「そうだった。ごめん、僕の目的が終わったからすっかり満足してそのことを忘れてたよ」
ルイは少し申し訳なさそうな顔をした後、全く覚えていなかったことが面白かったのか、笑いながらジェイクに謝る。
そして体を180度回転させ、もと来た方向に歩いて行く。
ルイは早く家に帰って本の内容をじっくりと読みたいと思いながらも、自分の買い物に付き合ってくれたジェイクのためにも買い物に付き合う。
自分一人で帰ろうにも本は全てジェイクが持っており、ルイが一人で持って帰れる量でもないため、買い物に付き合うという選択肢しかないのだが。
ジェイクの買い物も、ルイと同じくらいスムーズに終わった。
何が必要なのかをきちんと把握しているのだろう。
余分な物は見向きもせず片っ端から必要な物だけを選び、どんどんと購入していく。
しかも、買う際には値切り交渉をし、最大限まで値切りして安い値段で買っている。
値切っている過程で必要なさそうな他の物も買わされることもあったが、その品を含めてもだいぶジェイクが得をしているような買い方だった。
ジェイクは買う時にお金の入った革袋を出して買っていたが、その革袋には最終的に銅貨一枚も入っていないほど、ピッタリな買い物だった。
もしかすると、最初からピッタリ買い物をするため必要以上のお金を持ってこなかったのだろうか。
「ジェイクは何でそんなに買い物上手なの?値切りとかしすぎてほとんど、ただ同然までになってたじゃん」
「なんでって、これは冒険者時代の癖だな。お金を持っていても節約できる時はできるだけしないとすぐ金に困ってしまう。そんな生活が毎日続くのが冒険者だったからな!」
「へぇ、そうなんだ。そうだ!ジェイクさえ良かったら今度、冒険者時代の話とか聞かせてよ!」
「おう!俺はいつでもいいぜ。今となっては面白い話ばかりだから楽しみにしてな!」
ルイはジェイクの過去が冒険者だったと知った時からずっと気になっていた冒険者の話を聞けることになり、心から喜びが湧き上がってくる。
◇
ルイはジェイクとフーリエ家までの道のりを歩いていたが、突然ジェイクが思い出したかのように両手で持っていた革袋を片手で持ち、空いたもう片方の手で何かの紙袋をルイに手渡した。
「そういえば、お前さんにこれをやるよ。お詫びに本を買ってやるって言ったのに買ってやれなかったから代わりにな」
「あっ!忘れてた!別によかったのに」
「男に二言はないからな!本は買ってやれなかったが代わりのものくらい安いもんだ」
「……じゃあ、ありがたくもらうよ」
ルイは感謝の気持ちと共に何か申し訳ない気持ちで紙袋を受け取った。
中身が気になり歩きながら袋を開けてみると、中には何やら見たこともないお菓子みたいなものが入ってた。
「……これってお菓子?」
「おっ?お菓子だったか?おまけでもらったものだったから何かわかんなかったが子どもが喜びそうなものでよかった」
「……まあ、ただでもらえるからありがたくもらってくけど、お菓子か……。しかも、買ったものですらないって……」
「まあ、細かいことは気にすんな!歩きながらでも食べられるからちょうどいいじゃねえか!」
言われた通り、歩きながら食べてみると異世界のお菓子も案外おいしいものだった。
お菓子を食べながら歩いていたら、あっという間にフーリエ家の前に着いていた。
「ジェイク、今日はありがとう。ここまで重い本とか持ってくれたり、行商人から買い物する時とか助かったよ」
「いやいや、俺も楽しかったぜ!お前さんはなかなか面白いやつだったからな!」
そう言うと、またガッハッハと笑い、しゃがんでルイに目線を合わせてくる。
「んじゃ、俺は帰るからお前さんまた会おうぜ!」
「うん。じゃあ、次会う時は冒険者時代の話聞かせてね」
ジェイクは家の前に本をドサッと置くと自分の家に向かって帰っていた。
ルイはこの本をどうやって家の中に運ぼうか考えていると、ちょうど家から母のローズと父のラルバートが出てきた。
「おう!お帰りルイ!本は買えたみたいだな!」
「お帰りなさいルイ!こんなに買ってきたの!?」
「ただいま、お母さん、お父さん!」
ひとまず二人は本を家の中に運び入れ、ルイも家の中に入る。
家の中を見渡すと、行商人の所で見かけたリズとレンスも既に帰っていたようだ。
「おう……。ルイお帰り……。」
「お帰りなさい……。ルイ……。」
「ただいま!どうしたのお兄ちゃん、お姉ちゃん?なんか元気なくない?」
今日の朝とのテンションを比較すると、今はとても低そうだが、何かあったのだろうか?
事情を知ってるであろう父ラルバートがこっそりと教えてくれる。
「実は、二人とも一番買いたいものが買えなかったらしいんだ。二人とも色々と買って帰ってきたはずなんだがな。何か楽しみにしていたものだけ買えなかったのがショックみたいでな。まあ、そっとしといてあげな」
「なるほど……。そんなことが……」
事情は分かったが二人とも何が買えなかったのだろうか。
リズもルイも昼間に行商人の所で見た時には色々と買えていそうな感じだったが。
仕方ない、こういうこともあるだろう。
ルイは自分の戦利品を整理しようと思い、持っていた紙袋をテーブルに置くと、置き方が悪かったのか中のお菓子が少しテーブルに落ちてしまった。
「「ああーー!!」」
急に落ち込んでいたはずの二人が大声を出したため、ルイと両親は驚いてしまう。
「どうしたの二人とも!?」
「なんだなんだ!?」
「驚かせないでちょうだい!?」
レンスとリズは叫んだままの顔でこちらに近づいてくる。
「ちょっと!?ルイ、どうしたのこれ!?」
「どうしたって何が!?」
「このお菓子どこで手に入れたの!?」
「これは今日知り合ったジェイクってお爺さんにさっきもらったんだよ」
二人はお菓子を見たまま固まって動かない。
「このお菓子がどうかしたの?」
「このお菓子が、私がどうしても買いたかった王都で今流行っているって噂のお菓子よ!!」
「へ、へえ……。」
「行商人が来ると分かってから一番買いたかったものなのに、今日行ってみたらこのお菓子だけ売ってなくて落ち込んでたのに……。」
「俺も実はナイフを買いたいって言ってたけど、このお菓子もとてもおいしいって聞いたから凄く楽しみにしていて、買えなくて落ち込んでたのに……」
レンスとリズはそう言うとまた落ち込んでいってしまった。
このお菓子そんなに有名なものだったのか。
食べていてとてもおいしいと思ってはいたが、まさかそんなにすごいものだったとは……。
このお菓子のすごさに驚いていたが、あまりにも二人の落ち込み具合がすごいので提案してみる。
「よ、よかったらお兄ちゃんとお姉ちゃんもこのお菓子食べる?もちろんお父さんとお母さんも」
すると、先ほどまで落ち込んでいた二人の顔が急に輝き始めた。
「……い、いいの?」
「……ほ、ほんとに?」
二人は少し怖いくらいルイとお菓子を交互に見つめてくる。
「うん。僕はただでもらっただけだし、さっき食べたから」
ルイがそう言うと二人はものすごい速さでお菓子に食らいついていく。
その光景を見ていると、食への思いが強いとこうなるんだなと感じる。
ルイはお菓子に食らいつく二人を見ながらも、買ってきた本のことを考えていた。