10話 行商人‐2
頑張って走った結果、想定よりも早く村の南門まで辿り着いた。
しかし、南門には行商人はおろか、村の人さえ誰一人としていなかった。
「もしかして、隣の家のおばさんに騙されたか?」
最初はおばさんのことを疑ったが、おばさんに聞いた内容を思い出した所、おばさんは南門に行商人が到着したとしか言っておらず、南門付近で商売をするとは一言も言っていなかった。
来る途中のことを思い出すと、人を見かけはしたが、南門に近づくにつれだんだんと少なくなっていった気がする。
その時点で気がつけばよかったのだろうが、南門に向かうことに夢中で全く気が付かなかった。
行商人が商売をする場所はどこか違う場所なのだろうか。
「おっ?これはこれはフーリエ家の神童じゃねぇか!!いったいこんなところで何してんだ?」
ルイがひとまず家に帰ろうと考えていたところに声がかる。
声の主の方を振り向くと、そこにはルイが立っていた近くの家からタイミングよく出てきたであろう、禿頭で白髭の筋骨隆々な身長180㎝ほどありそうなおじいさんがいた。
この村の人なら挨拶回りをした時に一回は見たことがあるはずなので、ルイは記憶の中から必死に思い出そうと努力するが、やはり人が多かったことや疲れていたせいか全く覚えていない。
これほど見た目に迫力がある人なら忘れることはなさそうだが、驚くほど記憶がない。
向こうはルイのことを知っている様子なので、やはり一度は会っているのだろう。
ひとまず、ルイは覚えていないことがバレないようにおじいさんの名前は言わずに答える。
「実は、行商人が到着したって情報を聞いて、早く行商人を見たくて、急いで南門まで来たんです。けど実際に来てみたら行商人はいないのでどうしようかと困ってたんですよ」
ルイがそう言うと、目の前のおじいさんは白い髭を撫でながら、その見た目通りな野太い声でガッハッハと笑った。
「お前さん、この村で有名な神童だと聞いていたが、案外抜けているところがあるんだな!」
前世の三十年分の人生経験もあることはこのおじいさんは知らないが、抜けていると言われても実際にその通りなため何も言い返せない。
何も言い返せないルイを見ておじいさんはさらに笑う。
「まあ、神童にも意外な一面があることを知れて俺は満足だぜ。それとお前さんさえ良ければ、行商人がいる場所まで連れてってやるよ」
「ほんとですか?ありがとうございます!」
「いいってことよ!俺も今から行こうと思っていたとこだしな。そういえば、俺は有名なお前さんの名前は知っているが、お前さんは俺のこと知らないだろ?お前さんが村中を回ってたとき俺は出かけてたからな」
おじいさんの言葉に、ルイは名前を覚えていなかったわけではなかったと安堵する。
「ってことで自己紹介しとくぜ」
おじいさんはそう言ってルイの方に近寄ると、しゃがんで目線に合わせてきた。
「俺の名前はジェイクってんだ。よろしくな!若い頃は王都の方で冒険者をやってたんだが、随分前に引退して今ではのんびりとこの村で過ごしてんだ」
「ジェイクさん、よろしくお願いします。知ってるとは思いますが、僕の名前はルイ・フーリエです。フーリエ家の次男で、なぜかこの村の大人達からは神童って呼ばれてるけど、全然神童じゃありません。」
ルイも自己紹介を返すとジェイクは嬉しそうに笑った。
「ハッハッハ!!やっぱりお前さんは面白いな?お前さんは自分が神童じゃないとか言ってるが、他の一歳児はそんなことできねえから、十分神童だぞ?」
「いえ、神童がどういうものかよく分からないですが、本当に神童じゃないですから!」
ルイは神童という部分を強く否定するも、ジェイクは全く取り合ってくれそうにない。
「そうだお前さん、俺は冒険者時代の癖でな。敬語を使われるとムズムズするんだ。だからお前さんも俺と喋るときは敬語なしで頼むぜ。呼ぶときもジェイクって呼んでくれ!」
「じゃあ、おじいさんも僕のことはお前さんとか神童じゃなくてルイって呼んでよ」
「それは無理だな!お前さんがもっと大きくなって俺よりも強くなったら話は別だがな!」
ジェイクは自分の希望だけを一方的に通し、ルイの意見を拒否すると、すくっと立ち上がり歩き始めた。
ルイは自分の意見が通らないことに少し不満を持ちながらも、置いていかれないように急いでその後を追う。
ルイがすぐにジェイクに追いつくと、歩きながらジェイクはルイに質問を投げかけてくる。
「なあ、お前さんは行商人の所に行って何を買おうってんだい?都市で流行ってるお菓子とかなんかか?」
「いや、僕は行商人からは本を買おうと思っているんだ。」
「本?ずいぶん珍しいものを買おうとするんだな。本なんて買おうとするやつなんかでっかい町でもそんないなかったぞ?いたとしても貴族か、よほどの物好きしか買おうとしないけどな」
「ジェイクの知り合いとかには本を買う人とかいなかったの?」
「俺の知り合いにはそんなやつは……いや、思い出すと俺の知り合いにも一人、本を買う物好きなやつがいたな。そいつは本当に不思議なくらい本が好きで、どこに行くにも本を持って、冒険者の仕事で行った先々の町で必ず本を買っていたくらいそいつは本好きだったが、そんな奴はほんとに珍しい部類だぞ?」
ルイは気になってはいたが、親には聞けなかったことをこの機会にジェイクに聞くことにする。
「ねえ、なんで皆あんまり本を買ったり読んだりしないの?別に本がそんなに高いってわけじゃないんでしょ?」
フーリエ家にも本はあったが、ラルバートが持っていた狩人のための本が二冊程度しかなく、少ないと思っていた。だが、ジェイクのこの様子だとそれでも他の家庭よりは多い方だと思われる。
「面白いこと聞くなあ、お前さん!なんでってそりゃあ、本を読む必要なんてないからだろ!」
ジェイクは本当に面白いものを聞いたかのように歩くのを止めてまでその場で笑い始めた。
そのまま笑い続けること数分、ジェイクは笑うだけ笑い転げ続けてルイが聞いたことについての詳しい理由は教えてくれなかった。
いや、教えてくれないというよりは、本当に心から本を読む必要がないと思っているようだ。
ただここまで笑い転げるものかと疑問に思った。
ルイだからこそ傷ついたりはしないが、普通の子供だったら泣いてしまうレベルじゃないか?
神童だからといって子供扱いしていない証拠なのだろうか?
ここまで笑われるのは何か悔しいので、ルイは分かりやすいように機嫌を損ねたふりをして、未だに笑い続けるジェイクを置いたまま再び歩き始めた。
「おいおい、お前さん待ってくれよ。流石にここまで笑ったのは悪かった。お詫びになんでも好きな本を一冊買ってやるからな?機嫌直せよ」
「言ったね?ちゃんと買ってもらうからね?いや~ありがとうジェイク!」
その言葉を聞いたジェイクはしてやられたような表情を浮かべる。
ルイはその表情を見て満足したフリをしながら再び前を向いて歩き始める。
すると思った通り、背後からはこらえようにもこらえきれていない笑い声が小さく聞こえてくる。
本一冊なんてジェイクには痛くも痒くもないのは、本についての評価を聞いた時に想像がついていた。
だが、ルイは大人だからという理由で、それで満足する子供のような反応をしてあげたのだ。
二人でこんなやりとりをしている間に気が付いたら行商人がいる場所にたどり着いていた。
この村の人々はよほど行商人が来るのを待ち望んでいたのか、商売をしていると思われるスペースには既にたくさんの人だかりができており、まだ身長が低いルイにはほとんど見えなくなっている。
「僕初めてなんだけど、行商人が来るときは毎回こんな感じなの?」
「そうだな。しかし、毎回多いとは思ってはいるが、今回は特にすごいと思うぞ?」
やはり、通常より行商人が来る日が遅れたのがいけなかったのか、待ちきれなかった村の人々が一度に大量に押し寄せているようだ。
「ねえジェイク、買い物はもっと人が少なくなってからにしない?」
「おう、そうだな。俺もそう思ってた所だ。だけどお前さん行商人自体初めてだから店に何があるかとか見たいだろ?見せてやるから少し待ってろよ」
ジェイクはそう言うと両手で軽々とルイを掴み、自分の肩に乗せた。
前世以来の高い視点にルイは懐かしさを感じたが、最近の低い視点に慣れたからか、高さに少々恐怖を覚えた。
ただ、目線が高くなったことで先ほどは見えなかった色々な所が見えるようになった。
行商人が持ってきた荷車を広げた屋台のようなものがいくつか見え、そこにはたくさんの品々が並んでいた。
母さんが言っていた生活で使用する消耗品から狩りに使うための道具や、王都の方で流行っているという服やアクセサリー、それにリズが言っていた物珍しいお菓子など様々な種類の品々が並んでいた。
家ではあまり見ないような様々な品が並んでいるのを見て、確かにこれなら村の人々が行商人が来るのを待ち望んでこのように群がるのも分かると思った。
お目当てである本は無いか探そうと店の品々を端から端まで見渡している最中、なにやら見知った顔が店の最前列の方に見えた。
その見知った顔とはリズだった。
ただでさえタイムセール中のおばさんたちが群がっているような人混みの中、リズはさらに競争率の激しそうな最前列に陣取っている。
何をしているのかと思ったら、周囲には村中の女の子がおり、その子らと誰がよりいい品を確保できるか競っているかのようだった。
周りの子を蹴落とし、自分がより欲しいものを手にする。その姿はまるで、前世で見たタイムセールのおばさん達で、数が限られたもののことになると世界も年齢も関係なく女性はこうなってしまうんだということを思い知らされた。
最前列の争いは見ているだけで少し疲れてくるため他の場所に視線を移すと、今度はそこにレンスがいた。
レンスは行商人と話し込んでおり、何やらとても悩んでいるようだった。
よく見てみるとレンスの両手には狩りで使うと見られるナイフが二本握られており、交互にナイフ全体を穴が空きそうなほど見つめている。
多分だが、どちらのナイフも欲しいと思い、どちらがいいか話を聞いたり自分の目で見たりしているが、それでも決めきれずあのようにしてずっと店の前で悩んでいるのだろう。
レンスは意外と優柔不断なのだろうか。
こんなに人がいる中で二人とも自分の買いたいものを買おうと頑張っているみたいだ。
ルイもそろそろお目当てのものを探すことにする。
ジェイクの上からさらに周囲を見渡すと、明らかに人の視線が向いていないスペースが見えた。
もしかしたら、そこが本を売っているスペースなのかと思いよく見てみると、多くもないが少なくもない量の本が雑に積み重なっていたため、やはりそのようだった。
目的のものを見つけられて嬉しかったが、本を売っているスペースに視線が向いていないだけで、他の物を買う人達でその周囲は埋め尽くされているため、すぐに買いに行ける訳でもない。
「ジェイク、もう充分見たいものは見れたからそろそろ降ろしてくれてもいいよ」
最近では見ていなかった高い視点にずっといたため、少し高いところが怖くなってきた所でそうジェイクに頼む。
ジェイクはルイの言葉を聞くと、持ち上げた時と同様、重さを感じていないかのようにとても軽々と地面に降ろしてくれた。
これはルイが軽すぎるのか、それともジェイクの筋肉がすごいのか、それとも魔鎧を使っているのかどれなのだろう。もしかするとその全てかもしれないが。
それにしてもジェイクはかなり歳をとっていそうだが、それでもこの筋骨隆々な体型を維持できているのはすごいことではないだろうか。
前世でもこの村の他のおじいさんでも、ここまでムキムキなお爺さんは見たことがない。
やはり、冒険者をしていたことがこの体型に関係しているのだろうか。
色々と考えたりして暇を潰していると、いつの間にか人が減ってきた。
「おい、お前さん!人が減ってきたぞ。考え事はその辺で終わりにしてそろそろお目当てのものを買いに行くぞ」
ジェイクにそう言われ、ルイは先ほど見つけた誰も見向きもしなかったスペースに足を向ける。
「お前さん本当に本を買うつもりなんだな。ないとは思うがぼったくられないように俺も着いていってやるよ!」
ルイはそこで自分がこの世界の貨幣の価値を知らないことを思い出す。
貨幣の価値だけでなく、前世のように品物がしっかりとした値段設定になってるとは限らないということも考えていなかった。
「そういえば僕、ぼったくり以前にお金の価値とかまだ知らないんだよね。ジェイク教えてよ」
「ガッハハ!本当に面白いなお前さん!それなのに買い物しようとしてたのか?」
「そうだよ!もういいじゃないか!ほら行くよ!」
ジェイクにまた笑われながら本を売っている場所にたどり着く。
近くで見ると色んな種類の本が置かれており、背表紙だけで判断できるものだと子ども向けの絵本から、大人でも読まないような分厚い本まで様々な本が置かれている。
どんな本があるのか乱雑に積み重なっている本を見ていると、行商人のうち本を売っている担当だと思われる人が奥から出てきた。
「お客さん、珍しいねぇ。こんなに色々とある中で本を見に来るなんて。一体どんなのをお買い求めで?」
商隊の人はジェイクの方を見ながらそう言うと、本を片っ端から持ち上げて表紙を見せてくる。
ジェイクは笑いながら首を振ると、ルイのことを持ち上げた。
「いや、俺じゃなくこの坊主が本をお買い求めでな。どうしても欲しいみたいでここまで連れてきてやったんだ」
「ああ、失礼いたしました!お客様がまだ小さかったもので見えておりませんでした」
さらっとひどいことを言われたが、事実だからしょうがない。ルイが同じ立場だったとしても同じような反応をしているだろう。
「それでは、お客様。どのような本をお求めでしょうか?お好きなものをお持ちいたしますよ」
ルイはどの本を買うか悩みながら、端から端まで全ての本を見渡した。