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一人暮らしのベランダにて

自分は何者か─幼稚園の頃

作者: なす

 苦手なことがある。僕は"それ"がどうしても苦手でいつもうまくいかない。"それ"を上手にできる人に出会うと感心させられる。そう。自己紹介だ。はじめましての挨拶をする相手、またあるときには不特定多数の人たちに向けて、自分が何者であり、あなたとどういう関係性を築きたいと思っているのかを発表する瞬間。自分というものを表現する時間。

 どうしてこんなにも苦手意識があるのか。いつから自分は自己紹介というものが、自分を表現することが苦手だったのかを考えてみた。

 まず、いつからなのかを思い返してみる。覚えている限り最も古い記憶は幼稚園の頃だ。僕が生まれ育った地域の幼稚園には、慣習というのだろうか。ある行事があった。幼稚園の年長組になった秋だ。もしかしたら春だったかもしれないがしっかりとは覚えていない。ただ、暑くもなく寒くもなかったので秋か春だったと思う。

 来年度から小学生になる子供たちが、入学する予定の小学校の校庭、その隅の方に集められるのだ。そこには小学校の先生たちが待ち構えており、さらに奥には在校生が多数、睨みをきかせている。校庭の中心を空けるように円になり、四方八方から僕たちをどんなもんかと観察する準備をしている……在校生にそんなつもりはなかっただろうが、僕にはそう見えた。好奇の目にさらされるその中心部に、これから僕たち園児は並んで行進していかなければならない。しかもよくわからない旗のようなものを持たされて。なんだこれは。なんの旗なんだ。怖い。圧倒的に自分より大きい人たちがこちらを見ている。意味のわからない旗も持たされている。怖い。だが進まなくてはならない。足が重い。でも進まなくては。行進はもう始まっているのだ。必死の思いで前に進む。進んでみて気が付く。なんなんだこの広い校庭は。今まで走り回っていた幼稚園の庭はなんだったんだ。広すぎる。怖い。こんなにも恐ろしい道のりが長い。ああやっぱり……やっぱり在校生がこちらを見てにやにやしているじゃないか。皆はどうだ。同じ園児の仲間たちは、皆は無事か。確認しなければならない。そして皆で団結してこの恐ろしい行事を乗り越えねば…………なんだこれは。なぜ笑っているんだ。なぜどいつもこいつも楽しそうにしているんだ。なにを嬉しそうに旗なんて振ってるんだ。こんなに怖いのに!

 涙が流れていた。仲間だと思っていた皆は、自分とは違う存在なんだ。これは楽しい行事なんだ。でもやっぱり怖い。なんでだろう。なんで僕だけが怖く感じるんだろう。余計に泣けてくる。その様子を見て先生が駆け寄ってきた。知らない人だ。励まそうとしてくれているあなたも、僕にとっては怖さを助長する存在なんだ。

「どうしたのー? みんなと一緒に楽しく歩こうよ。ほら、旗もあるよ? こうやって振るんだよー」

 身ぶり手振りを交えながら慰められた。うるさい。その旗もなぜだか怖いんだ。その"みんな"が僕とは違うから怖いんだ。そんなことを言葉にすることもできずにただ泣いていた。泣き声をかきけすように"みんな"の笑い声が響いていた。


 大人になってわかる。あれは、急激に世界が広くなったことへの恐怖だった。新しい人、新しい場所、今までとの違いに不安を覚えていた。そんな状況の中で、他の子供たちが楽しそうにしている。自分が間違っているんだと感じた。かわいらしい旗も、優しい先生も、間違っている自分を責めているように思えた。子供も大変だな。自分の感情をうまく言葉にできない。表現するための言葉を知らない。ただ、泣くという行為でしか伝えられない。

 数年前に幼稚園の卒園文集を見つけた。そこには面倒を見てくれていた先生からの一言が書かれていた。

「しっかりしている。ただ困ったときに誰にも話せず、ひとり悲しそうにしていることがある。何かあったときは話せるようにしようね」

 もっともなことだと思うが、それは少し酷だろう。先生、今でもそこはあまり成長できていません。

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