アザレア
ただ悔やんだ。
溢れてくるものを我慢して何度も何度も後ろを振り返り、学校を後にした。
特に何の理由もない。
友達とうまくいってなかったわけでもない。
単位が足りてなかったわけでもない。
校則なんか何一つ守ってなかったし帰宅指導なんかしょっちゅうだったけど、毎日遅刻しながらもちゃんと学校には通っていた。
でも、二年になってから全く行かなくなった。
校外学習も修学旅行も行ってない。
金髪にしたり口にピアスを開けたり、学校をさぼっては夜遊びばっかりしてて補導されたり、友達の家にたまってタバコを吸ったり酒をのんだりと、世間で言う『不良』になりかけてたのかもしれない。
そんな私と全く正反対な3つ上の兄は頭も良く、有名な大学に進学し、なんでもできる。
いつもいつも比べられてばかりだったけど、『私は私』って認めて欲しかった。
高校を辞めてから私の世界は狭くなった。
夜遊びばっかで、たまに家に帰ってくれば母は私の顔を見るたび
「もう帰ってくんな」
「でてけ」
「顔も見たくない」
「恥ずかしいから近所出歩くな」
そう言って私を避けるように部屋から出ていく。
私の心にぐさぐさささった。
言われて当然のことをしていたかもしれないけど限界だった。
兄ばかり可愛がるから
寂しかった。
私のことを理解して欲しかった。
寂しくて寂しくて、遊ばれてるってわかってても男の人から付き合ってって言われれば断らなかった。
やられておしまいだなんてわかってるんだけど、それでも私をその時必要としてくれてるならそれで良かった。
ホスト、ヤクザとも付き合った。
結局、私は家に帰るのが嫌になって、彼氏とアパートを借りて小岩で同棲することにした。
本来なら自宅が一番落ち着く場所なのに、そこに私の居場所はなかった。
父と母の仲は悪いし、そんな二人を見ているのも嫌だったし、いつからか父は全く家に帰ってこなくなり、母は男性と出掛けたりしていた。
みんなバラバラ。
ただ同じ家に暮らしてるっていうだけで、『家族』なんていう温かさなんてどこにも感じられなかった。
荷物をトラックで実家にとりに行き、アパートに運んでいる途中、母から『優香はママをボロボロにした。ママはこんなに傷つけられたことがない』
『ママが優香を捨てたんじゃなくて優香がママを捨てたんだからね』
とメールが来た。私が高校を辞めてから離婚の話しなんかしょっちゅうで、父には『離婚したら一緒に住まないか?』と言われていた。
もうこの家族は本当に終わりなんだと思った。
そして、その時まだ16だった私は、同棲なんか簡単に考えていた。
家賃は半分払う約束で、高校を辞めて通信の学校に週1は通わないといけなかったし、昼間のバイトだけじゃどんなに働いてもお金は足りなかった。
それに彼氏は朝から夜遅くまで仕事だからバイトが終われば掃除洗濯炊事はもちろん買い物にも学校も行かないといけないから休む暇が全くなかった。
学校に行ってれば普通の高2の歳なのに、なんでここまでやらないといけないんだろうって思ってた。
やっぱりこの歳で同棲なんて早すぎた。
そんなとき、頭にうかんだのが夜の仕事。
でも問題なのは18歳未満という事。
たまたま友達のお父さんの息子さんがキャバの社長だったから、店の中の様子を見せてもらったりしたけど、やっぱりキャバなんて出来るわけないと思ったし、ああいう雰囲気は苦手だった。
とりあえず夜の仕事に慣れるために最初はスナックで年齢を19歳ということにして働くことにした。
源氏名は母が好きな花『ゆり』にした。
スナックはキャバと違ってボーイがいないから、お客さんのやりたいほうだい。
触ってきたり、キスしてきたりなんか当たり前だった。
でもお金のためだと思って、酒を呑んでは自分の気持ちをまぎらわした。
のまなきゃ金にならないし歌わなきゃ金にならないから声はかれるし喉は痛くなるし、もともとあまり酒に強くなかった私だから二日酔いで頭は痛くなるしこんなに最悪な仕事はないと思った。
のみすぎて歩けなくなって、男友達が店まで迎えにきてくれたりした。
道路では吐くし気持ち悪いし、休みなしで週7で働いてたからもう大変どころじゃなかった。
何のために、誰のために好きでもない夜の仕事なんかやってるのか分からなくなった。
そんなとき、もっと最悪なことが重なった。
おじいちゃんが急に倒れて病院に運ばれて亡くなった。
もう言葉もなくなった。
身内で人が亡くなったのがこれが初めてだったから遺体を見たのも納骨も何もかも初めてで、正直動揺していた。
葬式と納骨の時は髪を黒く染めた。
自分で自分の腕傷つけたり死にたいとか産まれて来なきゃ良かったとか思ってバカみたいなことしてたけど、葬式の時みんなの泣いている姿を見て、残された人が悲しむことに気付いた。
父が悲しんでいる姿を見て心が痛かった。
私も泣くのを我慢しているつもりだったけれど、こらえきれなかったから裏で泣いてた。
そうしたら2つ上のいとこが何も言わないで頭を優しく撫でてくれた。
兄とかみんなみたいに思い切り泣きたいけど、みんながみんな泣いてたらおじいちゃんが悲しむよ。
余計つらくなるだけだよ。
でも一つだけ笑顔になれたのは、葬式を終えてみんなで食事をし、広い会場に最後に父、母、兄がたまたま残って、4人が久しぶりに集まっただけで嬉しかった。
当たり前の事なのに当たり前の事じゃないから、嬉しくて嬉しくて、でも悲しくて複雑だった。
そして、彼氏ともすれ違いばかりだったから、私は実家に戻ることにした。
わずか3ヶ月間の同棲だった。
荷物はまだアパートに置いたままだったけれど、とりにいく暇もなかった。
しばらくして、彼氏と別れることを決めた。年が明けたと思うともう2月で、夜の仕事も落ち着いてきて、週5にしてもらった。
仕事が休みの日は先輩にドリフトに連れていってもらった。
私は去年の6月にその時の彼氏にD1に連れていってもらってからドリフトが大好きになり、その頃から車に興味をもちはじめて、車の雑誌を買ったり、ネットで車のオークションを見るようになった。
ただ一つ、嫌なことは、みんながみんなそういう人ばかりではないけれど、走り屋の先輩が『走り屋は女にだらしない』って言っていた。
確かにそのとおりだと思う。
かっこいい車に乗ってて、ドリフトなんてやってたら女の子なんかたくさん寄ってくるもんね。
ドリフトが仕事と家のモヤモヤした気持ちのいい気晴らしになっていた。
タイヤのこげた匂いと白煙がたまらなく好きだった。
ある日、先輩にドリフトに連れていってもらった時、勇樹さんっていう人と仲良くなった。
22歳でちょっと怖い感じの人だったけれど、話してみると優しくて、おもしろかった。
それが勇樹さんとの出会い。
車関係の先輩はたくさんいたけれど、なぜか勇樹さんとはメールも電話も頻繁にするようになった。
あまり人に言わなかった家の事とか仕事の事とかもさぜか勇樹さんには話せた。
全部受け止めてくれて、全部いいアドバイスをくれる。
大人な考えに気付かないうちに惹かれていたのかもしれない。
そして初めて2人で会った時、勇樹さんから『付き合って』といってくれた。
でも、またどうせ遊ばれてるんだろうなって思ってた。
その時初めて勇樹さんが家庭の事情を話してくれた。
お父さん、お母さんが離婚して2人とも家を出ていってしまったこと、いつ、どうしてそうなったとか。
話してて辛かったんだろうけど、勇樹さんはそんな姿いっさい見せなかった。お互いの事情を理解したうえで2月7日から勇樹さんと付き合うことになった。
新しい彼氏ができたのに、荷物を元彼と同棲してたアパートに置いておくのもどうかと思って、仕事が休みの時に先輩達に頼んで、車3台で荷物をアパートから実家まで運んでもらった。
その時に久しぶりに元彼と会った。
『勝手に離れるな』って抱き締めてきた。
そういえば別れる時も私が一方的に着信拒否したり、元彼をさけていた。
でも正直気持ちは揺れていた。
元彼といた時間のほうが長かったし、一緒にいた時間が長いほど私のことをよく知っているし理解してくれている。
1週間くらいずっと悩んでたけど、私は勇樹さんと一緒にいることを決めた。
今までの適当な男と勇樹さんはどこか違う。
何かが違う。
その優しさや温かさが嘘じゃない。
私の中で何かが少しずつほどけていった。
勇樹さんに夜の仕事辞めてほしいって言われたから、急には無理だったけれど、スナックの仕事を辞めた。一軒家に一人暮らししているから『一緒に住もう』って言ってくれたけど、私は断った。
本当は嬉しい気持ちでいっぱいだったけれど、元彼と同棲してた時のことを考えて、中途半端なままで同棲しても、また同じようなことになりそうだったから、先の事を考えて、私がもっと大人になってからにしようと思った。
初デートは犬吠埼灯台に連れていってもらって、綺麗な海を見た。
使い捨てカメラを持って行って、海の写真とか勇樹さんの写真もとった。
夜は私が勇樹さんの家で料理を作って、『おいしい』って言って食べてくれる勇樹さんの横顔を見ていて幸せだった。
この前実家で久しぶりにアルバムを見ていた時に、途中から真っ白になっていて悲しくなった。
家族で旅行に行った時や、どこに出掛けても、母が家族4人で写真をとりたがった意味が今わかった気がした。
だから勇樹さんとこれからたくさん思い出を作って、たくさんアルバムを作りたいと思った。
バレンタインデーには手作りチョコと、勇樹さんがいつも仕事でスーツを着ているからネクタイをあげた。
そんなに上手くないのに、チョコを嬉しそうに食べてくれて本当に嬉しかったし、次の日の仕事に、あげたネクタイを早速つけていってくれた。たまに喧嘩もするけどすぐに仲直り。
私も新しいバイト先が決まって、もう夜の仕事はしない約束をした。
私が住んでいるのが船橋市で、勇樹さんが旭市だから、同じ千葉県でもだいぶ離れている。
会いたいときにすぐ会えないのが寂しいけれど、メールも電話も小まめにしてくれて、私が悩んでる時は電話で励ましてくれたりした。
勇樹さんのほうが辛いおもいたくさんしてきてるはずなのに、私が助けてもらってばかりで、勇樹さんのこと支えたいって思っても、勇樹さんから見たら私なんてただの子供だろうし、頼りないと思う。
だから少しでも負担にならないようにしてるつもりだったけどいつも空回り。結局負担になっちゃうんだよね。
それでもなんとか順調に1ヶ月が過ぎて、少しずつお互いの事を理解してきた。
そんなとき、私がある事件を起こした。バイト帰りにバイト先まで先輩に迎えにきてもらって、ごはんをご馳走になってドリフトに連れていってもらったところまでは良かったんだけど、待機してるときに、回りに車が一台もいなくて二人きりになったとき、私に彼氏がいることを知っているはずなのに、その先輩がキスしてきて、上に乗っかってきた。
びっくりして抵抗したけど車の中だし男の人の力には勝てないし上に乗っかられたら動けない。
『好きな人とじゃないと無理です』
って言ったけど、結局されるがまま。
最後までやってしまった。
なぜか悔しい気持ちと情けない気持ちでいっぱいで、家に帰って電話で勇樹さんに今日あったことを全部話した。
『誰の女に手出してると思ってんだよ。
俺の女だぞ。
そいつ二度とお前の前に顔だせないように引きずり回してやるから名前教えろ。』
本気で怒ってた。
怒ってたけど、なんか嬉しかった。
私のこと想ってくれてるんだなあって思って。
なんか分からないけれど、この人はいままでの男の人とは違うって思った。
でも、本気で好きになるのが怖かった。
いままでみたいに適当に付き合って適当に別れるのが傷つかないし一番楽だった。
彼氏ができても壁を作って、本気で接することなんかなかったのに、勇樹さんなら本気になっても『大丈夫』だと思った。
何を根拠に大丈夫だと思ったのかは分からないけれど、失いたくないっていう不思議な感情が溢れてきた。
その事件があってから、私は勇樹さん以外の男の人のドリフトに横乗りするのはやめた。
それと、まわりに外見が『ちゃらそうちゃらそう』と言われるし、勇樹さんが落ち着いてる女の子がタイプだって言うから、せめて金髪をどうにかしようと思って、黒染めした。
ホワイトデーの日は私が新しいバイト先のシフトに入ってて、勇樹さんと会えないと思っていたけれど、バイトが終わったあと車で駅まで迎えにきてくれた。
そしてバレンタインデーのお返しにクッキーと、ペアのネックレスをもらった。
とても嬉しかった。
早速勇樹さんにネックレスをつけてもらい、鏡で見てみた。
嬉しくて、笑顔が消えなかった。
手を繋いで歩いたり、腕枕をしてもらって一緒に寝たり、こんな当たり前のことが当たり前じゃないような気がして幸せだった。
こんな優しい気持ち初めて。
家に帰ると全部さめてしまう気がして、ずっと一緒にいたいと思った。
一緒にいないと寂しくて、不安になる。
よく考えてみると、父と母も同じ人間なのだから、一度はこんな気持ちになっていたはずだよね。
父の仕事が忙しくて、あまり家に帰ってこなくなって、きっと母は寂しかったのかもしれない。
そんな少しのすれ違いや、私の事もあって、父と母はお互い背を向け合っていたのかもしれない。
バラバラの家族をどうにか元に戻したい。
また4人で家族旅行に行きたい。
人の気持ちを変えることはてても難しいけれど、今ならまだ間に合うような気がした。
その話しを勇樹さんにすると、
『俺も協力するから、まずは家族みんなで話すきっかけをつくろう。』
と言って、6月に勇樹さん、勇樹さんの友達、父、母、兄、私でバーベキューをやる予定をたててくれた。
仕事が忙しい父と母に休みをとってもらうのも大変だったし、兄と私のバイトもあるし、勇樹さんの仕事もあるし、勇樹さんの友達の直哉さんの仕事もあるし、とりあえずみんなの休みをあわせるのが一番大変だった。
そしてその日はやってきた。
私はバーベキューの野菜担当だったから銚子から私の実家まで勇樹さんと直哉さんに、バーベキューの肉を積んで車二台できてもらって、勇樹さんの車に私と母。
直哉さんの車に父と兄をのせて、事前に調べておいたバーベキューができるとても広い自然公園に向かった。
父と母と兄にはどこへ行って何をやるか全く何も話していなかったから喜んでくれるかどうか不安だった。
そして公園に到着。
直哉さんが炭や網などを持ってきてくれた。
道具や大量の肉と野菜などを見て、父が
『おっ、バーベキューかあ。』
と呟いた。
勇樹さんが一生懸命火をおこしてるところを見て、父がこうやるんだよと横から手を出したりしていた。
勇樹さんと直哉さんが焼いてくれて、途中で父と兄が交代したりもした。
父が母のお皿に焼けたものを入れるのを見て、私は何だか嬉しかった。
外見は少し怖くてもいつもテンションが高い勇樹さんと直哉さんが、気まずい雰囲気をなくそうと、みんなを笑わしてくれた。
みんなの笑顔を見たのは本当に久しぶりだった。
片付けをする時は母が進んでやってくれた。
次に向かったのが葛西臨海公園。
勇樹さんと私、父と母、直哉さんと兄で観覧車に乗った。
二人が何を話していたのかは分からないけれど、久しぶりの二人きりの時間は短いようで長かったのかもしれない。
観覧車の一番上に来たとき、勇樹さんとそっとキスをした。
観覧車を降りるともう夕方近くの時間になっていて、少しずつ夕日も沈みはじめていた。
暗くなる前に、私が一番やりたかったこと。
カメラを出して、近くを歩いていた人に、観覧車を後ろに、写真をとってくれるよう頼んだ。
『えー』という顔をしていた兄も仕方ないというように素直に並んでくれた。
『はい、チーズ』
そして次は直哉さんがぬけて、勇樹さんがカメラを持ち、父、母、兄、私で並んだ。
家族旅行に行った時あんなにめんどくさがって撮っていた写真を自分から進んでとるなんて思ってもいなかった。
『はい、いちたすいちはー?』
カシャッ。
私は横目で父が母の肩に手をかけたのを見逃さなかった。
やっぱり家族なんだな。
最後は歩いてみんなで海のほうに向かった。
夜の海は静かでとても綺麗だった。
広くて広くて、ずっとどこまでも続いている。
でも見えないところに果ては必ずある。
空には星がうっすらと見えて、こんな広い世界の中で生きている私はとてもちっぽけだけど、私にとって家族や勇樹さんはとても大きな存在だった。
何を考えているのか分からないけれど、みんなしばらく無言だった。
『みんなみんな幸せになれますように。』
私はそう願った。
帰りの車の中、寂しい気持ちでいっぱいだった。
せっかく1日みんなで一緒にいられたのに..
またいつもと同じように戻っちゃうのかな。
家につくと、父と母と兄が口をそろえて勇樹さんと直哉さんと私に『ありがとう』と行ってくれた。
ありがとうって温かい言葉だな。
あのときとった写真を4枚焼き増しして、写真たてを4個買ってきて、父と母と兄に渡した。
しばらくたったある日、リビングのゴミ箱を倒してしまい、中身を戻そうと思った時、ビリビリに敗れた離婚届けが私の目にうつった。
嬉しくて、景色が歪んだ。
それから約一年が過ぎた。
私は高校を卒業し、医療事務の専門学校に通っている。
『ただいまー』
玄関から勇樹の声がした。
『おかえり。』
エプロンをしたまま玄関へ勇樹に抱きつきにいく。
『いい匂いするねー。早くご飯にしよ。』
今回は両親の了解の上で、私は勇樹の一軒家で同棲をはじめた。
たまに実家に帰ると暖かい家族が迎えてくれる。
私は両親、兄、恋人、友達に恵まれた幸せ者だと思う。
アザレアの花言葉。
貴方は知っていますか?
「貴方に愛されて幸せ。」