村人が本気出してみた。
かつて私は救われたことがある。
差し込む朝日を背負い、大きな鎧を着た男が手を差し伸べてきたのを覚えている。
その冬は寒さが一段と厳しく、どこの村でも食料が乏しかった。
追い打ちのように魔物の群れから狙われて、だけど利益の少ない村を救うなど馬鹿げており、兵を派遣するほうが損になると王都から判断されてしまった。
まさに風前の灯だ。
ふっと息を吹きかけられる程度で消えてしまいそうな村であり、明日の朝にはこの村の名前も地図から消えるだろう。
そう思っていた矢先、彼が来た。
皆を背にかばう鎧のなんと大きいことか。
たなびく黒色のマントが魔物の姿を覆い隠し、私はただ背中を眺めていた。血が飛び、肉が飛び、幼子として目を背けたくなる光景であろうとも、私はただただ熱い視線を向けていた。
そしてあの美しくも大きな姿を、きっともう一生忘れられないだろうと理解した。
朝日が訪れて、私たちは知る。
生き残ることが許された、と。
あの名も知らぬ男が守ってくれたのだと。
鮮烈なまでの戦いを見せつけて、そして「なんでもないさ」と背中が語っていた。
私たちは知った。あれこそが憧れるべき姿なのだと。国王や神などではなく、あの姿こそが私たちの全てなのだ。
だから両手を握りしめて拝むよりも、じいっと熱い目でその姿を脳裏に焼き付ける。
絶対に忘れてなるものか、と。
この恩に、いつか必ず応えなければならない、と。
彼が「なんでもないさ」と言ったように、私たちも同じように誰かを助けて「なんでもないさ」と言ってみたい。いや、言わなければならない。
誰かが言った。
無謀にも「やろう」と。
全ての人々が頷く。ただ無言で。
頭の天辺からつま先まで、電撃のように貫いた何かを私も感じていた。周囲の皆も一人残らず感じていた。
何をしたらいいのかは分からないが、あの輝かしい朝日のように目標だけは見えている。この目にはっきりと。
ならばもう迷うまい。
ただ彼と同じように「なんでもないさ」と言う日のために。
――――全てを捧げるのだ。
この瞬間、村は変わった。
名もなき村、ただ生きていくためだけに寄り集まった集団は、この胸の奥深くに灯された炎をただ信じて、ただただ愚直に、ただただ盲目的に突き進む。
身体の強い者はさらに身体を鍛え、
手先の器用な者はさらにその技を磨く。
欲しいのは純粋な力であり、だがしかし求めているのは武器などではない。
叩き潰す力ではなく、どんな相手であろうと守れる力が欲しくて欲しくてたまらないのだ。
この胸で、ごうごうと燃えさかるものは何だろう。
いつまでも炎を上げ続ける暖炉のように、鉄を真っ赤に染めるふいごのように、私の胸中にはいつまでも燃え続ける炎があった。
熱いんだ。
何かをしていなければ落ち着かない。
じっとしているほうがずっと苦痛なんだ。
だから彼が去った翌日から私は肉体改造を始めた。
冬であろうと雪が降ろうと関係ない。肉体を、手足を、燃えさかる炎をそのままに容赦なく徹底的に鍛え込み、一刻も早く鋼の肉体を得なければ。
だけどそれが目標じゃない。
強い力だけでなく、強い心、そして技術が求められている。
おじさんが作ってくれた特注の大剣を持てるようになるのは3カ月後のことで、もちろんそれは私の体重よりもずっと重い。
大木を切断できずとも私の炎は決して揺らがない。
村人たちの誰しもが同じ気持ちだった。
鉄を打ち、鎧を作り、出来上がったのは素人が作った醜いものだとしても「次だ」と誰かが言い、そして周囲の皆が無言でうなずく。
人の筋力など知れている。
動かせる重さは限られていて、だけどその壁を私たち選抜隊らはこじ開ける。
人に持てないのなら、人を超えた力があればいい。誰もそんなことを口にしないけど、考えていることはまったく同じだった。
だけどそれに甘えるような職人たちでもない。
人が持てない重さなら、それを支えるエネルギーを足せばいい。王都で知識を学んできた同志たちが加わると、魔術を用いた開発が本格化してゆく。
そのような折に、また冬が来る。
味をしめた魔物たちはまた現れるだろうか。そう話していた折に、東からの風にまぎれてやってきた。大物の魔物だ。
ズシンと雪山を揺らすのは見あげるような化け物で、手には鋭い爪がある。
ズシ、ズシン、と周囲に降り立つのは私たちだ。選抜隊筆頭、アシュカという名を持つ私は強大な剣を振り、名も知らぬ魔物の両足をすぐさま切断してみせる。
魔物は強い。
だが大木ほどの強度などありはしない。
この胸で燃えさかる炎を消すことなど決してできぬのだ。
両腕を断ち、頭骨を叩き割り、そして兜を脱いだ私たちは頷き合う。
まだまだぜんぜんダメだ、と。
こんなのじゃない。この程度のわけがない。チンケな魔物を倒したところで、あの人の足元にも私たちは及ばないじゃないか、と。
やってやろうぜ、と皆の目が語っていた。
春を迎えると私たちの村はさらにもうひと回り大きくなっていた。
人生は短く、しかし限られた時間で肉体改造と技術開発をしなければならない。絶対にだ。そのために食料供給する施設を設置して、その管理者を招き入れている。新たな人材を。
そう、近隣の村も同様だった。
あの冬、彼に救われていたのだ。
「うん、問題無いな。第二、第三の供給施設に着手しよう」
そんな声を聞きながら、私たちはさらなる段階へ移ることにした。
この世界で欠かせない自己強化のための要素として魔術がある。肉体を頑健にするだけでなく、筋肉の質を高めてくれる。
強化術というのは広く伝わっている魔術であり、素養のある者はすぐさま術の改良に取り掛かる。
運よく私は魔術の才があったらしく、寝る間も惜しんで勉学に勤しみ、自己強化のさらなる発展のために身を粉にした。
春を目前に控えるある日のこと。
下着程度の衣服しか身につけぬ状態で、タタンと足を鳴らして私は宙を飛ぶ。
しなやかに、より強靭に。
着地の際には衝撃を余すことなく身体に溜めて、かすかにも無駄にすることなく高く跳躍をし、そのままタタッと大木を駈けてゆく。
爪先にかかったわずかな突起を踏み、全身にその衝撃を分け与えながらさらなる高みに。
真上に向かって駈け上がれるようになったのは魔術を習い始めた翌年のことであり、まさに今この瞬間、雪山の向こうに朝日が昇る間際のことだった。
ふうう、と吐いた息は白く染まり、真っすぐ真下に伸びてゆく。しかし無駄に力を入れず、無駄に叫ばず、ただただ肉体と周囲の立地に全神経を注ぐ。
気がついたとき、もう足元に大木は無かった。空を貫くどこまでも高いと思っていた大木が、いま私よりも下にある。
朝日はよりはっきりとその形を露わにし、私はただ強い風に吹かれていた。
地図から名が消えるはずだった村は大きく拡大し、朝を迎えたばかりであろうと黒煙を上らせていた。その敷地内に並ぶ鎧は、この村が生み出した努力の結晶だろう。
ああ、と唇から声が漏れる。
ああ、ああ、と両手両足を伸ばしながら喉を震わせる。
「まだ足りない。まだ先だ。なぜならこの胸の炎がわずかにも熱を失わないからだ」
選抜隊筆頭アシュカ。
それが私の名だ。
ただただ嘆き苦しんでいる人々に「なんでもないさ」という日のために戦い続けている。きっと今日も徹底的に肉体改造をして過ごすだろう。
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