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舞踏会当日、空が夕日で赤く染まる頃に、ミリアとルーカスは城の外に出た。
ミリアの装いは、ルーカスの瞳と同じ真紅のドレスだ。普段は淡い色調の服を着せられるが、この日は勝負服で臨もうと考えたのだ。
「ルーカス様のものって全力で主張してる感じが良いわよね〜」とはローラの言葉だ。
深みのある色はミリアの白い肌に映えているし、いつもより大人びたデザインは幼い見た目に釣り合わないかと思いきや、まだ成熟していない危うい美しさを感じさせる。
無理矢理付いてこようとしたミリアに一言文句を言ってやろうと思ったルーカスも、最初に彼女の姿を見たときは声を失ったほどだ。
ミリアの金の髪が夕日に染まって輝く様に見惚れたルーカスは、しばし彼女をじっと見つめていた。
ミリアはそんなルーカスに首を傾げる。
「ルーカスさま? 馬車も出ていないようですけど、どうやって移動しますの?」
ルーカスははっと我に帰った。
「あ、あぁ。今日は馬車など使わないのだ」
ミリアはますます不思議そうな顔をする。
ルーカスはミリアを連れて魔獣がうろつく道とは反対側へ進んだ。
剥き出しの地面や枯れかけた草花に囲まれた道とは思えないような道を行くと、突然生命力に溢れた緑の門に出迎えられた。
そこをくぐると、美しく手入れされた庭があった。
それほど広くない庭の中央には、蔦で描かれた魔法陣が置かれていた。
「こんな素敵なお庭があるなんて知りませんでしたわ」
「お前が外に出ないように言いつけていたからな」
ミリアが魔獣に襲われてはいけないので、ルーカスは城の者たちに決してミリアを外出させてはいけないと言い含めていたのだ。
「これで移動できますの?」
「そうだ。……口で説明するより、実際に使う方が早いな」
すぐさまルーカスは魔法陣に手をかざす。実は魔力持ちのミリアは、その手元に魔力が集まってきているのをありありと感じた。
その魔力に呼応するかのように、魔法陣が光る。あまりの眩しさにミリアは目を腕で庇う。
光の中から現れたのは、花だけで牛一頭分はあろうかと思うほどの大きさの薔薇だった。茎の部分は魔法陣の蔦が全て絡み合ったようになっている。
「えっと……」
これで一体どうやって移動するというのか。
魔法が失敗したのではないかとルーカスを見上げるが、彼は平然としてミリアの腕を引きながら薔薇の前に立つ。
「アイゼンシュタット家へ」
愛でるように薔薇の花弁を撫でながら、ルーカスが目的地を告げるとーー薔薇はふるふると震え始め、花芯から口のようなものが現れた。
そのまま、大きく口を開けると、ミリアたちを呑み込んでしまったのだった。
噎せ返るような薔薇の香りに眉を顰めたのも束の間、ぺっと吐き出される。
浮遊感に、受け身をとらねばと一瞬焦るが、すぐに何やら硬いものに受け止められた。
ルーカスが姫抱きしてくれたのだ。整った顔が思った以上に近くて胸が高鳴る。
「受け止めてくださってありがとうございます」
「……当然のことをしただけだ。気分は大丈夫か? 時空を歪める魔法だから酔うやつも多いのだが……」
「ぴんぴんしておりますわ。あぁ、でも、体勢はこのままで一向に構いませんわよ」
すぐさま降ろされてしまった。
見回すと、大きなソファ、その前に配置された机の上には手軽に食べられるお菓子が置いてある。どこかの控え室だろう。
天井には未だ薔薇が蠢いていた。
「あれ、あのままですの?」
「帰りに必要だからな。この部屋は俺たちが使っていいことになっているから、問題はないだろう」
誰かを驚かせてしまうことがないのなら、まぁ大丈夫に違いない。
その時、突然ノック音が響いた。
ルーカスはほんの少し身構えたが、入ってきた者の姿を認めて警戒を解いた。
白い顎髭を蓄えた、その容貌は皺が刻まれてもなお力強さを感じさせる。四本の健脚も見事なものだーー彼こそ、ルーカスたちを夜会に招いた張本人のベネディクト・アイゼンシュタットだ。
「ルーカス様、このような老いぼれの誘いに応じていただき感謝しますぞ。して、そこのお嬢さん、ケンタウロスを見るのは初めてかな?」
「ええ、しかも礼服を着たケンタウロスは初めて拝見しましたわ」
ミリアは臆すことなく答える。
ベネディクトは快活に笑った。
「そうかそうか。ルーカス様よ、愛らしく、なかなか肝の座った女性を捕まえたものだな」
「肝が座りすぎなのだ、そいつは。それはともかく、今宵の参加者はどうなっている?」
「魔王派、反魔王派、中立派を幅広く招きましたが、ほとんどが応じてくれましたぞ。皆、魔王の花嫁に食いついてくれたようだ」
ルーカスは眉を顰めた。ミリアに注目が集まるのは本意ではない。
「……そうか」
「貴方様に害意を持つ者が炙り出せるといいですな。儂はまだ準備で忙しいから、後は定刻まで若いお二人でゆっくりと……」
ベネディクトは部屋から立ち去った。
ミリアと二人きりになり、ルーカスは思考を巡らせた。
ルーカスはミリアを何としても連れて行きたくは無かったが、この女は相当な頑固者だから付いてくるのはわかっていた。
それならそれで利用しようと考えたのだ。
ルーカスには日々縁談が舞い込むが、結婚などしたくないので全て蹴っていた。だが、適齢期の娘ーー魔物の適齢期はかなり広いがーーを持つ親たちは諦めることはない。
その中には娘を通じて取り入れる可能性があるから魔王に友好的に接するが、内心は反魔王派であるという輩も一定数いて、仕事に追われるルーカスはそんな輩を放置していた。
そこで、ルーカスはこの機会を利用して隠れ反魔王派を炙り出そうとしたのだ。
今まで特定の相手を作らなかったルーカスがミリアという婚約者を連れていれば、娘を使って魔王に取り入ることができないと判断した連中が何かしらの動きを見せるはずだ。
だがーー。
(……こいつに被害が及ぶのは避けたい)
自分の肩に届くかどうかという程小柄なミリアを見つめる。
華奢な身体は、ちょっと力を込めただけで壊れてしまいそうなほど頼りない。
ルーカスはミリアを、妻としては無理だが、仕事仲間として城に留まってもらえたらいいと思うくらいには気に入っていた。
そんな彼女に取り返しのつかないことが起こったらーー考えるだけで耐えられない。
「おい」
呼びかけると、青の瞳が見上げてくる。
「どうされましたの?」
柔らかそうな桃色の唇が動く様を、ルーカスは食い入るように見つめた。
「……頼むから、魔物に喧嘩は売るなよ」
普段ルーカスに対するような挑発的な口調でルーカスの妻の座を狙っていた女性たちと会話していたら、間違いなく諍いが起こる。
ミリアは花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「もちろんですわ。わたし、そんな喧嘩っ早くないですもの」
「言っておくが、買うのもなしだぞ」
「えー……それじゃあ何のために来たのかわかりませんわ」
念のために注意しておくと、あからさまに不服そうな顔をされた。
(何でお前はそんな見た目で好戦的なんだ!)
ルーカスは叫びたくなったが、なんとか堪える。辛抱強く説得を試みた。
「お前に傷ついてもらいたくはないのだ」
「まぁ……ルーカスさまにそんなこと言われたら、聞くしかないじゃないですか」
ミリアは頰を赤く染める。
それを見て、ルーカスは胸が締め付けられるような痛みを感じた。最近、ミリアを見ているとよく感じるものだ。
(……ストレスだろうか)
恋愛に結びつかないのがルーカスの残念なところである。
「約束するな?」
「そうですねぇ……ルーカスさまが頭を撫でてくださったら、約束します」
ルーカスはすぐに撫でた。柔らかな金の巻き毛に触れるのは、嫌いではない。
ミリアはよくこれをねだるようになった。それくらいで喜ぶのならとルーカスも応じるのだがーーウィル曰く、親子のふれあいにしか見えないらしい。ミリアの幼い見た目が原因だろう。
整えられた髪を崩さないように気をつけつつひとしきり撫でると、ミリアは顔を上げた。
「わたし、喧嘩を売りも買いもしませんわ。約束いたします」
ルーカスはその返事に満足してしまった。
後から振り返ると、もっと警戒しておくべきだったと言わざるを得ない。