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それから数日も手伝えば、ルーカスの仕事は寝食を削ってするほどの量ではなくなった。
そもそもミリアを避けるためにいつも以上の仕事を抱えていたので、それが済むとむしろ今までにないほどゆとりができた。そのゆとりは使用人たちの策略によりミリアとの交流に使われるが。
今も二人で一息ついているところだ。紅茶と茶菓子を用意し終えると、ウィルたちはどこかへ去ってしまった。
「今更ですけど、ルーカスさまのお仕事って何ですの?」
毎日毎日何かしら働いているので、ミリアは疑問に思っていたのだ。
「主にお前に任せているような金関係の仕事や、魔物たちが暮らす領地の管理、魔獣が繁殖しすぎないように警戒しなければならないし、後はーー死者の処遇を決定するのも重要だな」
魔物や魔獣については、魔王らしいなと思うがーー死者まで魔王の管轄下にあるとは、ミリアは知らなかった。
「誰も死なない日なんてないですから、ルーカスさまが忙しいのも頷けますわね」
「だが、死人全てを扱うわけではないのだ。普通に生を全うした者は俺が関与するまでもなく天の国に行くか生まれ変わる」
「なら、どういう人を相手にするんですの?」
ミリアは心浮き立っていた。ルーカスはあまり喋ろうとしないが、今日は珍しく饒舌だからだ。仕事に真摯に向き合っているからだろう。
ルーカスは渋面を浮かべた。
「……基本的には罪を犯した者だな。他にも様々な条件はあるが……」
「その人たちはどうなるんですか?」
「ずいぶん知りたがるな」
「だって、ルーカスさまについて色々知りたいんですもの」
ルーカスは少し気まずそうだが、ミリアが目で続きを促すと、渋々口を開いた。
「『記録の魔女』の情報を頼りに俺がその者たちの罪の重さを判断し、更生の余地があればそれなりの対応をするが、どうしようもない悪人ならーー知恵も持たない魔獣に変える。魔獣になったらら、転生することは出来ない」
『記録の魔女』とは何だったかミリアは記憶を探る。確か、この世に生きるものの生涯を記録し、魔王に伝える者たちのことだったはずだ。
(魔獣ねぇ……そういえば、このお城の周りにいっぱいーー⁉︎)
「もしかして、城の周りにいる魔獣は……」
「……罪人たちの末路だ」
ルーカスは物憂げな表情で頷いた。
ミリアはルーカスに近づき、その整った顔をのぞき込む。クマは未だに残ったままだ。
(この人は、優しいから)
相手は罪人とは言え、取り返しのつかない決断を、ルーカスは強いられているのだ。
ローラから色々聞いて、ミリアは知っている。ルーカスに仕えている者たちは皆ルーカスに助けられた過去を持つことを。
優しさ故に、ルーカスはいつも悩んでいるのだろう。本当にこの決定が正しいのか、答えもない問いをいつも考えているのだろう。
「ルーカスさま、ちゃんと寝ていますか?」
「……寝るのは嫌いだ。不快な夢を見る」
「睡眠はとらないと、体力が持ちませんよ」
「心配せずとも、お前のおかげで仕事も楽になったから休憩はとれている……感謝しているぞ」
そう言いながら、ルーカスは唇の片側を上げーーそれが笑みだと気づくのに二、三分はかかったーーミリアの頭をくしゃっと撫でた。
ミリアの思考は一瞬止まり、次第に頰が紅潮してきた。
「い、いきなりデレてどうなさったんですか⁉︎」
「は? ……良い働きをした者を労うのは当然だろう?」
意味がわからないと言わんばかりの真顔に、ミリアはどうしていいか分からなくなる。
「……ウィルの頭も撫でているんですか?」
ルーカスの眉間に深い皺が刻まれた。
「考えるだけで気持ち悪いな。あいつはそんな歳じゃないだろうが」
「……わたしだってそんな歳じゃ……ああ、もう! 不覚にもときめきました……」
「何をぶつぶつ言っているんだ」
ミリアは熱くなった頰を隠しながら、ルーカスを睨みつけた。
「ルーカスさま! 頭を撫でてくれたってことは、わたしを婚約者として認めてくれたって解釈でよろしいでしょうか?」
ルーカスはすぐさま席を立ち、ミリアから距離をとった。座っていた椅子をルーカスとミリアの間に置く。
「違う! さっきのは婚約者としてではなくだな……あー……部下として! お前を認めたのだ!」
「えー……部下かぁ」
ミリアは頰を膨らませるが、まぁいいかと思った。
有能な部下としてなくてはならない存在になれば、ルーカスも急いでミリアを追い出そうとすることはないだろう。
顔を見るなり帰れと言われたことを思えば大した成果である。
だがしかし。いつまでも仕事だけの関係でいるつもりは毛頭ないし、何より自分だけときめくのは悔しい。
ミリアはいつものようにルーカスにじりしりと近づいた。女性に怪我をさせてはいけないと、ルーカスは反撃できないので、割と簡単に目的の場所に追い詰めることができた。
目的の場所とは、ベッドである。
ミリアはベッドに座り、ルーカスの手を引いた。ルーカスは引っ張られたことでベッドへと倒れーー頭はミリアの太ももに着地した。
膝枕の完成である。
ルーカスは状況がすぐには理解できなかったようでしばらく固まっていたが、顔がだんだん赤らんできた。
「下ろせ!」
「嫌です。さっきの仕返しですから」
「こんな嫌がらせをするほど撫でられるのが嫌だったのか⁉︎」
「まさか。嬉しかったですよ。これも愛情表現です」
満足のいく反応が見られたので、ミリアはあっさりとルーカスを解放した。
「いいですか、ルーカスさま。ちゃんと寝なかったら、また膝枕しますからね!」
「寝る! 寝るから膝枕は勘弁してくれ!」
言い争う二人は、執務室の扉がほんの少し開いていることに気がつかなかった。ローラとウィルがそこから覗き見しているのも。
「あの二人、良い感じね〜」
「ルーカス様も無自覚だけどミリア様を憎からず思っているみたいだな」
「あたしも誰かさんに膝枕してあげたいわぁ」
ローラの意味ありげな流し目を無視し、ウィルは考え込む。
「しかし、結婚となると……ルーカス様の考え方を変えない限り無理か」
正直言って、短期間でミリアがここまでルーカスと親しくなったのは嬉しい誤算である。
だが、親交を深めるだけではだめなのだ。
「そこんとこはミリアちゃんに任せたいけど、ルーカス様の事情はあたしたちが教えるわけにもいかないしねぇ」
「まぁ、期限が差し迫っているわけでもないし、しばらくは見守っておきますか」
「そうね。……ところでウィル坊、あたしの部屋に来ない? 子守歌付きでーー」
「膝枕なんていらないからな。しかもローラの歌とか……耳が壊れるだろうが」
「え〜、いけずぅ」
「お前ら、いつからそこで覗き見してたんだ?」
ローラとウィルは固まった。恐る恐る冷たい声の方を見ればーー敬愛する主人が立っていた。
「えーと」
「わりかし最初の方から」
こんな時だけ息の揃う使用人二人は、誤魔化すようにはにかんだ。
もちろんルーカスがそれに誤魔化されるわけもなく、説教に突入するのだがーーミリアはその様子を見て実に楽しそうであった。
(平和だなぁ)
冷めてしまった紅茶を口に含みながら、ミリアはそんなことを思う。
この平穏が崩れることなど思いもせずに。