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「ルーカス様、ローラです。婚約者様をお連れしました」
「……入れ」
低い声は、思っていたより若々しい。
魔王の執務室に入りまず目に飛び込んだのは無駄に派手なウィルの銀髪であった。
魔王の姿はない。
いったいどこに……と思ったら、艶やかに磨かれた木製の机に山と積まれた紙束の向こう側から、何やら物音が聞こえるから、たぶんそこにいるのだろう。
「お初にお目にかかります。貴方の婚約者になったミリアと申しますわ」
仕事の邪魔をしては悪いと思い、顔も見えないまま声をかける。
が。
「…………」
「もしもーし?」
「……………………」
「魔王さまったら、もしかしてお耳が遠いのかしら」
「っ………………」
苛立たせるのには成功したが、返事は引き出せなかった。惜しい。
ちなみに魔王の使用人二人は主人そっちのけで痴話喧嘩をしている。今度二人の関係性をローラに聞かねばとミリアは決心した。
ミリアは実力行使する作戦に変更した。
机に近づくと、紙をごっそり机から下ろしてしまう。下ろすというよりは落とすという方が的確で、ひらひらと白が宙を舞う。
ミリアはやっと魔王の顔を見ることができた。少し呆然としてミリアを見つめるその姿は、声の通り若い。二十代前半くらいだろうか。
濡れ羽色の髪を無造作に後ろに流し、メルシリアの軍服に近い意匠の服を身にまとっている。
驚くほど整った顔立ちに、ミリアは眼を見張る。整っているが故に、冷たささえ感じる。
その瞳は、血のような真紅。
赤い瞳は、強大な魔力の証だと何かの本で読んだ覚えがある。
瞳に魅入られたように見つめ続けると、魔王は我に返ったのか、眉間に皺を寄せ不機嫌な表情を作る。
「……何をする」
「わたしの婚約者さまの顔を拝んでおこうと思いまして」
「俺は許可した覚えがないがな」
「これから認めさせるので結構ですわ」
互いに睨み合う。
魔王はため息を吐いた。
「言っておくが、ーー俺は人間の女など好きにならない」
ミリアは笑みを浮かべる。
「いつまでそんなことが言えるのか、見ものですわね」
二人の間に火花が散る。
ミリアの肌が粟立つ。
魔王が殺気をぶつけてきたからだ。
痴話喧嘩していた二人が慌てる。
「ちょっ! ルーカスさま⁉︎」
「そんな殺気ぶつけるなんてアホですか!」
殺気を浴びても、ミリアは平然としている。むしろ、どこか嬉しそうに頰を紅潮させていた。
「魔王さま……いえ、ルーカスさま。わたし、絶対あなたを落としてみせますわ」
予想外の反応に、ルーカスは愕然とする。
ミリアはそんなルーカスに背を向けて、扉に向かう。
部屋を出る前に、もう一度振り返った。
「お仕事の邪魔しても申し訳ないんで、今は帰りますけど……覚悟してくださいね」
「何なんだ、あの女は」
ルーカスは思わず呟いてしまう。
実際のところ、クリストファーが言ったように本当に婚約者が来るとは思ってもいなかった。
来るとしても、何かしら相当な問題を抱えた女が来ると思ったのだがーー。
眼を瞑ると、鮮烈な印象を残して去った少女の姿が脳裏に浮かぶ。
歳は十四、五といったところだろうか。白い紙が舞う中に立つ少女は、まるで地上に舞い降りた天使のようーー。
(いや、俺は何を考えている⁉︎)
「ミリア様、よくあの殺気耐えましたねー」
「それどころか、笑みさえ浮かべていたぞ」
ルーカスは苛立たしげに机を指で叩く。
「あの女はどこか性格に難があるのか?」
「性格も、馬車で話した限りではお優しい、しっかりした方という印象でしたよ。あの気に入った相手でないと優しくしないローラが可愛がってますし」
「じゃあ金につられたのか」
「いや、自分の意思で来たらしいですね」
ルーカスは頭を抱えた。
そんなルーカスに、ウィルは呆れた声をかける。
「いいじゃないですか。あっちも乗り気なんだから歓迎してあげれば」
「……俺は結婚しない」
「こっちはミリア様を応援しますからね」
ルーカスは声を荒げる。
「俺だって、粗探ししてやるからな!」
ウィルは返事をしなかったが、胸の内で呟いた。
(粗探ししないといけないくらいなんですね……ミリア様、脈ありみたいですよ)
怒られるから、絶対にルーカスには言えないが。