24
長い階段を下りていく。
ルーカスが出した光の球以外に灯りはなく、視覚情報はほとんど得られない。
暗闇が苦手な者なら発狂しかねないが、ミリアは平気だ。何より冷たいルーカスの手を握っていると安心感が勝る。
どれほど時間がたっただろう。
階段がようやく終わる。
最後尾にいた朔とウィルが階段を降り切ると、ミリアたちの周囲に無数の火の玉が出現した。
火の玉は歓迎するように飛び回る。
突然明るくなった視界に、ミリアは思わず目を細めた。
進行方向に、異国情緒あふれる朱塗りの門が見えた。
(外国に来たって感じがするわね)
門を潜り抜けると、いくつかの鬼火がふよふよと近づいてきた。
「この鬼火たちが案内してくれるんだよ」
泉が解説してくれる。
「あぁ、私たちはこちらみたいです。また後で」
ウィルは朔を抱き上げ、近くを浮遊する鬼火についていった。
綾もウィルの後を追おうとしたが、他の鬼火に行く手を遮られた。綾はミリアたちと同行しなければならないようだ。
物珍しさにミリアがきょろきょろしていると、ルーカスがそっと耳元で囁いた。
「結局聞き忘れていたが……彼女は誰の孫なんだ?」
ルーカスの視線の先には、綾の姿。
ミリアは思い出したように手を打った。
「まぁ! 伝えるのを忘れていましたわ。綾ちゃんは――」
『ようこそおいでくださいました。魔王様、華国の方々』
ミリアが言い切る前に、穏やかな声が割って入る。
開け放たれた扉の前に、人間でいうと三十代くらいの男女が立っている。
黒い羽織に鼠色の着物の男性は、どことなく見覚えがある顔立ちだ。角が二本生えている。
女性は水色の、鶴と白梅が刺繍された着物に身を包んでいる。その頭には獣の耳が生え、背後には狐のような尻尾が揺れていた。
男性は深々と一礼する。
『魔王様、お初にお目にかかります。私はこの地域の死者たちを管理するものです。こちらは私の妻で――』
女性は目を潤ませながら綾に近づく。
『綾?』
『……おばあ様?』
『やっぱり、綾なのね。あなたが来るって聞いて、とても楽しみにしてたのよ』
ぎゅっと抱きしめられた綾は、戸惑いつつもその背に手を回す。
『こら、客人の前で失礼だろう』
女性はそっと目元を拭う。
『ごめんなさい、嬉しくてつい……』
『俺は構わない。せっかくの機会なのだから、ゆっくり語らってくれ』
『ありがたいお言葉です。……魔王様、例の件で。華国の方々も』
ルーカスは頷き、泉たちと共に部屋に入っていく。ミリアもついていこうとするが。
綾の祖父はミリアに向かって微笑んだ。
『奥様はうちの女官たちが精いっぱいもてなしますので』
言うが早いか、ミリアの周りを女性たちが取り囲む。
「え、ちょっ」
ミリアもされるがままで連れて行かれた。
ミリアがルーカスと再会できたのは晩餐の時だった。
晩餐が行われる和室に入る。
ルーカスは綾の祖父と何やら話し込んでいる。
ミリアはルーカスの横の席に案内された。
座布団の上にちょこんと座り、こちらを見向きもしないルーカスに声をかける。
「ルーカスさま」
「ん、来たの……か…………」
ルーカスは目を見開いた。
「もう、そんなに驚いてどうしたんですか?」
くすくすと笑うミリアは、桃色の着物を纏っていた。桜の模様も愛らしい、見事な一品である。髪も着物に合うように結われ、簪などで飾り付けられている。
「あー! お姉さん、とってもかわいい!」
「ありがとう、泉」
黙り込むルーカスに、ミリアは上目遣いで尋ねる。
「似合いませんか?」
「な! そんなわけない! その……あまりにも似合っていたから、見惚れてしまっただけだ」
そう言いながら、ルーカスは顔を背ける。その耳は真っ赤に染まっていた。
ミリアは照れるルーカスを愛おしく感じた。
『仲睦まじくて良いことですね。では、晩餐をいただきましょう』
綾の祖父が晩餐の始まりを告げる。
メルシリアでは食べない、様々な魚の刺身にミリアは果敢に挑戦する。
(生魚もおいしいのね……海のないメルシリアじゃ絶対無理だわ)
料理に舌鼓を打ちつつ、宴会場を見回す。
綾は祖父母に囲まれて嬉しそうだ。しかし、どう見ても祖父母と孫というより親子である。
「綾ちゃんのおじいさまとおばあさま、とてもお若いのね」
ルーカスに耳打ちすると、ルーカスも返事をくれた。
「鬼の寿命は長いから、年を取るのも遅いのだろうが……獣人は人間とあまり変わらないはずなのだがな」
ルーカスは渋面を作った。
「そういえば、できれば綾の出自は早く教えてもらいたかった。まさか彼の孫だとは……」
「その件に関してはすみません。……でも、死者の管理はルーカスさまの仕事じゃないんですか?」
「流石に俺一人で死者全員を管理はできないからな。処遇の判断が簡単な死者は出身地域で裁かれる」
「ということは……綾ちゃんのおじいさまはこの国の魔王的立場なんですね」
とても偉い人のようだ。
『それにしても……娘が遠い異国に嫁ぐことをよく許しましたね』
ミリアは綾の祖父に話しかけた。彼は苦笑いを浮かべる。
『もちろん、複雑な気持ちでしたが……カディス殿が娘を愛していることは伝わりましたし、同じ過ちを繰り返したくはないので』
『同じ過ち?』
綾の祖父は口が滑ったと口元を抑える。
『……昔、結婚を一族から反対された男が家を出ていき、二度と戻らなかったので。……場にそぐわない話をして申し訳ございません。気を取り直しましょう』
沈痛な面持ちを一瞬で変えて、綾の祖父はミリアの杯に酒を注ぐ。
「おい、あまり飲みすぎるなよ」
「はーい」
ルーカスの忠告に軽く返事をしつつ、ミリアは気分よく何杯も飲む。
部屋に戻ったころには、すっかりできあがってしまっていた。
着物を脱ぎもせずに布団に飛び込む。
夢の世界に飛びそうになった時、襖が開く気配がした。
「……誰かいるのか?」
誰何の声はとても聞き覚えがあった。
「ルーカスさま~」
「ミリア? なぜここに……」
上体を起こしたミリアは首を傾げた。
「え? だってここはわたしの部屋ですよ」
「は?」
ルーカスは間の抜けた声を出した。
「俺もここで寝るように言われたのだが……まさか」
「まさかぁ?」
「婚約者でなく、夫婦だと勘違いしたのか」
酒で頭があまり回っていないミリアも納得した。
「たしかに、『奥様』って呼ばれてました」
ルーカスはため息をついた。
「しかたない。違う部屋を用意してもらおう」
「えー、ここでいいじゃないですかぁ」
部屋を出かけたルーカスを、ミリアは引き止める。ものすごい勢いでルーカスは振り返った。
「いいのか!?」
健全な付き合いを心掛けるミリアにあるまじき発言に、ルーカスは食い気味で問うが、はっと正気に返って咳払いする。
「……ごほん。いやいや、お前、酔っているからそんなことを言うのだろう? 酔いがさめたら後悔するぞ」
「どうして、だいすきなルーカスさまと一緒に寝たら後悔するんですか?」
目をうるうるさせるミリアに、ルーカスはごくりと喉を鳴らす。
ミリアはさらに追い打ちをかける。
「……ルーカスさまに添い寝してもらいたいです」
ルーカスの心は決まった。
急いで夜着に着替えて、いそいそと布団に入る。
ミリアは香水でもつけているのか、ふわりと桜の香りがした。
「ふふ、ルーカスさまのかお、まっか」
「そ、そうか?」
「ルーカスさまは、酔ってる女の人に無体な真似をする人じゃないので、安心して眠れます」
そう言うと、ミリアはすぐに寝入ってしまった。
「何だ今の発言は。釘を刺したのか?」
ミリアは酔っていてもぶれなかった。
もちろん眠る女性を襲うような男ではないが……安心しきっているミリアを見ると、少し複雑である。
柔らかい頬をつつくと、ミリアは表情を和らげる。そんな様子も愛らしい。
ルーカスは眠っているミリアの額に優しく口づけた。
「……おやすみ」
おやすみと言ったはいいが、どきどきしすぎて結局なかなか寝付けないルーカスであった。