23
ついに出発の日がやって来た。
ルーカスはいつもの黒い軍服姿だが、ミリアは乗馬服である。
普段は見えない太腿のラインが露わになっていて、ルーカスは目を下に向けないよう自制するので精一杯だ。
ルーカスの気持ちなど露知らず、ミリアは不思議そうに尋ねた。
「乗馬できるような格好でとは聞いたのですが……目的地は馬で行けるようなところじゃないですよね? 海を越えますし」
「あぁ、今日は迎えが来るからな」
「答えになってないですよ」
「まぁ、見れば分かる」
ミリアは隣にいる綾に声をかけた。
「綾ちゃんも初めて行くのよね?」
「はい。母も国を出てから一度も帰ってないので……楽しみです」
笑みを浮かべた綾は、すぐに顔を曇らせた。
「ただ、ギルバート様が鬱陶しくて……『寂しい』だの『俺もついていく』だの泣きつかれて……」
「旅の間はそんな面倒な人のことを忘れましょう」
「おい、来たぞ」
ルーカスの声に辺りを見回すが、人影すらない。
ミリアの戸惑う様子に、ルーカスは僅かに口角を上げ、上を指す。
見上げると、そこにはーー龍がいた。
蛇のような巨体を揺らしながら、悠然と飛来する。
ミリアはドラゴンなら見たことがあったが、龍は初めて見た。
見慣れない生き物に感動していると、真っ先に降り立った白い龍が、人型に姿を変えた。
見た目は15歳くらいの白髪の少年だ。魔王城の男性陣とは違い、柔和な笑みを浮かべて走り寄るーーミリアの方に。
「綺麗なお姉さんだ! 僕の名前は泉。今日はよろしくね」
素早くミリアの手を握る。ミリアは少年の馴れ馴れしさよりもお姉さんと言われたことに驚いた。
ミリアが口を開く前に、泉が口説き始める。
「お姉さんは二十歳くらいかな? 僕良い場所知ってるからさ、二人でーー痛っ」
泉は後ろから追いかけて来たこれまた白髪の老人に殴られた。
「魔王様の婚約者を口説くなんて、お前は死にたいのか?」
「え、お姉さんが婚約者なの? あ、でも、結婚したわけじゃないならまだ……いや、駄目だね、ごめんなさい」
泉は少し顔を引きつらせた。ルーカスの殺気を感じ取ったからだ。ルーカスは他国の者に傷をつけるわけにはいかないと我慢しているが、殺気までは抑えられないようだ。
老人は殺気を気にせず頭を下げた。
「うちの見習いが失礼をして申し訳ない。能力は優秀ですが、いかんせん女癖が悪くて」
「……いや、貴殿が謝ることではない。後で教育し直してくれ」
こりもせず泉はミリアの横にいる綾にも話しかける。
「君もとってもかわいいね! 君は恋人いるの?」
「いや、私は……」
あまり男性に免疫のない綾は、泉の勢いにどう対処していいかわからず目を泳がせる。
すると。
朔がいつぞやのルーカスのように、綾と泉の間に割り込んだ。
泉は朔に視線を合わせる。
「ん、君は弟かな? お姉ちゃんをとられたくないの?」
朔は冷たい目で一言。
『節操のない女好き』
泉のこめかみに青筋が浮いた。
『口に気をつけろよ、小鬼め』
お互いに頬をつねり合う。
ミリアは朔の様子を見て安心した。朝から朔が浮かない顔をしていたから心配していたが、この調子なら大丈夫そうだ。
ルーカスは老人と小声で何かを話し合っていた。きっとミリアに隠している旅の真の目的についてだろう。
朔に頬をつねられたままの泉が、ミリアに向き直った。
「それにしても、綺麗な女性二人を乗せていけるなんて嬉しいな」
「泉、お前が乗せるのは魔王様とそこの小鬼を含めたお付きの者たちだ」
「えー! 何でだよ。野郎なんてーーあ、すみません」
先程よりも強めの殺気に、泉はすぐに危険を察知した。
「お嬢さん方はこちらへ」
再び龍に姿を変えた老人の胴体に荷物を結びつけた後、ミリアたちは龍に跨る。
鱗は滑らかで、少しひんやりしていた。
「多少の力で引っ張っても、毛は抜けやしないので、しっかりつかまってください」
「では、遠慮なくーー」
「待て! お前は」
ぶちっ。
「あ」
「……間に合わなかったか」
ミリアの手には結構な量の毛。
龍は顎を落としている。
「ご、ごめんなさい」
「はは、気にしないでください。幸い、歳の割には毛に困ってないので。ははは……」
乾いた笑い声が響く。
微妙な空気の中、龍は空へ舞い上がる。ミリアは落ちない程度に毛を掴む。
「わぁ……!」
魔王城がどんどん小さくなって行く。
地上の世界はまるでミニチュアのようだ。吹き抜ける風に、髪がなびく。
空を飛んでいても、飛行する魔物に全く遭遇しない。四囲を圧する龍に怯えているのかもしれない。
泉たちをよく見ると、朔が泉の毛をわざと抜いているようだ。ルーカスもそれを特にやめさせるつもりはないらしい。
泉も負けじと危うく朔たちが落ちてしまいそうな無茶な飛び方をする。
揉めている隣には触れず、ミリアたちは和やかに歓談する。
「わたし、貴方たちのような龍にあったのは初めてですわ」
「でしょうなぁ。西では天空龍しかいないですし、東でも少ない種ですから」
ミリアは隣を飛ぶ泉と、老龍を見比べた。
「皆白いんですか?」
「いやいや、我々は華国の天帝に仕える身で、主に五色の龍がいます」
「まぁ! 色とりどりの龍が飛ぶ様子は圧巻でしょうね」
「また機会があれば、我が国にも来てください」
ふと気になったことを尋ねる。
「そういえば、どうして貴方たちが送迎してくださるんですか? 無関係ですよね」
「彼の国とは隣国のよしみで昔から交流がありましてな。ちょうど親善使節を派遣する時期だったので、魔王様一行もお連れするように主から命じられました」
「……そうだったのですね」
ミリアはその件についてそれ以上追及しなかった。淀みない説明は、嘘ではないのだろう。だがきっと、真実を全て語ってはいない。
(華国が関係すること……貿易とかかしら。華国が直接介入できないから、ルーカスさまに何かを依頼した?)
ルーカスが旅の目的を隠したがるのは、ミリアが危ないことに首を突っ込んでほしくないからなのだろうけれど。
(隠されたら、余計に気になっちゃいますよね)
だいたい、ミリアはそこらの戦士より強いのだ。ルーカスは心配しすぎだと、ミリアは心の中で嘆息した。
ミリアは綾が一言も喋らないことに気がついて後ろを振り返った。
「綾ちゃん、今日はいつも以上に大人しいわね……って、顔色が悪いじゃない!」
「いや、初めての空の旅にはしゃいで、辺りをぐるぐる見回してたら酔っちゃって……」
「ちょっと待っててね」
ミリアは綾の額に手を当て、治癒魔法をかけてやる。外傷ではないので完治はしないだろうが、多少良くなるはずだ。
「ありがとうございます」
「お嬢さんの具合がこれ以上悪くなる前に着けるよう、少し速めに飛びますぞ」
「今より速く飛べるんですか?」
今でも馬車の何倍も速く進んでいるので、ミリアは純粋に驚いた。
「もちろんですとも。老いぼれと言えども、白龍は速さが自慢ですから」
その言葉通り、想像を超える速さで飛んで行く。しかし体に吹きつける風の強さがそれほど変わらないのは、ウィルがミリアたちの周囲に結界を張ってくれているからだ。
「そろそろですな」
普通なら何日もかかる距離を、たった二時間程度で移動してしまった。
綾も少し具合が良くなったようで、一安心したミリアは眼下の光景に歓声を上げる。
一面に広がる青。
海を見たのは初めてだった。
「……きれいね」
ミリアが海に見惚れている間に、龍はどんどん下降していく。
降り立った先は、何もない海岸だ。
人型に戻った老人は迷うことなく大きな岩に触れる。
すると、岩が動き始め、その下に階段が現れた。
「ここが黄泉の出入り口ですぞ。さぁ、ついて来てください」
ルーカスは魔法で光の球を出して足元を照らすと、ミリアに手を差し出した。
「転けないようにつかまれ」
「はい」
ミリアは微笑み、ルーカスの大きな手を握る。
楽しい婚前旅行の幕開けだ。