20
「もちろん、説明してくれるんだろうな?」
ルーカスの視線の先には、異国の小鬼がいた。整った顔立ちはしているが、痩せこけていて栄養状態が良くないのは明らかだ。
横に並ぶウィルが頷いた。
「はい。この少年と出会ったのはーー」
あれはウィルが団子、田楽、蒲焼きを手に異国の町を歩いていた時ーー。
「ちょっと待て。満喫しすぎじゃないか?」
「初っ端から割り込まないでください」
「いや経費がやけに高ーー」
「はい! 続けますよ」
ウィルは無理矢理遮ると、そのまま話を続ける。
店が立ち並ぶ大通りから外れ、人気の無い道を進むと、男たちの怒鳴り声が聞こえた。
火事と喧嘩はなんとやら、滞在中にそれは身にしみたが、胸騒ぎを覚えたウィルは声のする方へ向かった。
見れば、小さな少年がいかにも柄の悪そうな男たちに追いかけ回されていた。
ただならぬ雰囲気だが、ウィルも目立つことは避けたいので、田楽を腹に収めつつ、少年に手を貸すか考えあぐねていたがーー。
「くそっ、ちょこまかと動きやがって、あの小鬼風情が!」
「買い手が決まったのに商品渡せねぇんじゃ親分に何を言われるか……」
ウィルの決心はついた。
音も無く男たちの背後に忍び寄ると、確実に一発でその意識を奪った。
出来れば尋問して情報を集めたかったが、他にも追っ手の気配があったので、少年の保護を優先することにした。
隙をつくのは得意だが、正攻法だとウィルはそこまで強いわけではない。どちらかといえば守備に力を入れているのだ。
まぁそれは置いといて。
ウィルは遠くで様子を窺う少年を見つめた。
いきなり現れたウィルに警戒を隠さない。
『警戒しなくてもいい。悪いようにはしないから、一先ず一緒にーー』
(逃げるってこっちの言葉でどう言うんだっけーーあぁ、思い出した)
『逃げよう』
ウィルが差し出した手を、少年はじっと見つめたまま動かない。
代わりに団子をちらつかせると、すぐに食いついた。
まだまだ甘いな、とウィルは苦笑しながら少年を抱き上げて走り去った。
「で、そこそこ情報も得て、物的証拠ーーいえ、証人も得たので帰ってきた次第です」
「親元に帰すという手もあったのではないか?」
「それが、話を聞く限り親はいないようで、一人で真っ当に生きる術も無さそうなのでーー」
「ここで面倒を見るつもりか?」
「いけませんか? 数日共に過ごしましたが、この子はなかなか聡いですよ。きっと役に立ちます」
ウィルは少年に目を落とす。
目は合わない。少年が顔を伏せているからだ。
思わず嘆息する。
「ーー少々周囲の者に不信感を抱いているようで、まだ心を開いてはもらえませんが」
現に、少年はウィルが魔王城での公用語を教えようとしたが学ぼうとはしなかった。
『いつか捨てられるかもしれないのに、そんなものを覚えても無駄、言葉が通じる奴と意思疎通が出来れば充分』ーー少年は、ウィルと出会った日にそう言った。
魔物を売り捌く悪徳商人を調査しに来たのだと馬鹿正直に伝えたのは悪手だったなとウィルは後悔していた。
以来、首尾よく商人たちを取り締まれば少年の用は無くなり捨てられるのだと思い込んでいる節があるからだ。
(じっくり心を通わせていくしかないか……)
ウィルが決意した時、音を立てて扉が開いた。
「あ、小鬼ちゃん。やっぱりここにいたのね」
ミリアは少年の姿を認めると、ぱっと表情を明るくする。
少年に駆け寄ったかと思うと、いそいそと懐から薄っぺらい白い紙を取り出した。
誇らしげに広げると、そこには紙いっぱいに『朔』と力強く書かれている。
『……いや、いきなり何?』
『あなたの名前を考えてきたの。どう?』
『どう、って。俺、勉強してないから読み書きできないし』
戸惑うばかりの少年に、ミリアは優しい声音で読み方を教える。
「さく」
さく、とたどたどしく朔は繰り返す。それが自分の名前だと言われても、名前を呼ばれた試しがない朔には実感が湧かない。
『朔、な。新月という意味だったか?』
『はい。わたしと朔が初めて会った日が新月でしたから。まぁ他にも理由はあるんですけど、それはまたいつか』
ミリアはルーカスから視線を外すと、朔に微笑みかけた。
『朔、このお城の案内してあげるわね。一緒に行きましょう』
朔はちら、とウィルを見上げる。
『いいよ。行っておいで』
ミリアは朔と手を繋いで部屋を出る。去り際に、朔はルーカスをどこか馬鹿にしたような目で見た。
残されたウィルは、呆れ混じりの声でルーカスを諌める。
「ルーカス様、相手は子供ですよ? 大人気なく殺気なんて出さないでください」
「……握手はぎりぎり許せるが、手を繋いで歩くのはーー」
「いいじゃないですか。繋いだのはミリア様からですし」
それにしても、強烈な殺気を浴びても平然としていた朔は、やはり見所がある。子供に嫉妬するルーカスよりも大物になるかもしれない。
「ルーカス様、結婚する前からそんなに独占欲を剥き出しにしていたら、ミリア様に鬱陶しがられるかもしれませんよ。少しは自重してください」
「……………………わかった。調査の報告を続けろ」
「かしこまりました」
『ここが図書室。本がたくさんある所よ。右に曲がった先の扉から庭に行けるわ』
『…………』
朔は黙ってミリアについてくる。
ミリアはそんな朔を微笑ましそうに見下ろした。
『ふふ、なんだか変な感じ。わたし、弟妹がいないのだけど、この歳で弟みたいな子が来るなんて思わなかったわ』
『……弟? 俺が?』
『そうよ。これから一緒に暮らすんだから』
朔は心の中で、どうせ捨てるくせに、と毒づいた。
そんな朔の想いを見透かしたのか、ミリアは朔と目を合わせる。
『朔、ここいるのは良い魔物ばかりよ。むしろ人間のわたしの方が異端だわ。あなたはここでは一人じゃないのよ』
『人間なのに、どうして化け物の巣窟に来たの?』
少しはミリアに興味を持ってくれたようだ。
『わたしはね、わたしが生まれた国の王さまに、魔王さまのお嫁さんになってくれって頼まれたの』
『断れば良かったのに』
『わたし、強い人と結婚したかったの。魔王さまなんて、とっても強そうじゃない? 実際とっても強かったし、婚約できて幸せよ』
幸せそうに笑うミリアは、苦労なんて一度もしたことがなさそうで、朔は妬んでしまった。つい、幸せに水を差すようなことを言ってしまう。
『強い奴なら、悪人でもいいの? 強い人って威張り散らす奴が多いから、俺は嫌だな』
朔はミリアの顔を見れなかった。怒らせたかもしれないし、ミリアはこの城で偉い人のようだから、すぐにでも追い出されるかもしれないと思うと、怖かった。
『あら、ルーカスさまは威張ったりしないわよ。むしろもっと自信を持つべきね』
ミリアの声はどこか面白がっているようで、朔は上目遣いでミリアの表情を盗み見た。
それは、愛しい男を想う温かい表情だった。
『いい、朔? わたしは正しいことのために力を使う人が好きなの。悪いことに使う力なんて、そんなの強さじゃないわ。朔は、力を正しく使える大人になってね』
諭すような言葉が心に染み込む前に、朔の背後からいきなり誰かが話に割り込んできた。
「あら。ミリアちゃんと小鬼じゃない。こんなところでどうしたの?」
「ローラ! 今、朔にこの城を案内してたのよ」
朔は誰かがローラであることに気づくと、すぐにミリアの後ろに隠れた。
『どうしたの?』
『怖い』
「昨日は子守唄を歌って添い寝までしてあげたのに、何でわたしから隠れるのかしら?」
「歌のせいじゃないかしら」
ミリアもローラの歌のことは小耳に挟んでいる。
ローラはミリアの言葉に笑った。
「そうかもね。その子寝付けなかったみたいで気の毒だったから、歌にも気合い入っちゃった。……坊や、また歌ってあげるわよ」
朔はローラの言葉がわからないはずなのに、何か察知したのか脱兎の如く駆け出した。
面白がったローラが追いかける。
置き去りにされたミリアは仕方ないと肩を竦めた。