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「……ったく、なかなか起きんな。薬がよく効いてるのか……」
ギルバートは苛立ちから木箱を蹴りつけた。
側ではミリアが拐われたとは思えないほど安らかな寝息を立てている……ように見せかけていた。
実際はばれない程度に目を開け、ギルバートの様子を窺っていた。
ミリアは確かに薬を嗅がされたが、同時に治癒魔法をかけて無効化したのだ。
わざわざ誘拐されたのは、ある目的を達成するためである。
(……ここに連れて来られてから、一時間くらい経ったかしら)
もうルーカスたちがミリアの不在に気づき、捜索を開始していてもおかしくはない。
移動中も起きていたから分かることだが、今いる小屋らしき場所は城からそこそこ距離がある。ルーカスの到着はしばらく後だろう。
(もうちょっと焦らしてもいいけれど……おしゃべりに付き合ってあげましょうか)
焦りから変に暴走されても困る。
「ーー早く起きて恐怖に泣き叫べばいいのだ。この俺を散々虚仮にしやがって」
「ではお望み通りに。えーん、えーーん」
「やっと起きたか! って、馬鹿にするな!」
折角ぐすぐすと鼻を鳴らして泣く振りをしてあげたが、ギルバートのお気に召さなかったらしい。
ギルバートは上体を起こしたミリアの肩をガッと掴んだ。そのこめかみには青筋が浮かぶ。
「お前、状況が分かっているのか? 拐われたんだぞ⁉︎ もっと他の反応があるだろ⁉︎」
「だから泣いてあげたじゃないですか」
「いちいちむかつく女だな! あいつの趣味を疑うぞ⁉︎」
「ルーカスさまが好いてくれたらいいんです」
その後も言い合いを続けるうちに、ギルバートは脅すように鋭く尖った犬歯を見せつけた。
「お前の血なんぞいつでも吸い尽くせるのだ。あまり生意気を言って俺を怒らせるなよ?」
「はい、質問です」
ミリアは元気良く手を挙げた。
ギルバートは毒気を抜かれたような顔をする。
「何だ?」
「あなたは吸血鬼なんですよね? どうしてわたしを眠らせる時に噛みつかなかったんですか?」
「どうせ血を吸うなら、あいつの目の前で吸った方が面白いからに決まってる。好いた女が他の男の印をつけられた時、あの澄ました顔がどのように歪むか見ものじゃないか」
その様を想像したのか、ギルバートは高笑いし始める。
ミリアはぼそっと吐き捨てた。
「悪趣味ですねぇ……」
「聞こえてるぞ!」
「だいたい、そんなことのためだけにわたしを攫ったとかじゃないですよね?」
「もちろん違うとも! お前と引き換えに、魔王の座を譲るように要求する予定だ」
ミリアは呆れた。ギルバートには計画の成功を疑う気配が微塵も無いからだ。
「仮に首尾よくルーカスさまが譲位したとして、そのまま大人しくしていると思いますか?」
ギルバートは人の悪い笑みを浮かべる。
「あいつにも隙があるはずだ。俺の力をもってすれば、一瞬の隙をついてあいつの息の根を止めることができる」
(馬鹿だなぁ……)
毎日訓練を積み重ねるルーカスが、この男の前で隙を見せるとは考えにくい。
ミリアの無言をどう受け取ったのか、ギルバートはミリアの頬に包み込むように触れた。
「安心しろ。非力な人間の子供に何が出来るとも思わないから、お前の命は取らない。成長して俺好みに躾けたら、眷属にして可愛がってやろう」
ミリアはギルバートの手を叩き落とした。
「あなたの眷属になるなんて死ぬより嫌ですわ」
「なんだと⁉︎」
ギルバートの堪忍袋の緒が切れた。
ミリアの手を乱暴に掴み、外へ連れ出すと、懐に隠していた短刀で、ミリアの腕を切りつけた。
赤い雫が、大地に染み込む。
どこからか獣の鳴き声がしたかと思うと、茂みから次々と魔獣が現れた。
「お前の血の匂いに釣られて、低能な魔獣どもが来たぞ。ほら、これでもまだお前は死ぬより眷属になる方が嫌だと言えるか?」
普通の淑女なら、恐ろしい風貌の魔獣に囲まれると、腰を抜かすほどの恐怖を覚えるだろう。
だが、ギルバートにとっては残念なことに、ミリアは普通の淑女ではなかった。
涼しい顔で即答する。
「嫌です」
「っ! あぁそうか! それなら魔獣の餌にでもなるがいい。魔獣ども、やってしまえ!」
ギルバートの叫びに、魔獣たちは応えない。
どこか怯えているようにすら見える。
「おい! 何をしているのだ!」
「無駄ですよ。魔獣は力関係をよく理解していますからね」
ミリアはこんな状況でも可笑しくて堪らないとばかりにくすくす笑っていた。
「なんだとーー⁉︎」
ギルバートは身を翻す。その刹那、ギルバートがいた地面はすっかり抉れてしまった。
ギルバートが目を剥く間に、黒い影が姿を現わす。
「ギルバート・アシュレイ……俺の婚約者を攫って、傷をつけた罪、どうやって償うつもりだ?」
「ルーカスさま!」
ミリアは尋常じゃない殺気を纏うルーカスに嬉しそうに抱きついた。
「ミリア……遅くなってすまない」
ミリアは目を丸くしつつ、ルーカスの頭を優しく撫でた。
「大丈夫ですよ。特に何もされてませんから」
計画が完全に狂ってしまったギルバートは、臆病者の名からは想像もつかないような殺気に慄きつつも、正面から戦うことを決意した。
「ふん! 予定は狂ったがーー俺の実力を見せつけてくれる!」
ギルバートは咆哮を上げながらルーカスに突撃した。
時は遡り、ミリアの不在に気づき、城が騒然としていた頃。
ルーカスはミリアだけでなくギルバートもいないと知り、動揺を隠せなかった。
「あの男を尾けていた者はどうした⁉︎」
ウィルが静かに耳打ちする。
「ミリア様の護衛をする者と共に、普段使わない部屋で倒れているのが発見されました」
「アシュレイは予想以上に腕利きなのか……?」
「それが……」
ウィルは言いにくそうに口をもごもごさせる。
「時間が惜しい。分かることは報告しろ」
「……両人、記憶にある限り最後に見た人はミリア様だと言うんです」
「……あいつが、何らかの方法で気絶させたということか? もしかして、わざと攫われるために?」
ルーカスは目を閉じ、何かを探るように黙り込んだ。
「……どうやら、俺はあいつに試されているらしい」
「どういうことです?」
「俺にあいつを助けるだけの力があるのか確認しようとしているんだ。ーー第二部隊以下は、ローラの指示の下アシュレイの共謀者達を捕らえろ。アシュレイはーー俺自らケリをつける」
指示を受けた者たちが慌ただしく動く中で、ウィルはルーカスに尋ねる。
「ミリア様の行方に当てはあるんですか? 兵のほとんどが出払いましたけど」
「当てはある。あいつの魔力の痕跡があった。これを辿れば行けるはずだ」
ミリアの治癒を受けたルーカスは、その魔力の特徴を完全に覚えていた。どうやら城の敷地内の森に続いている。
その痕跡がミリアの故意ならばいいのだが、もし治癒魔法を使わねばならない事態に陥っているとするとーールーカスは頭に血が上りそうになるのをぐっと堪えた。
ルーカスは窓を開け、下へ飛び降りる。執務室は三階に位置していてかなりの高さだが、表玄関まで行く時間が惜しい。
風の魔法で空気抵抗を抑え、着地するやいなや全力で走る。
「ルーカス様⁉︎ あぁもう!」
後方でウィルが追いかけてくる気配を感じつつ、ルーカスは魔力を辿り、腕から血を流すミリアと怒鳴り散らすギルバートを見つけたのだった。