14
朝早く、ミリアは執務室を訪れた。普段はもう少し遅めの、言いつけられた時間通りに行くのだが、ルーカスを驚かせてみようと思ったのだ。
決してルーカスの隠し事に関する情報を漁るためではない。
だが残念なことに、ルーカスは既にいた。ーー全身傷だらけの状態で。
「ルーカスさま⁉︎ どうなさったんですの?」
「! いや、これは……」
「訓練でできた傷ですよ。ですがルーカス様は軽い擦り傷程度で済んでます」
「あら、ウィルもいたんですか」
「ミリア様って時々びっくりするくらい冷たいというか、ルーカス様しか見えてないですよね」
よく見ると確かにルーカスの傷は至って浅いようだ。ウィルはあちこちに巻かれた包帯に血が染み付いて痛々しい見た目になっている。
ルーカスの目を食い入るように見つめて説明を求める。
ルーカスは観念するように事情を語った。
「この傷は訓練でできたものだ」
「訓練ですか? そんなことしてるなんて知りませんでした」
「有事の際に動けなかったら困る」
「ルーカス様は全く遠慮なしに魔法を放ってきますからこちらも必死なんですよ」
強い魔法の発動の際には、かなりの魔力が必要となる。だがミリアはそんな魔力を感知したことがなかった。
「遠慮したら訓練の意味がないんじゃないか?」
「言っておきますけど、防御壁がなかったら城壊れてますからね?」
(なるほど。魔法の干渉を阻む防御壁が展開されていたから気づけなかったのね)
納得しながら、ミリアはルーカスに治癒魔法をかけた。柔らかな光がルーカスを包む。
ルーカスは表情を緩めた。
「……お前の魔法は温かいな」
その安心しきった顔があまりにも珍しくて、ミリアの心臓は激しく鳴り始めた。
赤くなった頬を誤魔化すため、ミリアはウィルの方を向いて再び治癒魔法をかける。
ウィルは物珍しそうに傷があった場所を眺める。
「治癒魔法って便利ですよね。人によっては失った腕すら再生できるって聞きました」
「その分魔力の消費量も激しいですけどね。……それにしても、こんなにぼろぼろの姿になっているの初めて見ました。普段はどうされてるんですか?」
「時間が経てば余程の怪我でない限り治る」
さらっと言われ、魔物の治癒力の高さを実感する。
「もしかして、今までわたしを早く呼ばなかったのは……」
「……血なんて見たくもないかと思った」
目を逸らして自白するルーカスが可愛く思えて、ミリアは艶やかな黒髪を撫でた。
早朝に訓練したルーカスたちは、ミリアが来るまでに傷を癒していたのだ。お抱えの医者はいても治癒魔法が使えないので自然治癒に頼っていたらしい。
父親とその部下たちの怪我を治していたミリアには無用の気遣いだが、それでも嬉しかった。
「わたし、血はそこまで苦手ではないので大丈夫です。明日から、わたしが治してあげますね」
「助かる」
返事こそ素っ気ないが、ルーカスの目は明らかに輝いていた。
目の前でいちゃつかれているウィルは、心の中でため息を吐く。
ギルバートらの不穏な動きを受け、ルーカスが主導する訓練は非常に過酷になっていた。
この城においてはルーカスが最も強い。もちろん兵士も粒ぞろいなのだが、彼らが徒党を組んでルーカスに挑んでも勝てないくらい強い。
そんなルーカスが持てる力を最大限に奮って闘うと、ウィルたちはいつも疲弊するのだった。
その後いちゃつくのを見せられるのだ。ため息を吐いたって許されるだろう。
(でも、この平和を守るためなら厳しい訓練にも耐えられるな)
ルーカスは以前と比べ、随分と表情が柔らかくなった。ミリアのおかげだ。
ルーカスがやっと手に入れた心の平穏を脅かす輩は、全て排除してみせる。
(……特に、ギルバート・アシュレイは)
ウィルが明確な殺意をギルバートに抱いた頃、ギルバートはくしゃみと悪寒が止まらなかった。
予告通り、ギルバートが魔王城にやって来た。名目は、ルーカスと友好を深めるためらしい。白々しい話だ。
ギルバートが滞在する間、ローラは人目につかない、滅多に使わない倉庫の掃除をするので、ばったり出会うという事態は避けられる。
仮に出会ったところで、ギルバートならローラとロザンヌは姉妹だと言って誤魔化してもばれなさそうだが、念を入れるに越したことはない。
ルーカスの懸念はミリアのことだ。
できる事なら自室に篭ってほしいが、そんなことを頼んでも聞きはしないだろう。むしろ率先してギルバートに接触を試みそうだ。
不安を抱えていたルーカスだが、気分は高揚していた。
なぜなら奴らを倒してしまえば、晴れてミリアに求婚する権利を得られるからだ。
その気持ちが溢れて、出迎えの挨拶のときも口角が緩んでしまった。
その笑みを見たギルバートが後ずさっていたのはきっと気のせいだろう。
ギルバートは苛立っていた。
すぐにクーデターを決行しようとしたのに「準備がまだ……」とか「時勢を見極めねば……」とか言って先延ばしにする協力者たちにも苛立っていたし、何より魔王の婚約者と接触できていないのにも苛立っていた。
このギルバートを袖にした生意気な女は、間違いなく有効な手札になるはずなのにーー近づけれなければどうしようもない。
滞在してしばらく経つが、その姿を見たのも最初の挨拶の時で最後だ。
「くそっ……上手くいかないな」
ギルバートは独りごちてはいるが、実際のところミリアをどのように利用するかは何も考えていないのだった。
適当にふらふらと歩き回っていると、窓から差し込む光を反射する何かが目に飛び込んだ。
金色に輝くそれはーー。
急ぎ追いかけると、やはりミリアであった。
「おい!」
呼び止めると、きょとんとした顔で振り返る。
「何でしょうか。あ、あー……?」
輝かんばかりの笑顔を向けられる。
しかしギルバートは誤魔化されなかった。
「お前、俺の名前を忘れたのか⁉︎ 二回も名乗ったのに⁉︎」
ミリアは眉を下げる。
「申し訳ございません……わたし、興味のないものに関してはなかなか覚えられませんの」
「そうか、なら仕方な……くないわ! 俺に興味がないということではないか!」
叫び続け、息を整えていたギルバートだが、はっと気がつく。次いつ出会えるかわからないのだから、今が好機だ。
そのためにも誰かに気づかれるとまずい。先ほどとは打って変わって声を落とした。
「……俺は寛大だから、お前の非礼は水に流してやろう。それよりも、だ。もう一度訊ねるが、俺のものにならないか? あの臆病者よりもっと贅沢をさせてやるぞ」
ミリアを利用する、というぼんやりした策しか考えていなかったギルバートは、結局ルーカスからミリアを奪うという方針しか思いつかなかった。
ミリアは当然首を横に振る。
「何度でも言いますが、わたしはルーカスさまがいいので、お断りさせていただきます」
ギルバートはその言葉にむかついたが、気を取り直して説得を続ける。
(言い寄って落ちなかった女など今までいなかったのだ。この女も強がっているだけだろう)
「何故だ。あいつの見た目は……まぁ俺と張り合えるほどだが、絶対に俺の方が魔力も、腕力も強い。あいつは臆病だしな」
勝ち誇るギルバートに、どういうわけかミリアは表情を消してしまう。
「ルーカスさまは臆病などではございませんわ。……あなたなんかより、よっぽど強いです」
まるで挑発するようにそう言い切ると、話は終わりだとばかりに背を向け、歩き始める。
頭に血が上ったギルバートはーー怒りの沸点が非常に低いーーミリアに隠し持っていた眠り薬を嗅がせた。
ミリアの身体から力が抜ける。
ギルバートは衝動のままに行動したため、どこにミリアを監禁するか全く考えていなかった。
クーデターのことは煩そうな執事には伝えていないから、自邸は無理だ。眠った少女を連れ込んだらあれこれ言われるに決まっている。
ここまでのことをしておいて、執事に叱られるのを恐れるギルバート。
となるとーー。
(そういえば、城を探索している間に良いところがあったな。そこにしよう)
ギルバートは怒りで回らない頭で、まさかの敵地の敷地内に立て籠もることを決断した。
眠るミリアを荷物のように肩に担ぎ、ギルバートは目的地を目指した。
眠らされる際、ミリアが微笑んでいたなどと思いもせずに。