13
一週間も経たぬうちに、ローラは帰還した。
報告に現れたローラを見て、ルーカスは仕事を手伝ってくれていたミリアに気まずげに目をやる。
ミリアはくすくすと笑って立ち上がった。
「わたし、ちょっと疲れたんで、休憩してきますね」
「わかった。ゆっくりしていろ」
「ローラ、久しぶり。また時間があったらお話しましょう?」
「もちろんよ」
去り際にぎゅっとローラを抱き締めると、満足したのか部屋を出ていく。
と思いきやひょこっと顔を覗かせる。
「ルーカスさま、隠し事はいいですけど、浮気はだめですよ」
それだけ言うと今度こそ本当に立ち去った。
ルーカスは揺れる金の髪を目で追っていたが、咳払いで我に帰る。
「ミリアちゃん、気づいてるの?」
「さあな。それより、えらい早く帰ってきたな。何か問題があったか?」
見た限りでは怪我を負っているわけでもなさそうだ。訝しむと、ローラは艶やかに笑ってみせた。
「いいえ。むしろ逆です。もう十分な情報が集まったので報告に参りました。……正直、ここまでアシュレイ家が無能とは思わなかったわ」
ルーカスはローラの話に耳を傾けた。
花瓶の水を差し替えながら、ローラは物思いに耽っていた。
(まさかこんなにあっさり潜入できるなんてねぇ……)
面接を受けた際に特に何も質問されないままに『採用』と言われた時の衝撃は筆舌に尽くしがたい。
面接官にそんな簡単に決めていいのかと尋ねると、彼は『ギルバート様好みの顔と身体つきなので問題ないです』と堂々と宣った。いっそ潔い。
(アシュレイ家は顔採用って本当だったのね。折角作った偽の経歴も不要だったわ)
同僚も口が軽くて大変助かる。皆見た目は確かに美しいが頭は空っぽのようだ。
そんな失礼なことを考えていると、背後に誰かが立った。
「おい」
「何でしょうか?」
振り向くと、声をかけてきた男は調査対象であるギルバートであった。
ギルバートは無遠慮にローラの顎を持ち上げて顔を上向かせた。
至近距離の美形に、普通なら胸を高鳴らせてもおかしくはないが、ウィル一筋のローラは全く何も感じなかった。そもそも中性的な美貌が好きなのであって、いかにも男らしいギルバートは範疇外である。
「見ない顔だな。新しく雇われたメイドか?」
「はい。……ロザンヌと申します」
顔色を変えることなく、すらすらと偽名を使う。
「ロザンヌ……種族は?」
「セイレーンです」
セイレーンとは、美しい歌声で舟人を惑わし、死へと誘う海の魔物である。
「ならば、今宵は俺のために歌ってもらおうか」
気障ったらしい口調のギルバートに嫌気が指しつつも、頰を赤く染め、いかにも喜んでいるように振る舞う。
「わかりました。今晩、ギルバート様の部屋に伺います」
「楽しみだ」
返事にいたく満足したギルバートは鼻歌を歌いながらローラから離れる。
ローラは内心で毒づいていた。
(女の敵ね……まぁいいわ。こっちから接触する手間も省けたし、準備をすすめましょう)
与えられた仕事を終え、晩酌用のワインに自白剤を入れた頃には、すっかり日が落ちていた。
ギルバートの部屋を訪う。
「ロザンヌです」
「おぉ! 入れ!」
足を一歩踏み入れ、引きつりかけた表情を、顔中の筋肉を総動員して笑みに変える。
アシュレイ家は名家だけあって、魔王城に比べると華美だが気品のある邸宅なのだがーーギルバートの部屋は、成金のように悪趣味に飾り立てられていた。家具の一つ一つは名品と言える品のはずだが、全てが自己主張をしていてアンバランスだ。
美的感覚は遺伝しないのだなとつくづく実感する。
入るなり肩を抱かれ、ソファに座らされる。
「ギルバート様、ワインはいかがです?」
「頂こう」
グラスに自白剤入りワインを注ぐ。ギルバートは渡されたそれを、疑うこともせずに煽った。
「ギルバート様は、地位はもちろんですが才覚もあって、素晴らしいお方ですわね」
ギルバートを持ち上げるような発言をすると、気を良くしたのか、聞いてもいないことを次々と語り出した。
「俺はもっと高みを目指しているのだ」
「と、言いますと?」
「今の魔王を引きずりおろして、俺が次の魔王になる。計画も進んでいるのだ……協力者たちは俺が話した計画にいたく感銘を受けたらしくな、『貴方様ばかりに頼っていては、我々も心苦しいので、残りの作戦は我々にお任せを! 貴方様は魔王の様子を探ってください! こればかりは貴方にしかできません!』と言ったのだ」
それはきっと、ギルバートの無能さに気づいた共謀者たちが、ギルバートを体良く作戦の中枢から厄介払いしたのだろう。
ギルバートを褒め称えるのは、お飾りの魔王にして取り入るために違いない。
知っているだけ情報を吐かせた頃には、ギルバートは泥酔していた。
欲に塗れた目を向けられ、辟易する。
「……お喋りにも飽いた。もっと楽しいことをしよう」
ソファに押し倒されかけて、ローラは囁く。
「……お楽しみの前に、あたしの歌を聴いていただきたいですわ」
「それはいいな。セイレーンの歌声の美しさに勝るものはない……耳元で、たっぷり聴かせてくれ」
完全に組み敷かれても、ローラは慌てることなく口を開いた。
朝早く、ローラは身内の不幸を理由に執事に暇を願い出た。
執事は不甲斐ないギルバートに代わって山積みの書類を片付けていたため、適当に許可を出してくれた。
ちなみに、ギルバートの枕元には『昨晩ほどの情熱的な夜は初めてですーー』といった趣旨の手紙を残しておいた。一切記憶がないのも、酒の飲み過ぎだと思ってくれるだろう。
これでたった数日の潜入捜査は幕を閉じたのだ。
「お前の歌が役に立ったな」
「えぇ。ぐっすり寝込んでくれたわ」
ローラの歌声は破滅を招くというのは、魔王城内では有名な話である。しかしその理由は甘美な歌声だからではなく、異常なほどの音痴だからだ。一度聴けば、酷い頭痛と耳鳴りに襲われ、気絶する。
仲間たちに、音痴なんてセイレーンの沽券に関わるということで虐められた過去があるので、ローラにとって音痴はコンプレックスだった。
しかし、ルーカスの祖父が群れから追い出された幼いローラを拾い、音痴も笑って受け止めてくれた。
『音痴がなんだ。この城で歌い手なんて必要ないんだから、無理に歌うこともない』
ローラは救われたのだ。だから忠義を尽くすのは当然のことである。
仲間から否定された歌が役に立つ日が来るなんて、路頭に迷っていた頃の自分は思いもしなかった。
感傷に浸っている間に、ルーカスは与えられた情報をまとめ、対策を考え始めていた。
「ローラ、今日は下がってゆっくりしていればいい」
「お言葉に甘えて、そうします」
退出しようとすると、ちょうどルーカスに用があったウィルとかち合った。
「ローラ? もう帰ってたのか?」
「あたし、有能なのよ」
「ウィル、急ぎの案件でないなら後にしてくれ」
ルーカスが気を回してくれたようだ。
それに乗じて、ローラはウィルを自室へ連れ込んだ。
「大仕事終わらせたんだから、労ってちょうだい!」
「はぁ……わかったよ」
ウィルはため息を吐きつつも、ローラの頭を撫でる。
二人っきりの時は割と我儘を聞いてくれるのだ。
ローラはギルバートの文句を言いたいだけ言った。ウィルは口を挟むことなく、時たま頷いて話を促した。
「ーーそれで、あの野郎わたしをソファに押し倒したのよ。もう腹が立つったら……」
「は⁉︎」
「何もされてないわよ。歌で撃退したもの」
驚愕に目を見開くウィルを宥める。
ウィルは真顔になり、ローラをそっと抱きしめた。
今度はローラが驚く番だった。
「……確かにローラには歌があるし、無事だったからいいけど、でも押し倒されたのは気に食わない」
「…………あの野郎に感謝ね」
「何か言った?」
「なーんにも」
ウィルから抱きしめられるなんて滅多にないことだ。嫌な思いもしたが、それ以上に利があったと、ローラはご機嫌なのだった。