第5話 狼と幸せな日々
ターリィが真っ赤な顔で涙を堪えている。
ちょっと怖い。
「ぼっぢゃま!」
「な、何? 怖いよ」
「このターリィ感激しております……!」
「うん」
「まさか坊ちゃまの晴れ姿が生きている間に見れるだなんて!」
「ターリィはまだ若いんだから……十分見れたはずだよ?」
確か、ターリィは40代後半だっただろうか?
今日は僕の結婚式だ。
あれから顔合わせに予定の調整などをしている間に僕は一つ年を取ってしまった。
ロザリアが早く早くと急かすので大貴族同士としては異例の速さでの結婚式だ。
あれから何度かグラスバルト邸にお邪魔して、ロザリアの弟と話す機会はあったのだが……眼の敵にされ睨まれ、話すどころでは無かった。
それに、僕が爬虫類が苦手だと知ってか蛇を持って来る始末であった。
やんちゃだなあと白んでゆく意識の中でそう思った。
「ロザリア様がいらっしゃいましたよ」
ノックされた扉を開けたターリィがそう言い、ロザリアが現れる。
思わず息を飲んだ。
花嫁である証の純白のドレスは特注の品の様で、ロザリア希望のバラの花が白糸で刺繍されている。光の加減で美しく反射する。
長く豊かな髪は綺麗に結われていて、バラの形をした髪飾りがロザリア本人の美しさを損なわない程度に彩っている。
「スーリア様……いかがでしょうか、変ではないですか?」
「全然! とても美しいよ」
「まあ、ありがとうございます」
ふわふわと幸せそうにロザリアが微笑む。
つられて微笑み返すと、ターリィが気を使ってか部屋を出て行った。
「そう言えば、花嫁の祝福は決まった?」
花嫁の祝福とは、この国特有の風習で、花嫁が結婚前に大切にしていた物を次に結婚して幸せに成って欲しい人にプレゼントする事だ。
そのプレゼントをさらに、結婚したい人にあげると幸せになれると言うおまじないの様なものだ。
ロザリアは誰に送るかは決めていたようだが、物を決めてはいなかった。
「はい……このナイフを」
鞘に限らず持ち手にも大粒のルビーが散りばめられている、小ぶりな観賞用のナイフ。
話によると、ロザリアは祖母に貰った物の様だ。
幼少期の時に貰って、以来手入れは欠かした事は無いとの事で、とても大切にしていた事が分かる。
「これを、弟に……」
「うん、いいと思うよ」
花嫁の祝福は家族にしていくのが基本だ。
今まで育ててくれたお礼もかねて、残していくのだ。
式はつつがなく執り行われた。
参列者の中には国王陛下も居たので、カチコチになりながら二人で挨拶をする。
「陛下、この度は……」
「ああ、いいよ堅苦しい挨拶は。おめでとう、スーリア」
「はい、ありがとうございます」
「ロザリアも、良かったね」
「はい陛下、ありがとうございます」
ロザリアは終始、幸せを振りまいていた。
それを微笑ましく見る人物ばかりだったが……一人だけ違った。
ロザリアの弟はずっと、姉の事を寂しそうな眼で見つめていた。
「母上、もう家に帰りたい」
「駄目よ、もうすぐ終わるから我慢なさい」
「……」
「今日でロザリアとはお別れよ、ちゃんと挨拶しなさいね」
弟は一瞬だけ、くしゃりと顔をゆがませた。
「スーリア様……」
「うん、行っておいで」
ロザリアは一人、弟の元に向かった。
「なんだよ……」
「ねえ、そんなに私が結婚するのが嫌?」
「そう言うんじゃない……」
「じゃあ何?」
「……」
弟はじっと姉の顔を見た。
「姉上が家に居なくて静かになって清々する!」
「私がうるさいって言うの!?」
「うるさいだろ! いつもいつも! そうやって怒鳴りつけて!」
「何ですって!?」
「うるさい姉上なんかいらない! 結婚でも何でもすればいいだろ!」
「………」
「勝手に幸せになれ!! 馬鹿!!!」
ロザリアは、それが弟の精一杯の祝福の言葉である事に気が付いたようだった。
「ねえ」
「何だよ、まだ何か」
ロザリアは素直になれない弟を抱きしめた。
「な、な、な、何すんだよ!」
「家族でしょ? しちゃ駄目なの?」
「花嫁が結婚式で新郎以外の男に抱き着いたらまずいだろ!」
「あなたは私の弟だから大丈夫よ。それにスーリア様はこんな事で何か言うお方ではないわ」
「……意味わかんねえ」
ロザリアはしばらく弟を抱きしめた後、ナイフを取り出した。
「これあげるわ」
「これ、姉上大切にしてた……」
「そう、花嫁の祝福よ。何時か大切にしたい人にプレゼントしてね、約束よ」
弟は
ナイフをゆっくりと受け取った。
一度鞘から抜いて、刀身を確認した。
弟は姉を見上げた。
「ありが、とう」
「どういたしまして」
「姉上、元気で……」
「あなたもね」
「……うん」
その光景を大人たちは微笑ましく見ていた。僕もその一人だった。
*****
はー疲れた疲れた……
夜、ようやくすべての行程が終わり、家路につく。
あんなに沢山の人と話したのは久しぶりだよ……人と話すのには少し苦手意識があるから嫌になるよ……
「坊ちゃま」
「ふあ? ターリィ? 何?」
僕は自室で寝る準備をしていた。
もうすっかり日は落ちている。後は寝るだけだろう。
「ロザリア様がお部屋で待っておいでですよ」
「え? 何で?」
僕とロザリアの部屋は別だ。
一番日当たりのいい部屋を与えておいた。
油断していると背中を強く叩かれた。
痛い! 口から変な声が漏れた。
「な、何!?」
「何とはなんですか!? 女性に恥をかかす気ですか!?」
疲れ切った体と脳みそ。会話が理解できない。
「わーごめん、分かんない許して……」
「初夜ですよ、坊ちゃま」
「……ハッ」
疲れ切った脳みそに変なスイッチが入った。
疲れ切ってて頭からすっぽり抜け落ちてた。
「あ、あ、あー……」
「早くお部屋にいらしてください」
ロザリアの笑顔が頭に浮かんだ。
僕、今から……夜の狼になるのか?
ロザリアを食べに行くのか?
「坊ちゃま、早くしてください」
「ハッ、あ、む、無理だ!」
「……何を仰るのです」
「僕がロザリアに手が出せるわけないだろ!」
僕があの美しいロザリアとあれやこれやとするだなんて……
僕には無理だ。
ターリィの憐れんだ眼が僕を突き刺す。
「不能なのですか?」
「い、いやっ」
僕はロザリア相手だったらいつでも元気に……って、何を考えさせるんだ!
「坊ちゃまは男性がお好きで?」
「だったらロザリアと結婚などしないだろう!」
「では何故です?」
項垂れ、ベットに座り込む。
「その……いざとなると心の準備が」
「結婚前に時間などいくらでもありましたでしょう?」
「うん……でも、ごめん……今日は無理」
ターリィが眼を吊り上げ、僕の胸ぐらをつかんだ。
「ならせめてご自分で説明してください!」
「ちょ、ターリィ……」
「ロザリア様は待って居るのですよ!」
ロザリアが待って居る。
僕が来るのを待って居る。
行けない。
きっと行ったら僕は狼になってしまうだろうから。
僕は声を荒げる。
「駄目なんだよ!!!」
「坊ちゃまっ」
ターリィの手が離れる。
「僕はまだちゃんとロザリアの事が好きじゃない気がするんだ……中途半端な気持ちで彼女に手を出したくないんだ」
「なおさら、ロザリア様に説明した方が……」
「結婚したばかりの相手に好きじゃないかも、って言えって?」
しばしの静寂。
無音が、今は耳に痛い。
「分かりました」
ターリィは続ける。
「奥様には今晩は来られない事を伝えておきます……よろしいですね?」
「ごめん、ターリィ……こんな僕で」
「いいえ、奥様にはきちんと説明しておきますから、安心して下さい」
「ごめん」
「いいえ……おやすみなさいませ、坊ちゃま」
そう言ってターリィは部屋を出て行った。
ぼおっと壁を眺めた。
僕は本当に……情けない奴だ……ロザリアは僕が来るのを待って居たと言うのに。
決断力の無さ、行動力の無さ……これが魔法具だと決断は速いし行動力もあるのに……その他は全部駄目だ。
自分の駄目さ加減にはうんざりするよ……
一度、立ち上がって部屋のドアのカギを閉めた。
寝る前にカギを閉めるのは習慣だ。
「はぁ」
溜息を吐く、呆れたいのはロザリアの方かも知れない。
こんな結婚生活でいいのだろうか?
そのうち克服しないとな……
ベットに体を横たえる。
よほど疲れていたのか、体が重く感じる。
すぐに睡魔がやって来て、眠りに落ちた。
異変が有ったのは眠りに落ちて数刻の事だ。
何か……重い……体が上手く動かせない……寝返りが打てない……
寝る前に体が重いと感じたが、その比では無い。
「う……ん……」
眼を開けた。
「っ!?」
誰かが僕に乗っかっていた。
えっ、誰!?
変な夢でも見ているのか!?
そう思ったが、どうやら夢では無い様だ。
見知った赤い瞳が僕を覗き込んだ。
「ロザリア?」
「はい」
……どうして此処にロザリアが居るのだろうか。
誰かがカギを開けたのか?
「扉にカギがあったはずだけど」
「あのようなカギ、私には無いにも等しいですわ」
「開けたの?」
「どうしてもスーリア様に会いたくて……」
ちらりと扉を見る。
壊された訳ではなさそうに見えるけど……
「カギはまたかけ直しておきましたから安心して下さい」
「ああ、うん」
壊した訳じゃないのか。
……じゃあどうやって開けたんだ?
暗い室内……ロザリアの姿を見る。
毒だ。
そう思った。
肌を多く露出し、スケスケのネグリジェを着ている。その下には下着を身に付けてはいる。ロザリアの健康的な肢体がとても良く視界に入ってくる。
これは暴力では?
そう思えるほどのインパクトのある光景。
「……!!!」
そして、僕は気が付いた。
「ロ、ロザリア……! その手のっ」
「ああ……これですか」
ロザリアは手に大ぶりのナイフを持っていた。
「スーリア様が悪いんですよ? ……いつまでもご褒美をくれないから」
「ひ、」
ロザリアは僕の眼を覗き込む。
そして僕の青い瞳を見て、満足げに眼を細める。
「安心して? スーリア様を傷つけるような事はしないから」
「な、何で……ロザリア?」
「やっぱりこの前髪は邪魔ね」
結局切らずじまいだった前髪を邪魔そうに見る。
ヒュッ! 一瞬鋭い風が通った。
髪に隠れていた視界が開ける。
「いぃいっ」
一瞬のうちにロザリアは僕の前髪を切り落としたのだ。
「ああ、良く見えるようになったわ……素敵」
ロザリアは僕に覆いかぶさった。眼を見て、満足して、唇を重ねた。
「!!!」
扇情的な口付けだ。
と言うよりも僕は……ロザリアに食べられている……?
ロザリアは再び僕の上に跨って、ナイフを今度は自分に向けた。
「ロザリア、危ないよ……」
そう声をかけた。
ロザリアは危なげない手つきで自身が来ているネグリジェをゆっくり裂いた。
肌の露出が増える。
「まだ駄目?」
「ロザリア……?」
「私、あなたが欲しいの……スーリア様……」
「僕は……」
「スーリア様の気持ちは分かっているわ……ターリィさんに聞いたから」
「じゃあ……」
「でも、私の気持ちはどうするの? あなたの気持ちなんてこの際どうだっていいわ!」
勢いよく胸ぐらを掴まれる。
「あなたが欲しいの、他には何もいらないわ!」
「ロザリ、」
「お願い、たった一つの願いなの……お願いよ……」
「ちょっと落ち着こう、な?」
拘束から抜け出そうと動いた時だった。
スタン!
顔の真横にナイフが突き刺さった。
「ひ、ぃ……!」
恐る恐るロザリアを窺う。
ロザリアは恐怖で動かなくなった僕の片手を取った。
その手は、
ふにゃり
彼女の胸に押し当てられた。
「スーリア様は胸が大きい子が好きだって聞きましたわ」
「だ、誰に聞いたの……?」
「ターリィさんに」
余計な事を言うなよ!
父上もターリィも余計な事言いすぎなんだよ!
「どう、ですか? あんまり自信が無いのですが……」
ロザリアは容赦なく僕の手を動かす。
「十分立派だよ」
「本当?」
「う、うん、だから離そうか、ね?」
「もっと触って……スーリア様」
「い、いやあもう十分堪能したよ? もう大丈夫だから」
ロザリアの甘えた声と煩悩を引き離しつつ、そう言って、少し強引に胸から手を放す。
「あっ……ん……」
ロザリアから変な声が漏れた。
どうやら変な所と擦れてしまった様だ。
もじもじとロザリアは太ももを擦り合せる。
「もう今日は寝よう!」
慌ててそう宣言するも、
「まあ、スーリア様……これ」
僕の狼が服越しに存在を主張していた。
「いや、これはその……」
「嬉しいっスーリア様っ……やっと結ばれるのね!」
「もう結婚してるから結ばれてるよ!?」
ロザリアはにこりと笑った。
その笑顔に背筋が凍る。
「もう待てないわ……」
「ロザリア、落ち着いて……」
「落ち着いてなんかいられないわ」
「話をしよう、ね?」
「体で話し合いましょう?」
僕はいとも簡単に服を脱がされた。
「わあぁあッ!」
憐れ狼は、もっと強い狼に食べられてしまうのであった。
*****
ロザリア・グラスバルト・アークバルト・オーラ。
彼女はグラスバルト家の長女として生を受けた。
魔力を持っていた事から幼い時から自分を守る訓練として、体を鍛え魔法の才を伸ばした。女性の身であるため、剣は扱えなかったがかわりにナイフの腕を伸ばした。
純粋なナイフ同士の対決ならば、勝てる人間はそうはいない。
それを知っているのはグラスバルト家、彼女の家族のみだ。
彼女はグラスバルト家の名に恥じない御令嬢だったのだ。
どうりで、僕が暴れた所でびくともしない訳だよ。
「スーリア様あ!」
庭の遠くでロザリアが僕を呼んだ。
彼女は腕が鈍らないようにとナイフを振っている最中だった。
呼ばれても怖くて近づけないよ。
「坊ちゃま、大丈夫ですか?」
「ターリィ……何がだい?」
「げっそりしていませんか?」
毎晩狼が求めて来るからね……そりゃあもう大忙しさ……
ロザリアの寝顔は可愛い物なんだけどね。
「スーリア様!」
「うぐう!」
ロザリアが僕の胸に飛び込んでくる。
たまに打ち所が悪いと変な声が出るのだ。
「もう少し勢いを殺してくれるかい?」
「はい、分かりました」
聞き分けは良いのだけどね……
「スーリア様」
「うん?」
ロザリアが僕を欲しがるように見つめてくる。
夜にこの顔をされると背筋が凍るのだが、今は昼だ。
「はいはい」
ロザリアの額にキスを落とす。
むっとした顔のロザリアと眼が合った。
「あれ? 違った?」
「クチに……」
言いかけて、はしたないと思ったのか口を閉ざした。
「ロザリア、眼を閉じて」
期待するようにロザリアは眼を閉じた。
触れるだけの軽いキス。
それでもロザリアは満足したようで、微笑んだ。
「スーリア様……私、早く赤ちゃんが欲しいわ」
「うん……時間の問題かな?」
「赤ちゃんが出来たかどうかすぐに分かる魔法具が有ればいいのに……」
「そういや無いね……今度作ってみるよ」
ロザリアと笑いあう。
幸せな一日一日が過ぎて行く。
夜の方は少ししんどいけど、夫婦仲は円満だ。
「ロザリア」
彼女が振り向く。
「愛してるよ」
彼女は再び僕の腕の中に飛び込んでくる。
「私も愛しているわ!」
「ぐふっ」
やっぱり勢いは変わらなかった。
でもまあ、それがロザリア。
僕の妻だ。
何時までも愛しているよ。