第2話 黒髪の君
ぽつりと一人パーティ会場に立った。
着なれない正装と慣れない空気。
僕は完全に浮いていた。
ターリィは行きたくないと喚く僕を冷たい目で見降ろし、
『蛇がいいんですか、そうですか、分かりました』
と言うので必死に引き留めた。
行きます! 行くから! それだけはやめて!!
その結果がこれだよ。
参加貴族から、誰? あの人。と言う好奇の視線が突き刺さる。
僕に限らず父もこう言った場所には顔を出さないからね……仕方ない事さ……
ざわざわとうるさい会場の壁を背に立つ。
少しは安心したが、もう少し人がいない場所に行きたい。
陛下主催と言う事で参加者が多すぎる。
どうしようかと悩んでいると、正面から人がやって来た。
「おや……? 君は……」
ふと前を見ると、美丈夫が居た。
20代前半に見えるが……
「スーリア・スガナバルト・ナイトレイ、と申します閣下」
「ああ、やっぱり。お父上そっくりで見間違えたよ」
僕に声をかけて来たのはグラスバルト家の当主で騎士隊の元帥も務めている有名人だ。
何故疎い僕が分かったのかと言うと、こう言った場に騎士の正装で入ってこられるのがたった一人しかいないからだ。
「お父上は元気かね」
「ええ、有り余ってますよ」
「そうか、何よりだ」
「閣下はまだ引退などは考えておられないのですか?」
閣下は見た目は若いが御年60迎えようとしている。
この世界では魔力を沢山持ちすぎていると病気もしないし老いる事も無くなるのだ。
ちなみに父も僕もそうだ。
父の長い前髪の下には僕とそう変わらない年齢の顔が隠れている。
「ようやく息子が使い物になって来たと言うか……」
この人の息子、と言うのは40歳手前だ。
「息子は君ほど優秀では無くてね」
「なにを仰いますか」
「君の話は有名だ。初めて魔法具を作ったのは6歳だと聞いている」
「僕は物が作れるだけです……魔力は有っても戦えませんので」
そこは羨ましいなと思う。グラスバルト家は荒事に長けている。
対して僕は、どんくさいし……いざとなっても誰も助ける事は出来ないかも知れない。
僕は魔法具製作に関しては天才だと思う。周りもそう持て囃すから間違いはないし、今更僕が言う必要もない。
「君が作った魔法具がこの国をより良くする。素晴らしい事ではないか」
「そうでしょうか」
「ああ、だからもっと胸を張った方がいい」
そう言われて、自分が猫背になっている事に気が付いた。
慌てて背筋を伸ばす。
「失礼をいたしました」
「気にするな……君のお父上もそうだったが、もっと自分に自信を持つと良い」
「……はい」
「それでは、また」
離れて行く閣下の背中を眺める。
自分に、自信を……
少し勇気を貰った気がした。
閣下から見たら、僕は孫みたいなものなのかもしれない。
心の中でお礼を言った。
「……?」
ざわざわと周りが騒がしくなる。
壇上から陛下と王妃が出て来たのだ。
「皆さん、本日はありがとうございます。楽しんで行ってくださいね」
そう王妃が言って、貴族が皆、挨拶に向かう。
本当なら僕はスガナバルト家、公爵家の一つ。
一番に挨拶してもいい身分だ。
ちなみに挨拶の順番は身分が高い順からだ。
でも僕は行かない。
あんな人混みの中は無理だ。
グラスバルト家は真っ先に挨拶を済ませたのだろうな……
人の波が収まるのを待とう。
と、思っていたのだが。
眼の前を女性が横切った。
「……」
彼女は陛下の元へは行かず、黒い髪をなびかせてバルコニーの方へ向かう。
深い赤のドレスが白い肌を際立たせる。
綺麗な子だなあ……
後ろ姿に見惚れる。
もう少し近くで見たい……
後を追おうとした所。
「スーリア様でいらっしゃいますか?」
「へあっ!? そうですけど」
「陛下がお待ちです、こちらへ」
突然現れたメイドにそう言われ、後ろ髪を引かれる思いで着いて行く。
既に他の三大貴族と言われる、グラスバルト、ニックバルトは挨拶を終えたようだ。
「スーリア、会いたかったよ」
「ああ、陛下……お久しぶりでございます」
「君の作った魔法具はとっても評判がいいんだ」
「あ、ありがとうございます」
「………」
「……陛下?」
陛下が距離を詰め、耳元で話しかけてくる。
「君はお嫁さんが欲しいって聞いたけど」
「! 誰に聞いたのですか」
「君のお父さんの手紙に書いてあったんだ」
「っ!」
クソ親父! 何て事書いたんだ!
「君が良ければ王女の一人くらいあげてもいいけど」
「やめて下さい……」
「スガナバルトの直系が崩れるよりはいいと思って」
「娘様の事をもっとよく考えてあげてください」
「君は優しい性格だからどの子とも相性は大丈夫だと」
「僕が駄目です……」
陛下は腕を組んで少し考えた。
「じゃあ、これから挨拶する貴族に君の事話そうか?」
「な、何を話すのですか」
「婚約者の居ない娘の居る貴族に、スガナバルト家の嫡子が相手を探していると」
「やめて下さい!!」
「きっとたくさん来るよ」
「望んでいませんっ」
僕の家は腐っても三大貴族。そんな事を陛下が言ったら入れ食い状態になるだろう。
こんな所、来るんじゃなかった!
「まあ、今日は何にもしないけど……結婚はしてほしいかな」
「はい、陛下……分かっております……」
「今日は楽しんで行ってね」
「ありがとうございます」
会話を終えて、ふらふらとその場を離れる。
泣きそうだ……僕はだた人間と結婚したいだけなのに……ジャガイモも蛇も嫌だ……
壁にもたれかかる。
「はぁ……」
力無く溜息を吐いて、項垂れる。
じろじろと視線が突き刺さる。
その視線を避ける様にバルコニーへ向かった。
「あぁ……」
王都の夜景のなんと綺麗な事か。
心地よい風も相まって、心がほんの少し癒される。
三つの月が祝福をしているかの様だ。
「……」
今まで気にしていなかったが、何やら騒がしい。
視線を投げかけると、先程見た黒髪の女性、その周りを貴族男性数人が囲っていた。
黒髪とは珍しい。貴族社会ではまず見る事のない色だ。
男の一人が女性を口説き始めた。
「ロザリア様! 何と美しいのでしょう」
「………」
「あなたは私の心を掴んで離さない!」
「……」
ロザリアと呼ばれた女性は何も反応を返さない。
ロザリアを口説いていた男を、別の男が押しのけて、
「あなたの美しさはあの月にも及びません!」
「………」
「ああロザリア様! 私の光!」
「……」
言い終えると、また別の男が出てきて……
「ロザリア様をお守りするのは私の役目!」
「………」
「私はあなたを守る、あなただけの騎士!」
「……」
永遠に繰り返される。
心配になってロザリアを盗み見る。
表情が死んでいる様な気がした。大丈夫かな?
僕の身分なら助けられると思うけど……男の集団が血の気が多そうで怖い。
どうしよう、誰か助けを呼んでくるか。
その場を離れようとした時、
「待って!」
とても、美しい声だった。
彼女は何時の間に僕の隣まで来たのだろう。
とても美しい赤の瞳。
彼女は火属性の魔力を持っている事が窺える。
この世界、基本的に男性しか魔力を持っていない。
ロザリアの異常なまでのモテ具合の理由が分かった。女性の身で魔力を持っているからだ。
腕に手を添えられて、潤んだ瞳に見上げられる。
「私と踊って下さらない?」
ホールでは音楽が始まった。
「いや僕は」
踊れるかどうか微妙な所だ。
最後に踊ったのは何時だろうか。
「……」
ロザリアの泣きそうな瞳と眼が合って、そんな事言っている場合か! と自分を叱責する。
「お嬢さん、僕で良ければ喜んで」
指先にキスを落とし、その場から連れ去る。
「な、何だお前は!」
一人の男が発言したので、にこりと笑う。
「僕はスーリア・スガナバルト・ナイトレイです」
「っ!」
「文句があるようでしたら当家へ、どうぞ」
これで彼女の家への攻撃は無いだろう。
そもそも彼女がどこの人間か知らないけれど。
室内に戻り、明るい部屋でちらりと彼女を見る。
やはり美しい。
華やか、なのでは無く、自然体の美。年甲斐もなく心臓が高鳴った。
今までこんなに美しい子に会った事が無い。繋いでいる手も何処か気恥ずかしい。
ダンスの輪の中に入り、踊り始める。
子供の頃覚えた物は意外と忘れない様で、体が覚えていた。
良かった、恥をかかずに済みそうだ。
「スーリア様」
「ん?」
「先程はありがとうございました」
「むしろごめんね? もっと早くに助けたかったけれど」
「いいえ、十分です……ありがとうございます」
「そうだ、君の名前を聞いてもいいかい?」
「ああっ、申し訳ありません、私っ……」
知ってるけれど、彼女の口から聞きたい。
彼女は少し考え込むように眼を伏せた。
「申し遅れました……私、ロザリアと申します」
「ロザリア……とても美しい名だ」
「ありがとうございます」
「何処の家の御令嬢だい?」
「………」
途端、先程と同じようにロザリアが口を閉ざす。
「スーリア様……その……私……」
「……うん」
「スーリア様には私を見て欲しいのです……私の背後にある家を、見て欲しくないのです」
ロザリアはどうも高位貴族、なのだろうか?
黒髪の高位貴族……僕が疎いせいか、思いつかない。
この世界の貴族は茶髪か金髪のどちらかしかいない。
黒髪、と言う事は風の民と呼ばれる特殊な民の血が流れていると言う事だろう。
「僕はスガナバルト家の嫡子。君の生まれで僕の態度が変わる事は無いよ」
「はい、分かっております……でも、私の家名を聞いて態度が変わってしまった人が沢山居て……怖いのです……」
「そう、分かった……もう聞かないよ」
そう言うとロザリアは花が咲いたように笑った。
僕はロザリアの表情をずっと見ていた。
何よりも美しかった。
心臓が何度も高鳴り、体温が上がって行く。
この感覚……覚えがある。
どうやら自分は恋に落ちたらしい。
久方ぶりの恋愛だ。
ロザリアの家とかもうどうでもいい。
王家の子かも知れないし、男爵家の子かも知れない。
ターリィ……僕は好きな人が出来たよ。
ダンスが終わって、名残惜しく手を放す。
彼女の事をもっと知りたい……
でも、臆病な僕は聞く事は叶わない。
ロザリアに婚約者が居たらと考えると、精神的ダメージが大きい。
「それじゃあ」
そう言って別れる。
ロザリアに婚約者が居ない方がおかしい。
彼女はとても健康的で、魅力的なのだから。
引きこもり気味でたいして容姿もよくない僕には……ジャガイモか蛇がお似合いなのかもな。
高望みと言うやつだ。
「待って!」
「! えっ?」
ロザリアは何を思ったのか僕に突撃して来た。
胸に飛び込んで来た彼女を抱き留めるが、勢いが良すぎてふらつく。
此処で倒れる訳には……
何とか踏みとどまり、
「どうしたの?」
「あのっ……側に居てもいいですか……?」
「え?」
「またさっきの人たちが来ると思うと……その、怖くて」
泣き出しそうな、か弱い瞳が僕を見上げる。
僕にこれが拒否できるはずもなく、頷く。
「ありがとうございます……あちらに参りましょう?」
ロザリアは言いながら僕の腕に手を添える。
こんな風に女性と接するのは産まれて初めてでものすごく緊張した。
僕がちゃんとエスコートしなきゃ……
そんな事ばかりを考えていた。
「スーリア様がお優しい方で安心しました」
「優しいのが取り柄みたいなものだから……」
「まあ、ご冗談を。魔法具開発に置いて右に出る者は居ないと聞いておりますわ」
「いや、僕なんかまだまだですよ」
「謙虚な所も素敵ですわ」
さっきから照れっぱなしだ。ロザリアは僕を手放しで褒めてくれる。
見目も麗しいし、欠点など無い素晴らしい御令嬢だ。
ロザリアはさらにくっ付いてくる。
そんなにくっ付かなくても……恋人とかに間違われちゃうよ?
その時、視線が背中に突き刺さった。
振り向くと、僕より若い貴族男性が複数僕を睨んでいた。
ロザリアは結婚適齢期の男性に人気があるようだ。
「……ロザリアは婚約者は?」
思わずそう尋ねると、ロザリアの眼が細まり、口が弧を描く。
何て美しい微笑みだろう。
「私に婚約者はおりません」
「そうなんだ……意外」
「スーリア様は……?」
心配そうに見上げてくる。
居る場合、長く一緒に居ると疑われると思っているのかな。
そんな所は可愛らしく思えてくる。
「僕にも居ないよ……居る様に見えた?」
「スーリア様はとても素敵なので、居ると思いました」
「居たらもう結婚してるかな……僕もう25歳だし」
「私も、結婚しないと行き遅れになります……19歳なので」
ロザリアは19歳か。
年齢差は6歳……可能性は……あるような無いような……
「今日は誰かと一緒に来たの?」
「はい、おじい様にエスコートされてきました」
「僕と此処に居て大丈夫? 挨拶しに行く人とか……」
貴族は上と下の繋がりが重要だ。
僕はそもそもこのパーティには来る予定では無かったので誰にも挨拶に行く予定はないのだが……
「国王陛下には挨拶したいかもしれないです」
そう言えばあの時……陛下がご登場なさった際、ロザリアはバルコニーに向かって行った。まだ挨拶していないのか。
「スーリア様……一緒に来てくださいますか?」
大きくて綺麗な赤い瞳が僕を射抜く。
陛下には会いたく無いような気がしたが、頼まれては仕方ない。
何処に居るのだろうと視線を彷徨わせると、ぐいっと腕を引っ張られた。
「おとと……」
「こちらです、スーリア様」
ぐっと腕に何かが押し当てられた。
「……!!」
これは、もしや……!
柔らかくて張りがあって大きな二つの……
ちらりとロザリアの胸元を盗み見る。
「……」
豊かな女性の証であった。
それ以上は何も言うまい。
「陛下!」
ロザリアに引っ張られながら陛下の元に向かう。
「やあロザリア」
「挨拶が遅れて申し訳ございません」
「それは構わないよ……聞きたいのだけど、何時の間に仲良くなったの?」
「スーリア様にはいろいろと助けていただいて……」
「助ける? 君を?」
陛下の視線が僕へ投げ掛けられる。
陛下が少しだけ、笑ったような気がした。
「ロザリア、君はまだ婚約者が居なかったよね」
「はい……恥ずかしながら」
「どう? スーリアは」
「どう言う、意味でしょうか?」
「とてもお似合いだと思うよ」
陛下! 直接的すぎます!
何と反論すべきか悩んでいると、ロザリアの表情が眼に留まった。
「――――っ!」
ロザリアは顔を真っ赤にし、慌てている様子だった。
「違います! 陛下!」
「何が違うの?」
「スーリア様とはまだそう言う関係では無いのです!」
「てことはそう言う関係になってもいいって事?」
「あぁああぁっ! 揚げ足を取らないで下さい!」
「良いと思うけどなあ……ああ、二人が良いなら、の話だよ」
ロザリアはさらに顔を赤くして、両手で顔を覆った。
「大丈夫?」
「スーリア様……」
赤い顔で涙を溜めている。
うん、そうだよね……こんなおじさんと結婚なんて嫌だよね。
大丈夫さ、傷ついてなんか無いからね……はあ。
「陛下、あまり若いロザリアを虐めないで下さい」
「スーリアはロザリアの事どう思う?」
「ええ、とても素晴らしい御令嬢です。何処に行っても恥ずかしくないでしょう」
「君の所に行っても?」
「僕みたいなおじさんは嫌でしょう? 年の近い子と結婚すべきかと」
そう発言し、ロザリアに向き直る。
「ロザリアも、結婚するなら年が近い方が良いだろう?」
すっ、とロザリアの表情に影が落ちる。
ドン!
何かに突き飛ばされて尻餅をつく。
上を見上げるとロザリアと眼が合った。
彼女が僕を突き飛ばしたのだろうか?
結構な強い力だった、違うのかもしれない。
「どうして?」
「ロ、ロザリア?」
「私は大人になったわ! なのにどうして!」
「っ! どうしたんだ?」
「私、立派なレディになったわ! なのに駄目なのっ?」
意味が分からずに何度も瞬きをする。
そのままロザリアは泣きながら走り去っていく。
速い! 僕の走る速さよりよほど速い!
「ま、待って!」
僕の声は恐らく届かなかった。
「やー……」
声がした方を見る。陛下だ。
「君がロザリアの想い人とは分からなかったなあ」
「陛下……?」
「ちゃちゃを入れ過ぎたみたいだ……慰めに行ってくれると嬉しいな」
「僕が、ですか?」
「他にロザリアの涙を止められる人は居ないと思うよ」
「……こんなおじさんなのに」
「ロザリアはそうは思ってないんじゃない?」
陛下の手を借りて、立ち上がる。
服に付いた埃を少しはらって、陛下に礼を述べる。
「早く行った方が良いよ、彼女と一緒に来てる祖父は怖い人だから」
「もっと早く言ってください!」
ロザリアの祖父は怖い人って……一体何処の家なんだ?
うすら寒さを覚えながら、後を追った。